第八十四話 雨宮の猫様
夏も真っ只中。
仙台に帰らず、雨宮の城に待機して、里葉の
何故か魔力を使って笹蒲鉾を延々と作り続けるという虚無。妖異種の魚が尽きて、やっとの思いでそれを終えた時、村将とグータッチしたのを覚えている。満足げに胸を張る里葉の横で、謎の連帯感を俺たちは得た。
東京ではない、郊外の山の麓で行いたいと、指定された診察の場所。最近よく言うことを聞くようになったささかまを連れ、里葉とともにそこを訪れる。
「里葉。準備はいいな」
「ええ。広龍。ささかまも準備万端です」
里葉が持つ青時雨のゲージを覗き込んで見れば、ささかまが香箱座りをしているのが見えた。目はらんらんと輝いていて、あのギッラギラの白銀の笹蒲鉾を食べられると察し歓喜しているように見える。というかこのゲージ、かなり趣味が悪く見えるな。金色が陽光に輝いている。
蝉の鳴く声が聞こえる、山道を歩いた。
「行くぞ」
古く寂れた施設の戸を叩き、持ち込んだスリッパを履いて、中に入り込んだ。夜が深くなれば、幽霊が出てくるんじゃないかというような雰囲気である。
曲がり角の先から、一人の重術師が顔を出した。
「……ようこそお越しくださいました。倉瀬様。雨宮様。診察室はこちらです」
白衣を着た重術師の女性。彼女が、怜さんの知り合いでもある人で、今回ささかまを診てくれる人か。
「……ヒロ。姉様の知り合いと聞いていたので特に考えていませんでしたが、彼女はなかなかのびっぐねーむです。ささかまの存在を重家や探題は重く見ています」
どうやらこの女性は、妖異種研究の第一人者と言ってもいいような人らしい。
俺に耳打ちをした里葉に、小さく頷きを返した後。彼女に続き、診察室に入り込んだ。
施設そのものとは対照的に、清潔に保たれた診察室にて。事前に渡されていた記入済みの問診票を里葉が重術師に渡した後、診察台の上にゲージごとささかまを置いた。
「えー……まずは問診票の確認ですね。事前に怜様にお伺いできたことはすでに確認していますが……主な食事は、笹蒲鉾、ラーメン、皿、どら焼き、コンクリ、妖異、など……ですか」
「はい。そうです。噛み砕く力が強いとかそういうわけではなくて、飲み込むように食べれちゃうってだけなんですけど。思い出したものを全て記入しましたが、基本的には笹かましか食べません」
「…………なるほど」
里葉の受け答えを聞きながら、まずは身体検査をさせていただきますと重術師の人がゲージを開けた。俺たちも手を貸して、なんとかささかまをゲージから引きずり出そうとするが、なかなか出てこない。
「ぬぬぬぬっ」
「……ちっ。仕方ない。使うぞ。里葉」
「ええ」
スマホを開き、白銀の笹蒲鉾を取り出す。診察室のLEDよりも眩い輝きを放つそれに、ささかまが口を開け顎を引いた。改めて目の前にしてみて、驚いている。
ささかまがゆっくりと前足を伸ばし、前進した。
「ぬぬぬぬっ! にゃなにゃ、ぬー」
「よし! 今ですよろしくお願いします!」
「え、ええ……」
まんまとおびき寄せられ、作戦通り出てきたささかまは、笹蒲鉾をくんくんと鼻で嗅ぎ夢中である。困惑した顔の重術師のお姉さんが今ささかまに触れ、身体検査を始めた。
「随分と毛深いですねー……」
「ぬぬぬぬ」
白銀の笹蒲鉾をゆっくりと味わうささかまは、触れられていることに気づいてすらいない。なんという中毒性。これが白銀の笹蒲鉾の効力か。
「え、えーとお口の中確認しまーす」
ライトを使い、口内を照らすお姉さん。観察しようにも、笹かまが邪魔でよく見えない。
顔の前にお姉さんが手を近づけているのにもかかわらず、ささかまはまだ動きを見せていない。
しかし……食べる速度がだんだんと早くなっている。出し惜しみしていたら、いつストライキを起こすかわからない!
