閑話 雨宮里葉ちゃんの押しかけ同棲アタック(五十話〜五十一話)
鍵を差し込んで自宅の戸を開ける。やっとの思いで帰ってきた自分の部屋で、倒れこむようにベッドへ飛び込んだ。こうして無事、いやどう考えても無事ではないが、家に帰ってこれて良かったと胸を撫で下ろす。
里葉は俺の体が大丈夫かどうか心配していたし、自分でも体の変化についていけていないところはあるが今のところは平気だ。
『ダンジョンシーカーズ』をダウンロードしてから俺の体は人外級のスペックを備えるようになったが、本当に人外になってしまった。真昼間なのに、空を見たら普通に星がくっきり見える。訳わからん。
腕を伸ばし、ベッドの上でだらだらすることしばらく。ピンポーンと呼び鈴がなった。
誰だろう。通販とか何も買ってないんだけどな……
ベッドから起き上がって、おぼつかない足取りで玄関へ向かう。扉を開け、そこに立っていたのはボストンバックを持った俺の彼女。
「ヒロ。さっきぶりです。借りてた家をささっと引き払ってきました。不束者ですが、今日からよろしくお願いします」
「……はっ?」
深々とお辞儀をした彼女を、とりあえず家にあげた。
お茶を出して、彼女を歓待する居間の中。緑茶を上品な手つきで飲む姿を見て、とにかく混乱する。
「その……じゃあ、なんだ。里葉は今日からここに住もうと?」
「ええ。それが何か、問題でも?」
「いや……その問題ではないんですけど、流石に早いというか……」
……A級ダンジョンを攻略した後に、今日から俺の家に住め! ドンッ! みたいなこと言った方が良かったのか? なわけねーだろ。付き合って一日目で同棲するか? 普通。
呆れた顔つきをして、湯呑みを机に置いた彼女が言う。
「ヒロ。私があなたのお家に住もうとしてるきちんとした理由が、二つあります」
人差し指を立てた彼女が、説明を始めた。
「まずヒロの身の安全のため、ヒロの身体の状態を常にチェックしていたいからです。ヒロ。貴方の体に今何が起きているか、分かりますか?」
「分からん。なんかやたら、強くなったような気はするが」
右肩をぐるぐる回し、感覚を確かめる。
「……あの時、文字通りヒロの身体と魂は死にかけました。そこから貴方を蘇らせるため、私とあの猫さんはヒロに龍の魂と龍の生き血を摂取させたのです」
俺の刀の中身が猫だったという話は、もう既に知っている。あの魔力の斬撃はだいたい、猫パンチだったらしい。今ではもう受け入れてるけど初めて知った時はびっくりした。
猫……俺の相棒猫か……
「……魂の摂取ってのは、モンスターを殺した時に入る経験値みたいなやつのことだろ? それで、龍の生き血の方は……どうやったんだ?」
しかし、どうやら中々にシリアスな話っぽい。一度お茶を飲みながら思考を切り替える。
真面目な表情をしたままちょっと顔を赤らめさせるという器用なことをした彼女が、ブレスレットを握りながら口を開いた。
「私が龍の生き血を口に含んで、ヒロに口移ししました。だから、あの後ヒロの方からしてくれたので嬉しかったです。またしてください」
お茶を噴き出しかけて、ギリ飲み込む。
「…………おう」
「まあともかく、霊薬の最高峰とも呼ばれる龍の生き血と、空想種の魂をヒロは摂取しました。これにより、ヒロは驚異的な回復を果たしたのです。しかし、弱っていたヒロの魂は龍の魂を摂取しきることができませんでした。そこで、残った龍の魂が体内に入り込んだ龍の血を触媒に受肉して、ヒロの体は今、龍と混ざり合った状態になっているのです。その象徴が、最も損傷の大きかった右目ですね」
こんなことは滅多にないと話す里葉。西洋の伝承にある、竜人のようだと彼女は語った。
「ヒロは今平気なようですが……いつ龍の方が暴れ始めてもおかしくありません。特に悪感情が刺激されると、暴走する可能性が高い。まあ、竜喰が手元にある限り大丈夫だとは思いますけど」
「そうか。確かに、里葉がいたら心が落ち着く。いなくなったりしちゃったら、死ぬ気で暴れ出すかもしれない」
俺を心配しての行動を、純粋に嬉しく思う。
