第八十五話 術式屋(1)
夕陽の明かりが差し込むその重世界は、人々が去り遺棄された、孤村のようだった。使われなくなって久しいであろうその家屋は老朽化が進み腐敗して、朽ち落ちようとしている。
そんな村の中心を通るあぜ道を進んで、怜と護衛を務める村将は、唯一人の気配を感じる高床式の建築物へと向かっている。
辿り着いた彼らを上から眺めるのは、一人の女性。その佇まいから強さが伝わってくる彼女を相手に交戦となれば、彼は手加減できない。
「……怜様。お下がりください」
「村将。警戒は不要です」
しかし、鷹揚に待ち構えていたようにも見えた彼女は、即座にその場所から飛び降り、跪き、怜に臣下の礼を取った。
纏められていない彼女の長い黒髪が、しなだれる。髪と髪の狭間から見えるその澄んだ瞳は、何かを憂いていた。
「……探しましたよ。
「…………」
「灯台下暗しとはまさにこのことね……まさかすでに遺棄された雨宮の中立空間にいるとは思わなかった。こんなところ居続けられるのは貴方たちぐらいだけれど」
少しだけ責めるようなそんな彼女の口調に、御庭と呼ばれる術式屋の女性は静かに答える。
「……雨宮本家に付き従うべき我々が、術式屋として許されざる愚行に走ったのは揺るぎようのない事実です。いかなる処罰も受けましょう」
「貴方たちは……」
怜にとっても、複雑な思いがある。雨宮家の長男と次男が相討ちとなり死去してからの三年間。超一流の重術師としても家を支える『術式屋』の彼女たちが、いてくれればと思うことが何度もあった。彼女たちがいれば、里葉はあんな苦しい思いをせずに済んだかもしれないし、最後まで自分たちに寄り添ってくれた彼も死なないで良かったかもしれないって。
しかしそれと同時に、仮に彼女たちがいたとしても、簡単に分家や白川の手によって遠ざけられてしまっただろうと理解していた。本家に付き従う術式屋は最大限警戒される。監視下に置かれ、身動きのできない状態になっていたはずだ、と。
彼女たちが去ったのは、その状況を避けるためだったのかもしれない━━━━そんな漠然とした推察が今、確信に変わった。
「……あの、貴方の背後にある、その物々しい兵器たちは何ですか」
そこには、ありとあらゆる使い捨ての、特攻を意識した武具たちがある。魔力を込めた手榴弾とも言える重術によって生み出された焙烙玉や、毒煙を放つための原液。調教された妖異種に、護符の類。それが整理整頓され、その高床式の建築物の中に、積み上がっていた。
戦い方としては、外道も外道。ただ敵を殺し撹乱することのみを考えた、陰湿としか言いようがない使い捨ての武装たち。その数は、一体何を相手に戦争を仕掛けようとしているのかも想像できない、それぐらいの量だった。彼女たちが積み上げたであろう、三年間の結晶がそこにはある。
ゲリラ戦を徹底的に想定したそれらの恐ろしさを知っている村将が、槍の穂先を下げた。
「……御庭。お前は……雨宮が壊滅し敗北してからの、奇襲による奪還を想定していたな」
「……今となっては、詮無きこと」
跪き地につけられた拳が、土を擦る音を鳴らす。
首を差し出すように項垂れる御庭へ、怜は歩み寄っていく。表には出来るだけ出さないようにしているが、術式屋の彼女は断罪を怯えているように見えた。
徹底的なまでに、血を繋ぐために覚悟した結果。残ったのは、窮地に駆けつけなかった自分たち。
……そんな彼女を相手にして、雨宮家当主である怜は、呆れがちなため息をついた。
「……御庭。貴方たちね、歴史的に仕方ないのだけれど、色々と陰気なんですよ。そもそも終わった後しばらく戻ってこないし……毎度毎度突撃ばかりを繰り返す私たちを支えるためにそうなったのは理解できるのだけれどね……」
跪く彼女に視線を合わせようと、彼女は屈み込む。肩に手をかけて、じっと彼女の瞳を見つめた。
「……あの時のことは、どうにもならないことばかりだった。他の者たちも続々帰参している。そして私は━━━━全てを不問とします」
