第十九話 藍銅鉱の乙女

 



 報酬部屋へ向かおうとする俺を制止した女性の声が、俺以外誰もいないはずのダンジョンの中で響く。


「何奴ッ!」


 即座に振り返り竜喰を構えた。チャキ、という白刃の音が鳴るのとともに、彼女の姿を目で捉える。


 気配を全く捉えられなかったこの女。誰かが後をつけてきていたというのに、五感が研ぎ澄まされた俺が気づけないなんて有り得ない。



 しかしそんなことがどうでもよくなるくらいに驚愕し、思考が止まった。


 刀を握る力が、文字通りぬける。



 ぼんやりとした光が、彼女の小顔を照らす。



 光沢のある色艶のいい黒髪に、深みのある紺青のインナーカラーが乗せられている。


 アズライトのような輝きを持つ宝石の瞳はこちらを見つめていて、儚さの残る淡麗な顔つきに魅せられた。透明感、という言葉は彼女のためにあるんじゃないかとすら思う。



 先ほどまで蟻がひしめいていたこの空間が、彼女がいるだけで彩りを与えられたように輝いて。



 ちょうど俺と同じくらいの背の彼女は、不思議な装具を身につけていた。


 彼女はリボン付きのブラウスの上からハーネスベルトをつけている。春が近いものの仙台はまだ寒いからだろうか、彼女は膝の少し上まで届く裾のあるコートをさらにその上に羽織っていた。そのコートの袖丈は袖口に対しやけに長く、まるで着物のようである。


 煌びやかに施された金色の意匠が、和洋折衷の印象を与えていた。


 ミニスカートの下。短めのソックスを履き、肌を晒した右足にはレッグポーチが取り付けられていて、膝上まで届くソックスを履いた左足には、ベルトでナイフが取り付けられていた。


 その瞬間。彼女の装具全てが、戦闘を想定していることに気づく。


 彼女の着ている衣服は遠目に見てみても明らかに材質が良い。俺の服とは比べものにならないくらい高そうで、丈夫に見える。


 遅れて、彼女が錫杖のような武器を右手に持っていることに気がついた。



「あの、いいですか」


「えっ…………はい」



 いきなり交戦の構えを見せたくせして無言でじっと彼女のことを見つめていたからか、様子を伺っていた彼女がおずおずと言う。締まらねえ。


「『ダンジョンシーカーズ』プレイヤーの、倉瀬広龍くらせひろたつさんですね。私は雨宮里葉あまみやさとは。えっと、色々説明しづらいんですが、私は『ダンジョンシーカーズ』運営側の人間です」


 言葉をゆっくり紡ごうとする里葉。考えながら両手を合わせて、こちらに説明する姿は何の変哲もないものなのに、やけに様になっている。


「貴方は、仙台市のPKを殺害しましたね? その事情聴取のために、私と東京にお越しください」


「━━━」


 あの戦いを運営に把握されていたのか。ヴェノムの話は嘘で水晶は偽物だったのか? いや、それとも見られていたのか……


「何のことかさっぱり分からない。一体何の話だ?」


「……運営は、貴方にペナルティを与えないと決定しました。安心して、私と来てください」


 懇願する色が少し入ったその声に思わず頷いてしまいそうになる。しかし、今仙台を離れるわけにはいかない。


「……申し訳ないが、断る。俺は仙台にいて、ダンジョンを制圧しなければならない。それに貴女が本当に運営側の人間なのか疑っている。どうしても連れていきたいのなら、今その証明として俺の『ダンジョンシーカーズ』を凍結すればいいだろう」