「くっ……! どんどんあげましょう! ヒロ!」
「ああ!」
スマホから笹蒲鉾を取り出し、まるで工場のベルトコンベアのように、継続的に笹かまを猫に差し出していく。
笹蒲鉾を食らうため前傾姿勢を取り、お尻を上げたささかまを見て、お姉さんが胸元から一本の棒を取り出した。緊張した様子の彼女が、棒の先をじっと見つめる。
「……では、体温と魔力の方を計測させていただきます。ささかまくん。
(……くそ! すまんささかま)
ささかまの名誉のため、その痴態を見るわけにはいかない。そう思って、ゆっくりと肛門目掛け突き進んでいく、一本の棒から目を逸らした。
ぷすっ。
妙に阿呆臭い。気のせいか、そんな気の抜けた音が鳴った気がした。
「にゃ、ぬ、ぬぬぬぬおっ!」
「さ、ささかま……! ご、ごめんなさい!」
唐突なその違和感に、口を開け上を向くささかま。思わずささかまの前足を抑えた里葉が、ゴクリと生唾を飲み込む。まだお尻に棒は突き刺さったままで、ささかまは静止していた。体温や魔力を測るためには、一定時間このままにしておく必要がある。
ゆっくりと。
上を向いたままのささかまが顔を下ろし、笹蒲鉾を食べ始めた。こいつ……自分のケツの穴より笹かまを優先したぞ!?
「……失礼します。OKです」
棒を抜き取った重術師のお姉さんが、その終了を宣言する。里葉は口をぽかーんと開けて、俺たちを一瞥もしないささかまの姿を見ていた。
触診を終えた後。
魔力を使ったレントゲン検査のようなものを行うため、スキャンする魔道具の下にささかまを置く。仰向けの状態でも笹かまを食べ続けるその姿は、まるでラッコか何かのようだった。本来であればもっと多くの検査を行わなければならないらしいが、怜さんの強権によりあまり必要でない部分に関しては回避されている。スキャンしたのと、ケツの穴に棒を挿したくらいで、あとは聞き込みが多かった。
「……検査の結果が出ました。結論から申し上げますと、人間に懐いた妖異種の中であれば、比較的無害な方です。なんでも食べてしまうという特性に関しては、空想級武装に類する刀に紐づけられていると思われます。しつけ等は必要ですが……『才幹の妖異殺し』である雨宮様が管理されるのであれば、問題ないでしょう」
ほっと一息ついた里葉が、彼女に礼を述べた後、質問をする。
「あの……妖異種の専門家の意見として聞きたいのですが……このささかまという生き物は、一体なんなのだと思いますか?」
難しい顔をして考える素振りを見せた後、重術師の彼女が言い放つ。
「雨宮様が考察された、封印する刀からはみ出た空想種、という認識で概ね合っていると思います。しかし……ここからは私の考察なのですが」
現像され、ホワイトボードに貼られたささかまの透過写真がある。それらの写真を指示棒で優しく示した彼女が、俺と里葉の方を見た。骨格や内臓などが見えるその写真が、妙にハイテクなので、里葉がおぉとキラキラした目で見ている。なんで?
