第八十二話 至高の笹蒲鉾を求めて(5)
柏木さんとティーブレイクをしながら、四人の動きを竜の感覚で捉える。楠はウェットスーツのように見えるピチッとした戦闘装備に着替え、立花さんも和装のものに装備を変えていた。
目の前に座る澄子さんが、クイッと紅茶を飲んだ。それに釣られるように、俺も紅茶を楽しむ。奇天烈な世界の中ではあるが、実に優雅だ。
横の方では轟音やら戌井さんの叫び声やらが聞こえていたが、あえて無視する。
……紅茶を飲みながら、二人きり。今言っとくか。
「あの……澄子さん。そろそろ総長呼びをやめていただけると……」
「……多分わたくし部下になるかなーと思っていたので、一応そういう呼び方で媚び……ごほん。意識していたのですが、変えた方が良さそうですわね。なんてお呼びすれば?」
「……倉瀬か、広龍か、そんな感じで」
「じゃあ、改めて広龍さんと呼ばせていただきますの。しかし……広龍さん。貴方の婚約者……」
澄子さんが、そう口にしながら遠くにいる里葉の方を見た。彼女は表情を曇らせ、ドン引きしている。なぜかと言うと、里葉の周囲にいる魚の妖異が全て、何が起きているのかも分からず吹っ飛んでいくからだ。実際には、里葉が特異術式である透明化の能力で、武器を隠しているだけなんだけれど。
「えぐすぎますわね。あれ。ちょっと、勝てる気がしないですの。それに、あの楠の能力。個人で死を恐れない軍隊抱えているようなものですわよ。後の二人も……」
そう言った澄子さんの視線の先には、宙を舞い魚を落としていく立花さんの姿がある。彼女は四肢から墨色の魔力を薙ぐように放っていて、彼女が持っていると言う、『乱筆乱文の墨染』という特異術式は、純粋な強化系のものに見えた。
もう一人の戌井さんは……空を泳ぐ魚に対する攻撃手段を持っておらず、うろうろしていた。
……俺、あの人に吹っ飛ばされたんだよな。本当に。
「……そうだな。ここにいる人たちは皆トッププレイヤーだし、当然だろう」
「油断できませんの。わたくしも頑張らねばなりません」
「……澄子さんの能力は、どんなものなんです?」
自身の戦闘能力を相手に開示することはリスキーだ。しかし、わたくしたちズッ友ですからと口にした澄子さんは、躊躇いなく言い放つ。
「わたくしの能力は、これですの」
そう呟いた澄子さんが、和風の日傘をスマホから取り出した。特別な装飾や模様のない、妙に丈夫そうに見えるそれは、特注の品だろう。ただの傘ではなく、おそらく戦闘を想定している。
ばさっと開いたその日傘に今、天色の魔力が纏われた。魔力が桜吹雪の模様を形作り、傘に定着する。
「わたくしは楠や広龍さんほどレベルが高いわけではないですので、持っている特異術式は一つだけですの。その名前は『
ほらほらと言う澄子さんが、天色の魔力を使い傘の上に猫ちゃんのマークや犬のマークなど、めちゃくちゃ器用に柄を作っていく。イラストにセンスがあって可愛い。
「例えば仮に、雹を放つ能力者がいたとします。そしたらこんな風に、わたくしのイメージする雹の柄を描くんです。この傘の上に」
「ほうほう」
「そしたら、雨を防ぐ傘のように、雹を全部弾くことができます。
……ん?