「二つ目の理由は……普通に同棲したいからですね。私は、ヒロのことだいすきなので。将来の生活のことを思えば良い練習になると思いますし…………」
付き合ってくれと言ったはずなのに、気づいたら婚約したことになっている。まあ、いいか。いやでもいつか、男としてちゃんとプロポーズしなければならない。
「これから、宜しくお願い致します」
「……こちらこそ、宜しくお願いします」
そんなこんなで始まった、同棲生活。
一日目。スーパーで旬の良い食材を買って、俺手ずから料理を振る舞った。俺の胃袋を掴む気満々だったらしい里葉が、その美味しさに悔しそうにしている。次は里葉が作ってくれとお願いしたら、機嫌を直した。
二日目。足りない生活用品を買いに行く。ショッピングモールへ行って、部屋着やら出先なのであまり持っていなかったらしいお洋服やらを買ったりした。里葉の手持ちの服が、いつもの服となぜかセーラー服、そして寝巻きだけだったので一気にまとめて買う。
試着室の中からカーテンを動かして、姿を現した里葉を見る。今彼女は、青系統のリボン付きワンピースを着ていて、ふりふりしていた。
「えへへ。ヒロ。どうですか?」
スカートを片手で掴んで、彼女がたくしあげる。
「……可愛い。好きだ。買おう」
「……えへ」
洗面所のコップに、ピンク色の歯ブラシが置かれた。一人分の食器しかなかった棚には、お揃いのマグカップやらが増えている。
三日目。家の構造を理解し台所の布陣も把握した里葉が、家事を一気に片付け始めた。手伝おうと思っていたけど、自活していた俺が邪魔になってしまうぐらい手際が良くて、とりあえず自分の部屋に避難した。やりたくもなかった花嫁修行だけど、やっておいて良かったと満面の笑みで言った彼女の表情が印象的。
二人交互に入った後の風呂上がり。スポーツブランドのTシャツと短パンを着て、タオルを肩にかけていた俺に彼女が声をかける。ほかほかの体で藍色のルームウェアを着た彼女が、和室でお姫様座りをして、太ももをトントンと叩いていた。
彼女は右手に
「ヒロ。耳かきしてあげます。こっち来てください」
「……おう」
彼女の元へ寄って、膝枕の上に頭を乗せる。風呂上がりで妙に体が温かいし、すごく柔らかくて頭が沈むように動いた。シャンプーの匂いに紛れて、甘い匂いが鼻腔を刺激する。
「えへへ。未来の旦那様に耳かきです」
俺を見下ろす彼女の顔は紅潮しており、妙に妖艶で、軽々しく乗っかったのを後悔した。今までは着物のような上着をずっと着ていたので体のラインとかは見えなかったけど、寝巻きの状態で見てみればかなりスタイルが良い。
……なんというか、恋人という関係になってから彼女の距離感がおかしくなっている。よくよく考えたら付き合う前からデートだったり、付き合った男女のようなことはずっとしていたけれど、それをはるかに上回るレベルの動きをしてきていた。
るんるんと耳かきを動かす彼女は、めちゃくちゃ楽しそう。
「えへ。えへへへへ。あ、おっきいの取れましたよヒロ。やっぱり耳掃除なんて自分でやりませんから、溜まってますね。これから私が定期的にやってあげますから。あ、ここ痛くありませんか?」
「…………だいじょうぶだよ」
なんか、初めて会った時はクール系だったのに、あまあまになる時はがっつり変わるからビビる。しあわせオーラを全面的に出してくるので、断れないし良心が痛んで途中で離れたりできない。
「右耳は綺麗になりました。ヒロ。反対側出してください」
「……おう」
お腹の方に顔を向けた。
このまま彼女のペースに乗せられたら、死ぬほど依存する気がする。
「次は、ヒロが私にやってくださいね?」
「……うん」
彼女の頭を膝に乗せ、髪を撫でる。耳かきしているのに、頬をやたら足に擦り付けてくるせいで危なかった。
翌日。朝ごはんを二人で食べながらニュースを見た後。『ダンジョンシーカーズ』の今後であったり真面目な話をして、今日は何をしたいか彼女に尋ねた。
顎に人差し指を当てた彼女が、決意を感じさせる表情で言う。
「今日はなんか……甘えたい気分です。ヒロ」
(むしろ今まで甘えていなかったのか……?)
