人形の夢 (ニ)

 城の壁から出てきた謎の少年。聞きたいことは山のようにあったが何よりもまずは彼の治療が全てだった。城からの帰路、カーエアコンをガンガンにつけて車が濡れるのも構わず自販機の水をその体にかけた。意識が朦朧としていて水を飲ませようとすると窒息しかねなかったが、幸いと言うべきかこういう危険なことをやっているせいで車にはちょっとした救急セットがあり、多くはないといえ点滴もあった。事務所に着いた時には息も少しは落ち着いていた。山は越えただろう。しばらく寝かせていても問題はなさそうだ。

 丁度その時事務所の呼び鈴が鳴った。たぶん、翠さんが呼んでおいたというコンビだろう。翠さんが彼らを迎えに出て行った。

 

 現れたのはあまりにも珍妙な二人組。一人は立ち上がったヒグマのような巨漢で、時代が違えば身の丈八尺、一騎当千の豪傑と言われていたに違いない。そして何も喋らない。もう一人は小太りの小男で、これがまたよく喋る。口から先に生まれてきたというより、口に身体がくっついている。「人間の発生プロセス上、口だけで産まれることができなかったんです」なんて言ってジョークの種にしているのだろう。あまりにもアンバランスすぎる二人組。

 なんでも、小男の方は自称古物商で奇妙なものと聞けばありとあらゆる物を蒐集するのが生き甲斐らしい。そして無口な大男の方は人形師といって、そのフランクフルトのように太くて長い指を使い、木工から金工まであらゆる作品を作り上げるのだという。

 そして翠さんはその二人の「お得意さん」で、彼女の使う実験道具や魔笛さえも彼らが手配したり、作ったりしていたのだ。

「ほぉ、これはこれは…![#「!」は縦中横]なんっと素晴らしい…![#「!」は縦中横]」

 あの古物商の小男が感嘆この上ないといった声を上げた。人形師の大男の目にさえうっすらと涙が滲んでいるようだった。二人が食い入るように見つめる先には人形の残骸があった。戦士との切り合いの傷や笛による焼け焦げとは別に、中身を見るために綺麗にぱかっと切り開かれた部分があった。背に開けられた穴から人形の胴には大きなゼンマイと、あの水銀が蓄えられていたらしい金属容器が見えた。容器の継ぎ手がへし折れていたことから、人形は最期にこの容器を壊して水銀を放出したようた。

「いやぁ、素晴らしい!精密技巧の極致と言うべきですな!」

 古物商の喜びは尽きることがない。そしてその口は人形師の言葉も代弁していた。人形の中ではピアノ線が張り巡らされ、線をほんの少し動かすとそれに対応した関節が動いた。茶運び人形の絡繰からくりは見たことがあるが、この人形は中身は絡繰芸術の至高なのは間違いない。

「元はマリオネットなのでしょう。それぞれの関節を動かす線の起点が背に集約されていますから、その紐をうまく引っ張ると腕が動くといったぐあいで。それとこの構造なら一本の線にかかる力は小さくても、多数の線が一個の関節に干渉しあって大きな力を出せるという利点があるようですな。ちょうど人間の腱のように」

 巨人と小人は嬉しそうに人形を見ていたが、人形の腕の中を見た彼らは首を傾げた。何かよく分からない点があるようだ。見ると前腕の内側と外側に一本ずつ表面近くに琴線が張られていた。線はそれぞれ肘近くの仕掛けで管のようなものに接続され、二本の管は背まで伸びていた。その二本の管の先は背中の一つの仕掛けで合流していて、胴の大きなゼンマイに由来する線もその仕掛けに繋がっていた。仕掛けの先には小さなシーソーのようなものがついていて、シーソーのそれぞれの端に腕の内側と外側の関節を動かす線がそれぞれ噛まされていた。