「キャパシティとかは、あったりするのか?」
「今言った条件さえ満たせば良いので、だいたい無制限に防げますの。ただ、柄を描くのにも魔力を使うので、やりすぎるとガス欠しますわ。ましてや」
能力を一度解除し、傘を閉じた彼女がそれを剣のように振るう。覚束さのないその手さばきは、彼女が武芸に通じている者であることを訴えかけていた。
「攻撃する時は、その能力を使えません。開いた時、防御しかできないんですのよこれ。あ、一回、開いたまま思いっきり振ってみたら敵の攻撃を弾き返したりすることもできましたけど、たまにしかできませんわ」
「……普通に、ものすごく強くないか? それ。どうしてそんな能力に?」
クッと紅茶を飲み終えた澄子さんが、堂々と言い放つ。
「日差しが強すぎて本当にイライラしてた時、太陽にブチ切れて叫んでたら発現しましたわ。後、わたくしは女子小学生だった頃、傘でよくチャンバラをしましたの。土砂降りの日は水たまりを通る車に向けて、傘を開いて無敵ガードごっこしてましたわ」
これ、写真ですのと言った澄子さんが、俺にスマホを向けて見せてくる。大雨の中濡れることも厭わず、傘を車へ向ける赤いランドセルを背負った幼い澄子さんの姿があった。今よりもさらにちっちゃくて、なんか可愛らしい。めっちゃ楽しそう。
「……俺もよくやったわそれ」
「気が合いますわね。まあとにかく、わたくしの特異術式は、小学生の夢を日傘という大人なアイテムで体現した能力ですの。
わたくし頑張るのでこれからも末長くよろしくお願いしますと口にして、澄子さんが傘をスマホに仕舞う。
「そろそろ、三十分経ったみたいですのよ」
そう澄子さんが声を発した時、こちらへ向かってくる四人の姿が見えた。
俺と澄子さんの前に立ち、並ぶ四人。里葉は網を使い、えっへんと信じられないくらいの量の魚を肩に抱えている。その横に立つ楠は恨めしそうな表情で、スマホから魚をドバドバと出していた。隣の立花さんは二人を引き気味な視線で見ながら魚をずるずると引き出し、戌井さんはううと落ち込みながら、クソでかいタコを一匹だけ抱えている。
「……パッと見た感じ、里葉さんが一位、その次が楠、立花さん、戌井さんのようですわね」
「ま、まだ分からないから」
彼女たちの中。一人堂々と胸を張る里葉は、ご満悦である。濁流のように魚が楠のスマホから出てくるが、里葉が持ってきた魚は山のように積み重なっているので、正直楠の勝ち目は薄いと思った。
……得意不得意はあるだろうけど、ぶっちゃけ、同じ時間であれだけ集められる気がしない。本気で威圧して全ての魚を気絶させられたら、ワンチャンあるかな。やべーな里葉。
「まあ、楠さん。私は妖異殺しですから、妖異を始末する術には長けています。ヒロに挑む前に、私を倒せるようになることです」
たった今、楠のスマホから流れ出ていた魚がとうとう尽き、その量からして、里葉の勝利が確定した。
ふーっと一息ついた里葉が、褒めて褒めて〜と言外にアピールしながら、俺の元に駆け寄ってくる。可愛い。
「う、チッ……負けた……いや! 雨宮さん!」
俺に飛びつこうとしたところで呼び止められ、里葉が振り返る。
「なんですか?」
「乱獲が環境に良くないことを、ご存知ないのかしら? 貴方は勝利を取る代わりに、生態系へ深刻なダメージを与えたのよ! 私はモリ突きの要領で魚を選んで捕獲し、きちんと環境への影響を考慮しながらゲームに参加してたわ!」
「なんかいちゃもんつけ始めましたわよこいつ」
白い目で見る俺たちを無視して、楠が里葉に乱獲の危険性を説き始める。理路整然としたその語り口は、彼女本人が海洋系の知識を有していることを示していた。しかし、お前もえぐい量捕獲してるだろ。
「えっ……私、ダメだったんですか? そんな……」
ファンファンと青時雨を機動させ、魚を仕留めまくっていた里葉がちょっと落ち込む。後出しのルールだというのに、いけないことしたな……と里葉が顔を俯かせた。
透明感のある美麗な顔つきが、自責の念に揺れる。
「……倉瀬くん彼女すごく良い子じゃない。本当に悪いことしてる気分なんだけれど」
「実際悪いことをしてるんだよ」
「楠。忘れてるかもしれないけど、貴方二十四で倉瀬くんと雨宮さんは十八だからね」
「えっ!? そういえばそうだったわ……」
しゅんと落ち込んでいる里葉が、ごめんなさい……と小さな声で楠に謝った。彼女以外の全員から、冷たい視線が楠に刺さる。
