第八十九話 雨竜隊(3)

 


 夏の匂いが残る深夜。交通整理が行われる高速道路の上で、雨宮の一党を連れ突入の準備を行う。通りかかる車たちは何事かと減速し、俺たちの方を流し目で見ていた。


 パトカーは眩い赤を放ち、深夜の出勤を命じられた警官が誘導棒を使っている。拳銃のホルダーの横に、同じように取り付けられたデバイスの姿が、時代の変遷を映しているようだった。


「ふぁ……誰か、缶コーヒーください。カフェインの摂取が急務です」


 ごしごしと目元を拭う義姉さんが小声で呟いた。しかし、こんな車通りの激しい高速道路では、自販機なんて見当たらない。しかしその近くには、妙に準備の良い気遣いができる彼女がいた。


「はい。御本城様。こちらにお求めのものがありますの」


「ああ、ありがとうございます……」


 義姉さんが、ぱき、と栓を開けて、澄子さんから手渡された虹色ラベリングのコーヒーを飲む。責任者として場にいなければならないと駆り出された義姉さんは面倒臭そうにしていたが、やっぱり、真剣な表情だった。


 渦は、こちら側の事情を気遣ってはくれない。場所によっては、突入が難しいところもある。故に、政府に作戦の決行を伝え、行政機関からの支援を受けて、渦の攻略に乗り出そうとしていた。


 竜の目を用いれば、渦巻く混沌とした魔力の姿が見える。夜の闇に濃淡を重ねるようなそれは、いつ見ても禍々しい。


「……結界の展開が完了しました。では、術式を」


 御庭さんを含めた雨宮の数少ない重術師たちが、渦へ突入するための術式を展開する。それぞれの色を重ね合わせ、透き通る水のような輝きへと変えたそれが、文様を描く。


 外套を纏う雨宮の妖異殺しが、それぞれの武器を手にした。闘志を漲らせる彼らに対し、あまり武闘派ではなさそうな柏木家の妖異殺したちは、ちょっと居心地が悪そうだ。


 雨宮グループによる、関東圏の渦の一掃を目的とした作戦。


 雨宮実働部隊の全てと、柏木家の戦力を投入する。アシダファクトリーは諸地域の”刈り残し”を担当し、大枝を今から一気に地に落とそうとしていた。


 十日間で五百余りの渦を、を叩こうというこの作戦の、一日目。


 部隊の最前列。息を吐き、金青色の魔力を展開する里葉が、自らを高めている。

 彼女の目には、万を超える色が重なり合う重世界の景色が見えていた。


「先鋒として突入します。第一分隊。村将。供を」


「はっ。里葉様」


 最初から、戦力の全てを突入させるわけにはいかない。橋頭堡を築き上げ、主力を展開するための場を整えなければならないと、里葉が村将と自らの手勢を呼んだ。白川戦での生傷が残っている、見るからに堅気には見えないゴリゴリの集団に、柏木家の妖異殺しがビビっている。なんか、澄子さんと同じように、全員背が低い。


「私も先鋒として出撃する」


 コートを羽織り、刀を手にした片倉が、里葉に声をかけた。


 片倉の生真面目な表情が、通りかかる車のライトに照らされる。

 彼の能力は、対群戦闘に向いているものだ。しかし、里葉の反応はあまり良くない。


「……あなたは参謀でしょう。後からゆっくりくればいいのではないですか?」


 がるるると警戒の色を見せる里葉が、妙に子供っぽい。その返答に、片倉が答えに窮している。


「……里葉。そんなことを言うな。彼がいた方がいい」


「…………ん、ヒロがそういうなら」


 俺の言葉を表面上では受け取ったものの、あまり納得しているようには見えない。


「では、3。全隊を突入させてください」


 金色の正八面体を手に握った里葉が、重世界に突入する。“八日月”を抜刀した片倉、槍を握る村将、それに彼女の第一分隊が続いて、煩いパトカーの光だけが残った。


 たった3分の時間が、妙に長い。義姉さんと御庭さんを除いた重術師の一部はこちら側に残るそうだが、他のものたちは俺を含め全員突入することになっている。


 俺は戦えないが、戦を見届けるつもりだ。


「ぬっぬっぬっぬっ」


 ……みんなが集まっているので遊びに来たささかまが、妖異殺したちの足元をくぐり抜け闊歩している。


「にゃあごななぬなぬ」


 ……そのあと、パトカーのフロントガラスに登ろうとして失敗し、滑ってズサーと落ちていった。唖然とする警察官の横を通って車の方に駆け寄り、義姉さんが奴を捕まえた。なでなでしながら笹かまを胸元から取り出し、与え始める。


