人形の夢 (四)
車が向かったのは芹山教授の研究室だった。銃をもった女と負傷した青年、それに肩を貸す少年に子供たち二人という異様な集団に関わらず、教授はむしろ興味津々といった気安さで受け入れた。
研究室に入ると僕は実験台にうつ伏せになって寝かされ、ズボンの膝より先が切り取られた。脚を治療してくれるそうなのだが、大怪我をしているという自覚がなければ、怪しげな人体実験に巻き込まれたと思ったに違いない。
「考えてみたんだけどさ、やっぱり人に薬を合わせるんじゃなくて、薬が効くようにあらかじめ人を改造しといたほうが良いんじゃない?なってからでは遅いしさ。あっ、忘れてたんだけど麻酔いらなくてよかったよね?痛覚止めてるし」
僕は何をされるんだ?怪我もそっちのけで心配していると「ほいよ」と教授が終了を告げた。恐る恐るふくらはぎを見てみると、包帯で巻かれていた。とりあえず、つま先の方は現時点では、外見は、動かさない限り人間のそれだった。
「だいじょぶよ、うちの試作品の人工皮膚を使ってるから。極小のパイプがいっぱいあるかんじでさ、皮膚の細胞と栄養が傷口をすぐ覆い尽くしてくれるから、治りも早いと思うよ。ま、しばらくは松葉杖だろうけと」
とはいえ一瞬の驚きが過ぎてやっぱり不安になる。教授はそれを読み取ってか「うちのラボの子を使って試してみたから大丈夫!」とフォローをした。
そして、確認しなければならないことがあった。あの眼球と心臓。
それは同一人物のもので間違いないという鑑定結果が出た。その結果を行也は教授の口から直接聞いた。さすがにその時の教授にはいつもの快活さはなく、ふーんと気にもしないような事務的な調子だった。嗚咽する行也を隣に部屋に移すと、もう一つここでしかできないことについて話し合った。
「で——この子たちも預かっちゃっていいのね?」
行也と子供達を保護してもらう。今のまま外の世界にいさせるだけではあの人形がいつ子供たちを奪い返し、そして行也の命を狙いに来るかわからない。そのため以前見た教授の生態系結界の中でしばらく隠すことに決めた。
彼らの安全のためには、人形を全て破壊しなくてはならない。
「ふふぅん、どこがいいかなぁ」
僕と翠さんが冷ややかに睨むと教授は「なによホテル並みよ」と釈明した。子供たちは先に教授N号機の案内のもと結界大動物園を散策しているはずだが、大丈夫だろうか。
話し合いが終わる頃になって、無事に二人が帰ってきた。ライオン初めて見たとか、活火山を見たせいか地獄って怖いとか感想が漏れる。しばらくは何とかなるかもしれないと安堵した。
「……というわけで、行也には子供達の世話を頼みたいんだけど……」
僕が言うと行也の顔が曇った。泣いてこそいないが、両目は赤く、頬も赤い。一人の幼い家族を失った今、彼に二人の世話をさせるのは酷な気もした。しかし彼は意を決したように正面から僕らと向き合うと、俺はここに残ると言い出した。
「あの人形がある限り、こいつらに安全はない。だから、俺も戦ってあれを斃したい。……足手まといになるかもしれないけど、少しでも何かできるなら……」
幼い家族のために闘う。城に戻った時と変わらない言葉だった。当然僕らも再び止めようとするが、それより早く子供たちから声が上がった。
「行兄、行っちゃうの?」
不安そうな少女の目が行也を見つめる。
「ああ、お前達には悪いが、しばらく二人で力を合わせて…その、キャンプだ、キャンプ」
行也が申し訳無さそうに下手な作り笑いを浮かべる。しかし抗議の声は突然大きくなった。
「行兄の嘘つき!ビーチじゃないしパーティーの飾りも無い!それに…ママだって、優馬だっていない」
少女の怒りには寂しさが滲んでいた。あの人形は、僕らにとっては恐るべき敵だ。そして優馬という彼女の家族を奪ったのも。しかし、彼女らにとってはただの「ママ」だった。異常な家庭と括れるような場所であったが、子供たちを育て、頼りにされていたのがあの人形なのだ。
「ごめんな、でもこれはお前たちのため……いや」
行也は俯いて顔を振った。
「……いや、そうだな。俺は約束を守れない、悪い嘘つきだな」
こんな事態を年端も行かない子供たちが理解できるとは思えなかった。それがもどかしくてならなかった。彼は幼い妹たちのために戦おうとしている。しかしそれをまだこの子たちは知らせることはできない。
「行兄、すぐ戻ってくるよね?」
少年がぽつりと呟いた。その問いに行也の顔が苦しそうに歪んだ。もし行けば、いつ戻って来られるか、それどころか戻って来れるかすら分からない。行也は俯いたが、やがて少年の方を向いた。
「なら、俺に一度だけ約束を守るチャンスが欲しい」
「絶対、絶対……俺も、ママも戻ってくるから。俺もママもいつだってお前たちに会いたいから」
その約束は既に破綻していた。行也かママか、どちらかしか戻ってこないのだから。