「しかしこれは何かな?ふむぅ関節とは違いそうだ……それに管があるぞ。おや、この線の真ん中を覆う腕の外殻はボタンのようにここだけ沈むぞ」

 そう言ってぎりぎり焼け残った腕の一部を押すと、凹んだ場所がちょうど謎の線に押しつけられた。線がたわむと肘の仕掛けも連動して動き、その力が管まで伝達された。

「何々?力が加わると動いたから受動?すると……あぁ、なるほど!」

 一つの口で自分と人形師の二つの独り言を呟く古物商は何かに気づいたようだった。

「何かあったのか?」

 翠さんが尋ねると、古物商は覚えたての知識を使ってみたい子供のように顔を輝かせた。

「この腕の仕掛け、どうやら反射機構みたいですね!」

「反射機構?熱いものに触れたら手を離すような?」

 理科の授業で習ったあれだろうかと思い出しながら僕が尋ねた。

「ええ、それですそれです。熱や痛みを感じたら脊髄反射で手を引っ込めるようなアレです。これの場合腕が叩かれたり物がぶつかったりすると、その腕を引っ込めるようですな。さて、この管ですがここに水銀が満たされていたようで……」

 古物商がそう言うと人形師が壊れた継手を取り去って、代わりに手持ちの部品を差し込んで補修した。この手の常というか水銀は瓶で常備してあったため、気泡が入らないように注意しながら水銀を容器と菅に注ぎ入れた。人形師が頷き、修理完了のオーケーを出した。

 古物商が前腕の外側の琴線をぐいと押した。するとたわんだ琴線が肘の仕掛けを動かしたようだった。そして管を辿っていくとシーソーが一方に傾いた。傾いたシーソーが腕を動かす数本の線に干渉して、腕を内側に曲げるための線が引っ張られ、反対に外側用の線が緩んだ。

 そしてゼンマイの補助動力で腕が動き出した。腕は琴線を押す古物商の指を避けようとするように、ひとりでに内側へと曲がった。その生きているような滑らかな危機回避の動きに、思わず背中がぞくりとした。

「あの管は油圧制御のパイプでしょうな。丁度、高級自転車の油圧ブレーキみたいに。と言ってもこれが作られた当時は一般ではなかったでしょうがね。腕が動くから受動部品で線をピンと張って動力を伝えることは難しかったのかもしれません」

「刺激に応じて内と外の筋の一方を曲げ他方を伸ばすのは、実際、生物のそれにも似ていますな。ただ精巧なマリオネットを作るだけでなく、原初的な生物の自己防衛機構をも作るとは!いやはやこの人形は内側まで人間にそっくりだ!」

 古物商が高らかに人形を褒め称えた。その横で腕を組んでいた翠さんが口を開いた。

「おそらく元は油だったんだろう。それを、一連の事件を起こした奴が儀式のために取っ替えたんだろうな」

 塩、水銀、硫黄。完璧なるものを求める錬金術。目の前の人形の解剖に集中していた意識に、再びあの奇怪な祭壇が首をもたげる。人形に流れる銀色の血。己の目的のためならば身体の内までも侵食することを厭わない者がいる。内なる魂すらも。

 そして、何よりも人形のその表面——

「木製の人形に、人の皮を被せていますな」

 足先など火から逃れたわずに残った白い肌を見ながら、古物商はその異様な事実を何食わぬ顔で言った。少年の話に出てきた。この皮が誰のものか突き止めるのは困難だろう。

 そしてこの人形の体は別の可能性を暗示してもいた。

「この人形をもう一度作る気になれば——複製、、する《、、》ことはできますか」

 古物商は僕の疑問に眉を上げると、尋ねるように隣の人形師の方を向いてから答えた。

「この技巧の数々は非常に手の込んだものです。ただ、できるでしょうな。現にこの通り完成品が一つ有るんですから」

 翠さんは僕の意を得たようだった。

「人形が蘇る。それも、人を食い物にして」

 顔の無い男、黒い蝶、そしてこの人形。あまりに不気味、あまりに残酷な者の影に迫っている。

「またあそこに行って、やるべきことがあるな」

 

 それじゃあ終わりにしよう、と言って解散し実験室を出ると、そこにはあの少年が立っていた。僕らの姿、そしてその後ろの人形の残骸を見て目を丸くした。

「ああ、気がついたんだ。大丈夫?もっと横になってた方がいいと思うけど…」

 少年は「ここは……?[#「?」は縦中横]」と立ちすくんだ。

 

