232.肉と煙と乱入者

 ――――一体これはどういう状況なのだろう。


 モクモクと立ち上る白い煙。その発生源である炭と網と、いくつかの肉。

 肉を器用にさばいているのは元大人気アイドル、若葉の父であり、自身も有名俳優である水瀬みなせ 麻央まおさん。

 そんな超有名人とともに何故か肉を囲んでいる。


 肉は美味しい。…………たぶん。

 困惑と緊張のせいで味がよくわからないが、このお店は俺も初めて入った町一番の焼肉店。きっと美味しいのだろう。


 そんな焼き肉店に何故か男ふたりきり。

 娘である若葉も一緒かと思いきや、車を運転してくれた彼は女性陣をアパートに降ろして俺だけ連れて来られてしまったのだ。

 一体なにが目的なのだろう。チラリと顔を上げても彼はジッと肉を見ており言葉を発する気配がない。


「あ、あのっ!!」


 人は未知のものに恐怖を抱くというもの。

 目的もわからず段々と焦燥感が募っていった俺は意を決して彼に言葉を投げつける。


「…………」


 そんな彼だがチラリとこちらを見上げるのみでまだ言葉を発する様子はない。

 しかしこちらを見たということは聞く気があるということだ。僅かながら見えた希望に引き下がることなく言葉を続けていく。


「水瀬っ……!さんは、なんで俺をここに連れてきてくれたんですか!?もしかして聞きたいことがあるんですか!?」


 力が入りすぎて思わず叫ぶような聞き方になってしまったが、その時初めて彼の瞳が揺れた。

 肉を動かしていた手が止まり、俺に向けていた視線が少しそれて虚空を見る。もしかして返す言葉を待っているのだろうか。彼の言葉を期待して次を待つ。


「………………」

「っ…………!」


 グッと、こちらから畳み掛けそうになるのをジッと堪える。

 きっとこれは持久戦だ。たとえるなら……そう、勇者として剣を構えた相手の出方を探るような。こちらも剣を構えてふとしたきっかけで同時に動くような、そんな持久戦。

 すると、ほんの少し逡巡する様子を見せた彼がゆっくりとだが口を開きかけた。一体なにが目的か。どうしたいのか。その真意を探るために耳を傾ける。


「…………わ―――」

「やっほ~!二人とも、仲良くお肉食べてる~!?」


 ――――開きかけたその口が、言葉を最後まで紡ぐことは叶わなかった。

 何らかの一文字目を発した瞬間、まるで待ってましたと言わんばかりのタイミングで勢いよく扉が開き、何者かの楽しげな声が俺達に語りかける。


「しゃ……社長さん!?」

「やっ!少年。元気してたかい?お肉食べてるって聞いて乱入しに来たよ!」


 突然の乱入者。それは社長さんこと神鳥かんどり 恵那えなさん。

 彼女は「詰めて詰めて!」と俺を席の奥に押し込んで隣に座り込む。


「…………」

「やだなぁ麻央さん。邪魔されたからってそんなに睨まないでよ~!」

「…………」

「えぇ~。だってどうせ彼に何も言えなかったんでしょ?なら私が間に入ろうっていう親切心で来たっていうのに~。あ、私の分も麻央さんの奢りでお願いね」


 口を開くことなくジッと社長さんを見ている彼と、話が聞こえているのか返事?をする社長さん。

 もしかしたら彼は俺の感知ができない周波数で話しているのではなかろうか。

 

「しゃ、社長さんはどうしてここに……?」

「ん~?なんだか2人でお店行ったらしいって若葉ちゃんから聞いてね。陽紀君じゃ絶対会話に困るだろうからってことでやってきたんだ。すっごい無口で困ってたんじゃない?」

「え、えっと……それは……」


 はい!とっても困ってました!!

 なんて本人の前で言うことはできず、ついつい言葉を濁してしまう。

 しかし社長さんはそれを肯定だと認めたようで勢いよく背中を叩いて高笑いをする。


「あっはっは!遠慮なんてしなくていいよ!それもこれも口下手な麻央さんが悪いのだから!」

「…………」

「おっと睨まないでよ。怖いなぁ」


 無言で社長さんを見つめる彼だが睨んでるのかどうか俺には判断がつかない。

 しかし否定する気配も見せないから確かに二人の間では会話ができているようだ。


「二人はよく知った仲なんですか?」

「そうだね。娘の若葉ちゃんを預かってる身でもあるし、その前から仕事柄付き合いは多かったかな。麻央さんってば全然喋らないでしょ?役に入らないといつもこうだから気にしないで」