 そうなれば詰みだ。その時は大人しく諦める。凍結されたらどうなるのかわからないけど。


 あ、やべみたいな感じで目をほんの少しだけ大きくさせた彼女を見て、彼女はペナルティを行使する権限を持っていないのだなと確信した。ないしは、運営側の人間ではないか。


「本当に、来てはくださいませんか」


「ああ。俺はただDSをプレイしたいだけだ。それに何か、問題でも?」


 目を瞑り、はあと彼女がため息をつく。

 錫杖のような武器を両手で回転させ、強く地に打ち付けた彼女は宣言した。


「ならば仕方ありません。命は取りません。怪我もさせません。でも、制圧して無理やり連行します」


 杖を構えた彼女が、金青の魔力を展開する。


 続けて彼女はコートの中から、ロールダイスのように見える正八面体のオブジェを四つ地に落とした。金色のそれが拡張、展開され、四枚の盾となり彼女の両脇に備える。



『魔戦術』および『魔剣術』の知識から━━否。そんなものは要らない。本能的に彼女の強さを理解する。


 彼女は、粋がった雑魚ではない。彼女は戦国の世の猛将に匹敵する実力を持っていると、魂が強く訴えていた。



 彼女は涼しげな顔をしている。全く本気ではない。

 実際に風が吹いているわけでもないのに、強風に煽られたような感覚を覚えた。左手を前に出して、遮るようにする。


 なんという猛者! 俺は勝てるのか? 彼女に! 



 ……強敵を恐れる俺ではない。竜喰を握る手に力を入れ直し彼女を鋭く睨んだ。魔力を操作し、彼女と同じように体から魔力を出せるか試してみる。



 立ち昇る奇跡。


 全身を包む黒漆の魔力が、彼女を威嚇した。



 ぶつかり合い混ざり合う魔力の波動。

 ヴェノムの時と違って敵である彼女に殺意はない。なんかむしろ、本当はやりたくないのにやらされているような、そんな雰囲気を感じる。


 そんな戦う気がない状態なのに、ここまでの覇気を出せる彼女は一体どれだけの実力を━━━━



 絶世の美少女の形をした本当の強者バケモノ。もし本気で来られたら、秘剣を使うという手段を除いて勝てるビジョンが一切浮かばない。



 考える。ただ勝ちたいのならば『秘剣』を使えばいい。力をつければつけるほど、あの剣の果てがどこまでのものなのかを理解している。こんな強敵を前にしても、振るえば打破できるかもしれないと感じていた。



 秘剣を振るったあの日。


 昏き夜。血が吹き出て、白目を剥き倒れこむ姿が頭に浮かんだ。



 それをやったことに後悔はない。あちらは俺を殺す気だった。だから排除しただけ。俺は俺の道を行き、それを決定的に阻んだ彼女を相手に決断しただけなんだって。


 しかし、簡単に力を振るい続けていいのか? 


(お前、呑まれるな。僕みたいに、殺して回るんだろ? 殺して回るさ)


 どこからか、声が聞こえたような気がした。


 ……ああ。分かっている。人を相手に力を振るい続ければいつか必ず、大事な一線を踏み外してしまうって。


 俺を殺そうとしてくる相手に手加減をするつもりなどないが、そうでもない相手に何度も竜喰を振るえば、いつか感覚が壊れる。状況を選べなくなる。


 それだけはダメだ。俺は違う。


 エゴのためだけに人を殺そうとするあの姿。


 繰り返す。俺は、ああはならない。別の道が選べるかもしれないっていうなら、全力で足掻いてみせてからでいいって。


 なあ。俺はそれだけ強いだろ?


 亡くした母の姿が頭に一瞬だけ浮かんだ。俺は俺の人生を生きる。だけどそれは、彼女に誇れるものでなきゃ。


 決意する。この刃は誇りを切り開くために。



「ならば、俺も命は取らない。怪我もさせない。でも、制圧する」

「……そうですか」



 ……今こそ、技を見せる時だ。



「では、いざ尋常に」



 錫杖の先に魔力の刃が灯る。振るう動きに合わせて、金色の盾が駆け抜ける。


 飛来する盾に竜喰を差し込み、そのぶつかり合う音を以って開戦の合図とした。






 女王部屋の中。飛来し風を切る四枚の盾と、駆け抜ける俺の足音が交差する。女王蟻のためにこしらえられたこの部屋は、俺たちの戦いにピッタリの場所だった。


 鳴り響く剣戟の音。跳躍し金の盾を回避して、竜喰で彼女に斬りかかる。彼女の元へ駆け抜ける手前、別の盾がそれを阻んだ。加えて右方上空より俺に向かって突き進む盾を見て、その場から退避する。