「俺は……行也」

 少年は一瞬こちらをちらりと向いたが、目を合わせると避けるようにすぐに下を向いた。まだ熱中症から回復しきってもいないだろうし、彼にしてみれば朦朧とした意識の中で見知らぬ場所で知らない男女に看病されていたのだから戸惑って当然だ。しかもその二人が魔女とそのバイト兼見習いという怪しさ満点の存在なのだから。

 とはいえ心を閉ざしているわけではなさそうだ。むしろ何かを伝えようとしているように思えたから、できる限り彼が安心して話せるような空気を醸成しようとした。どう頑張れば良いのかもよく分からなかったが、その甲斐あってか彼がぽつりぽつりとつぶやいた。

「君は、なんであの結婚式場にいたの?」

「……ずっと、ずっとあそこにいた」

 たまたま夏休みの冒険で迷い込んだというわけでは無さそうだ。監禁されていたのだろうか。

「どのくらいかわかる?一週間、一ヶ月……もっと?」

「……ずっと、ずっと昔から…たぶん何年も。でも、最初は、その、普通…の家にいた」

 何年も。言葉を失った。嘘をついているようには見えなかった。

「じゃあ、ご両親について何か覚えてないかな」

「わかんない。覚えてない。あの城に来たのはたしか……幼稚園くらいの頃だから。でも、」

 少年は顔を曇らせた。薄れた過去を懸命に思い出しているというより、何かを恐れているようだった。

「……いっつも怒られてた気がする。なんでできないんだ、いなくなればいいって。そしたらある日、男の人が来て、気づいたらあそこにいて、ずっと暮らしててあの人形、俺らはママって呼んでたのに育てられた」

 翠さんと顔を見合わせる。この子は幼少の頃に「男の人」に攫われた。そしてあくまで彼の話を信じるなら、この子はそれまで親から虐待を受けていたのかもしれない。とすると誘拐の発覚を避けるため子供がいなくなることを望む親を狙って攫っていったのだろうか。そしてその男は状況を考えるに、僕らが追っている者かもしれない。

「そこに、他に誰か別の人はいなかったかな」

「今は俺以外に三人いた。知ってる範囲で。みんな俺より年下のはず。…そうだ、あいつら…あぁ、いや…」

 そう歯切れ悪そうに言う彼の顔に苦悩が浮かんでいた。

 まだあそこに人が残っているのか。それに知らない領域もあるのだろうか。驚いて聞こうとしたがその前に「今は」という言葉に引っかかった。過去には行也も含む四人以外に誰かいたのだろうか。

「——お姉ちゃんと、それに俺と同い年くらいの奴がいた。ああ、お姉ちゃんは本当の姉じゃ無いけど。本を読んでくれたり、色んなことを教えてくれた」

 ふと懐かしむように顔をゆるめたが、束の間再び少年の顔が曇る。

「でも、突然いなくなった。もう五、六年くらいになるのかな。それとあいつ…男でタクっていったんだけど、あいつも三年前くらいにいなくなった」

「やっぱり、いなくなった理由は分からない?」

「うん…でも、いや、そんな……」

 少年が言葉に詰まった。その逡巡がひしひしと伝わる。

「何でもいいよ。どんなことでも。どんなに突拍子がなくても」

 そう促してもしばらくその逡巡は続いていたが、やがておずおずと呟いた。

「あの人形から、いつもお姉ちゃんの気配がした気がする。何というか——ひどく表面的、、、な《、》気配がすごく似ていた気がする」

 もしや、と思い至る。あの人形の表皮はまさか……僕は彼に悟られないよう、心の中で首を振る。少なくとも彼の前で口にすることは憚られた。

 もし本当に人形が復活できるのだとしたら、それも生贄を必要とするのであれば、事態は一刻を争う。どれだけの時間がかかるか分からない以上、猶予は無いと考えるべきだろう。

