第九十話 決戦:雨竜隊
白の世界は終わった。強大な魔力を目の前に感じる、この空間の中で。
対伝承種の陣形を取ろうと展開した第一分隊の足音が、刻むように聞こえる。
俺が交戦したB級ダンジョンのボスは、どれも伝承種上位という、空想種という例外を除けば最強と言える妖異が相手だった。特に、あの日里葉とともに交戦した“百足姫”の記憶が新しい。
さて。今度は何が出てくる?
黒ずんだ洞穴のような、天井や壁がどこにあるか見えぬほどに大きい、広々とした空間の中。前方。ほんのりと熱を帯びていくような、脈動する血脈のような赤い輝きが、前方の黒ずんだ大岩を動かす。
「──っ!」
その存在を感知した里葉が、青時雨を動かし突撃させた。ぐんぐんと宙を突き進む穂先が大岩を貫こうとした時。
大岩が爆発するように輝いて、全身に焔を灯した。揺れ動く炎の中で、顔の造形を示した、ドロリと高熱を放つ輝きが見える。青時雨の弾かれた音が、燃え上がる焔に紛れた。
……サウナの中に入った時のような、熱波を浴びる感覚を覚えた。その大岩の頭頂部からは粉塵が放たれ、舞い落ち、奴が零すありとあらゆるものが、燃え続けている。
「……ありゃ、あれはなんですの?」
「灼熱を帯びる体、憤激する魔力……間違いない。雨宮家は、過去にこの伝承種と交戦したことがあります。出現した折には、一地方を灰塵で埋めたという、伝承種上位。その名も、“燃石山王”」
一度後退した里葉が、第一分隊を動かす片倉の指揮を流し目で見つつ、澄子さんに解説をする。
「この妖異種の体は……石炭のような何かで出来ています。常に高熱を放ち、燃え続け、粉塵を撒き散らし環境破壊を行うこの妖異のせいで、食料危機に瀕したという記録が重家には残っている」
「えげつないですわね……しかし、これでは村将さんの能力も効き目が薄いでしょうし……どう動きますか?」
“燃石山王”を囲い込み、魔弾による攻撃を仕掛けている隊員たちを澄子さんがじっと見る。彼らの機敏な動きに、ゆっくりと動くことしかできない“燃石山王”は、ついていけていない。
「短期決戦でしょう。戦いを長引かせられれば、身体にどんな影響があるかわかりませんし」
広がりの少ない、閉鎖的ともいえる空間を見回した里葉が、続けて語る。
「仔細に残された雨宮の戦闘記録によれば……奴は一定の周期で大技を放ってきます。途方もない威力ですが、それを凌いで、疲弊したところを叩くしかありません。澄子さん。お願いします」
「……頑張りますけど……いやーきついですわね」
傘をゆらりと動かした澄子さんが、熱気に顔を顰めていた。
汗が頬を伝っている。顔を拭った彼女は、真面目な表情をしていた。
彼女と同じくこの伝承種の存在を知っていた村将が、片倉にその情報を与える。敵の動きの兆候、それらを把握した彼が、いつでも集結が可能な陣形に切り替えた。
熱源となる奴の体が、更に輝く。
熱波は頬を焼き、煤が体を撫でた。
「来るぞ!」
叫んだ片倉の言葉を受けて、澄子さんが傘を構える。ここでしまいだと天色の魔力をすべて注ぎ込んで、それは障壁となり俺たちを包んだ。他の妖異殺したちも障壁の展開を助けようと、魔力を放っている。
……防御ならば、問題ないだろう。
耳をつんざくような爆発音と、風切り音を鳴らし飛来する炎弾。それに相対させようと、『竜魔術』を使い雷雲を展開した。
迸る雷光が、空を進む炎弾を迎え撃つ。そこで迎撃しきれなかったすべてが、俺たちに降り注いだ。
魔力と魔力がぶつかり合う音が響く。
「ナイスですの総長ぉおおおお!!!!」
障壁へ石礫がぶつかる度に、天色の波紋が揺らめく。
天色の破片が、俺の頬に触れた。
……彼女の能力、とんでもなく有用だ。果たして俺は、この規模の攻撃を受けて全員を一度に守ることができるのか?
