第八十一話 至高の笹蒲鉾を求めて(4)



 楠が会計を済ませた後、喫茶店を出る。ぞろぞろと六人で新宿駅前を歩きながら、楠が先導していった。どこへ向かってるのか全くわからなかったが、道中、竜の感覚を用い、その存在に気づく。


 楠が渦を全て制圧しているこの新宿駅周辺で、重世界空間の存在を感じた。楠がスマホをポケットから取り出し、ポチ、と何かボタンを押して、目の前に重世界空間への扉が現れる。


 マジか。


「じゃ、みんなついてきてね」


「ヒロ。私が突入するので、手繋いでください」


「あ、じゃあ戌井くんも私と手繋いでね。戌井くん出来ないでしょ」


「妖異殺しは便利だねー」


「……ぼっちで寂しいですの。楠さんおてて繋ぎません?」


 視界が白光に包まれる。





 光から目覚めた先は、文字通り、見たことも想像したこともないような、違和感だけが残る空間だった。楠が作り出した重世界空間であるはずなのに、まるで、ダンジョンに突入したのではないかというほどの景色が広がっている。


 まっさらに広がる空間の中に、白川の重世界で見た、色とりどりのサンゴ礁が広がっている。


 立ち並ぶ彼らの隙間には、ゆらゆらと揺れる、天まで届かんとする海藻があり。


 見上げてみれば、果てがないはずのこの空間に、不完全な天井。氷河にあるもののような、氷の大地が広がっているようだった。


 ありとあらゆる環境を、重ね合わせてしまったような、ぐちゃぐちゃな場所。


 ……空を泳ぐ妖異のための空間か。


「これは……」


 瞬間。あちこちにいる彼らの、その気配を察知した。


 周囲の妖異……否、中立種の存在を感知した里葉が、静かに、ありえないと呟く。


 あまりの驚きに動きを止めた彼女の近くを、見たこともない魚が横切った。それを追いかけて、ペンギンのような見た目をした妖異種が突き進み、里葉が強風に煽られる。


 足元を見てみれば、貝やヒトデのような、触手を持つ生物がいる。目の前に魚群が横切った澄子さんは、おおと興奮して声を上げていた。


「……この重世界空間。どうやって手にしたの」


 まず、本来重家しか持ちえない重世界空間を、何故持っているのかと立花さんが問う。それに、楠は即答した。


「なんか、日本のトッププレイヤーたちが海外に引き抜かれるようなことが起きているらしいのよね。それに焦った空閑さんがトッププレイヤーの特権として、個人用重世界空間の所持、開発を認めることにするらしいのよ。私はその実験台」


「……嘘」


「ま、この魚たちは、また別モンだけど」


 楠が、そのすらっとした右腕を真っ直ぐに伸ばす。その指先に、空から何十匹もの魚が集まってきた。ここにいる一匹一匹は、偽物ではない。確かに、魔力いのちを持っている。


「……楠。これは、お前の特異術式ユニークスキルだな」


「そう。みんなと戦う予定はないし、教えてもいいかなって思って。まあそもそも、


 両腕を伸ばし、大海原の魔力を展開する楠の背から、魔海の魚群が現れる。

 今、魚の妖異の群れは、


「……私の二つ目のユニークスキル。『魔海の熱帯林』。それは自身の魔力に、水に関わる妖異の生態系を構築する能力よ」


 大きな魚の妖異が今、別の小さな魚の妖異を一口で食らった。


 彼女の言葉を聞き、その意味について考え込む。


 生態系とは……ある場所で生きる、全ての生物とそれを取り巻く環境を指した言葉だ。食物連鎖のピラミッドとかが、想像しやすいかもしれない。楠の『魔海の熱帯林』は、そういった、環境そのものを持つ能力だという。


 ……白川家で楠と交戦した際、彼女が放った様々な妖異と俺は戦った。彼女は、自分で育てた妖異たちを完全にコントロールする術を持っているということになる。


 あの時、俺に襲いかかってきた妖異のことを考えていた。


 魔魚。海月。貝。


 ……まず間違いなく、生態系の頂点ではない。こいつはやはり、。それにそもそも楠本人の、戦闘能力の底がしれない。


 自然と、武者震いがする。疼いて、手を出してしまいそうだ。


「……アハ。倉瀬くん。どうしたの?」


「…………いや、なんでもない。しかし、すごいな。妖異種の魚のそのものを、飼っているとは思わなかった」


「そうそう。私の魔力の中には、いろんな子たちがいるの。そしてこの場所は、その様子を可視化できるようにしたいなって思って、用意した空間すいそう。実際に私の魔力の中も、多分こんな感じになっていると思うわ」