 あの城に戻って、他の子供たちを助け出す必要がある。

 部屋から出て準備をしようとすると、それを察したように行也が切り出した。

「——また、あそこに行くの?」

「……うん、君と一緒に暮らしていた子たちも連れてくる必要があるから」

 しかし彼らを保護すべきその最大の理由は彼には言えなかった。

「あの人形……やっぱりお姉ちゃんだったんでしょ」

 言葉に詰まった。彼は分かっている。あの人形は人の皮を、人の命を糧として造られている。無論僕たちは彼女のことを知らないから個人の特定はできない。しかし彼はしっかりと感じていた。もうその女性はこの世界におらず、あまつさえ人形に一部となったことに。

「君は…知っていたんだね。そのママが人形だということを」

 行也が頷いた。

「しょっちゅうママの目を盗んでは城の中で隠れんぼとかしてたんだ。その時地下で見つけたんだ。その部屋の箱の中でママが眠ってて、そのまわりにママと同じような姿の木の人形が幾つもあった。俺が見た時は表面は確かに木だった。けれど形はママと全部同じで、表面だけが最後の仕上げを待っているように感じた。その時分かったんだ。ママはこの木の人形にお姉ちゃんの皮を被せたんだって」

「それに……そこで眠ってたママが、なんとなくいつもと雰囲気が違う気がした。印象が違うっていうか、似ているけど別物、、っていう感じで、むしろタクに似ている気がしたんだ」

 行也は理解した。消えた子供がどこにいくかに。

 そして、人形の魔の手が自分たちにも及んでいるということに。

 手が止まり、返す言葉を見つけられなかった。その沈黙をもって肯定してしまった。

「じゃあ案内するよ」

 こちらを見据えながら行也が宣言する。翠さんがそれを制した。

「気持ちはありがたいが、お前を連れて行くことはできない。分かっていると思うが、推測が正しいとしたら奴はお前を欲しがっている。みすみす奴にくれてやるようなものだ」

「多分、それは違うと思う——僕は棄てられた、、、、、から」

「……棄てられた?」

 思わぬ言葉に聞き返すと彼は僕たちと会うまでの経緯を話した。その顔には影が差しているようだった。

 僕たちがあの城に乗り込んだ日、彼が式場に隠れていたのは城から逃げるためだった。

「僕は出来が悪くていつも注意されていた。それまでは皆と一緒に暮らしてたんだけど、少し前から一人にさせられた。誰からも何も言われず、ただ生かされているだけみたいな。その時言われたんだ。『お前は不合格だ』って。……もしかすると、その“合格”したら、あの人形にされるんじゃって思った」

 人形には何かしらの選別基準があるのかもしれない。とすると子供たちを養っているのは彼らを自分の好み通りになるよう作り上げる、、、、、のが目的といえる。落伍者は…たぶん、すぐに殺されることはないのだろう。実験か何かのために生かしておくのかもしれない。

 自分のそんな考えにも暗澹たる思いがした。

「ここにいちゃいけない、そう思って逃げ出した。けれどすぐに、外に出ることもできないうちに見つかりそうになった。だからあそこ壁の裏に隠れてた。いつか気になって試してみて、あの壁が外せることは知ってたから」

 最後の最後に持ち前の、悪さの原因である好奇心に救われたということだった。

 思わず彼の武勇伝を聞いてしまっていたが、問題はあの城に彼が乗り込むかどうかということだ。彼の話では、良くも悪くも人形はもはや彼の命がどうなろうと気にもしていない。

「君自身が危険なことには変わりない」

 そう言って思い留まらせようとする。しかし付いて行ったところで奴を利することにはならないから大丈夫だ、という言質を暗に得たせいか、彼は真剣な顔で言った。

「……俺に出来るのは、あいつらを助けてやることぐらいだ。こんなんでも、せめて、あいつらだけでも守ってやりたい」

 頬骨が微かに浮き出た顔は、奥歯を噛み締めているためだった。血は繋がっていなくとも、何年もの時間をともに過ごした行也と子供たちは本当の家族だった。そして彼は家族のためにあの恐ろしい場所に戻る決心をしていた。翠さんが明からさまにため息をついた。

 やるんなら、どうなっても文句は言うなよ、ここまで分かりやすいため息もなかなかないだろう。どこにそんな力があったのか、行也もベッドから跳ね起きた。

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