第七十八話 至高の笹蒲鉾を求めて(1)

 


 雨宮の城の中。


 畳の敷き詰められた和室の中で、義姉さんと条文の話をする。


「ぐるるるるるぬぬぬぬっぬぬぬ」

「こーら。ごはんは私じゃなくて里葉に頼んでください。ささかまくん」


 うんうんと悩み込み向かい合う俺と里葉の近くには、餌を寄越せと義姉さんの太ももを叩くささかまの姿があった。あいつ、義姉さんを里葉と見間違えてないか?


 ささかま。


 分厚い毛に覆われ獰猛にも見えるが、空想種としての圧を有している以外は無害な、我が家のデブ猫である。


 俺の愛刀である竜喰から飛び出てきたこいつは、食いしん坊かつ偏食であり、基本的に笹かまぼこ以外食べない。そんな俺たちの家族であるこいつに、今、とんでもない話が舞い降りてきた。


「……検査させろ、って、重家探題の重術師が要求してるんですよね。姉さま。白川との戦いの後すぐ、『竜喰』の解析に立ち会った時点でささかまは特に問題視されないと思ってたんですが」


 俺のような人間が色濃く混じった空想種とは違い、ささかまの本体はガチもんのやべー空想種である。それもただの空想種ではなく、重世界の生態系において頂点に位置するという龍を丸呑みした猫である。


 土も食えるし、コンクリも食べるし、醤油ラーメンも食うし、妖異は大体食えて……というか口に入るならなんでも食える。


 もしそんなのが解き放たれ表世界側に訪れたとしたら、人類滅亡の危機である。白川事変の直後、重家や重家探題がまず真っ先に取った行動は、俺の刀の解析だった。あんな大暴れしたのにもかかわらず、ささかまの方がよっぽどヤバイと判断されたらしい。俺たちが戦ったように、重家も歴史上何度も空想種と戦ったことがあるようで、その頃の記憶が刺激されたのか、動きが機敏だった。


 重術師が集い、雨宮の城で行われた検査。


 その結果は、セーフ。


 里葉の見立て通り『打刀 竜喰』は空想種を閉じ込めるために作製されたものであり、裏世界側の技術と重術が結集されたと思われるそれは、内側どころか外側からも開ける手段が思いつかない代物だったそうだ。オタクっぽい見た目をした重術師が、息を荒げて興奮していたのを思い出す。


 それと、最優の重術師とも呼ばれるDSプロデューサーの空閑は、そもそも解析に参加すらしなかった。曰く、システムを通ったのならば、問題ないと。


「……まあ、以前からのルールに則るのならば、その要求も正しいものなんです。中立種を従えたものは、妖異種の研究を専門とする重術師の検査を通らなければいけません」


「義姉さん。中立種って、なんですか?」


「あ、広龍。早速お勉強チャンスですね。中立種っていうのは、元々重世界に住んでいる妖異種のことです。広龍の知っている妖異種というのは、裏世界側の兵器みたいなもので本来の妖異とは全然違うんですよ。中立種は主に、中立空間に住んでいることが多いのですが……」


「……正直、妖異とは戦ったことしかないので、あまりイメージがつかないんですけど」


「ほら。広龍。あの、プレイヤーが集まった『桜御殿』を覚えていますか? あれは元々高祖が見つけ出した中立空間を改造して生まれた場所なので、中立種がいるんですよ。あのー、桜柄の鯉と桜色の鳥。あれが中立種です」


