第四十四話 ボス戦:B級ダンジョン

 


 突き進む階段。降り立った第八階層。


 ドロっと体に纏わりついてくる、大気中の濃い魔力。戦いに備え、目配せをした里葉が透明化を使い消失した。


 彼女に言われなくたって、分かっていた。途轍もないモンスターが現れるのだろうということは。


 常に光源があり明るかった白の部屋は今、暗くて狭い、湿地のような場所になっている。汚れきった白の部屋には俺の体ほどの大きさがある落ち葉に、朽ちた木、石が山積みになっていた。


 ずっと、妖異が優位になるように地形や施設を再現し続けていた白の環境が今初めて、妖異によって染め上げられている。



 俺の目の前。朽ちた大木を登り、やってくる無数の足音。


 いや、違う。この音は一体の妖異から出ている。



 赫灼の長髪。整った儚い顔立ち。どこからどう見ても人間の少女のように見えるその妖異は、甲殻の鎧に包まれた上半身だけを朽ちた木の上で見せている。肌色を少し晒し、妖艶な雰囲気すら醸し出していた。



 奴が、生理的嫌悪を覚えさせる無数の足音を再び鳴らした時。

 その下半身を晒して、体を爆発するように膨張させた。


『がちゃげろががが、がけきしゃあしゃしゃさあしゃ』


 その醜怪さに、息を呑む。少女の顔つきに似合わない、筋骨隆々の体。

 5メートルを超える巨人のものとなった上半身。そして露わになった奴の下半身は、百足ムカデのものだった。


 人と百足の体が融合し、二つに分かれている。蛇の下半身と人間の上半身を持つラミアを差し替えてみたような、そんな見た目をしていた。しかしこの妖異が放つ重圧は、そんな雑魚とは比べ物にならない。



 奴の登場に合わせて、小さな百足が木々の隙間から這い出るように湧き出てくる。


 幾千という百足の群れ。さざめく足音が部屋に響き、地を埋め尽くすその群れが俺の下まで到達した。


 俺の真下を歩いていた一匹が今、俺の足に這い上り始めた。普段だったらこいつを振り落とすように足を動かすんだろうけど━━━━



 俺を見据える赫灼の双眼。それは魔力の煌めきを残して。



 今、そんな隙を晒したら間違いなく喰われる。直感的にそれを確信した俺は微動だにせず、奴と相対した。


 ぶつかり合う視線と視線。奴の行動の起こりを見逃してはならない。

 体を登っていく無数の百足。今一匹が、面頬の上を登り切って頬を歩いた。

 動いてはならない。


『がキャッキャキキきキキ』


 奴はこちらを上から眺めている。そんな奴が、鷹揚に両手を動かした。


 魔力の輝きが灯り、赫灼が何かを形作っていく。幾何学模様を描き、生み出されたのは複数の棘を備えた鉄球を穂先に持つ槌……モーニングスターを奴が両手で構えた。



 そう来なくては。 

 立ち昇る黒漆の魔力。それは彼奴の体に纏わりつくように。

 不撓不屈の精神を以って。いかに醜悪な敵であろうと俺は立ち向かう。



 手にした竜喰で霞の構えを取る。脚部に魔力を集中させ、血湧き肉躍る戦に身を投じようとした刹那━━


 奴が、見えない槍の雨を右方から浴びた。


 ぶつかり合う赫灼の魔力障壁と金色の槍。両手で顔を守り、その特徴的な外骨格を盾として攻撃を防いだものの、百足の足を少しだけ吹き飛ばされた奴が空に浮かぶ里葉に気づいた。


