閑話 雨宮里葉ちゃんのだいしょっく反省会
白川事変。重家の峰々において名家中の名家とされる白川と雨宮、そして新興の勢力、ダンジョンシーカーズを巻き込んだその事件は、重世界に関わる全ての者たちに多大なる影響を与えた。
いくさの落とし所を決めようと、白熱する議論。終わりの見えない舌戦が行われている間、結果的にこの大事件を引き起こしたと言ってもいい雨宮の姫、雨宮里葉はどうしていたのかというと。
ただ、ぽやぽやしていた。
仙台にて。実姉の怜が重家を相手に奮闘する中、一人出かけている里葉はバッグを片手に歩いている。今回の事件は里葉に精神的ダメージを与えただろうと考えた怜が気を遣い、暫くの間は静養できるよう手を回していた。今は東京にいない方が良いと伝えられた広龍も、後処理を他の者に任せ仙台の家に戻り、以前のような生活を送っている。
普段は一緒に穏やかな時間を過ごしている二人だったが、今日はどうやら広龍の方に用事が出来たようだ。今は一秒でも長く婚約者といたいという願いを持つ少女は、彼が用事が終わらせるまで近場で時間を潰すと主張し、店を冷やかしに訪れては買うものがないと退店している。
(……ヒロ。まだかなぁ)
ぷらぷらと歩いては、ぼけーとしている。そんな彼女の携帯に通知が届いて、それに気づいた里葉が勢いよくスマホを開いた。
『ごめん。もう少し時間かかるかもしれない。近くにいい感じの喫茶店があったから、そこで待っててくれ』
ギフトコードを伴い送信されたメッセージを見て、里葉は後少しで婚約者に会えると喜びながら軽い足取りでカフェへ向かった。
夏も近い。燦然と輝く太陽の下。
挽きたてのコーヒー豆の匂いがする喫茶店へ、カランカランと鳴るドアベルの音とともに里葉は入店した。アンティークな雰囲気の店内では静かにクラシック音楽が流れていて、カウンターの方にはコーヒーミルやポッドなどが見える。店員の案内を受けて焦茶色の椅子に座った彼女は、メニューを開いて何を頼むか考え込んでいた。
「すみません。かぷちーのと、かっぷけーきください」
「かしこまりました」
難なく注文を終えた彼女は、どこか自慢げに見える。
(ふふふふ。今の私であれば、もう横文字を恐れることはありません)
広龍と出会ってから、表側の世界で過ごした時間。それは彼女を世間慣れさせるのには十分だったようで、今では喫茶店の中で焦るようなこともないようだ。
暫く経った後。配膳されたかぷちーのをドヤ顔で飲む里葉は、ご機嫌である。かっぷけーきが彼女好みに甘くて美味しかったのも、良かったようだ。
真っ白なカップを片手に、かぷちーのの匂いを楽しむ里葉。そんな彼女の耳に、一つ空席を挟んだ女性客二人の話し声が聞こえてくる。
普通は聞こえなかったはずのその話を、優れた里葉の聴覚は拾い上げてしまった。
白いカップを両手で握りしめる女性客が、もう一人の女性に悩み相談をしているようである。
「話聞いてほしいって言ってたけど……貴弘くんとの間に何かあったの?」
「うん……そう。ヒロくんの話」
タイムリーに名前が同じだったこともあって、里葉はぎょっと注目した。
「実は……その、さ。最近ヒロくんが構ってくれなくて。それで話聞いたら……『愛が重い』って言われて……」
「……あんた、何したの?」
「いっぱい甘えたり、何回も連絡したりしてたら……」
かっぷけーきに手をつけようとした里葉の動きが、ピタッと止まる。妖異殺しとしての技能を用い、里葉は本気でその話を盗み聞きしていた。そんなことされているとは露知らず、相談する女性の話を聞いた彼女は、断言する。
