黒い蝶 (八)

 事務所のテーブルには夕飯のカルボナーラや牛カルビ丼が並んでいる。それを囲むのは僕と翠さんの二人。久しぶりの二人での夕食だった。三人目の姿、岡田京子はもうここにはいない。

 彼女はここ半月ずっと事務所に居候だったが、引き伸ばしに伸ばしてきた親戚との面会もそろそろ限界だったので、何かあっても対処しやすいよう最も距離的に近い親戚の家へ帰した。慎重に見たかぎり、彼女自身に蝶の影響はないから人に会うぶんには何も問題はない。しかし彼女がもつ力が周囲に影響するかもしれない。それを考えると、これからも翠さんのもとで力を制御する術を学ぶ必要があるだろう。とはいえ彼女と定期的に会えるというのは、お互いにとって良いことかもしれない。

「彼女、大丈夫でしょうか」

 コンビニ産のカルボナーラをフォークに所在なげに絡める。言ってから、そんなことを聞いても何もわからないし、それを聞く翠さんだって頭が痛くなるだけだと思い悪い気がした。

「……どうだろうな、まあ、今のところはよっぽどおかしな、、、、ものに触れないかぎり大丈夫だとは思うが……いや、ううむ、何事も確証はな……」

 やはり悪いことを聞いてしまった。彼女も一度助けた京子が再び巻き込まれてしまったことを悔やんでいるようだ。ここ最近、自分はせめて人間らしく他人を気遣おうと心がけようとしているが、つい自分の心配が口をついてしまう。バイト兼見習い失格だ。

 とはいえ「おかしなもの」という言葉が気にかかった。

 あの千年にわたり呪いを閉じ込めてきた黒百合。そして振り返れば古びた『ゴドーを待ちながら』の本。そしてそれらはどうも誰かが意図的に仕掛けたものの気がしてならなかった。

 誰が、何故に?そして次があるのか?

 

 翠も同じことを考えていた。

 二つの事件を裏で仕組んだ者がいるかもしれない。その目的は——

 二つの事件を思い返す。妙に頭に残るイメージがあった。

 顔の無い男の牢、そして少女たちの劇のような異空間。あの男が言っていた。ここは人間が腐る場所だと。そこに集められた多くの少女たち。腐りつつある場所で一つとなって演じさせ、理想の世界を追い求めた。永遠に繰り返す日々と、死と再生の劇。

 黒い蝶と目覚めた黒百合。その中心となったのが岡田京子。まるで顔の無い男の件が引き金となったかのように魔への才が目覚め、黒百合に宿っていた怨念を呼び起こしてしまった。その黒百合の復讐への恐るべき執念。肉体という枷から解き放たれたことで永劫のものとなった純なる魂。京子と少女。触れるものを金に変える腕のように、彼女の魂に触れるものは変容する。

 そして、その二つの事件の背後に妙な存在の影を感じた。

 それらがふと一つの思いつきでまとまる。牢という場所を用意して少女たちを試し、最高の魔の力を宿す少女、岡田京子を選び出す。選び出した京子にさらなる試練を与え、その力の宿った黒百合を摘み取る。

 腐る、多、死、一つ、高める、魂、純粋、永遠、触れる、変容……どこかで聞いたことがある。ふと、また思いつく。

「……お前、あの黒百合の少女の世界に出てきたカツセって武将か大名か知らないか?」

 そう言われて和朔はそういえば、と頷いた。

「勝瀬氏……たぶん何百年前に一時期ここらを支配していた武将です。といっても内乱とかで安定せず、ほとんど記録という記録もないまま戦国時代の露と消えたようですが」

「ここ一体?」

「ええ、街の南東に城址公園があるじゃないですか。あそこ、もとは勝瀬氏時代からの城だったそうです。まあ、昔学校の地域学習の一貫で調べただけの…」

「その城跡と聖アリンを結んで正三角形になる場所はあるか?」

 いきなり作図問題を出されて面食らう。とりあえず線を引きやすいようここの地図をプリントアウトする。久しぶりにコンパスを使うな、ぎりぎり針が届くなと思いながら、正三角形のもう一個の頂点を求める。

 東に城跡、西に聖アリンだから、北と南に一つずつ頂点の候補ができる。

「何がある?」

 そう言われて新しい頂点を眺める。まず南、こちらはただの山のど真ん中で何もなさそうだ。北はどうか。山に囲まれた街だからこちらも山の中腹で何もない——いや、何か建物のようなマークがある。しかし特に紹介はない。縮尺的に家にしてはずいぶん大きいから工場くらいはあるようだが……

 和朔がその場所の航空写真を見ると、ああ、そうか、と声を上げた。

「これ、“お城”ですよ」

「お城?ああ……あれか」

 それはこの街では有名な存在だった。高速道路の向こうに見える“お城”。外見は本当にお城そのもので、その実態は開業することなく棄てられた結婚式場だった。

「結婚式場……結婚……」

 翠がつぶやいた。結婚、異なる者たちが一つになる。

 腐敗、純粋、合一……

 断片と断片が結びついて一つのイメージとなる。その細部、行き着くところはわからない。しかしその大枠が、そしてそれに挑もうとしている者の姿が思い浮かんだ。

「大いなる業……錬金術師」

「れ、錬金術……?何かわかったんですか?」

「……まだただの思いつきだ。別に、思いつきだけで終わればいいんだが」

 その者が本当にいるのかは当然まだわからない。しかしもしそれがいるとしたら、それはあまりにも遠大で、妄想のような、そして恐ろしいことをしようとしている。いや、している。

「そのためにも、明日は城にドライブだ」

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