『キャシャぁあああああッッ!!!!』


 見上げ威嚇するように叫ぶ渦の主。


 槍の暴雨に晒されてなお、何か手傷を負っているようには見えない。


 なんという。彼女のこの奇襲で殺すことができなかった妖異は今までいなかったのに。


 振われる爪牙。放たれる赫灼の魔弾。迫るそれを空中で回避し、屈み込むような姿勢で俺の横へ降り立った里葉が口を開く。


「ヒロ。この妖異は新種です。このような容姿の妖異を、私は見たことがない」


 傍に舞い戻ってきた槍たちを備えて、彼女が言った。


「伝承種『百足姫むかでひめ』とでも言いましょうか。今まで相手にした伝承種よりも一枚も二枚も上手です。注意してください」


「ああ。里葉。今まで通り援護を」


 頷きを返し、金青を残して消失する里葉。


 歩き出した俺を目で捉えた百足姫が、その大槌を薙ぎ払うように振るう。先に取り付けられた鉄球は、俺の体よりも大きい。


 竜喰を差し込みまずは受けた。剣と槌がぶつかり合う甲高い音が響き、魔力が波立つ。

 奴の攻撃を受けたタイミングで、即座に跳躍し左方へ引いた。奴の力に乗せられて、想定していたよりもかなりの距離を移動してしまった。


 じんじんと痛む両手。これは、重すぎる。受けた力を外へ逃がさないと、腕が吹き飛んでしまいそうだ。


 しかし、重いからと言って速度を伴っていないわけではないらしい。


 視界に映るモーニングスターの軌跡。残像を残すほど速く振り放たれたそれは、まるでその場に四本の鉄球があるようで。


 右、左、右、上。


 左手で刀身を支え、上から振るわれた一撃を受け止める。それをなんとか弾き返して仕切り直した。


『がががきゃがっがしゃあが』


 姿勢を低くさせる百足姫。駆け抜けるように突如として動き出した奴は壁を登り天井を這って、あちこちへ動いていく。


 それを追いかけるように金色の槍が弾幕を形成するが、蛇行し回避運動を取る奴を捉えきれていない。


「野郎……」


 笑みを浮かべ、確かめるように竜喰を握り直した。


 渦巻き突如として着陸した奴が回転し、毒付きの尾で薙ぎ払おうとする。百足の二本の尻尾から飛び散った毒が一滴、触れるだけで俺の魔力障壁を溶かしていった。上等。真正面から迎え撃つ。


 力強く地を蹴り、尾が迫る前に竜喰を振るった。奴は咄嗟に軌道を変え回避しようとするも、毒付きの尾の一つを竜喰が完全に捉えた。


 斬り飛ばし喰らう百足の尾。こんなゲテモノ食って嬉しいのかは知らんが、歓喜している竜喰。


 かつてない敵との死闘が、今始まる。







 振るわれる鉄球の槌。疲弊しきった両腕でこれ以上受けるのは無理だろうと、体を捻り回避を試みたが槌が起こす烈風に晒された。


 魔力障壁がその勢いを殺しきれず、こめかみに切り傷を負った。流れる俺の血が頬を伝って、面頬を赤色に濡らす。魔力を操作して、本来のCDクールダウンよりも速く魔力障壁を再展開しようと、黒漆の魔力を高めた。


 ある程度強い妖異になると、皆魔力障壁を持っている。俺たちの体を守るそれは名前だけを聞くと一枚の壁を想像してしまうが、実際はオーラのように纏うものだ。揺らめくようなそれにこう形容するのは不自然であるが、障壁が耐えきれない一撃を貰えば文字通り完全にそれが割れ、生身となってしまう。


『がきゃががっがしゃああああああ!!!!』


「くっ━━!!」


 這い出る百足姫。右足で力強く地を蹴り、回避するとともにすれ違いざまに振るう竜喰。それが奴の障壁を削って、赫灼の破片が煌めきを残し舞い散る。


 反転。再び向かい合って、突撃する。

 剣と槌では、俺の方が速い。再び奴を削ってくれる。


 しかし奴の手元を見た時、思わず瞠目した。


 奴はモーニングスターを手離し、俺の首目掛けて右手を振るっている━━!


「……チィッ!」 


 真っ直ぐに放たれる鋭い爪。すでに振り上げた刀。その一閃を、防ぐ手はない!


 身体中の魔力を掻き集め、攻撃に備えた時。何かが奴の右手を阻んだ。


 甲高い音を鳴らしてそれが、宙に弾き飛ばされていく。間一髪。横へ跳躍して右手の一閃を回避した。


 吹き飛ばされたそれの姿を確認する。俺を守り抜け出す隙を作ったそれは金色の盾。里葉は、俺が不意打ちを喰らうことを見越してこの盾を配していたのか!?


