閑話 吾輩は猫?である。



 春の陽光が窓から差し込む。 


 里葉が家に来てから、一週間近くの時が経っている。それぞれ家事を分担し生活していて、特に喧嘩をしたとか、そういったトラブルはない。


 昼ごはんの時間。今日は袋麺を使ったラーメンで、簡単に済ませる。


「ヒロ。運営から連絡があったのですが……『ダンジョンシーカーズ』のリリースがもう間近です。本来上位プレイヤーは東京に招待される予定だったそうですが、ヒロには仙台にいてほしいそうです。しばらく……多分一ヶ月くらい、この生活が続くと思います」


「にゃぁあああおっ」


「ああ。そうか。それぐらいの期間があれば、検証だったり色々出来そうだな……その話、また後で詳しく聞かせてくれ」


「にゃ、にょにょぬ、ぬー」


「……うん?」


 聞いたこともない何かの声が、机の下から聞こえてくる。そいつが椅子の上に乗って机に登った後。手元へ首を突っ込んできて、横から俺のラーメンをすすり始めた。ごくごくと直でスープを飲んでいる。


 一度皿から顔を出して、見上げた姿。


 それは獰猛なようにも見えるんだけど、あどけなさが抜けない。濃く長い体毛と大きな体が、ずんぐりむっくりした形を見せている。顎からは醤油ラーメンのスープがぽたぽたと落ちていた。


 ……猫?


 からんからんと、里葉が箸を落とす音が聞こえる。


「は?」


 魔力の煌めき。

 椅子から勢いよく立ち上がり臨戦態勢に入った俺を止めて、里葉が猫の頭を撫ではじめた。なんか、気持ち良さそうに目を閉じてゴロゴロ言ってる。


「……少しだけ、出てきちゃったんですか」


 何かを察した里葉が、呟いた。







 二人と一匹集って、会議が始まる。猫らしからぬ大きさの猫もどきは今、机の上から俺の顔にやたらスリスリをしていた。とんでもない量の抜け毛が、髪の毛に付いている。というか、重い。


「ヒロ。私はあの戦いの後色々考察したり、ヒロの魔剣を実際に見せてもらったりましたが……おそらく、あの刀は竜殺しの武器でもなんでもなく、ただ、空想種を封印するためのものなんだと思います」


 真面目な表情で語る里葉は、やっぱりクールだ。


「おそらくこの空想種は……変わった子だったんだと思います。普通は重世界に引きこもっているはずなのに、あちこちに出て行って結果厄災となって……おそらくあちら側の世界で、完全に封印されてしまったんです」


 彼女の話を聞きながら、竜喰を取り出す。刀の中にいる存在が消えて、今出て来てしまったというわけじゃない。だけど、目の前にいる猫は決して偽物というわけでもなかった。


「ヒロの剣には『復元呪詛』という能力があります。これは文字通り、呪いのように復元していくもので、戦闘を想定しているんだと思ったんですが……それは間違いでした。これは、閉じ込めるための能力なんです。決して出られないように。飛び出そうとしても、破壊できないように。封印され弱体化した空想種が出るには、決定的に力が足りない」


 彼女が話を続ける。どう考えても危ないとしか思えないのに、立ち上がった彼女が猫を両手で掴んだ。前脚を伸ばし後脚をだらーんとした状態で、猫が大人しく里葉に捕まる。


「……しかし、刀が外側から破壊された時がありました。それは、空想種”独眼龍”が本気の一撃を放った時。刀がへし折れ復元していく中、ぼろぼろになったヒロは勝つために思い切り魔力をこの猫さんに渡しました。その結果、一時的に力を取り戻した猫さんは目の前にいる一番美味しそうなものを食べて、諸々のお礼にヒロを助けてくれたんだと思います。そしてその弊害として……中にいたものの一部が出て来てしまったと」


 頭をなでなでしながら、もふもふする里葉。ごろごろと鳴く唸り声が、とんでもなく恐ろしい。危ない。怖い。絶対やばいって。里葉は、こいつが放つ存在感に気づいていないのか?


「……こんなに友好的な空想種を、初めて見ました。重家じゅうかの歴史を鑑みても、初かもしれません。なんか、ヒロのことをこの猫さんはとても気に入ってるみたいです」


「……そんなこと、分かるのか?」


「ええ。魔力の向け方の質が。ヒロの竜の体が本能的にこの子を恐れているので、ヒロはそれに気づけないんでしょうけど」


 撫でられる最中。顎を伸ばした猫に、里葉の右手が迫る。


「ぐるるるにゃぁああおおっ」


「顎が好きなんですね。よーしよし……ヒロはものすごくこの猫さんを恐れているようですが、この子、全然弱いですし大丈夫ですよ。本体の大きさを海と例えるなら、出てこれたのは一滴より少ない。あの刀、『暴食』と『遅癒』はこの子から起因する能力だったようで、刀自身の能力は『復元呪詛』に特化しています。問題ないですよ?」


