233.怒りの対象は自分

「さすがにこの時間は……もう誰もインしてないか」


 すっかり寝静まったのか、クビキリギスの鳴き声も聞こえなくなった夜の世界。

 今日という非常に濃密な一日を終えた俺がフリーになるのは、日が変わる直前だった。

 あと十数分経てば日付も変わり新しい"今日"がやってくる。そんな夜更けに今日もいつものようにパソコンに向かってゲームを起動していた。

 どれだけ忙しくとも日課であり趣味のゲームはやめられない。隣の雪も眠りについてすっかり静かになったアパートで、いつものようにログインする。


 若葉や麻由加さんたちのうち誰かいるだろうか。そう思ってフレンドリストをザッと眺めてみるも顔見知りの人は揃って名前欄が消灯していた。

 普段ならばまだダラダラとしていそうな時間でも俺みたいにログインする稀有な人はいないみたいだ。

 久々の学校だったし、さすがにみんな疲れたのだろう。俺もそんな長居するつもりはないし、日課だけやって早いとこ休まないと――――


『――――セリアさんっ!!』


 寝ぼけ眼を擦りながらボーッと動き出そうとしたその時だった。


 人とは不意を突かれた時は些細な物事でも驚いてしまう。例えば死角から声を掛けられただけでも、たかがそれだけでも肩は大きく震え心臓が口から飛び出してしまいそうになることだってあるのだ。

 まさしく今の俺はそんな状態だった。誰も居ないという油断、そして寝ぼけ状態。半分以上落ちていたその時、突然ピコン!と鳴る電子音に思わず驚きの声を挙げてしまう。


「うわぁっ!!」


 不意を突くような突然の音に思わず口から出てしまう叫び声。


 びっくりしたぁ……

 窓を開けてたら近隣住民から怒りの声がお届けになるかも知れない程の声。

 呆けていた分余計に驚いた。突然大声あげてしまったことで雪が怒りの乱入してくるかと思ったけど、耳を澄ます限り何とか見逃して貰えそうだ。


 危ない危ない、半分寝かけてた。

 そういえばコーヒーがあったなと机に置いていた缶をプシュッと開けつつ、誰からのチャットかと画面に目を向ければ見覚えのある名前が表示されている。


『ヒナタさんだったか。こんばんわ』

『はいっ!こんばんわ!今日もご一緒してよろしいですか!?』


 俺がボーッとしている間に彼女もログインしていたようだ。

 元気なチャットとともに間もなく聞こえるボイスチャットの着信音。

 半分寝ながら操作しかけていたし、話しながらだったら寝落ちすることもないだろう。いつの間にか現れていた眼の前でジャンプし続ける彼女に適当な返事を返しつつ、応答ボタンをクリックする。


