間章 アブサードストーリーズ
第七十六話 雨宮仕置(1)
空を飛ぶ蝉の姿が生き生きとしているのだから、表側から隔絶されたこの世界の中でさえ、夏の暑さから逃れることはできないのだろうと雨宮怜はため息をついた。
人々が集う、和風の木造建築物の中。
こぼれ落ちる珠玉の汗。数人の供のみを連れ、挑んだ戦後処理のための舌戦。あの”白川事変”において、雨宮に如何な正義があったとしても、無法の数々は許されるものではない。
彼女は鋭く、前方に並ぶものたちの姿を見つめる。この戦場に挑めるのは、自分一人しかいない。これが、私の仕事なんだって。
重家の峰々に、重家の中立組織であり重家律法の下裁判権を持つ重家探題。そして政府のものを加えて行われたその激論。互いに譲れないものがある彼らの妥協点はなかなか見つからなかった。この探題館が、静寂に包まれることは一時もない。
しかし今、その戦いは終結しようとしている。
「ではこれにて、白川事変において無法を繰り返した雨宮家に対する処罰、”雨宮仕置”を確定したものとする」
胸元に後少しで届くのではないかというほどに長い、白ひげを撫でた探題の長は言う。それに深々と頭を下げた雨宮怜は、その宣言を承諾した。
誰かが呟いた小さな声が、怜の耳に入る。
「クソッ……あんな危険人物、重獄にぶち込んで仕舞えばよかったというのに……」
各々がそれぞれの反応を見せている。あるものはその決定が不十分であると憤り、あるものはほっと一息つき、弛緩していた。
(やはり、これが限界か……広龍。ごめんなさい)
立ち上がり各々に会釈をした後、雨宮怜はこの重世界空間を去る。
「……片倉さん。皆を、雨宮の城に。里葉と広龍も呼んでください」
「了解しました」
彼女は広龍の指示を受け護衛兼相談役として付き従っていた片倉に、雨宮に関わる者たちを雨宮の城へ招集してほしいと、お願いをした。
燦然と輝く太陽の光が、晴間を突き抜ける。
白川家との戦いから、半月以上の時が経っている。仙台で里葉との穏やかな時を過ごした俺は今、彼女と共に雨宮の城へ訪れていた。怜さんから集められたようで、雨宮に関わる全てのものたちが集められている。
大広間の中。里葉を横に座らせて、他のものたちが集まるのを待った。雨宮の城を拠点とする雨宮の妖異殺したちはすでに集まっていて、それとその隣に、澄子さんを先頭に柏木家の集団が座っていた。
白川事変をきっかけに雨宮には多くの人々が集まったが、その中でも特にその功績を買われているのは、重家の峰々にて暗躍し一貫して雨宮家へ味方し続けた柏木家と、単純な兵力として貢献したアシダファクトリーの者たちである。
ちょうど良く社員たちを連れ、社長の芦田がやってきた。スーツ姿の彼は、和室の大広間の中で妙に目立っている。ザックは何か用があるそうで、今日は欠席らしい。
「おう。倉瀬。久しいな。調子はどうだ」
「ああ。調子はいい。芦田も、そっちはどうだ?」
「無事、とりあえずウチの会社が吹き飛ぶようなことはなさそうだ。もっとも、存続していくためにはビジネスを続けていかなければならないが」
屈託のない笑みを浮かべた彼が、手を振った後、社員たちの方へ戻る。
大広間の奥。襖を開け、そこへやってきた義姉さんと片倉が座る。彼女が俺と里葉を手招きして呼んでいたので、立ち上がり、彼女の元へ向かった。
「……我々は頂点に戴く人間を持ちませんが、貴方は限りなく上ですよ。広龍。こちらへ」
彼女の言葉を聞いて、もう自分一人の身ではないのだと、そう実感した。
全員の集合を確認し、俺から視線を外して皆の方へ向き直った義姉さんが口を開く。
「ごほん……皆さん、今日はお集まり頂きありがとうございます。我々の去就に関わる重家探題の決定が確定したため、それをお知らせしようとこの場をセッティングさせて頂きました」
約定文を手にした怜が、一度立ち上がる。
「私たちが引き起こした白川事変を受け、重家探題及び重家の峰々、そして政府が決定した雨宮家に対する処罰。通称”雨宮仕置”。その内容を今、発表したいと思います」
不気味な静けさに包まれる大広間の中で。
大きく息を吸った彼女がその内容を要約し、語り始めた。
”白川事変における、雨宮家の無法の数々。本来妖異を討ち破るために存在する重家がこのような私闘を行なったのは、許されざるものである。”
”しかしながら雨宮家が白川家による工作活動を受けていたことや、白川家が雨宮家に所属する妖異殺し、雨宮里葉を武力により双方の合意なき状態で確保したこと、白川家が妖異殺しの誇りに反する悪逆に手を染めていたことを受け、情状酌量の余地がある。”
前文を話し終えた義姉さんが、今この場で議題とすべき重要な条文に限り、説明する。
”重家探題は、以下の処分を雨宮家に対し課すものとする。”