「確かに、ちょっと里奈ちゃんには悪いけどさ……それは重いと思っちゃうかも。ほら、その、お互い自立したパートナーなわけじゃん。勿論、愛が深いのも良いとは思うけど……」
「わ、別れることになったら、どうしようかな……」
そこから後の話を、里葉は聞くことが出来ていない。何故なら、『別れる』というワードを聞いてがっつりテンパっているからである。
(あわわ、わわわあわわわわわわわ……)
里葉の頭を過るのは、彼女が普段恋人である彼に仕掛けている行動の数々。
(えっと、朝起きようっていうヒロを引き止めて三時間ぎゅーして……お人形さんを持ってひろ大好きあたっくしたり……ささかまを撫でるという名目でヒロをおびき寄せた後私がなでなでしてもらって…………透明化ちゅっちゅげーむして……それで……)
彼女には、心当たりがありすぎた。しかもその全てが、女性客のものを優に超える。
(い、いやでも、ヒロは私のことが大好きで仕方なさすぎるはず。む、向こうから告白してくれたんだし、特に問題は……)
そう、自己肯定しようとした時。里葉は、一つの事実に気づいた。
以前の自分は、もっと『くーる』な感じだったのでは? と。彼のことをリードし、渦の中で妖異を冷静に倒す。何かがあれば彼を諌め、喜ばしいことがあればまた静かに褒める……そんな人間だったはずだ。こんな、頭ぱやぱやぱっぱらぱーのぽやぽやがーるではない。誇り高き凛然とした妖異殺しであったはず。
今の自分は彼が好きになってくれた頃の自分とはちょっと、いやかなり違う。彼にだって、女性の好みはあるはずだ。それでもし、万が一もし、彼が自分に呆れてしまったら。今の自分の、愛が重いと思っていたら。
(『ごめんなさい里葉……広龍がその、そう、言うからね?』)
(『倉瀬くーん! 二人で上位ダンジョン何個攻略できるか勝負しよ〜!』)
(『可愛いお馬さんが沢山いる場所がありますの。デートに行きません? 倉瀬さーん』)
彼女の頭に浮かぶのは、彼に関わりのある女性たち。加えて、混乱する里葉の脳内には仲間の男たちも何故かやってきていた。特に里葉は、彼女がいない間にやってきてやたら強固な信頼関係を構築した一人の男を敵視している。
里葉のこわい妄想は、どんどん加速していく。
(あわわわわ……も、戻らなきゃ!)
震えながらかぷちーのを飲む彼女は、彼の到着を待つ。
里葉が、カップケーキを食べ終えた頃。
ある企業との商談を終えた広龍は喫茶店を訪れ、里葉と合流した。キリッとした顔つきでカップを手に取る里葉を見て、最近の緩んだ表情を知っている広龍は何かあったのかなという表情を見せている。
注文を終えた彼が、里葉に質問した。
「里葉。何注文したんだ?」
「ぶらっくです」
「……ミルクが入ってるように見えるけど」
初めて出会った時を思わせるような表情の彼女を見て、広龍はどこか懐かしむようにしている。シリアスで、ミステリアスな側面を見せる大人びた少女の姿が、彼には美しく見えた。
「里葉。最近、構ってやれなくてごめんな。本当に、もっと時間を取れるようにするから……全く」
彼の一言に一抹の疑問を覚えつつも、彼女は返答する。
「いえ。大丈夫です。ヒロ。私も少々、やることがあるので」
「……お、おう。でも、義姉さんが気を遣ってくれて仕事を回さないようにしてくれてるはずだから……仕事はないはずだぞ?」
「…………最近、体が鈍っているので鍛え直します。私は、雨宮の妖異殺しですから」
広龍に返答した彼女は、だんだんと昔の自分を思い出していく。
(そう! こういう感じです! もっと私はなんか強そうな感じだったはず! すといっくでくーるな感じなんですよ!)
