第四十八話 突入:A級ダンジョン

 



 東雲の空。太陽の光が少しずつ空に差し込んで、徐々に明るくなっていく。


 念には念をということで、今日はかなり早めに集合した。彼女といつも通り待ち合わせをした仙台駅で、バスに乗りその場所へ向かう。


 彼女に連れられ訪れた場所は、この仙台という土地の発展を支えた古き城跡。焼失してしまったのでお城はもうないけれど、石垣の横を通り石畳の道を歩いて、樹木が風に揺れる音を聞いた。


 どこか落ち着いた、静謐な雰囲気を感じるこの場所で丘をただ登っていった。途中、振り返って景色を見てみれば、蛇行する川と市街地が見える。それはとても綺麗で壮大だとか、そういうわけではなかったけれど何故か心に残った。


「……ここです。ヒロ」


 やっぱり、ここなのか。


 彼女が立ち止まったのは、仙台に住んでいる人間なら知らない人はいないだろうという騎馬像の前。


 三日月の前立てを付けた兜を被り具足を身に包んで、力強さを感じさせる駿馬に騎乗している。


 高所から、この仙台を見渡すようにしている像の背に。


 スマホをかざしてみたら、途方もない大きさの渦があった。空そのものを包み込んでしまいそうな、真っ黒な渦。これが、全てのダンジョンに繋がるものだというのか。


 目の前にしてみて、改めて彼女が語った言葉の意味を実感する。これは本当に、早々落とせるものではない。第三者の冷めた視線を送る心の中の自分が、この渦を攻略することは奇跡に等しいと断言していた。


「ヒロ。圧倒されるのは分かりますが、今日攻略するわけではありませんから」


「分かっている。じゃあ、行こうか。里葉」


 二人同時に突入するため、彼女と手を繋ぐ。毅然とした態度を取る彼女の手がどこか冷たくて、震えていることに気づいた。


 その震えを抑え込むように強く握り直す。彼女が同じくらい強く俺の手を握り返して、二人目を合わせて笑った。


 きっと、大丈夫。







 落ちる水滴の音。ぴちょんという軽い音が響く。


 見上げても、どこまであるのか分からない天井。鍾乳石が連なるそこに、生命の気配はない。

 透き通り光り輝いてるように見える地底湖の中、俺たちは点在するようにある島の上に立っていた。


 A級ダンジョン。幹の渦。


 そこは青の光が差し込む、見たこともない洞窟の中だった。


 自分が小人になってしまったんじゃないかと思うぐらい広い空間で、あまりにも濃密すぎる魔力を感じ取って息を呑む。


 存在を確かめ合うように、手を握り合った。その後、手を放して周囲を警戒する。


 ショートカットキーを使い即座に武装して態勢を整えた。今の所近くに敵はいないというのに、握った竜喰が今まで感じたことがないほどに高揚し暴れ狂おうとしている。


「これは……」


 状況が理解できない里葉の困惑する声が響く。彼女が知っている幹の渦攻略記録の共通点として、それは数十という階層で構成されていることと、そしてそこには数え切れないほどの妖異がおり、突入した途端すぐさま襲いかかってくるというものがあった。