なし崩し的に行也も僕たちと行動を共にすることになってしまったため、ひとまず行也は脚を負傷中の僕の手伝いとでも思っておくことにした。子供たちに関しては教授が妙に親切に手厚い保護をしてくれると約束してくれた。
「とはいえ、また乗り込むにしても今度はどうしましょうか」
肉弾戦といい長笛といい、ああも吸い込まれ模倣されてじり貧だ。ふうむ、と翠も顎を立て肘の上にのせながら思案していた。
「思い付かないことがないことはないんだが…いや、副案くらいだろう。それよりも、そうだな、私はいいとしてもお前らを鍛えといた方が良いかもな」
短期戦なら上をさらに伸ばすよりも下を引き上げる方が効率的ということか。それとも最近の膨大なサービス残業を教習を口実にごまかすということだろうか。まあ今回ばかりは双方の利害が一致している。
「僕がやっているといえば……ああ、あの馬鹿でかい結界ハンドブックでしょうか」
「ああ、あれか。丁度良いかもな。結界は上手く使えば多彩な芸当ができるから。よし行也、お前もだ」
俺も?と半ば素っ頓狂な声が上がった。立っていなくても親でも使う、それがここの金科玉条である。やったことないと再考を求める彼であったが、二人別々に教えるのは面倒だという一言で話は打ち切られる。面倒なことはきっぱりやらないのも彼女のルールだ。無論そのツケは他人が払うから、それでも事務所はまわっていく。
「ま、あれは人の性格が出て面白いからな。あんなクソ堅物にはユーモアがないと」
相手はあの人形、さてどうしたものかと考え込む。人形といえばリカちゃんやシルバニアファミリーが思いつくが、そんな可愛らしさは微塵も無い。
物に対して使う結界の基本的な目的は自分の望む空間に閉じ込めること。ただ閉じ込めるだけなのもあれば、そこに何かを持ってきて作業所にすることもできる。その良い例が教授のもっている、ミニ生態系や薬造りのミニプラントだ。
「まずは結界で囲い込む。だが実際に相手を傷つけるとなると、本物の武器弾薬をあらかじめ持ち込んでおく必要がある。ちゃんと罠として用意できればホーム戦だけど、そういう点では短期間でそこまで準備するのは難しいだろうな」
となるとどうにかして出られないよう閉じ込めるのが目標になるだろう。しかし結界に穴があると、相手はそこから逃げてしまう。。
「穴は……そうだな、かえって相手に乗っ取られるみたいなことが多いな」
「乗っ取られる?」
「ま、座学ばかりじゃ本末転倒だから、お前、一回やってみろ」
そう急に振られても、と思いながら何か良さそうなものを考える。相手は人形。人形と空間といえば…
目を閉じて心の中でその空間に思いを馳せる。正直ほとんどそれに関する知識は無いのだが理想や雰囲気を想像していく。特にあの闇夜に訪れた城の情景を頼りに、妖しげで静謐な空間を形造っていく。
目を開いた時、そこは薄暗く陰鬱な雰囲気を漂わせた一つの部屋だった。茶を基調とした壁には花をモチーフとした薄い紋様が万華鏡のように連鎖的に描かれ、その壁は部屋の中央の小さなテーブルに置かれた燭台の光に照らされていた。テーブルの向こうには背もたれに細工が施された五脚の椅子が並べられ、その椅子にはこちらを見るとなしに顔を向ける五人の若い女性が——人形が腰掛けていた。
「わかった、実寸大のドールハウスだな」
翠さんの言う通り、僕がイメージしたのは部屋に飾られた姉妹人形たちだった。いつか見たことのある高級球体関節人形の展示場と歴史か美術の教科書にあるような貴族の家族写真を合わせたものだった。
「我ながら、雰囲気はいいと思いますよ。木を隠すなら森の中、人形を閉じ込めるならドールハウスというかんじですかね」
「なるほどな、さてどんなもんかな…ってうぉっ」
その途端いきなり人形が立ち上がった。五人はてんでばらばらに動き出すとまるで日常生活をしているように歩き回り、ついには部屋から——結界から何食わぬ顔で立ち去ってしまった。
つまり逃げてしまった。
「行也、お前か?」
翠さんから名指しされた行也は罰の悪そうな照れを浮かべていた。「何かしたの?」と尋ねると取り繕うように言った。
「いや、ほんとに生きてる感じだったんで、実際にこの部屋の向こうで彼女たちが暮らしているのかな、なんて考えてただけで…」
「それだな。部屋も人形もクオリティーがちょっと高すぎたな。不気味の谷を渡り切って、ジオラマが本物になってしまった」
ただの即物を超えてしまい想像の余地という穴が生じてしまったということか。だったら今度は逆を行ってみよう。自分の思わぬ家造りの才能を脇に置くことがちょっと残念であったが、次はシンプルにいこう。再び目を閉じて心に念じる。といっても今回は至ってシンプルだ。その分骨組みの一本一本に集中して具体化させていく。