彼女の宣言がもたらす驚愕の事実に、死ぬほどビビる。一体何が起きてしまうんだ。
椅子から立ち上がった彼女が、家具を置いていない広いスペースの方を指差す。
「うーん。ヒロ。あそこに立ってください。今からげーむしましょう」
「あ、げ、げーむか? 古いハードだけど、棚の中にあるぞ。今準備するからちょっと待ってくれ」
両手を腰につけた里葉が俺を止めて、胸を張ってえっへんと言う。クールさはどこに。
「違います。私がいま思いついた、ヒロと私だけのげーむです」
「あ、お、え、うん」
……困惑しながら返事を返すと、突如として里葉が消失した。これは、彼女の『透明化』の能力か。
あの龍は彼女の姿が見えていたようだけど、俺には見えない。俺が竜の力を使いこなせてないのか、それとも里葉が強くなったのか。
瞬間。突如として彼女が俺の右側に現れて、両手を広げ抱きつく。ぎゅーっと力を込めていて、心地よい体温を感じた。にこにこした里葉が俺の顔を見つめている。
「ヒロ。そのげーむのるーるは簡単です。私が透明になって、いろんな方向からヒロに抱きつきます。ヒロは私が来る方向を予測して、真正面から私を受け止めてください。私を捕まえてぎゅーできたら、ヒロの勝ちです」
「えっ」
「よーい、どん!」
勝手に試合開始を宣言し、また消えた里葉が今度は背中から抱きついてきた。思いっきり抱きつくので、ダイレクトに彼女を感じる。左肩の方から顔を出した彼女の髪の毛先が、俺の頬を撫でた。
「ヒロ。私を真正面からぎゅーしたくないんですか? ヒロは私のことだいすきなのにぎゅー出来なくて辛いですね。えへ」
言葉を言い残して、また透明になる彼女。
…………幾ら何でもあざとすぎる。これ、狙ってやってるよな? 狙ってやってなかったら……やばいぞ。
俺、彼氏だし。付き合って、あげるか。
斜めの方を向いてみたり、タイミングを合わせて勢いよく振り返ってみたり、色々試してみる。けれど全く捕まらなくて、初めて会って交戦した時のあれはやっぱりたまたまだと思った。完全に翻弄されている。
「えへへ。ヒロ。どこ向いてるんですか? 私は真反対ですよ〜」
左腕の下に手を差し込んで、抱きついてきた里葉が俺を煽る。本気で能力を行使し、動きを探っているが全く読めない。割とマジで、彼女は俺を殺せると思う。
右肩の方から出てきた彼女に、また抱きつかれる。全く予測できていない。里葉に弄ばれている。
斯くなる上は。
居間の中心。両手を広げ、ただ待機する。動かざること山の如し。
右側から抱きついてきた里葉が、また俺を煽った。
「ヒロ。何してるんですか? そんな待ち構え方してたら、ばればれじゃないですか。もう少し考えた方がいいですよ」
まだ動かない。続いて里葉が、背中から抱きつく。
「ほら。またぎゅーされちゃったじゃないですか。ヒロ。早く動いて動いて」
その決意。鉄の心。左側から抱きついた里葉の、焦る声が聞こえた。
「ヒ、ヒロ? なんで動かないんですか。動かないと、私をぎゅーできませんよ?」
もう一度里葉が、右側から来る。
「ひろぉ……」
……構ってもらえず、目がうるうるし始めた里葉を見て良心が痛む。でも右側から抱きつきながら、うずうずしている姿が見えた。多分、勝ったな。
その時。耐えきれなくなった彼女が、真正面から俺の元へ飛び込む。彼女の背に両腕を回して、強く抱きしめた。
「……見事にしてやられました。さ、寂しくて来ちゃうに決まってるじゃないですか。ひどいですよヒロ」
「…………」
両腕の中にいる彼女が、もぞもぞと動く。
「あっ……ぎゅーってされて動けません。力が強くて……一歩も動けない。にへ。ヒロに、捕まっちゃった……」
ぽやぽやした今の里葉は、戦場を駆け抜ける歴戦の妖異殺しには見えない。
少し満足げに頬を胸へすりすりする彼女が、俺の両腕から逃れようと、もぞもぞと動き続ける。散々煽られた後なので離すつもりがない。むしろ力を強める。
数分経ってなお、離さない。
「う、嬉しいですけど……ど、どうすれば出られるんでしょう。何かしないといけないんでしょうか」
うーと唸る彼女が考える。普通に離して欲しいといえば離すつもりなのにそう言おうとはしない。
真面目な、凛とした表情で里葉が言い放った。
「ヒロ。貴方を愛しています」
「ああ。俺も愛している」
もう一度、強く抱きしめ直す。
「……違うんですね」
うんうんと考え込む彼女。俺を抱き締め返しながら、目を閉じて彼女は唸っていた。
「……そうだ!」
俺の顔を見て、何かに気づいた彼女がつま先を少し伸ばす。
押し付けられるように、唇と唇が触れた。
体が弛緩して、それに思わず彼女を離してしまう。
「あっ……やっぱりちゅーすれば良かったんですね。えへへ。一回捕まっちゃいましたが、離しちゃったので引き分けですよ。ヒロ」
「里葉」
「なんですか?」
右手を掴んで彼女を引き寄せる。髪の毛を掻き分けながら左手で頬に触れ、かなり恥ずかしいけれどこちらからキスをした。
「……ヒロ。だいすき」
……彼女のこのペースに乗せられたら、本当にまずいと思う。ただでさえ同棲して四六時中同じ場所にいるのに。家にいたら、一生いちゃつくような気がした。ゲームって、何?
「今日は、出かけようか」
「はいっ!」
ただ、今の彼女はすごく幸せそうで、俺も嬉しい。いや、幸せだ。
……誰かがいると、やっぱり違うな。
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