「来ちゃったんですねささかまくん。私と一緒に里葉と広龍を待ちましょうね~」


「くっちゃくっちゃぬぬにゃぬ」


「…………」


 不気味な静寂が、皆を包んでいるように感じた。このダンジョンは、全部で八階層。俺が仙台にいた頃攻略したものと同じぐらいの規模で、おそらく低層には渦鰻が蔓延っているだろう。


 中の里葉たちは、無事なのだろうか。片倉に、村将もついている。問題ない。問題ないって。



「…………3分経ちました。総員の武運を祈ります」



 ……やっとか。

 ささかまを降ろした後、手を組んで、願うようにした義姉さんの言葉に皆が神妙に頷く。

 扉を開いた御庭さんに続き、突入を開始した。






 戦うつもりはない。戦ってはいけないのに、自然と体は黒甲冑を纏っていて、手には竜喰がある。右目は竜の縦目となり、彼女の存在を一刻も早く、一秒でも早く見つけ出そうと、微細に振動した。


 黒漆の魔力が、大枝の渦の第一階層、あの日仙台で見たものと同型の白い部屋を満たす。しかしそこには、あの時とは大きく異なる光景が広がっていた。


 地にはすでに、灰塵が降り積もっている。そして、この部屋には妖異が一匹もいない。


「遅かったですね。ヒロ。もう片付けてしまいましたよ?」


 えへ、といたずらっぽい笑みを浮かべる里葉は、特に大きい、灰の山の上に立っている。すでに一度刀を納めている片倉は目を瞑り腕を組んでいて、第一分隊のものたちは、わきに沸き立っていた。





 ここまで一方的な戦いがあるだろうか。螺旋状の歯を向ける渦鰻がまた、透明の刃によって切り分けられていく。


 雨宮の隊は今それぞれが集結し、一つの塊となって行動している。その先頭。戦地を進む里葉は青時雨を展開し、やってくるすべての渦鰻を迎撃していた。


 本来であれば、それは不可能な芸当である。


 しかし。


「……里葉様。左方より来ます」

「分かっています。鐘に集中していただいて構いません」


 左方より迫ってきていた渦鰻が、透徹の軌跡とともに、真っ二つに切り裂かれた。


 片倉が手に持つ黒釣鐘が重く鳴り響くたびに、渦鰻は動きを鈍化させ、泥濘の中を進むようにしか動けない。


 片倉が持つ、特異術式。


 その名は『衰勢の黒釣鐘』。お寺に置いてあるような釣鐘を、手持ちサイズにしたものを召喚し、それを鳴らすたびに、指定した対象に拘束、阻害、鈍化の効果を与えるスキルである。


 範囲指定のこのスキルが、機動力と物量を武器とする渦鰻のような妖異に対して、滅法強い。加えて、青時雨の展開による、対群戦闘を非常に得意とする里葉がいる。


 もっとも、彼女だけではない。魔弾を放てる妖異殺しが、一部迎撃を担当し、村将の手から迸る大火もまた、渦鰻たちを消し炭としていた。


「わー。また吹っ飛びましたわね。ラッシュって感じですわよ。わたくしたちやることないですわね」


 雨宮の妖異殺したちの動きを、もはや観戦気分で眺める澄子さんと柏木家の姿がある。


 完全な、ワンマンチームではない。里葉に重荷が回りすぎるようなことはなく、全員で分担して、ほぼミスをなくしていけている。途中、疲弊した隊員は、他の者と交代し休息をとればよいだけ。あの時二人であんなに苦戦したダンジョンだが、こうも簡単にいくのか。