 思い出すのは、桜吹雪の目立つあの重世界空間。年中桜が咲き続けるという庭園の風景を、頭に思い浮かべていた。


「確かに、そういえば襲いかかってこなかったな……」


「もちろん、野生動物と同じで、襲いかかってきたりするときもありますよ? ただ、人間に対する殺意を最初から植え付けられていないってだけで」


 義姉さんが人差し指を立てながら、えっへんと話をする。確かに、ささかまの本体をもし分類しようとするのならば、ダンジョンに出てくるような妖異ではないだろう。


 それはともかく、と一度話を戻した彼女が、また続けた。


「竜喰からはみ出ているささかまが一体どういう存在なのか、調査の必要があると判断したんでしょうね。ただ、この調査の結果次第では……その……」


「その?」


「竜喰のことがあるのでそれは絶対起きないと思うんですけど、重世界へ逃がしたり、最悪殺処分とか……」


 物騒なワードを聞いた里葉がささかまを掴み、抱きかかえる。初めて会った日のように、里葉に抱きしめられ身動きの取れないささかまが、アホらしい顔になっていた。


「さ、ささかまは渡しません! うちの子に何かするっていうのなら、一戦交える覚悟が私にはあります!」


「さ、里葉。落ち着いて。と、とにかく、ささかまくんが無害なのは事実なんですから、堂々と検査をパスすればいいだけです。実際の業務を担当する重術師は私の知り合いでもある清廉潔白の人ですし、そもそもバックに雨宮と今一番刺激してはいけない広龍が付いているので、笠に着た要求なんて絶対にできませんよ。というか、そのようなことをする人間は間違いなく重家探題の内部で処分されます。ひ、広龍が制限したのとともに、彼らも広龍に手出しすることがないよう身内を統制していますから。今、彼らは絶対に許容できないラインを守るため制限を設定した後、そこから実際にはどこまでお互い許容できるのかという、距離感を探っています」


 そんな状況なので、アグレッシブなことは絶対にしないと思うし、ささかまが無害なことがわかった上で、相手もこの話を持ちかけていると義姉さんは言う。


「……」


 里葉を宥める義姉さんは里葉よりもちっちゃいが、その姿は間違いなく姉のものだった。


「ただ、私もこの条文そのものをなくしてしまいたかったのですが検査だけは外せないと粘られてしまって……こんな子、本当に前例がありませんし……」


「ぬ、ぬぬぬぬぬぬっ!!」


 里葉に拘束されているささかまが猫の手で里葉の胸を押し込み、右腕と胸の間に隙間を作って抜け道を作り出す。ぬるりと飛び出たささかまが、重世界の扉を開いて逃走した。


「あっ! ささかま! 逃げちゃダメです!」


 俺たちがささかまの扱いに慣れたように、ささかまも俺たちの扱いに慣れていた。一度距離を取り別の空間に逃げられてしまったので、里葉では追いかけることができない。


「まあとにかく、里葉。その、重術師の検査を突破する方法を考えなきゃいけない。あの、義姉さん。その検査の一連の流れとかを、予め知ることは可能でしょうか?」


「そう言うと思って、くだんの重術師から資料を取り寄せておきましたよ。はい」


 ファイルの中から取り出して、義姉さんが検査の内容が記された紙を渡してくる。パッと見た感じ、ペットの健康診断とあまり変わらないような気もする。


「里葉と広龍にはしばらく、この案件に取り掛かってほしいなと思っています。飼い主は二人ですし、極論、ペットを動物病院に連れて行くのとそう変わらないので、なんとかなるでしょう?」


「…………ああ、はい。ありがとうございます。義姉さん。じゃあ、頑張ります」


「はーい。また何かあったら気軽に連絡してくださいね?」


 そう告げた義姉さんは立ち上がった後、襖に手をかけて部屋を去った。






 里葉と二人、残された部屋の中。重世界の海を行き、のびのびと歩いているささかまの存在を感知しながら、考え込む。


 うちの猫?の性格を完全に理解している里葉が、静かに呟いた。


「……絶対に、暴れて逃げますよね」


「ああ。確実に、検査中どこかしら隙を見つけて逃走する。基本的にささかまは、自由気ままなデブ猫だ」


 ささかまは飼い猫だが、野良猫っぽさもある。大抵、近くの重世界をうろちょろしていて、家にいるのは俺たちがご飯を食べる時と、恐れ慄いている銀雪をマタタビを持つように抱きしめ、甘噛みしながら爆睡している時、それと里葉と俺の邪魔をしようとしている時と……意外といるな。この前なんて、里葉と二人で寝ていたら笹かまぼこをよこせと夜襲を仕掛けてきた。結構なデカさの獣が空中から急に飛び出てくるんだから、普通にホラーである。いろんな意味でマジでやめてほしい。


 威圧感以外に戦闘能力はない。しかし、空間の扉を開き自由にあちこちを行き来する能力は、未来からやってきた青色の猫型ロボット並だ。そんな奴を捕らえ検査を受けさせるなんて、至難の技である。