「刀から飛び出たというこの空想種は……あの……その……
「……というと?」
「本当に前例がないので具体的なことは言えませんし、自分で言っておいてこの仮説が信じられないのですが……この子はきっと、この空想種のあなたたちに対する善意、いや、好意の化身です」
静寂に包まれた診察室の中。ゲージの中にいるささかまの、くっちゃくっちゃと食べる音が響く。
ささかま。うちのペット。こいつは基本的に無害で、空想種としての魔力を、ほとんど備えていない生物。
仙台のA級ダンジョンで里葉が目撃した、ささかまの本体の姿。それは表世界で言う”猫”という生物に類似していたが、完全に同じだったという訳ではない。しかしこのささかまは、こちらの猫をわざわざ再現しているという。
「……ささかまは私たちのことが大好きなんですねーっ!」
そう喜んだ里葉が、ゲージを開けささかまのことを抱きしめる。きゃっきゃと喜んでいる里葉には悪いが、どうにもこの事実が、そう単純なこととして捉えていいのかが、分からなかった。
まあとにかく、ささかまの検診を終えるというミッションは、無事達成された。重術師の彼女からも問題ないだろうというコメントを頂けたので、これでささかまを置いておくことができる。
「ぐるるるるぬぬにゃあにょにゃあご」
手を伸ばし、里葉の腕の中にいるささかまの顎を掻いた。
晴天。緩い風が吹く、雨宮の城の中。
白川事変以降勢いを増し、様々な人間が訪れるこの城を、自らの”縄張り”とする一匹の獣がいた。ずんぐりむっくりした姿のそれは、この世界を闊歩する。
「ぬぬぬぬ、にゃ、なー」
「あ、ささかま。もうお昼の時間ですか。今笹かまあげますよ〜」
「……すごい正確な腹時計だな、こいつ」
城の一角にある、訓練用の広場にて。金色の武装を展開し、要望者へ稽古をつけていた里葉と広龍へ、ささかまは飯を寄越せと突撃していた。
里葉の懐から当然のように出てきた笹蒲鉾に、猫は食らいつく。十枚目を超えたあたりで、里葉がめっとささかまを止めた。
「ささかま。この前いっぱい食べたでしょう。今日はもうおしまいです」
「なな、ぬぬー」
「だめです」
狸のように太い尻尾をブンブンと振り、ささかまが不満げに広場を去る。わざわざ里葉の足を踏み、広龍の頭の上に乗ってから去った猫の後ろ姿に、広龍はため息をついた。
城壁の上をのそのそと歩き、瓦を踏んで進む猫は本丸の屋敷へ向かう。
襖の隙間に手を突っ込み、無理やり戸を開けた猫。背後から聞こえてきたその音に気づき、ゆっくりと振り返った怜が、目を大きくさせた。
「あら。どうしたんですか。ささかまくん。里葉と広龍は今広場の方にいますよ」
「なな、にゃぬー」
各重家から届けられた書状を手に取り、仕事を続ける怜の机の上へ、ささかまが跳躍する。
そして、晴峯の家から届けられた大事な書類の上に堂々と倒れ込んだ。はっきりいって、仕事の邪魔をしている。保全しておくべき書類に、猫の抜け毛が大量に付着していた。
「ぬぬぬぬっぬ」
「…………もう、仕方ないですね。笹かまあげますから、どいてください」
よっこいしょーと立ち上がり、体を伸ばした怜が、なぜか机の上に常備されている笹かまへ手をかけた。笹蒲鉾を咀嚼する音と、もふもふで仕事の疲れを癒す怜の息遣いが、部屋に広がる。
怜にもみくちゃにされた後。猫の嗅覚を用い、今度は二の丸の門をささかまは訪れた。そこには今日この後、怜とのアポイントメントがある柏木家の者たちがいる。彼らの先頭には、和装姿の澄子と、執事の瀬場がいた。
わざとらしく見つかるように、ささかまは道の中央を横切る。
「ぬっぬっぬっ」
「……! 瀬場! バッグから笹かまを取りなさい!」
鬼気迫った表情の澄子がドデカい声で叫んだ。
さもあるのが当然のように言い放った当主を相手に、諌めるように瀬場は呟く。
「確か、倉瀬様と雨宮様はこの猫様に与える笹蒲鉾の量を制限されていたはずです。どうしてそのようなことを?」