「……それでも、刀に何か仕掛けるかもしれないだろう。こいつ自身が飯を食って力を蓄え、暴れ出す可能性も否定できない」


 甲高い声。俺を見つめる猫が口を半開きにする。


「ぬぉー」


「確かに食べることはできると思いますが、そのキャパも一滴分だけです。それに、竜喰を完全に破壊できる一撃が放たれる日は、地球が滅ぶ日だと思います。なんたって、龍の攻撃でも消失しなかったんですよ? 竜喰さん、ヒロが拒絶するので悲しんでます」


「……こんな馬鹿でかい猫、人に見られたらまずい」


「ヒロのスマホに入れると思います。弱くたって空想種ですし。重世界の一部なので。あれ」


 綺麗に反論されてしまう。


 猫をなでなでする里葉。強くぎゅっと抱きしめていて、苦しそうな猫の顔がどこか曲がってるように見える。これは……籠絡されたっぽい。魔力をちょっと使い暴れ狂って出ようとしているが、里葉の筋力に勝ててない。


「私がちゃんと世話するので……というかそれこそ、この子を知らない場所へ解き放つ方がまずいんじゃないんですか? 責任持って私たちが育て……管理しましょう」


「…………わかった」


 我が家に、Lサイズの飼い猫が出来た。





 昼食後。刀のこいつはどんなものでも食べてしまうので、今から家を食い始めるんじゃないかと危惧していたが、普通に猫らしくクッションの上で寝そべっている。


 ピク、と耳を動かした猫が、すくっと起き上がる。

 アホくさい体つきをしているが、顔つきが凛々しい。


「もふもふだな。お前」


「ぬぉー」


 里葉が世話をするとは言っていたけど、トイレとか猫砂とか買わなきゃダメだよな。いやそもそも、トイレするのか? こいつ。





 午後の時間。


 居間で仕事をする里葉。彼女を横目に俺は『ダンジョンシーカーズ』を開いて、スキルをチェックしている。新しく習得したスキルと最適化されたスキルが多すぎて、把握に時間がかかる。それに、A級ダンジョンで一気に収容した、龍が貯め込んでいた宝物たちも確認せねばならない。実は、かなりやることがある。


「……」


 マグカップを手に取り、淹れたコーヒーを飲む里葉。敏腕OLみたいな姿にも見えるその姿が、なんだかカッコいい。


 スタッと、机の上に登る音。


 真剣な顔つきでタブレットを眺める彼女の前に、突如として毛の塊が突っ込む。尻尾がぶっとくて、タヌキみたいだ。


 里葉の顔に毛をこすりつけて、タブレットを後ろに押し倒した後机の上にそいつが座る。


 でかい。加えて空想種特有の存在感がある。実際に戦闘したりはできないんだけど、その重圧は本物だ。


 何か、するわけでもない。凛とした顔つきで、里葉をじっと見ているだけ。その後、あくびをする。


「……あの」


「ぬっ」


 甲高い声で返事をした。

 ……なんだこいつ。






 夕食前。台所にて。二人で料理をしている間に、足元でもこもこした触感を何度も感じる。


 ……うろうろしていて、かなり邪魔だ。里葉が包丁で指を切ったりしたら、どうするんだ。こいつ。


「ぬぬぬ、ぬぉーっ」


 俺たちを見上げるようにして、叫ぶデブ猫。里葉に飛びついて、ピンク色のエプロンをちょっと引っ張っている。

 こいつ、夕食を用意しろと言っている気がする。刀の頃の時点で何を求めているかは何となくわかっていたが、俺は猫と会話してたのか…………刀よりは普通か?


 この猫に食わせる飯……ご飯かあ。

 醤油ラーメンを直で飲む猫だ。まだ買ってきてないけど、キャットフード食べるのかな……


 猫の様子を見かねた里葉が、冷蔵庫を開けて食べられそうなものを探している。


「ヒロ〜。この笹かまぼこ、あげてもいいですか?」


「ああ。いいぞ」


 里葉が袋から笹かまぼこを取り出して、それを適当にちぎって投げる。結構遠くに投げたようで、猫はそれを追っかけてどっかへ行った。短距離での走り方がずんぐりむっくりしているせいでアホらしい。