自らのアイデンティティを確認し直す彼女は、カップに口をつけて話を終わらせる。同じくコーヒーを飲む広龍が、返答した。
「……それもそうだな。じゃあ、暫くしたら、家に帰ろう」
普段に比べ圧倒的に会話は少なかったが、喫茶店の中で穏やかな時間を楽しんだ彼らが帰宅する。帰路の途中、スーパーに寄り手際よく買い物を終えた里葉が、台所に立っていた。
「……あれ。今日は火曜日だから、俺が担当じゃなかったけか」
「ヒロ。今日貴方はお仕事でしたから、お疲れでしょう。私が代わりに夕飯を作ります」
「ありがとう。里葉。俺も手伝う」
「いえ、不要です。ヒロはゆっくりしていてください」
拒絶された広龍が、目を見開かせる。曜日によって料理当番を決めているものの、それは形骸化しており毎日二人で料理をしていた。お互いが手伝うよと申し出て、それに感謝の言葉を述べながら受諾する。それがいつもの日常であったというのに。
一人かなりのショックを受けている広龍が、クッションで仰向けになり寝そべっているヘソ天のささかまを持ち上げた。唐草模様の布の首輪をつけるデブ猫を捕獲し、膝の上に乗せた彼は猫を全力で撫でている。
「ぐるるるるるにゃぁああにゃあごにゃああごにゃごぬぬぬぬぬ」
「……」
凛然とした表情を見せる里葉は、透明感のある美麗な顔を魅せつけていた。
居心地が悪そうに一人ソファへ座り込んでいる広龍を置いて、調理を終えたエプロン姿の里葉が夕食の配膳を終える。焼き魚に味噌汁。白米。そしてサラダ。テーブルの上にそれらが揃ったことに気づき、里葉と向かい合うように広龍は椅子に座った。手を合わせた後、彼らがいただきますと口にする。
里葉たちの足元で、食前の礼を終える前に笹かまぼこへ食らいつくデブ猫の姿があった。外へ出る機会が多くなった銀雪も、同じように大きな魚を丸呑みしている。
里葉が箸に手をつけ、クールさを演出するための黙食を開始しようとした時。
広龍が白猫の人形を掴んで、机の上でとことこと歩かせた。
「ワー。魚料理デスネー。オイシソウデスヨー」
「……………………」
一度手を離し、里葉へ差し出すように広龍が白猫の人形を置く。
「……あれ、珍しいな。里葉。いつも人形にもいただきますって言わせるのに」
「………………ああ、ええ。そうですね。はい」
実姉である怜には見せたことがなく、彼の前でしかやらない。里葉はこの年になっても、人形を手に取り喋らせる癖があった。最初は驚いていた広龍も、今では人形に応対するぐらいには馴染んでいる。むしろ率先して参加していた。
「……ご飯が冷めるので、食べましょう」
「……お、おう」
急にまともな対応をされた広龍は、一人困惑していた。
食事を終えた後。話しかけなくて大丈夫ですオーラを出しながら、活字の本を読む里葉。笹かまぼこを寄越せとちょっかいをかけてくる猫を銀雪に押し付け、冷たい涼やかな表情で彼女は佇んでいる。
そんな彼女の背中から、広龍が静かに抱きついた。こうやって彼の方から来るのは、ちょっと珍しい。
「……ひ、ひろ? ど、どうしたんですか?」
暗い表情を顔に浮かべ、ガチトーンの広龍が里葉の耳元で囁く。
「ごめんな。里葉。今日は三時間も離れてしまって……すごく反省している」
「えっ」
「……里葉には俺が必要で、俺には里葉が必要なのに。とりあえず、明日入っていた予定は全部キャンセルした。それ以降のものも少し考える……俺も、一秒でも里葉が視界の中にいないのが苦しい」
「あ、わば」
「その、なんというか、今日の拗ねた里葉の姿を見て、付き合う前二人でダンジョンに潜り続けていた頃を思い出した。やっぱり里葉はすごく綺麗だなぁとも思ったんだけど……今の里葉は、常に可愛いを更新し続けるトップオブカワイイだ。そんな里葉が拗ねるようなことをした俺は、最低最悪と言っていい」
「……うん?」
「明日は、二十四時間一緒にいよう」
彼の抱きしめる力が、どんどん強くなっていく。あわあわとテンパり始めた里葉は、身動きが取れず竜の腕から脱出することができない。今日、喫茶店にいた女性客たちの話を思い出した彼女は、最大の相違点に気づいた。
私だけじゃない。そもそも、
「ひろぉ……今日は、つ、冷たくしてごめんなさい。ヒロは悪くないんです。ちょっと思うところがあって……」
「大丈夫だ里葉。俺が悪い。そうだ里葉。今から一緒にお風呂入ろう?」
「いえ、いや、その、はい。嬉しいんですけど、予定キャンセルはしないで、お仕事には行ってください」
「えっ」
「お風呂は……明るいしまだ恥ずかしいので、水着ありなら……」
お互いの愛が破壊的に重いという事実に気づき冷静になった里葉は、それからというものの、彼の姿を探して夢遊病者のようにウロウロするようなことがなくなった。白川事変以降にずっと過ごしていた、暇さえあれば必ずベタついていたような生活も、次第に落ち着いていっている。
しあわせを謳歌する彼女の表情に今、翳りはない。
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