「も、もし……検査を従順に受けさせることができず、途中でささかまが逃げちゃったりしたら……」


 よくない妄想を頭に浮かべる里葉が、ぷるぷると震える。義姉さんのくれた資料を眺めながらイメージする里葉が、俺の方を見た。


「ヒロ! さ、ささかまをどうにかして大人しくさせて、検査を無事終えなければいけません」


 義姉さんの説明は、あまり効き目がなかったらしい。


「……そうだな。里葉。作戦を考えよう」







 和室の中央。里葉と二人、討論を重ねる。いかにして検査を突破するか考え、いくつかの案が出た。


「じゃあ、今まで出たものを一度整理しましょう」


「おう」


「一つ目は、おぺれーしょん賄賂。贈賄によって重術師を買収し、ささかまを通すというヒロの案です」


「金は卑しくなんかない。立派な武器だ。俺が刀を振るうよりも、大きな効果が見込める」


「欠点は、露見した時がまずいというのと、頑張って場をセッティングしてくれた姉さまの面目を丸つぶれにするというところです」


「改めて考えれば、義姉さんに迷惑をかけるわけにはいかないな。没」


 ごほん、と咳をした里葉が続ける。


「二つ目の案は、おぺれーしょんすり替え。ささかまに似た別の猫をどこかから調達し、代打として出撃させます」


「これ、かなりありじゃないか? いけるだろ」


「欠点は、生半可な猫では秒で露見するということですね。相手は妖異を専門とする重術師ですから。それにそもそも、ささかまの外見は全重家に割れています。そして、ささかまのような見た目をした妖異は発見事例がありません」


「……虎の妖異とか、そこらへんの野良猫じゃダメかな?」


「たぶんダメです」


「無理かー……」


「ヒロって、たまにとんでもないくらいおバカになる時がありますよね……」


 そんなところも大好きです、と急に里葉が両手を広げて、ひしっとくっついてくる。素でこういうアイディアを出しているわけじゃなくて、案ってのは多く出した方がいいから雑に出しているだけなんだけどな。


 包み込むように彼女を抱きしめて、口を開いた。可愛いからなんでもいい。


「……それで、最後に残るのは、里葉の案か」


「そうですね」


 すくっと起き上がり俺から離れた里葉が、えっへんと口にする。


「その名も、おぺれーしょん笹かまぼこ。ささかまが見たことないくらい多く笹かまぼこを用意し、餌付けによって場に留めさせ、検査を突破させます」


「一番成功確率が高そうなのがアホくさいな」


「しかし、ヒロの作戦のもののような重大な欠陥ではありませんが、この作戦には懸念事項があります」


「それはなんだ?」


 実は……と里葉が話を切り出す。


「最近、ささかまがちょっとわがままになってきているんです。まとめ買いの業務用笹かまへの食いつきが微妙で……まあそれはそれとして全部食べるんですけど」


「あいつ、本当に贅沢な……」


「最近、変化球でちょっとあげてみたんですけど、チーズ笹かまぼこへの食いつきがすごかったです。目ひん剥いてました」


 その時のささかまの動きを、身振り手振りで里葉が説明する。とにかくアホらしいことはわかった。


「本当に今更だけど、猫に塩分とかダメだよな……空想種の体ってどうなってるんだ?」


「デミグラスハンバーグを盗み喰いした後、皿についたソースを全部舐めとって、そのまま皿を食うような猫ですから。本当に今更ですね」


「里葉の手作りハンバーグを勝手に食べた時のことか。あれはまだ許してない」


「ん、もう……また作ってあげますから。ヒロ? これからずーっと食べれるんですからね?」


 ちょっとだけ嬉しそうな顔をした里葉が、俺の肩をぺしっと叩く。


「まあとにかく、里葉の言うオペレーション笹かまぼこ。これで行こう。そして、懸念事項に関しては……質でカバーする」


「質でカバー?」


 頭にはてなマークを浮かべた里葉に、俺のアイディアを伝えた。


「……里葉。この危機を突破するために、二人で、特注の笹かまぼこを作ろう」


「あ! その発想はありませんでした。それならば確かに……」


 ささかまが好みそうな味、材料について思索を始めた里葉の手を掴んで、勢いよく立ち上がらせた。今回の作戦。これを成功させるにはまず、そもそも笹かまぼことはなんなのかを知らねばならない。



「……よし。じゃあそうと決まれば、行くか! 工場見学!」


「……はいっ!」



 オペレーション笹かまぼこ。始動。




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