「ぬっぬっぬっぬぉーっ」


 下向いて、くちゃくちゃ食べてた。あ、これから餌がもらえると思って料理中手を出して来たらどうしよう。


 ……里葉との食事中。炊飯器を勝手に開けて、炊いておいた白米を口いっぱいに頬張りやがった。





 深夜。里葉が和室で布団を敷いて、すやすや寝ている時。


 自分の部屋に戻って来て俺も就寝しようとしたら、ベッドのど真ん中で体を伸ばし爆睡している猫がいた。


「……おい。どけ」


 背中を押してどかそうとしても、動く気配がない。

 のびのびとしていた猫は頭だけを上げて、こちらを批判するような目つきで俺を見ている。何も言わない。揺らぐ気配がない。


 猫に寝床の六割を取られながら、眠りについた。

 深夜。顔を踏まれて目が覚める。寝巻きには、コロコロを使わないと取れなそうな大量の抜け毛。


 ……なんだこいつ。






 翌日。買い出しに行こうと、里葉と二人でスーパーに行く。カートを俺が押して、野菜が痛んでいないかどうか手に取り確認する里葉が、商品を入れてった。


 要冷蔵コーナー。彼女と二人歩いていて、陳列されている商品を彼女が見る。


「……ナチュラルに笹かまぼこ売ってるんですね」


「まあ、仙台だし。ここ」


 そのコーナーをスルーして、牛乳を取りに行った里葉を横目にショッピングカートを押す。


 その時。突如として何かの気配を感じ、振り返った先で。


 先ほど通りかかった、かまぼこが陳列されたショーケースの上。スマホにぶち込んどいたはずの猫が、ちょうど笹かまが集められている場所の上に座っていて、右手を伸ばしているのが見えた。


 つんつんと、笹かまぼこをつつく猫の肉球。日常の中に非日常が迷い込んだ、意味不明な絵。


 その光景に、絶句する。


「ヒロ〜。ヒロが普段飲んでる牛乳ってどれですか?」

「里葉。今すぐ透明化を使ってくれ。あそこにいるおばちゃんが、うちの猫ガン見してる。認識阻害しないとやばい」

「え? えっ!?」


 急いで駆け寄った里葉が首根っこを掴んで、また猫をスマホにぶち込んだ。え? なんすか? みたいな顔してたその姿が、あまりにもバカらしい。






 帰路につき、戻ってきた自宅。頭を耳ごと両手で掴んで、宇宙人のグレイみたいな顔になった猫を里葉が説教する。猫撫で声のそれに、あまり威厳はない。


「こら。ダメじゃないですか。勝手に出てきちゃダメですよ。竜喰さん。めっ」


「ぐるるるるる……」


「罰として、あなたは今から泥棒猫です。唐草模様の首輪をつけますよ〜」


 抵抗むなしく布の首輪をつけられて、爆誕したでぶ泥棒猫。いつ里葉はあんなの買ったんだ? いや……作ったのか?


 でも、首輪がよく似合う。くそ。かわいい。


 説教の後。エコバッグから食材を冷蔵庫に移す時、笹かまに異常に反応していた。ちなみに、キャットフードには見向きもしなかった。


 夕食。俺が食う飯を横から盗み食いしようとしてくる。里葉のには、手を出さなくなった。


 ……なんだ? こいつ。






 夕食後。里葉が、冷蔵庫から笹かまを取り出す。


「にゃにゃなにゃっぬー」


「ふふふ。笹かまですよ〜」


 里葉の手から直接、笹かまをガツガツと食い始める猫。美味い美味いと言っているように鳴き声をあげる姿に、考え込む。こいつ、量を食うのは本体の方に任せて、ちっさい方では美食を楽しもうとしてないか?


 一応、空想種のはずなのに……飼い猫として順調に野生を忘れていっている気がする。


 ……そういや、名前つけてないな。






 それからの間。みんなでご飯を食べるときに、笹かまを里葉があげている。


 餌やりの担当は自動的に里葉になったっぽい。トイレも買って来て設置したけれど、使われている形跡がない。どこか別の場所でしているようにも見えないし、色々よくわからん。


「はい。笹かまですよ〜」


「ぬっぬぬぬぬっなー」


 ……里葉が甘やかして、笹かまを買い込んでいる。冷蔵庫の一角に、猫用の笹かまが積み込まれていた。他のも食べるけど明らかに食いつきがいいので、多分好みの味なんだろう。


「なあ。里葉。そういえばこの猫の名前、どうする?」


「え? この子は竜喰さんじゃないんですか?」


「いや、それは刀の名前だろ」


 試しに、竜喰と声をかけて呼んでみる。見向きもしないし、耳を向けてすらいない。刀の頃からの付き合いなのに、全く名前と認識していないようだ。里葉もちょくちょく、そう呼んでたんだけどな……


 しゃがみこんでいた里葉が立ち上がって、背筋を伸ばす。


「んしょ。もう笹かまが一袋なくなってしましました。この子、食いしん坊ですね」


「にゃっ」


 空っぽになった袋を持ちゴミ箱の方へ歩いて行った里葉に返事をして、振り向く泥棒猫。


 こいつ……まさか……


「おーい。ささかま」


「ぬっ」


 里葉の方を見ていた猫が、なんだよと言いたげに今度は俺の方を見た。


「あー……」


「どうしたんですか? ヒロ?」


「……里葉。笹かま、って呼んでみてくれ」


「ささかまさん?」


「にゃーお」


「あっ……」


 里葉が俺の言わんことを察する。


 俺の愛刀兼命の恩猫。倉瀬家初の飼い猫として、名前を考える機会もなく。


 命名。ささかま。

 龍をも喰らう空想種の一部として、威厳を保つ。





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