目を開けるとそこはだだっ広い空間。そこに一つの鉄の檻があり、中に人形が閉じ込められている。どこからどう見てもただの檻。鍵もない。ただの鉄格子。疑問の余地の無いほどのシンプルさ故、これを崩すことは難しいだろう。
「行也、どうだ」
翠さんが面白がる。今の所、行也本人は魔術の勉強というより僕の相手役といえる。行也がちょっと考え込むと、檻がぐにんと曲がった。一瞬目眩がしたのかと思ったが、そうでなく実際に空間が歪んでいく。平衡感覚に支障をきたし足を突っ張ろうとしていると、いつの間にか頭上から檻が僕自身を覆ってきた。慌てて後ろを振り向くと罠にはまったように後ろからも檻が迫っていた。
やがて檻は僕を囲み、人形と他二人が檻で囲われる僕を動物園の珍獣のように眺めていた。
「檻で囲うって、囲われた相手はこっちに手出しできないけど、そのせいでこっちも簡単には手出しできなくなる気がしたんだ。ある意味どっちも相手から隔離されてるなら、相手から見ればこっちを閉じ込めているのと変わらないんじゃないかなって」
そういう戦争プロパガンダの絵を見たことがあった気がする。敵に包囲された島の我々も、見方によっては地球を裏返すようにして全世界を包囲しているのだと旭日旗を振り回して戦意高揚を煽っていた。しかし檻でもダメならどうしたものか。深海の中はどうかと考えたが、人形のあの美しさがつい人魚に思えた。その時点で勝ち目が薄い気がした。
いや、場所でなく人形を中心として考えてみよう。相手の力を吸い取り、相手自身になる存在。そんな存在がおとなしく永劫に変化のない状況に陥る方法——
それなら、とまた目を閉じる。シンプルさでいえば檻と大差無いが、檻には捉えるものと捉えられるものという差があった。そんな差さえ生じない状況はどうだろうか。
目を開けるとそこには無数の人形がいた。しかし本物ではないただの像、鏡の像だった。鏡の世界、永遠に続く合わせ鏡の世界。人形が腕を上げれば鏡の像も腕を上げ、人形が笛を鳴らせば鏡の像も笛を鳴らす。
「これはどうでしょう。奴は相手との差異を吸収しますがここではその相手は全て自分自身。自分のやったことは一挙手一投足、全部相手もやる。成長も変化もできない空間です」
「悪くはないかもな。これをベースとして……」
翠さんが言いかける中、人形の下に何かが広がっていった。見るとそれは銀色の水たまり、水銀だった。水銀は人形は目から、唇からも水銀を漏らし服を伝い足を伝い周囲に水銀を放出していた。あの燃えた人形を思い出して思わず身構えた。
しかしこれは行也がやっていることだった。「ちょっと試したいことがあって」と言うので僕と翠さんは顔を見合わせ成り行きを見守ることにした。
すぐに人形から水銀の流出が止まると、床に広がった水銀が波打ち形を変えた。水銀はカップの縁のように人形を囲むように盛り上がると足、腹、胸と覆っていく。そその時、あれ、と気付いた。人形が足先から順に鏡の国から消えていっている。
いや、人形の下半身が無くなったのではない。水銀が体を覆う鏡となって、鏡の世界の景色を反射しているのだ。水銀の鏡が鏡を反射してしまい、人形の胸から下の存在は鏡の世界から見えなくなってしまった。そして遂に水銀が頭まで覆うと、ついには目に見えるすべてが鏡となって、人形は鏡の世界から消え去ってしまった。その途端、人形の存在が結界からぷつりと消えてしまった感覚があった。
「鏡の世界から消し去って、結界から脱出させてしまったのか」
翠さんが呆れたように言う。僕もせっかくの包囲網をすり抜けられてしまい思わずため息をついた。行也の顔には褒めてくれるのを期待していたように勝ち誇った表情が浮かんでいた。しかしながら今更ながらそういえばこれは対人形作戦の立案なのだから、あまり失敗が続いても良くないのだなと悟ったようで申し訳無さそうな表情が急拡大する。
「……ちょっとやりすぎたかも」
「いや、むしろありがたい。大きな欠点を一つ潰せたんだから」
深呼吸をひとつして気を取り直した翠はちょっと皮肉っぽく笑った。
「なるほどな。お前は結界を壊すことに関しては向いてそうだな。想像力があると言えばいいのか……あの人形が手を焼いたのが、分かるよ」
どうりで城の裏口や式場の隠れスペースにも気付いたはずだ。行也は顔をかきながら喜んでいいのかどうか微妙な表情を浮かべている。
「言ったことができないとか、余計なことをするなとか怒られてたから…お世辞でもこんなことで褒められたのは初めてだ」
彼の苦笑いにつられ、僕も笑ってしまう。所変われば品変わるというか、予想通りこことあの城の教育方針は正反対だ。
心地よい脱力感の波も引いていくと、また気を引き締めてかかる。僕らが時間をかければ奴もそれだけ時間をかける。その分、誰かが犠牲になる可能性は高まる。それまでに術を見つけなければならない。
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