幕間 無窮の桜吹雪

 


 桜模様の鯉が泳ぐ音と桜鳥の鳴き声が響く。


 桜御殿の中。妖異殺しの襲撃を退けた上位プレイヤーたちの歓待を終えた空閑は柵に寄りかかり、疲れた表情を顔に浮かべながら満開の桜を眺めていた。


 彼の後ろの襖を開けた、誰かの呆れ声が聞こえる。


「空閑さん。明日はパーティーですよ。もっともっと多くの人が集まるというのに、今この程度で疲れていてどうするんです」


 舞台裏。サポート役に徹し、プレイヤーたちに姿を見せていなかった雨宮怜が空閑の元へ駆け寄る。空閑は『ダンジョンシーカーズ』の産みの親。やることは多い。


「……怜さん。貴方、倉瀬くんに話をしなくてよかったんですか?」


 振り返った彼は、それが最も重要なことであるかのように言い放った。それに、低い声で彼女は答える。


「……彼が、今度家に来ます。里葉を通して、アポイントメントを取りました。その時、全てを話すつもりです」


「ハハハ……竜を雨宮の重世界に招き入れるなど貴方は剛毅ですね。あれ、ホンモノですよ。私がいる間に、ここで話をしてしまってもよかったというのに」


「……私は、あの人を信用したわけではありません。ただ、里葉を信じているので」


 静謐な雰囲気の中。舞い散る桜の花びらが、彼らの間を通り過ぎる。それは畳の上に落ちて、魔力の煌めきを残し掻き消えるように去った。


 胸元で握りこぶしを作った怜が、空閑の方を見る。


「空閑さん。改めて、お願い申し上げます。雨宮を助けてはいただけませんか」


 重苦しい沈黙が場を包む。それを切り裂くように、彼は言い放った。


「確かに、今となっては勝算があるでしょうね……しかし、私に出来ることはありません。私は作っただけ。『ダンジョンシーカーズ』はあくまでもシステム。それを使う者たちを、貴方は頼るべきだ」


「……そう、ですか。では、失礼します。また、明日」


 一度断られてしまえば説得などは出来ないと、『ダンジョンシーカーズ』での仕事上の付き合いから察していたのだろう。諦めた怜が、この世界を去ろうとする。彼女を見送った彼は一人、桜の風流に残った。


 顎に手を当てる彼は、一人考え込む。


「…………このまま行けば、間違いなく上手くいくでしょうね。天の時、地の利、人の和。その全てが、彼女たちの味方になろうとしている。まず間違いなく、跳ね除けられるでしょう」


「しかしそれでは……あの家は残ったままだ」


 彼が思い浮かべるのは、上位プレイヤー十五名。その内七名は保守派の襲撃によって、殺害されてしまった。その中には中立の家から送り出された人材もおり、彼の面目は丸潰れである。雨宮里葉と倉瀬広龍の活躍のおかげで盛り返し、正式リリース後の一ヶ月でさらに力をつけたが、


 成り上がり者と揶揄され続けた自身の道。舐められたら終わりだと、彼は知っている。


 さて。どうすれば、徹底的なまでに潰せるか。今最も使い勝手の良さそうな駒を彼が頭に浮かべる。


 やはり使うべきは、実質的に雨宮に属していると言って良いあの竜か。しかし盤面は複雑だ。それに使い方を間違えれば、彼が二度と表舞台に上がれなくなってもおかしくない。そしてそれは、彼の求めるところではない。


 思考を重ね、頭の中で約束された盤面を描いた空閑は、最初で最後の一手として。


 『重術』━━直接的な戦闘技術を除いた、魔力を利用した諸技術━━の卓越した力量を持つ彼が、重世界間の回線を開く。


「お久しぶりです。老桜ろうおうさま」


 念話の類であろう。その能力を行使した彼はある者に語りかけた。それにすぐさま、しゃがれた女性の声が返答する。


「なんじゃ、空閑の童か。久しいのう」


「最近は、いかがお過ごしです?」


「童のカラクリが世に放たれてからは、楽しく過ごしておるよ。ククク、あの時代を思い出す。しかし、だんだん面白みがなくのうて退屈になってきおったわ」


 ぼやくように話す念話の先の彼女に向けて、空閑が挑発するように言い放った。



「老桜さま。退屈だと言うのなら、面白くて楽しいこと。したくありませんか?」



 怪しくも聞こえる空閑の提案に、老桜と呼ばれる女性が歓喜の声と共に反応する。


 空間が歪む、荒浪のような音。


 彼の背後に突如として、年若い女が現れた。馴れ馴れしく空閑の右肩に手を置く彼女に、彼は苦笑する。

 彼が横目に、何の前触れもなくやってきた老桜の姿を見た。


 黒紋付の着物の上にロングスカートを履いている。老桜さまなどと呼ばれているとは思えない童顔を覗かせ、黒髪のツインテールが揺れていた。名前を意識しているのかは分からないが、桜の髪飾りを左側頭部に付けている。


 ブーツでコンコンと廊下の床を叩き、彼女は破顔した。


「ククク。お前がそれを言うときは、毎度無聊を慰めることが出来たわ。よかろう。手伝ってやる。それで、何をすれば面白くなるんだ?」


「今しばらく、待っていてほしいですが……すぐに連絡することになるでしょう」


 話を持ちかけておいて、何も具体的なことを伝えなかった空閑に怒りを抱いても良さそうなものの、老桜はただ笑うばかりである。


 しかし、彼女は笑みを浮かべたまま。


 空へ飛び立とうとしていた桜鳥が、地に落ちる。

 池を緩やかに泳いでいた鯉は、逃げ出すように暴れ始め。


 彼女は、世界が凍りつくような威圧感を放った。


「これでつまらんかったら、貴様の玩具を粉砕してくれるぞ。童」


 その言葉に嘘はない。ただただ簡単に出来ることなんだぞと、彼女は伝えている。


「……はい。分かっていますよ」


「クククク。よいよい。お前が失態を犯す姿など、想像もしておらんわ。楽しみにしておるぞ」


 やり取りを終えた老桜が、この桜御殿の空間を去る。彼女の行き先を途中まで重術で追跡した彼は、重世界の流れを押し切りそのまま突っ切るという荒唐無稽な移動手段を取っていることに気づき、冷や汗をかいた。


 メガネを一度取り外し、ポケットより取り出したハンカチでそれを拭く。


 とうとう、彼を除いて誰もがいなくなった、桜の花びらが散るその空間で。


 彼は誰にも見せたことがない、口角の吊り上がる、獰猛な笑みを浮かべた。


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