う、と唸った楠が、とことこと里葉の元へ歩み寄って彼女に抱きついた。
「ごめん! 嘘! 私の負け! しかしそれにしても、里葉ちゃんは可愛いなあー!」
「えっ!? えちょ、な、なんですか!?」
「いや、素直すぎだってー! あ、ちなみに全部しょうもないいちゃもんだから、気にしないで良いよ。里葉ちゃん可愛い〜! 倉瀬くん君の里葉ちゃん本当に可愛いよ!」
わちゃわちゃした楠に、里葉が困惑している。でも、ちょっと楽しそう。ただ、俺もその方向に行くとは思っていなかった。
「なんか誤魔化しましたわよこいつ。まあ、里葉さんが可愛いのには同意ですけど。わたくしの百倍ピュアですわ」
「当たり前だ」
「まあとにかく、気に入ったわ! 里葉ちゃん何か困ったことがあったらお姉さんに連絡していいからね? 協力するから! あ、あと、みんな今取った魚は持って帰って良いよ。特に問題ないし」
もふもふしてくる楠に、里葉はたじたじになっている。里葉がこういう女子っぽい絡みをするのを、初めて見た。
「あ、美味しい魚をピックアップしたリスト用意してるから、後でスマホで送るね。じゃ、頑張って! 笹蒲鉾できたら、私にも頂戴!」
ニコニコした楠が、俺たちに言う。それに礼を述べ、これらの材料を使った笹蒲鉾の作り方を、考え始めた時。
ご機嫌な楠が、俺たちに宣言した。
「せっかくみんな来てくれたし、料理を振る舞うわ!」
スマホから出刃包丁を取り出した楠が、くるくるとそれを振るう。他にも様々な道具を取り出し、すでに運び込んでいたのだろう。重世界に持ち込める旧式の台所の設備と机、椅子がある場所へ俺たちを案内して、様々な魚料理を作ってくれた。里葉がすぐに手伝うと言って、二人でわちゃわちゃ楽しそうに料理をしていたのが微笑ましい。
はっきり言うが、里葉はあんまり友達がいないので、このように誰かと絡むような機会が少ない。
その相手が楠なのは少し不安だが……里葉が楽しければなんでもOKだ。今日の里葉はどこかよそよそしかったけど、やっと溶け込めたような気がする。
コンコンと響く、まな板と包丁がぶつかる音。
魚介類の良い匂いが鼻腔を刺激する中。暫くして、楠と里葉が豪勢な料理を持ってきた。
全員で折り畳みのテーブルを囲み、箸を伸ばす。
「結局新鮮なお刺身が美味しいのよ。ほんと」
「楠、あなた本当に器用ね……というか、里葉さんもすっごく料理上手くない? あ、ちょっと待って戌井くん裾に醤油がついちゃうよ」
それぞれきゃっきゃと妖異種の魚を楽しむ。
なめろうを摘む澄子さんが、目をまん丸にして声を発した。
「本当にうめえ〜ですの。酒ほしいですわね。パックで持ち帰りたいですわ」
その言葉を聞いて、ニヤッと笑った楠がスマホから一升瓶を取り出す。それに悪い笑みを返した澄子さんが、スマホから徳利とお猪口を取り出し、ここからは大人の時間ですのとにちゃついていた。ティーカップだけじゃないのかよ。それ持ち歩く必要ある?
「美味しい……晴海さん。どうやってこんな料理覚えたんですか?」
楠が作った多種多様な魚料理に、里葉は目を輝かせている。
というか里葉と楠が、気づいたら下の名前で呼び合っていた。女子組が楽しそうにしているので、戌井さんと二人で黙々と食事をしている。こういう時、ちょっと気まずい。
「いや〜。うちのお父さんが、漁師だったのよね。その影響を受けて、大学と院では海洋系のやつ専攻してたんだけど、途中でDSに会っちゃったから、結局そっちの方の道には進まなかったかな」
「へー。私の知らない料理、たくさん教えてほしいです。ヒロに作ってあげたいので」
「……ナチュラルに来るわね。本当……若いっていいわ」
澄子さんから無言で差し出された徳利を、儚げな笑みを浮かべ楠が受ける。どういう連帯感?
彼女が作ったものの中にはいわゆる”漁師メシ”と呼ばれる食べたことがないような料理もあって、めちゃくちゃうまい。なんというか、魔力を含んでいるからだろう。自分の体に馴染むような、そんな不思議な心地がした。
これなら、いけるかもしれない。
ささかまのアホなデブ顔を思い浮かべながら、楠が捌いた魚をパクつく。
こんなやり方がいいんじゃないかという提案やアイディアを彼女たちから貰いつつ、具体的な案を練った。
全ては、ささかまの検診を終えるため。
至高の笹蒲鉾を、求めるのだ。
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