 四枚の盾。彼女の杖術。独特といえる彼女の戦いに見惚れた。


 最初は彼女に向かって竜喰を振るうのを少し恐れていた。いくら彼女が強いと言っても、この刀は魔剣。間違えて殺してしまうんじゃないかって。


 だけど今は。


 斬り上げから入る三連撃。魔力により強化された竜喰のそれは、唸るような太刀風を鳴らす。


 それを彼女は、片手に持った錫杖を使い三回逸らし流すだけで凌いでしまった。


 ああ。これこそが戦いだ。先ほどのしょうもない蟻を殺して回ったようなのは戦いですらない。こんな戦いがしたくて、やり取りがしたくて、俺はいくさに魅せられた!


 彼女を制圧するための手段を考えながら、竜喰で彼女の反撃を受け止める。


 俺は今、この瞬間のために生きていた。







 蟻の巣に突入した彼の戦いを、私は一人観察し続けた。


 年齢の割には老成し落ち着きがあるように見えた彼。身長は私と同じくらいで、その第一印象を打ち消すぐらいに、すごく楽しそうに渦を攻略している。


 正直な感想を言えば、有り得ない、といったところだろうか。彼はまるで歴戦の妖異殺しのように、妖異ありを蹂躙していった。


 彼は違うけど、一般的に『ダンジョンシーカーズ』のプレイヤーはパッシブスキルよりアクティブスキルを好む。その理由は何か。


 それは単純明快で、パッシブスキルで知識や理論を手に入れてもそれを実行できるだけの基礎を持たないからだ。また、常時発動する効果を手に入れても、それを使って効果的な立ち回りが出来ない。


 スキルだけでなく、レベルと共に急激に強化されていく身体能力にも感覚がついていけなくなるという。


 知識と出来ることに体が追いつけない。


 出来るのは分かっている。だけど出来ない。そんな状態に陥るプレイヤーがものすごく多くて、プレイヤーたちはシステムのアシストにより簡単に技を行使できる、アクティブスキルを好むようになったのだ。


 だけど魔剣に選ばれたという彼は、規格外としか言いようがない。パッシブスキルを瞬間、完全に適応させてみせている。


 確かに強い。手にしている武器は間違いなく一級品で、なかなか出来る人だと思った。しかしそれでも、私のような高位の妖異殺しには敵わない。



 そう、確信していたのに。


 もうかなりの時間が経ってしまっていて、彼を無傷で制圧することができない。



 彼に向けて放った金の盾を彼は間一髪。金の盾が身体に掠れるほどギリギリの、最小限の動きで避けていく。その場でステップを刻み、まるで踊っているようにすら見える彼に対して追撃の一手を。


 錫杖を両手で鋭く振るい、強大な魔力をぶつけて彼を気絶させようとする。


「ハッ!」


 飛来する金の盾に合わせた、錫杖の追撃。その攻撃に対し彼は右手に持っていた魔剣を差し込んで、防御してみせた。金の盾を回避するために動き続けていた彼は、こちらに背を向けていたのに。背中に目でもついているの?


「ハハハハ!! 楽しいな! 里葉ぁ!」

「勝手に下の名前で呼ばないでください……」


 こちらに反撃しようと魔剣を振るった彼の一閃を、一歩後ろに下がって回避する。それを見た彼は笑みを抑えきれないといった顔つきで、前髪をかき上げ笑っていた。


 最初は太刀筋に迷いが見えた。しかし戦いを続ければ続けるほどそれは消え去っていき、今では笑みを浮かべている。


 今私が放った一撃だって手加減しているが、ぶつかれば間違いなく痛い。万に一つもあり得ないが、私がしくじれば命を奪ってしまう可能性もある。それは彼も理解しているはずだ。しかし、彼には何の恐れも感じない。