 空に立つ彼女の姿を見る。流石の里葉でもこの妖異の相手は神経を削るのか、少し汗をかいて息を荒げさせていた。俺が彼女を見ていることに気づいた里葉が、えっへんと笑う。


「……助かった里葉! 惚れ惚れするような戦術眼! すごい本当に可愛いぞ里葉!」


「え゛っ!? ど、どういうことですか!? それ関係あります!?」


 俺の返答に対し、驚きの声をあげて聞き返した彼女。今は会話をしている場合ではない。


 一度距離を取るため、後方に跳躍する。


 彼女と二人連携を取り、全力で攻めているが余りにも奴が硬すぎる。”百足姫“はただ力任せに鉄球の槌を振るう単純な奴だが、彼女と二人猛攻を仕掛けても全く効き目がない。火力が足りない。


『がきゃさしゃあああああああッッ!!!!』


 この状況に際し、里葉も決め手を欠いているようだった。


 笑みを浮かべたものの、宙に浮かぶ彼女はだらだらと汗を流していて、血の跡が衣服についている。表情を少し歪ませながら杖を構えたその姿を見て、ひどく動揺した。


 守りの堅い奴とは明らかに相性が悪いし、疲弊している━━


 最悪の想定をしろ。それは俺がしくじり倒れて、彼女一人で戦う光景。



 それだけは、許してはならない!



 彼女の足りない部分は、俺が埋める。


「里葉! 良い機会だ! あれを使うッ!」


 刀を一度振るい、鋒を下に向ける。身体中の魔力を循環させ、一種の瞑想状態に入り彼女の返答も聞かず呟いた。



「━━今ここに『不撓不屈の勇姿』を」



 発露する黒漆の残滓。ユニークスキルを使用する。


 瞬間。爆発する魔力の奔流。枷を取り外したかのように、軽い体。疲れ切って深く眠った次の朝、目覚めた時に感じるような全能感が俺の体を包んでいる。


 跳躍。空を突き進む速度は、普段の何倍もの速度。

 脚部にかかる重圧。このスキルは身体の限界を越えるだけのもので、それに伴う激痛、怪我を治してくれるわけじゃない。


 しかし、そんな本能的に感じてしまう痛みの恐怖にさえも、立ち向かうことが出来るんだって確信していた。



 勝負はこの刹那。



 飛来する俺の姿を見た百足姫が、瞠目し迎撃のモーニングスターを放つ。


「竜喰」


 視界の中。ぶれたように見えた刀身が鉄球の核を喰らい、それをバラバラに破砕させた。


 唖然とする奴の背後に着地する。奴の姿を横目に見て、鼻で笑った。


 体を捻り右腕を伸ばして、俺を迎撃しようとする奴の動きは余りにも鈍重。


 急所ではなくあえて右腕に向かって強く跳んで、斬り上げでそれを叩き斬る。その後、奴の肩に取り付いて。



 奴の顔目掛け、もう一度竜喰を強く振るった。


 顔を削り取るように発動した竜喰の『暴食』は、奴の脳髄にまで及んでいる。



 即死した奴の体が灰燼となり爆発するのに合わせて、能力の行使を切った。

 空中。今度は金縛りにあったかのように体が動かせなくなって、そのまま地に落ちていく。


 宙を駆け抜ける彼女が、両腕で俺を受け止めていた。


「何をいきなり無茶しているんですか! 今すぐ治癒の術を使います。全く本当に……!」


「あり、がとう里葉。カハッ、ゴホゲホッ! ハ、ハハ。さっきとは立場が真逆だな」


「……そんな軽口を叩く余裕があるなら、大丈夫ですね」


 彼女の金青の輝きが全身を包んでいく。傷口を塞ぎ俺の魔力の循環を促すその動きは、なんか優しくマッサージを受けているようで、すごく落ち着いた。


「……すまない、里葉。少し、だけ、寝かせてくれ」


「え? ちょ、ヒロ!?」


 消え行く意識。朧げになっていく視界の中。あわあわする里葉の顔が見える。やべー。やっぱめちゃくちゃはちゃめちゃ可愛い。むちゃくちゃ可愛い。もうオチる直前だから、理性も語彙力も全部飛んで本能的な思考になっている。



 ガタガタ理由をつけてるバカな頭が今、素直になった。


 彼女と会ってから、二人で過ごした時間のどれもが楽しくて。


 頭に浮かべる光景。あの並木道。

 彼女がくれた暖かさに、もう嘘をつけない。あんなふうに受け入れられて、惚れない奴がいるのか。


 なんて愛おしい。


 雨宮里葉という女性ひとのことが、俺は好きだ。

 


 人生で、初めて抱く感情。辛いけど心地よいそれは、とても不思議で。


 馬鹿みたいに全身が痛くて、その確信を抱いたまま世界が遠のいていく。


 かのじょなら、またなんとかしてくれる。だいじょうぶ、だろ。


 そう思って、瞳を閉じた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る