 なのにここには、何の気配も感じない。B級ダンジョンには必ず渦鰻の群れがいたし、他の低級のダンジョンでも、俺たちの突入に気づいた妖異がすぐにやってくる。


 しかし、それがない。


「……」


 腰元。ホルスターからスマートフォンを取り出し、『ダンジョンシーカーズ』を開く。俺が確認しようとしているのは、もちろんダンジョンの情報。


 スマホをいじる俺を横目に、隣にいる里葉が金青の揺らめきを見せた。


「……嘘!」


 彼女が、思わずという様子で声に出す。


 いの一番に何かを試そうとした彼女は、それに失敗してひどく驚いているようだった。

 しかしそんな焦った様子の彼女に、俺は何があったのか聞くことができない。なぜなら、画面に表示された情報が同様に理解できないものだったから。




 宮城県仙台市 第一迷宮 


 クラス:A級

 タイプ:???型

 階層:1/1階層


 A級:幹の渦 326/326   




「一階層だけ……?」


 更にダンジョンの情報画面の下にある、緊急脱出ボタンが暗くなっていて押すことができない。


 俺の一階層だけという言葉を聞き、ずっと何かを試そうとしていた彼女はあることに気づいた。


 彼女が今まで聞いたことがないくらいの、必死な声を出す。



 向こう側から、が聞こえてきた。



「ヒロ! 今すぐ交戦の準備を! だ、脱出を試みようと穴を開けようとしましたが、それが全て妨害されました! この渦には重世界の掌握が可能な……『空想種』がいる!」


 彼女の金青の魔力が、大火のように燃え盛る。しかし、俺よりも強い里葉が出せるその威容でさえも、彼方からやってくるあれに比べたら儚い蝋燭の炎にしか見えない。


 鍾乳石の狭間を通り、天然の柱を抜け、そいつは姿を現した。



 蛇のように細長い胴体。見上げるようにして視界に映るのは、地を這うための蛇腹。


 煌びやかな黒鱗が全身を覆い、艶やかな薄水色の体毛が背に生えている。玉石を掴む三本指の脚が、四本生えているようだった。


 勇ましく凛々しい顔には覆うようにたてがみと髭が生えていて、鼻はとても小さい。閉じた口から垣間見える鋭い牙は、奴がくぐり抜けたであろう幾度の戦によって磨き上げられていた。


 完成された美しさを持つはずのそいつは、左目に大きな裂傷を負っていて。



 それは、隻眼の龍。



 古来より、最強の生物とされたそれ。



「……空想種”独眼龍”」



 唖然とする里葉が、最後に呟いた。








 洞窟の中。暗闇の空を這うように進み、黒目を動かしてこちらを睨む独眼龍。その視線の重圧のあまり、蛇に睨まれた蛙のように体が動かない。



 青ざめて声を漏らす彼女が、どうにか言葉を紡いだ。



「……信じられませんが、この幹の渦の分類はです。く、空想種を操ることなど不可能だというのに、どうやって」 



 俺たちの姿を右目で捉えた奴の、天地を切り裂く咆哮が響く。


 伝っていく振動。洞窟の壁に亀裂が走る。閉じられた暗闇の空からは、砕け落ちた鍾乳石が雨となって降り注いだ。


「ぁ……」


 強者ゆえに理解できてしまう差。奴の重圧に耐え切れず、顔を真っ青にして震える里葉が地に崩れ落ちた。


 冷静な思考の中。ただ奴が叫ぶだけで、


 体にぶつかる鍾乳石の欠片たち。それを無視して、しゃがみ込んだ。


 彼女の右手を両手で掴む。俺一人では、間違いなく勝機を見出せない。


「里葉。いつも通りで行こう。援護を頼んだ」


「ぇ──」


 口を開けたまま、俺を上目遣いで見る彼女が呟く。今にも泣いてしまいそうな彼女を見て、守りたくなった。守ってあげたい。


 でも、彼女には立ち上がってもらわなくちゃ。


「ひ、ひろ。じゅ、十中八九、わたしたちはあれに勝てません。し、しんじゃうんです。ひ、ひろは、こわくないんですか?」


 両手で二の腕を抑え、うつむき、ごめんなさいと何度も俺に謝罪する里葉。あんなにも強い彼女がここまで取り乱すんだから、とんでもない敵なんだろう。俺の『直感』もこの場所には危機しかないものだから、もうセンサーとして使い物にならなくなっている。


 ……俺は良い。だけどもし、ここで彼女を失うようなことになったら。どんな恐怖にでも立ち向かえるって考えていたけど、それだけは怖い。


 彼女を勇気づかせるための言葉を、ここで紡ぐ。


「……とてもこわいさ。だけど、立ち上がって戦わなきゃ。勝てない」


 俺の顔を見つめる彼女。強く手を握る。


 生唾を飲み込んだ里葉が、血色を取り戻し始めた。


 金青の魔力を灯し、ふらふらと立ち上がる。まだ涙を目に浮かべたままの彼女は毅然とした表情で。


「迷惑をかけました。ヒロ。援護は任せてください。偵察のつもりでしたが、もう退くことができない。ここで勝たねば、私とあなたの未来はありません」


 金の正八面体を全て地に落として、金色を全力で展開し始めた彼女が行く。



 ……俺が『ダンジョンシーカーズ』を始めて、ヴェノムを倒した時に立てた目標。地元制圧。このA級ダンジョンを仕留めれば、それが達成される。


 この仙台の最後のボスには相応しい。



 俺の両肩を掴んで、顔をずいっと近づけた彼女が言った。


「ねえ……ヒロ。これが終わったら、あなたに話があるんです」


「……奇遇だな。俺もある。だけどそれは、こいつを倒してからだ」


 向ける鋒に空を行く金色。

 迸る濃青の紫電が金青の輝きに乗せられた。


「行こう。里葉。いつものように」


 構える剣。地形を即座に確認して、戦いの舞台に都合の良い場所を探す。俺は負けるつもりなど毛頭ない。


 独眼龍の咆哮が再び響く。それに、鬨の声を以て応えた。 




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