 確かに、俺の僅かな記憶にある彼の姿はしっかりと台詞を口にしていた。

 そもそも喋ることができないと今の世界やっていけないだろう。それが許されるのはチャップリンくらいなものだ。


「…………」

「あぁそうだね。陽紀君をここにつれてきた理由を話さないと」

「っ――――!!」


 ドクン!と心臓が高鳴る。

 どうして俺をここにつれてきたのか。考えられること……というか若葉絡み以外では考えられない。

 なら若葉の何に関係しているのか。以前母親である咲良さんは若葉を女優にしたがっていた。改めてその話かも知れない。もしかしたら彼女がこの町に居を構えた事事態許していないのかもしれない。


 次に社長さんが口を開くまで5秒も無かっただろう。しかし俺にはその5秒が1分にも感じられた。


「――――えっとね、麻央さんは君とご飯を食べたかったんだってさ」

「…………えっ?」


 どんな罵倒を受けるだろうか。そんな覚悟を持って放たれた言葉は俺の想像の逆方向を行く発言だった。

 あまりに信じられない言葉に思わず聞き返してしまう。


「だから、陽紀君と一緒にご飯食べたかったんだって。麻央さんは」

「…………」


 今度は俺が無言になってしまった。

 つまり文句を言うわけでもなく……食べること自体が目的だと?一体どうして?


「なんかねぇ……、前に若葉ちゃんと咲良さんと一緒に東京の家に泊まったでしょ?その時居合わせられなかったことが心残りだったんだって」


 まさかと思って彼へ顔を向けると、ゆっくりと一回だけ目を伏せた。

 おそらく肯定の合図。まさか本当にそれだけのために……?


「と、いうことでこれにて目的は達成したみたいだね!一緒にご飯食べようか!すみませ~ん!!」


 いまだ困惑する俺をよそに事態は解決だと言わんばかりの勢いで店員さんを呼びつける社長さん。

 俺は未だ自体を飲み込むことができず、ただされるがままに肉奉行を続ける彼の肉を受け取るのであった――――。




 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




「ん~!!食べた食べた! 麻央さん、ごちそうさまです!!」


 肉の匂いが僅かに漏れ出る店の外。

 辺りはすっかり暗くなって寒暖差の強い春特有の寒さに少しだけ身体を震わせながら俺達は夜風に当たっていた。


「美味しかったかい?陽紀君」

「は、はい、美味しかったです。麻央さんも奢って頂いてありがとうございます……」


 社長さんの言葉に頷いてみせたが、結局最後まで味がよくわからなかった。

 むしろ俺より彼女のほうが食べていたかもしれない。あの後特に込み入った話もすることなく、本当に食べるだけで終わってしまった。


 本当にこれで良かったのだろうか。彼の気を害してしまっていないだろうか。

 正解かどうかわからない瞬間ほど怖いものはない。喋らないからこそわからない不安に襲われながら社長さんのあとをついていく。


「――――陽紀……君」

「…………えっ?」


 どうすればよかったのか。自分の行いを振り返りながら歩き出そうとすると、ふと後方から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

 振り返ると店の前から動くことなくまっすぐこちらを見つめている彼の姿が。俺も振り返って互いに向き合う形となる。


「麻央……さん?」

「…………夕方、娘たちを守る姿は、素晴らしかった」


 小さく、言葉を途切れさせながらも話したのは夕方のことだった。

 きっと校門前、彼の正体を知らない状態で相対して俺が前に出たことを指しているのだろう。俺にとっては消し去りたい黒歴史を褒めてくれているのだ。

 

「…………これからも娘たちを、守ってやってくれ」

「それっ、て……」


 真っ直ぐこちらの目をみて言われた言葉。

 その言葉の真意に辿り着く前に、彼は俺の横を通り過ぎて社長さんの元まで歩いていってしまった。

 ポツンと一人立ち尽くす俺の姿。その横を冷たい風が一陣通り抜ける。


「陽紀く~ん!お肉が名残惜しい気持ちはわかるけど、早く来ないと置いてっちゃうぞ~!」

「えっ……あ、はい!!」


 理解しようとする脳内。結局俺が彼の言葉の意味を理解する前に社長さんの声が聞こえてくる。

 彼は何を思ってその言葉をくれたのだろう。きっと改めて聞いても答えてくれない。そんな確信がある。

 しかし決してさっきの言葉は悪いものではなかった。もしかしたら俺を認めてくれたのかもしれない。そうであったらいい。いや、きっとそうなのだろう。

 根拠なんて無い断言。願望からくるものだが、いずれ心からそう思えるように精進しようと、遠くで呼んでいる二人に笑顔で応え、夜空の下を駆けるのであった。

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