「全く。わかってませんわね瀬場。この雨宮家で確固たる子分ポジを決めるのが今の柏木家の使命。このぬこ、使えますの」
手提げ鞄を持っていた瀬場からペシッとそれを奪い去り、手を突っ込んで澄子が笹かまを与えた。
「ぬぬぬぬー」
「ククク……将を射んと欲すればまず猫を手懐けよですの。このぬこに気に入られれば、広龍さんと里葉様の覚えめでたく、御本城様にアピールできますの」
「お嬢様……」
午後の日差しが、行き交う人々の肌を突き刺す。寒冷地に最適化された毛皮を持つその生物の姿は、その環境の中で、どうにも違和感を覚えさせる見た目だった。
妖異殺したちの指導を受けながら、新たな技術を体得しようとするアシダファクトリーのものたち。歴戦の妖異殺しにしごかれ、ボロボロになりながらも訓練を続ける彼らがちょうどよく休憩を迎えたタイミングで、その猫は現れた。
「ぬぬぬー」
「ん? 芦田。倉瀬の家の猫が来たぞ」
「ああ。あの子か」
自らの存在を主張するささかまが、わざとらしく顎を後ろ足で掻いたりする。
アシダファクトリーに所属する女性社員の四人娘が、それを見てきゃっきゃと騒いでいた。
「わあ! 見てください社長! 足があんまり届いてなくて可愛いですよ〜!」
「こらこら。人様の家の猫なんだから、あんまり変なことはするな」
「なななにゃぬー」
「ええ、でも〜! あ、ご飯が欲しいって言ってますよ。ささかまあげましょうささかま! 名前ささかまなんですよねこの子!」
「そんな都合よく笹蒲鉾を持っている奴がいるか!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐアシダファクトリーの面々の元へ、先ほどまで教官を務めていた妖異殺しの隊長がひっそりとやってくる。
芦田の肩に手をかけた村将が、しゃがれた声で呟いた。
「あるぞ」
「えっ」
「あるぞ。ささかま」
懐から当然のように笹かまを取り出し、しゃがみこんだ村将は、女性社員たちにそれを手渡す訳でもなく、自分でそれをささかまに与える。
「ぐるにゃくっちゃくっちゃぐるにゃあご」
「……ふふっ」
よく見ないと気づけないが、屈強なその男の口角が少し緩んでいた。先ほどまで社員たちをちぎっては投げていた鬼教官のその姿に、男性社員は絶句している。彼はつい最近まで、雨宮のお姫様に無茶振りをされ二十四時間笹かまを焼き続ける生活をしていたと聞いた。それが原因で、頭のネジが外れてしまったのかも知れない。
恐る恐る、女性社員の一人が村将に近づく。
「あ、あのー……あげる用のささかま、私たちにも分けてください」
「ああ。いいぞ。しかし、ささかまはよく来るから、常備しておいた方がいい」
「ぬぬぬ」
生傷の目立つ屈強な妖異殺しの男は、女性社員に囲まれながら猫に餌を与えている。
「……ザック。村将があの様子だ。俺たちもヤバイかもな」
「……まあ、大丈夫だろう」
夜に近づこうと、日が沈んでいく雨宮の重世界。城に訪れていた様々な人々が去った後で、その猫の飼い主である彼はやってくる。
「な、にゃぬー」
「どこ行ってたんだ。お前」
もう夕飯どきだ、餌を寄越せとすりすり攻撃をしてくる猫を眺めた後、広龍はあたりをきょろきょろと見回した。周りに誰もいないことを確認して、彼がしゃがみこんだ。
「……口元にカスがついてるぞ。お前、みんなに集って回ってたな」
「……ぬー」
「たく……里葉だったら夕飯抜きだって言うんだろうが……」
改めて、もう一度周りを確認した広龍が、ささかまを抱きしめる。その後、奇声とも取られかねない甲高い声を発した。
「はぁ〜お前はやっぱり可愛いなぁ〜ささかまあげるぞ〜」
「にゃなにゃぬぬぬにゃなにゃー!」
誰よりも多く笹蒲鉾を取り出した彼は、それをささかまに与え始める。
家に帰ろうという夕暮れ時。
皆に受け入られ、皆に愛されるこの猫は、明日も餌を集って回るのだろう。
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