 まるで、この戦いそのものが楽しいんだって━━━━



 ……私も、こんなふうに何かに生きたかったな。




 踊る剣舞。吹き荒れる盾の風。世界に音を刻みながら、彼は叫んだ。



「楽しいぞ里葉! 言葉なんていらない! この剣があれば君が磨き続けてきたものが、君のありようが分かる! 君は俺にとって、最高のひとだ!」 



 随分とめちゃくちゃなことを言っていると思う。しかし彼の言葉。そして剣に嘘はない。いつまでも続けたいという意思すら感じるその姿が、心に残った。



 しかしこの戦いも、もうここまで。



 彼の実力は把握した。警戒すべきはあの魔剣のみであり、制圧は簡単にできる。第一、この戦いが成り立っているのは私に縛りがあるからだ。縛りがなければ、本来は数秒で制圧できる。


 ……私は彼を殺す、ないしは怪我をさせることができない。”魔剣持ち”となったプレイヤーである彼に注目しているのは雨宮だけじゃないから。運営が特別観察対象にしているし、『ダンジョンシーカーズ』の目的を考えれば彼に手を出すのは間違いなく咎められる。


 故に彼を東京に連れてきて、見せかけの合意の元魔剣を奪おうとでも考えているのだろう。あの老人たちは。そしてその剣を意気揚々と、機嫌取りの為に捧げるだけだ。


 ……考えたく、ない。もうやめよう。早くいつも通りに任務を終わらせて、私は隠れてしまえばいい。





 妖異殺しが持つ切り札を以て、彼を無傷で捕らえよう。それが、命令だから。その後のことは知らない。知りたくもない。


 すぅと息を吸って、声に出す。




「……『透き通るように 消えてしまえば』」




 独り紡ぐ言霊ねがい。その言葉を以て、発動の準備をする。


 私の持つ妖異殺しとしての強力な一手。それは『透明化』。気配を消し魔力反応をも消すこの能力のおかげで、妙に敏感な彼に気づかれずここまで来れた。


 一度気づかれたと思ったが、どうやら彼は”敵意”に強く反応するらしい。それを意識すれば、格下の彼が私を見つけ出せる道理はなかった。


 バラバラに動かしていた四枚の盾を彼に向け密集させ、突撃させる。横並びに征くそれが彼に迫り、彼の視界を遮った瞬間。



 私は世界に溶け消える。



「━━!?」


 盾を真正面から弾き、開けた視界。私の姿を見つけられない彼が驚愕する。疾駆し彼の背後に回って、杖を彼の後頭部に向け振りかざした。これで、終わり。


 姿は見えない。杖の先に魔力を込める。

 音はしない。突き進む穂先。

 気配もない。触れる直前。


 敵意なく杖を振るった。そのはずなのに。


 振り放たれた私の杖は、彼が背に差し込んだ魔剣によって防がれた。


(嘘!?)


 その瞬間。彼は反転して、私がいる方に体当たりしてくる。


「きゃっ!」


 刀を捨て格闘戦に持ち込んだ彼の姿を見て、恐ろしいと思った。反射的に顔が青ざめる。


(嘘でしょ!? 魔剣を投げ捨てるなんて! そんなことしたら魔剣に呪━━)


 目を見開く。

 地に放り投げられた魔剣に、動きはない。


 強く動揺し制御が乱れたことにより、透明化が解ける。まずい。

 私に馬乗りするような形になった彼が、右腕を振るう。魔力を纏った拳撃が迫ってきていて。


 まずい。魔力の鎧を展開し直そうにも、この速さでは間に合わな━━


 鋭く放たれたその拳撃は、私の耳の真横に打ち付けられた。黒漆の魔力が波紋となり広がっていく。


 ズン、と体に響くような感覚。備えもなく魔力の波動に晒された私の意識は、ゆっくりと消えていった。







 ああ。なんて心躍る時間だったのだろう。


 女王部屋。報酬部屋に行くための魔法陣が中央にあるそこで。戦いの興奮、余韻から覚めてみれば、状況はなかなかにイかれていた。


「すぅ……すぅ……」


 仰向けに寝転がり胸をゆっくりと動かしている彼女の姿を見て、本当に綺麗な人だなと思う。気を失った彼女をここに置いていくわけにもいかないし、どうしようかと頭を抱えた。




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