”独眼竜 倉瀬広龍に対する行動制限。積極的な武力放棄を強く推奨し、
"奉仕活動"
”雨宮家による一定数の渦の破壊。回収品は重家探題に所有権が移る”
”公共重世界空間の設置及び開発”
「……重家探題に対し
「……今更法などを持ち出して、舐めた真似を」
戦気が漏れる。
隣に座る里葉が、俺の腕に手を添えた。事の重大さを理解している彼女が、必死に俺を慰めようとしている。遠くでは、澄子さんが何故かギョッとした顔をしていた。
「……広龍に対するこの決定は、雨宮分家の重世界空間が消失した事が関係しています。我々は一貫してその消失に関わっていないという姿勢を取り続けましたが……それで納得するようなものは正直、存在しません」
「……やはり、あれは刺激が強すぎるか」
思い出すのは、あの分家の重世界空間を吹き飛ばした時のこと。雨宮の妖異殺しを潜入させ、雨宮の末子、雨宮重実を奪い取った後、竜の力を振るって、
はっきり言ってあまり気分の良いものではないし、本来竜が出来るものに比べれば大きく劣っているものの、この力は重家にとって危険すぎる。
「今、重家の峰々は雨宮分家と白川家に向けられたその竜の魔力が、自分たちに向くのではないかと強く恐れている。広龍。ここは、この決定に従ってほしい。従わなければ……貴方は空想種と見做され、決死の討伐隊が組まれかねない」
「……」
「この決定に従うことによって、”人”の意思を見せろと、彼らは言っているのです。『気まぐれなる厄災』の存在を、彼らは許さない。それを示すための代償は、余りにも重いものですが……」」
里葉が人目も気にせず、俺の手を強く握ろうとした時。
「問題ありません。広龍様」
コート姿の片倉の、深みのある声が響き渡った。ただ静かに言い放っただけの彼に、注目が集まる。その声を聞いて、里葉がキッとした顔つきで彼の方を見ていた。
「貴方を縛ろうとするこの条文が効力を発揮するのは、ごくわずかな時間だけです。まず間違いなく、彼らの方からこの条文を撤廃する時が来るでしょう。確かに短期間の間縛られはしますが、大望を抱くのであれば、些末なことです」
「何故、そう思う?」
一度咳をした後、彼は淀みなく答える。
「貴方はここまで縛られるほどに、力を持つ人物だからです。そして貴方には、雨宮と表世界側の者たちが付いている。きっとこれから訪れる時代は、貴方を縛らせたままにすることを許さない。すぐにでも手のひらを返して、彼らの方から取り下げますよ。むしろこの条文は、先ほど怜さんが仰られた通り、人の意思を持つ竜の存在を証明することに繋がります。ここは従うべきです」
彼の言葉を聞き、考える。
何故か、里葉が片倉と俺の顔を繰り返し見ていた。
「……分かった。確かに、俺は暴れすぎた。我ながら人間アピールをしておいた方が良いのではないかと感じている。片倉がいつかなくなるというのなら、信じよう」
頷き、納得した。一見、受け入れがたいように見える今回の約定だが、義姉さんと片倉が頑張ってくれたおかげで、十分譲歩できるような内容になっていると思う。
渦の破壊は……皆を鍛える機会が生まれたと思えばいい。重世界空間の開発に関しては、雨宮家の領分ではないはず。約定の義務を盾に重術を得意とする他家へ押しかけ、ノウハウを搾り取ってやろう。重家の峰々が関わっている以上、ぞんざいには扱えないはずだ。
これは、力を蓄える時が来たと捉えるべきだ。
「……ひ、ひろー? ほ、本当に大丈夫なんですか?」
皆の前だというのに、両肩に両腕を乗せキスができるほどの距離に顔を近づけた里葉が、俺をじっと見ている。さっきからベタベタしてきて、なんか俺を慰めようとしていた。
「ひ、ひろ。ひろがぷんすこでいらいらしてるなら、里葉がよしよししてぎゅーしてあげますからね? ひろは戦えなくて不満でしょう?」
「いや……心配してくれて嬉しいけど、大丈夫だぞ。里葉。義姉さんの言うことはもっともだし、片倉が問題ないというのならば、多分問題ないんだろ」
「ひャッ……」
何かに気づいた里葉はちょっと嬉しそうな顔をした後、器用なことにすぐ不満げな顔をして勢いよく振り返り、片倉の方を向いて、がるるるる……とか言いながらなんかよくわからない表情になっていた。
「里葉……」
何かを理解した義姉さんが、妹に呆れ返っている。雨宮の妖異殺しの者たちは微笑ましいものを見るようにしていて、片倉は困惑し、よく里葉のことを知らない柏木家とアシダファクトリーの者たちが、ちょっと引いてた。
……まあ、これから忙しくなるだろうし。里葉もまだぽやぽやが抜けていないが、この中で俺の次に強いのは間違いなく彼女だ。まあ、なんとかなるだろう。うん。
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