「なっ━━」
「今、過ぎ去ったことに苛まれ立ち止まっている時間こそが、無駄です。今雨宮は、かつての力を取り戻すため、人を欲している」
御庭の長髪を撫でた怜が、言い放った。その言葉には、万感の想いが込められていて。
「……戻って来なさい。御庭。貴方たちがいなければ、雨宮は始まれない」
斜陽の下。
咽び泣く声が、世界に響く。それを聞いて、建物の奥から、他の術式屋の者たちがおずおずと顔を出した。
「帰りますよ。皆」
雨宮の城にて。今この城にいる雨宮の譜代の者たちは、彼らのリーダーとも言える彼女たちの帰還に沸き立っていた。白川事変をきっかけに雨宮に加入した者たちの反応は様々だったが、概ね悪いということはない。
怜に連れられ、キョロキョロと辺りを見回す御庭。広場に集まり、村将に訓練を施されているアシダファクトリーの者たちの格好が、妙に妖異殺しらしくないものだから、気になっているようだ。
「
鳴り響く、甲高い剣戟の音。
何十本という槍に囲まれ、竜喰を振るう黒甲冑姿の広龍。龍を伴い真剣を用いながら、彼とともに鍛錬を行なっていた里葉が、彼女たちの気配に気づき、一度手を止めた。
「あ……姉様。お帰りなさい。それと……御庭さんも」
少し汗を掻いている里葉は柔和な笑みを浮かべる。その和らいだ様子に、御庭は目を見開かせた。頭が真っ白になって、どこか、見たことのないものを見るような、感慨深さを覚えているような、形容しがたい感傷を彼女は抱く。
その瞬間。御庭が思い返すのは、彼女に術式を彫った日のこと。脳裏にこびり付く、あの叫び声。あの日の呪縛から、彼女は決別したのだろうと確信した。
瞳を少しだけ潤わせた彼女に気づかず、里葉が広龍の方を向く。銀雪が耐えられない空気を察し、重世界の扉を開いて逃げた。
「ヒロ〜。お疲れ様です。こっちにお飲物がありますからね。あ、もう……頬に汗が垂れてますよ。今タオルとって拭いてあげますからね〜」
怜をじっと見ながら、全てを諦めたような表情をしている広龍の装備を引き剥がし、里葉が世話をする。タオルで汗を一通り拭き取った後、締めに頬へちゅーをした。それも三回。とりぷるあたっく。
「はい。おっけーです。えへへ」
「……!?!??!」
その後、彼女は腕を組むように彼へ抱きついている。
「あー……御庭。その、あの、あ、彼が里葉の婚約者兼うちの参謀総長の、倉瀬広龍くんです」
「……御庭さん。どうも。これからよろしくお願いします」
ベタつく里葉をスルーしたまま、広龍がお辞儀をする。里葉に全てを持って行かれていたが、そもそも先ほど消え去ったあの銀色の龍のことが彼女は気になっていた。というか、目の前にいる男も、おおよそなぜ正気を保てているのか、
思考に走りながら御庭は広龍と握手をした。この雨宮の重世界は、どうやら彼女が知るものとはかけ離れているらしい。
そうして、自然と重術による警戒を開始した彼女が、一匹の妖異種を感知する。
見上げた、天守閣の頂点。シャチホコの上に寝そべる、謎の獣の姿を彼女は目視した。それは彼以上に、存在していいものではない。
「……は?」
「あー、えっと、そのー……まあ、呼んだ方が早いですね。ささかまくーん! 笹かまあげますよ!!!!」
大声をあげた後、懐から何故か当然のように笹かまを取り出した当主の姿を見て、御庭が強く混乱する。
シャチホコの上に寝そべっていた獣はそれを見て、一直線にこちらへ向かってくる。飛び降りようとして着地に失敗し、転がるように落ちてくる姿は、妙に鈍臭いが。
「ぬぬっぬー」
トコトコと歩く猫に歩み寄って、しゃがみこんだ怜が笹かまを与え始めた。その絶対にありえない光景を見て、情報量に頭がパンクし、御庭は怜を守らねばという思考に達する。
そうしたら今度は空気が戻ったことを確認した銀色の龍が再び姿を現し━━もう訳が分からなくなった御庭は、静かに卒倒した。
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