 隊内におけるスムーズな人員の入れ替えは、訓練の賜物だろう。


「……一度速度を上げます。このまま進みますよ」


 総隊長としての判断を下した里葉が、歩幅を大きくした。







 あの日、交戦を避けて通った第一階層を正攻法により突破し。

 第二階層に突入して、まさしく戦争と形容してよい規模の戦いが、目の前で起きている。


「第八! 一度後退してそれぞれ障壁を張りなおせ! 第五を半数に分けて、それを左翼に当たらせろ!」


 鐘を鳴らしながら指揮を執る片倉の声が、空間に響く。

 どこを光源としているのか分からない、白の部屋の中。

 その存在を感知した彼が、空を見上げた。


 でっぷりと太っている。本来であれば空を飛ぶことはできないであろう質量の大鳥が、緩やかに飛翔していた。肛門から巨大な卵を落としだんだんとやせ細っていくそいつは、まるで爆撃機のよう。


『キュゥおオオおおオオ!!!!』


 地表に触れた卵が爆散し、触れただけで皮膚が焼けただれるであろう液体と、石礫となり飛来する卵殻が飛んでくる。


「ッ……! 下がりなさい!」


 先ほどのように軽口を叩く余裕もない。


 天蓋のように全体を包む澄子さんの天色の魔力が、爆撃の大部分を防いだ。彼女が広げる傘には、空を飛ぶ鳥とそれが落とす卵のイラストが描かれている。


 しかし、こうも威力が高く範囲が広いのでは、そう何度も防げるものではない。


 旋回し再び接近してくる奴らを、村将が睨んだ。


「里葉様! 空を! 我々が陸を狩ります!」


「……透き通るように 消えてしまえば!」


 最前列。猛牛の妖異を切り倒した里葉が、右手を伸ばす。


 金色の軌跡。


 能力の行使をもって応えた里葉が、編隊を組み飛翔する奴らを撃ち落とした。右手を動かし、空を打ち破った金色の槍たちは、そのまま陸へ。


「……申し訳ありません。里葉様。余力を残していただかねばならないというのに」


「問題ありません」


 彼女の凍てつく視線が、敵を捉える。

 降り注ぐ凍雨が、すべてを殺戮した。




 また、地形の違う白の部屋を、侵攻していく。

 第三階層では、道具をなしに取りつくことは難しそうな、丸みを帯びた形状の城郭を相手に攻城戦を行った。隠密の術式に優れる柏木の妖異殺したちが密かに城内へ侵入し、御庭さんの持つ爆薬を使って城門を開け、突破した。第四階層の白の森林では、御庭さんが重術師の技であるという広域の結界を展開し、周辺の敵を索敵しつつ、交戦をできる限り避け第五階層へ向かった。



 第五階層。先に続くのは、白の一本道。



 階下にて集結し、先の光景を見る。竜の右目を使えば、複雑に交差する魔力の回路が見えた。サーモグラフィーのように、魔力の濃度によって見え方が変わる。おそらく、あの道を進めば天井からはあの卵が、蓋をされたように浮いて見えるでこぼこの地からは宙で分離し広範囲に降り注ぐミサイルのような白石が飛んでくるだろう。