まだ、炎の雨は続く。
どさりと座り込む音が、後ろから聞こえた。前方にいる“燃石山王”はその輝きを失い、萎んだようにさえ見える。
彼女の天色の魔力は、飛来する炎弾、細かい石礫、焔をとうとう防ぎきった。
数分の長さなのではないかというその攻撃を気合でしのぎきり、力尽きた彼女が後ろへ倒れこんだ。同じく、障壁の展開を支援していた妖異殺したちも、息を切らしている。唯一御庭さんだけは、ケロリとした顔をして、凛と立っていた。
「あ゛ぁー! マジでゲロ吐きますわ! ていうかもうゲロ出そうですのあやべぉおおろろろ」
口元から垂れ落ちるようにあふれ出るそれを、執事の瀬場が無言で拭いている。すごいなと素直に感心していたのになぜこの人はこう……こうなってしまうのか。
「澄子さん。ないすです。後は──私が」
炎の雨の中。瞑想し、金青の魔力を高めていた里葉が、一人、前方へ出る。
それに続いて御庭さんが前へ出た。
「御庭。下がっていなさい。私一人で片付けます」
「……承知しました」
そう呟いた御庭さんは、強く地を蹴り進んでいく里葉を見送る。
里葉が手に握った金色の正八面体を地にばらまいて、金色の槍を生み出す。
そして、衣装の細かい、洋風の姿見を作り出した。
彼女が鏡に向け手を伸ばして、飛来してきた旅行鞄の取手を握る。
「……殺す」
誰かが手を出す暇なんてない。
御庭さんが放つ“劫掠”の術式が、奴の体を縛り、全身を残す。
丸々残った伝承種の体を収容し、何もなかった“報酬部屋”で術式を展開して、外に出る。
高速道路の上。昇る朝日の眩しさに目を顰めながら、待機していた義姉さんと他の隊員たちと合流した。
負傷者の治療を行い、交通規制を解除して、撤収を開始する。かかってきた電話から、残った渦の掃討を開始すると言う、ザックの声が聞こえた。
刈り取らねばならぬ大枝の渦は、残り四つ。いや、正確に言うと二つではあるが……次の攻略に備え、一度隊員たちに休息を与え、負傷した人員は予備の者と交代させる。
しかしこの分だと、俺が毎度ついていく必要はないだろう。雨宮里葉という卓越した妖異殺しを中心に、安定した戦を仕掛けることができている。
……あいつから連絡が来るのは、いつだろうか。しかし、しばらく先だろうと考えながらスマホの縁を撫でる。
聞き覚えのあるメロディと共に、携帯が震えた。
彼女にとってそれは、ただただ一方的な蹂躙に近かった。
胡坐をかいて地に座り込み、大海原の魔力を放つ彼女は、久方ぶりの戦に満足している。
彼女の目の前に浮かぶ伝承種の大蛇は、体をもたげさせ脱力していた。全身に集り体をちぎり取っていく魚たちに、ただ貪られる恐怖を覚えながら、死を間近に感じ取っている。
携帯を耳に当てる楠が、帽子の鍔を握りながら喋った。
「あ、もしもし? 聞こえるかしら倉瀬くん。あなたが依頼した、大枝の渦の攻略。一つ目が終わったから、連絡したわ」
『……お疲れ様です。こちらもすでに攻略を終えて、休息を取らせた後、再び攻略を開始する予定です』
「あら、そう。ほんと、あなた面倒なことになってるのねぇ。一人で叩くくらいできるでしょうに」
『それは否定しないが……俺は貴方と違って、一人じゃない。そういうこともあるだろう』
「ま、しがらみってやつね。私にも空閑さんっていうしがらみがあるけれど、許してくれてよかったわ。じゃ、“餌やり”が足りないから、もう一個このまま張った押しにいくわよ。終わったら連絡するから、報酬はスイスの銀行口座に」
雨宮家に課せられた、渦の攻略。大枝の渦のうちの二つを、外注に丸投げするという荒業を彼は行っていた。
『……スイスの口座なんて持っていないだろ』
「冗談よ。ジョークジョーク。じゃ」
電話が切れる。
関東圏の渦に電撃戦を仕掛けるという、雨宮家の作戦。その第一フェーズは成功し、このまま更なる渦の攻略を続けていく。
『才幹の妖異殺し』雨宮里葉を筆頭とする特異術式を所持した手練れに加え、追従する歴戦の妖異殺したち。充分に整備されたその戦力であれば、戦闘の続行は可能である。
次なる大枝の渦攻略のために、作戦の変更、物資の運び入れや回収した伝承種の体をどう使うか協議する広龍たちは、今雨宮の城の外に出ている。
それに珍しく参加せず、参謀本部の椅子に座り、独り大枝の渦の中で見た光景を思い返した片倉は、電話を手に取った。
「……珍しいな。ミスター片倉。調子はどうだ」
「調子は悪くない。ザック。お前に頼みたいことがあるのだが、最近合衆国や南アメリカの方で、大枝の渦の攻略作戦があっただろう。その大枝の渦がどのような状態、防備だったか、お前のコネを使って調査してほしい」
北米出身であり、元は民間軍事会社に所属していたザックでしかできない仕事だと、彼は言う。何かを懸念している彼は、まったく別の景色を見ているようだった。
「……不可能とは言わないが、高くつくぞ」
「参謀本部の予算を回すから、問題ないと思う。私は雨宮の城に籠って、過去の資料を漁る。怜様や澄子さんにも頼んで、他家の資料も参照できないか探ってみるつもりだ」
「まったく、ただでさえ忙しいというのに……しかしまあ、お前にも何か考えがあるんだろう。了解した」
「頼む」
そう言い残し、電話を切った彼は、予め“外”で購入した新聞用紙を開く。
両開き。皺が残るそこには、煌びやかな装具を身にまとった、表側で活動する『ダンジョンシーカーズ』プレイヤーたちと、その組織の広告が載っていた。
重世界内。斜陽の輝きが、部屋に差し込む。
その名は、ヒーロー。
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