 楠の能力の凶悪さに絶句する里葉が、辺りを見回している。誰かの言葉を思い出して、その意味を再確認した彼女は、独り何かを決意をしているようだった。


 立花さんは無言で魔力を高めているものの、戌井さんと澄子さんは特に何も感じていないようである。


「まま、それはともかくね。それで私、倉瀬くんたちに私が持つ魚を融通してあげようと思うの」


「……! なるほど、そういうことか!」


 楠が何故この世界に俺たちを連れてきたのか、その意味を理解する。今ささかまは、楠と接触しないよう義姉さんに押さえつけられて留守番をしているが、もしここにあいつがいたら大興奮していただろう。


「私も結構捌いて食ってみたしね。どれが美味しいか大体わかるよ」


「楠さん。ありがとうございます。本当に助かります」


「いや、まだダメだけど」


「えっ」


「つまらないじゃない」


 だんだんとお魚さんに興味が出てきたのか、先ほどまで警戒していたはずの里葉が寄ってきた魚をなでなでしている。その姿を見た戌井さんも辺りを散策しようとして、危ないからダメと立花さんに止められていた。


「そこでよ」


 里葉の周りに集まってくる人懐っこい魚たちに、里葉がわあと顔を輝かせている。

 そんな里葉の目の前で、楠が一匹の魚を手刀でシメた。里葉を囲っていた魚たちが、一斉に逃げ出す。


「ひゃっ……」


「三十分の間、誰が一番魚を取れるか勝負しましょう。それで良い記録を出したら、考えてあげるわ」


 目の前で魚がひっくり返り、絶命した姿を見て、里葉が少し寂しそうな顔をしている。前の里葉は真顔で妖異の群れを殺戮していたが、今の里葉は平和モードなので、少し心を痛めているようだ。いや、好意を向けられたからかな。


 それと、妖異の魚は灰にならず、爆発していない。これは『劫掠』という術式のおかげだという。とどめの一撃にこの術式を適用できれば、魂のみを上手く破壊し、肉体やその破片となったドロップアイテムを残すことができるんだと、義姉さんがこの前言っていた。白川との戦いの後、俺もスマホを使ってすぐに習得している。まあ、使う機会に恵まれていないが。


 前までは報酬部屋のアイテムにプレイヤーたちは依存していたらしいが、今となってはこの『劫掠』の術式で取れるアイテムの方が、市場では主流になっているらしい。アイテムの安定的な供給により術式を用いて作製を行う生産者たちも生まれているそうで、これは俺が実際に体験していない、正式リリース後の出来事だそうだ。


「わたくしは辞退いたしますわ。総長は……重家の縛りがあるので変な動きはしない方が良いでしょう」


 そう言い放った澄子さんの顔を見る。ちょっとやりたかった気持ちもあるけど、こんな風になあなあで縛りを破り続けていたら、いつかバレる気がする。とりあえず今は、我慢しよう。


「えー。倉瀬くんと競争できると思ったのに。まあ仕方ないかー……。遥ちゃんと戌井さんは参加で」


「まあ、暇だしいいわよ。最近渦にも潜ってないし、訓練になりそうだしね。戌井くんもやろう?」


「う、うん。立花さん」


「よーし! じゃあ、雨宮さんはどうする?」


 楠のコメントを受けて、くるりと俺の方を向いた里葉が許可を求めている。それに頷きを返した。


 金青の魔力が、世界に立ち昇る。


「……わかりました。私、雨宮里葉は、その挑戦に受けて立ちましょう。私はヒロの代役。決して容赦はしません」


 その姿を見た楠が、静かに瞠目した。


「わお。倉瀬くんの影に隠れてたけど……雨宮さん、えげつないね」


 割とノリノリで参加する気の立花さんが、戌井さんにストレッチをさせている。魔力操作の話をしているようで、一種の師弟関係でもあるようだ。二人でいた頃の、俺と里葉の関係に近い気がする。


 早々に参加を辞退した柏木さんが、スマホから白色の机と椅子を取り出した。そして紅茶を用意し始めて、俺に着席するよう伝えてくる。


「ま、わたくしたちは、観戦と洒落込みましょう」


「そうだなー……」


 スマホのタイマーを用意した楠の合図に合わせて、全員が駆け出した。


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