 後方を見れば、大枝の渦の防備を前に疲弊し、負傷した妖異殺したちがいる。戦意は失っていないが、思いだけでどうにでもなるということはない。


「……ここが潮時だな」


「そうですね。もう少し連れていきたかったですが……仕方ないでしょう」


 俺と里葉の言葉の意味するところを悟った片倉が、御庭さんたちに頼んで、脱出の穴を作ってほしいと命令する。各員の損耗状況を確認し、里葉が人員を選んだ。


 ここからは、少数精鋭である。


「……ヒロ、村将、片倉、御庭、第一分隊は残りなさい。柏木家の方々は……どうしますか?」


 ほんの一瞬だけ、もう帰りたいという表情をした澄子さんが、それを霧散させキリッとした顔つきになる。


「いえ、わたくしたちも御供させていただきます。うちの最精鋭を二名だけ連れて行かせてほしいですが」


 彼女の横に立つのは、鉄棒を握った若い男と……いたことに先ほどまで気づかなかった、執事の瀬場さんがいた。


「……協力感謝します。でも、ここからは本気で走りますよ」


 持ちうる青時雨の全てを金色の盾とした里葉が、金青を更に展開する。真剣な表情で頷いた澄子さんも傘を広げた。


 真っすぐに続く道を、駆け抜ける。

 金色の盾が宙で爆発し、飛散する破片を澄子さんの巨大障壁が弾いた。各員はただ走ることだけに注力して、駆け抜ける。







 やっとの思いで到達した、第七階層。山の麓に布陣する妖異の群勢を見て、皆が戦慄する。本来、妖異殺しにとって、大枝の渦を切り倒すということは並大抵のことではない。ここ最近でそれを成し遂げたのは、ごく一部のトッププレイヤーと、雨宮や佐伯のような、妖異殺しの名家のみである。


 望遠の術式を用い、周囲を確認する澄子さんが、これやべーですのと呟いた。どうやら、山の麓に集結する敵以外にも、広域に妖異が展開しているらしい。


「……しかし、なぜこんな群勢をダンジョンに置いているんだろうな。明らかに過剰だし、前の俺たちみたいな相手であれば、交戦を避け突破されてしまうというのに……」


 分隊員に周囲を警戒せよと告げた里葉が、金色を地に撒き散らしていく。今回の作戦は全て、緻密に計画され、様々な状況の想定を繰り返し、対策を講じてから決行されたものだ。前の俺と里葉みたいに、行き当たりばったりではやっていない。こんなふうに、軍隊を相手にする羽目になった時のことも、よく考えている。


 あの時の俺たちがやったよりもよっぽど大きい。金色を重ね合わせ巨大な船を作り出した里葉が、手招きをする。全員がそれに乗り込んで、今、青時雨が飛び上がった。


 海中を進むように、ゆっくりと流れていく青空の色。


「敵は陸上戦力が大半です。航空戦力だけであれば、私たちだけでも対応ができる……来た!」


 生理的嫌悪を覚える、微細な振動音。


 俺たちに気づき、接近してきた巨大な蠅。即応し、右手を伸ばした村将の炎槍が羽を燃やす。制御が不可能となり、ゆっくりと落ちていく蠅が今、ギチギチと口を鳴らして叫んだ。


 一斉に飛来する妖異たち。虫に鳥、魚の妖異から向けられる確かな殺意に、第一分隊の新人が、ごくりと生唾を飲み込む。


「全員! 迎撃しなさい!」


 発声とともに、炸裂。魔力の残滓が溶け合って、叫び声と魔弾の射出音が響いた。


 全方向に銃眼のあるこの金色の船は、まるで映画に出てくる宇宙戦艦のように、全方位に対し迎撃を行っている。近づいてくる敵は片倉の“鐘”によって鈍化されるため、簡単な的だ。


「……見つけました! 次なる階層の階段ですの」


 望遠の術式を使っていた澄子さんが、それを発見する。彼女の言葉を聞いて、ゆっくりと里葉が船を動かした。彼女には、まだ余裕がある。


「上空に位置取りました。では、御庭」


「はっ」


 里葉の指示を聞いた御庭が、船底にある蓋を開ける。彼女が三年間作り続けたという、魔力により起動する殺傷性の高い爆弾が、次々とスマホから出てきた。


 散布するように、地に落ちていく。下方、爆発四散する妖異の腕が空を舞い、毒煙に苦しむ妖異のもがき苦しむ声が聞こえた。


「降下します。全員、あらかじめ渡していた護符を」


 煙の攻撃対象から除くという護符を付けた全員が、船がある程度降りてきたところで、跳躍し降下した。


 外套が、風に靡く音を鳴らす。


 パラシュートなしの、空挺降下。

 皆が目指すのは、ボスが待つ次の階層。着地し、全員が階段を目指して、駆け抜ける。


 欠員、無し。



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