『こんばんわ。今日もログインしてたんだね』

『こんばんわ!ホントはもうちょっと早くログインしたかったのですが、色々とリアルが忙しくって……』

『春はみんな忙しいよね。俺も久しぶりの学校で疲れたよ……』


 ふわぁ……。

 と、思わず欠伸が出てしまう。

 ホントに今日は疲れてしまった。ゲームするのに支障はないけれど集中力はボロボロだ。あまり高難易度のところは悪いが断らせてもらおう。


『ふふっ。お疲れ様です。それでしたらどうです?今日はダンジョンに行かずにお喋りでも』

『ごめんね。それだと有り難いかな』

『いえ。私も学校で色々あって疲れていましたから。きっとダンジョンへ行ったら以前のように暴走してしまうかも知れません』


 アハハ……。と笑って見せる彼女にそんなことあったっけなと思い返す。


 暴走……あぁ、蜘蛛に驚いて敵を引き連れまくった件のことか。

 あの事件から一週間ほど。以降も何度か遊んできたが同じようなミスはしてこなかった。今はどんどん教えを吸収して立派な弓兵へと仕上がっていた。

 レベルはまだまだだが、ダンジョンの立ち回りはベテランと遜色ないもの。このままカンストすればアフリマン討伐だって夢ではないだろう。

 ゲームでのオシャレも覚えて立派に満喫しているようだ。

 そんなセーラー服姿の彼女に引かれるままに町を闊歩し、たどり着いた人通りの少ないベンチに揃って腰掛ける。


『ヒナタさんも学生さんだったんだね』

『……といっても学校に行くのは随分久しぶりですけどね。知ってました?私って帰国子女なんですよ?』

『へぇ……。帰国子女』

『はい!例えば――――』


 得意げに堪能な英語を披露するヒナタさんに全く理解できない俺は、から笑いで何とか誤魔化す。

 すまない、英語はからきしなんだ。ゲームのカタカナ用語なら何の苦もなく覚えられるけど、英単語になった時点で宇宙語に聞こえる。


『ところでセリアさん、先程疲れたと仰ってましたけど、学校でなにかあったんですか?』

『そうだね。まぁ……うん。本当に色々と、あったよ』

『色々』


 思い返すのは今日のこと。

 始業式から始まって転校生若葉の突発握手会。その彼女の父親と出会って連れて行かれた焼き肉。その後も実家に行ってウチの母さんと麻央さんとの挨拶会が開かれたりと、インドアな俺からしたら体力が底を突き抜けてマイナスになるほどだった。


 詳細を聞こうと首を傾げるヒナタさん。

 色々ありはしたが、詳細は話すわけにはいかない。彼女を信頼していないわけではない。しかし人の口に戸は立てられぬ。なにかの拍子に何が広がるかわからない。ロワゾブルーの面々が勢揃いしているだなんてさすがに言えない。

 だからといって何も話さないわけにはいかないだろう。なにか……なにか冗談も交えそうな適当なエピソードは――――


『――――ジュース、ぶつけられたな』

『えぇ!?』

『……あっ』


 なにか適当な出来事でもと、ロワゾブルーの名前を出さないよう適当にピックアップしたエピソードは、ヒナタさんを驚きに包むには十分すぎるものだった。

 俺が寝ぼけていたのも災いしたのだろう。自ら無意識に言った言葉に後になって「しまった」と口を覆う。


『ジュースを!?どうして!?』

『い、いや、たいしたことないよ!買ってきてくれたジュースを思い切り投げつけられただけだから。溢れてもないし、そもそも俺が悪いんだし』


 そう、俺が悪い。

 色々と誤解があったとはいえ、もとはといえば俺の優柔不断ぶりが原因なのだ。だから投げつけられたことに怒りなんてない。


 しかし彼女の受け止めは違ったようで、しばらくの静寂の後ポツリと問いかけてくる。


『…………虐められているんですか?』

『イジメ!?ううん、そんなこと無いから!謝ってもらったし!』

『でも、そうでもないと故意に物を投げつけるだなんて……!!』


 そうなんだけど……そうなんだけど!!

 あの時の葵さんは悪くない。一応謝ってもらったし、でもどう落ち着かせればいいか……。


『――――るせません』

『えっ?』

『―――許せません!こんなに優しくしてくれるセリアさんに投げつけるだなんて!!いくらセリアさんが許しても私が許しません!!』

『ヒナタさん……」


 ヘッドホンの奥から聞こえる彼女の憤慨する声に思わず胸の奥が熱くなる。

 そう言ってくれて俺も嬉しい。でも本当に気にしないでほしい。こんな話題をピックアップしたのも悪いんだけども。


『……私、決めました』

『へっ?』

『私、セリアさんの学校に行ってその人に一言文句言ってやります!セリアさん、通ってる学校教えて下さい!!』

『ちょっ………!?』


 突然何を言い出すのこの人は!?

 憤慨する彼女を見て嬉しいと思っていたら、唐突に飛び出してくる爆弾発言。


『まってまって!そこまでしなくていいから!気持ちだけで嬉しいから!!』

『いいえ!私が納得いきません!! 何なら始発に乗って明日にでも向かいますので教えて下さい!さぁ!!』


 ガタリと席を立ったのかヘッドホンの奥から椅子の崩れる音が聞こえてくる。

 深夜テンション真っ只中のように一人興奮するヒナタさん。彼女が落ち着いて根掘り葉掘りの質問攻めに身元がバレない程度の説明で躱し切る頃には、朝焼けが薄っすらと顔を出してしまうのであった。

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