229.不審者


 まだ傾いた太陽が山に隠れるまで幾ばくかの時間が残された世界。陽の暖かな日差しを浴びながら出た外は心地の良い世界だった。

 放課後になって早々に出た為か、まだ道行く生徒たちはまばらにいる。そんな生徒たちのチラチラと向けられる視線を受けながらも極力気にしないよう努め、視線に気づいているかどうかすら怪しい若葉の引っ張りに身を委ねながら校門へ向かっていると、その直前で葵さんの姿を見つけることに成功する。


 校門へ続く曲がり角。

 曲がる直前に立つ彼女は俺達の接近に気づく気配はなく、背を向けて何やらまっすぐ一点を見つめていた。


「あっ!葵ちゃん待っててくれたんだ!…………って、どうしたの?」

「……二人とも来たのね。アレ、見て頂戴」

「アレって、車のこと?」


 俺達の接近に気づいた彼女が指をさすことなく視線で誘導したのは校門手前にピッタリと付けた一台の車だった。

 乗用車……にしては大きい。しかしマイクロバスには一歩劣る。10人くらい乗れそうなワゴン車だ。新学期だし業者かなにかが来たのかな?


「業者の車とかじゃないのか?」

「いえ、それだったら許可も得てるのだし普通学校に入ってくるでしょ。……何より車から視線を感じるのよね。探し人を見つけたとか、そういった感じの」

「………確かに」

「若葉まで?」


 俺には全然わからないが二人には何か感じるものがあるみたいだ。

 いやいやでも、まだ早計かもしれないだろう。


「普通に生徒の迎えとかじゃないか?仕事中とかだったら、あんな車でもおかしくないでしょ?」

「そうかもしれないわね。でも何ていうのかしら……経験上嫌な予感がするのよ」


 角から伺う姿は明らかに警戒している。

 嫌な予感とはまた漠然な……。

 しかし普段からアイドルとして人の視線を受けているかどうかの経験は侮れない。ただそうなると中々厄介なことに……


「でもどうするんだ?学校から出るには絶対あそこ通るし、居なくなるまで待つ?」

「え~!?陽紀君とデートは!?」

「ありませんそんなもの」


 そんなの今日一度も話題に出てこなかったでしょうに。


「ぶぅ~。 でも、嫌な予感がするのは確かだけど、きっと大丈夫だと思うよ」

「あら若葉、貴女がそう言うのは意外ね。どうして?」

「だって陽紀君がいるんだもん!何があっても助けてくれるから!!」


 いやいやいや。俺頼みか。

 俺も助けてやりたいところだけど理想と現実ってものがあってですね。


 色々と異議申し立てしようと口を開きかけたが、これまで警戒の色を示していた葵さんがフフッと小さく笑いだしたことに気づく。


「ま、その通りね。貴方が守ってくれるなら安心だわ」

「葵さんまで……」

「冗談よ。 でも周りには生徒もいるし、イザとなったら学校に逃げ込めばいいだけでしょ。さ、行きましょ」

「…………最悪、盾くらいにはなるよ」

「あら、勇敢ね」


 そりゃあ世界を救った勇者ですから。盾職じゃないけど。

 なんて冗談は置いておいて、二人の言う通りここは学校。最悪逃げればどうにかなるだろう。

 一応いつでも走れるように荷物を肩に抱え直して一歩前に出る。


「ほら若葉も。行くよ」

「あぁでも、ホントに暗くなるまで学校もありかも……。暗い学校、二人きりの教室、陽紀君と手を合わせて先生に見つからないよう隠れてて、見つかるかもっていうスリルと人目がない開放感から野獣になった陽紀君に――――」

「…………」


 置いていって、いいかなぁ?

 いつの間にやらシミュレーションから一転して妄想の世界にトリップしている若葉。

 ブツブツと笑みを浮かべながら呟く若葉を放っておきたくなったが、それはそれで置いていったら後が大変だ。


「ほら若葉、行くよ」

「えっ!?もう!?もう陽紀君野獣モード!?」

「帰宅モードだからね?」

「帰宅!?お家デートで野獣に!?」


 誰か助けて……。

 隣の葵さんに視線を向けたらそっぽ向かれた。

 もう仕方ないから若葉の手を引っ張って3人で校門へと歩いていく。



 近づくに連れてハッキリ見える大きな車。

 ここからは側面しか見えないが、暗くて内部をうかがい知ることができない。

 20メートル、10メートル。段々と校門までの距離が近くなるが、ハッキリと俺達が姿を表しても車に動きは見られない。


 やはりこれは思い過ごしか。

 音沙汰のない車を見て一つ安堵した俺は5メートルほどまで近づいたところで、ゆっくりと息を吐――――


「「っ――――!!!」」


 ここまで近づいても誰も現れない。

 きっと俺達の勘違いなのだろうと警戒を解こうとした、その時だった。

 校門を出て車の横を通り過ぎようとした瞬間、まるで待ち構えていたかのようにガチャリと車の扉が開く音に俺達は一気に体をこわばらせる。


 開いたのは助手席の扉。

 ちょうど俺達のすぐ側にあたる扉が開き、一人の人物が姿を表した。


「………たっか」


 ようやく現れたその姿を目にした俺は不意に声が出てしまう。

 ヌゥ……と、静かにくぐるように立ち上がったのはスーツ姿の男性だった。


 大きい…………。

 俺よりも遥かに大きい男性。

 立ち上がった人物は俺の目線が肩の位置になるほど長身の人物。180……いや、190近くはあるだろう。黒いスーツに身を包み、スポーツサングラスで目元を隠した人物は俺達をまっすぐに捉えている。


「なっ……なにか……?」

「…………」


 俺達が戸惑っている間に正面へたどり着く男性。

 身長190程の人が目の前に立たれると随分と迫力があるものだ。その顔を捉えるため自然と顎が上向いてしまう。サングラス越しの目はどこに向いているかわからない。


 二人に変わって発した俺の声は自然と震えてしまう。一方で男性は口を開くことすらしない。


「あ、葵さん……見覚えは?」


 チラリと横の彼女へ目を配ると小さく首を振るのが見える。

 葵さんは知らないみたいだ。若葉は……ダメだ。まだトリップから抜け出す気配がない。


 どうする……俺達の間に立ったってことは間違いなく目的は二人だ。

 不審者……?学校へ逃げ込むか?いやでも、既にここまで近づかれている。手を伸ばせば届く距離で逃げ切れるのか?それともダッシュで家に向かうか?もしくは警察か?


 頭の中に生まれたいくつもの選択肢。

 通常なら事前に決めていた学校へ逃げ込むのがベストだったのだろう。しかしいざ不審者を目の当たりにした俺の頭はパニックになっていた。

 どれが最もいい選択肢か。混乱した頭で思考がフリーズしてしまう。


「…………若、葉」

「っ――――!!」


 そんな俺のフリーズの隙を突くように、男は若葉の名を呼びながら腕をこちらに伸ばし始めた。


 狙いはやはり若葉だったか!!

 フリーズしたことが逆に正解だったかも知れない。逃げという選択肢がすべて吹っ飛んだ俺は、無意識で繋いでいた腕を引っ張り若葉を胸元に引き寄せる。


「ひゃっ!!は、陽紀君!?」

「アンタ……若葉が狙いか」

「…………」


 抱き寄せた時に若葉が驚きの声を上げるが気にしていられない。

 俺が必死に男を睨むも、男は伸ばした腕を宙で止めるだけで何も反応を見せない。


「葵さん、若葉を連れて学校に。先生呼んできて」

「えっ……。え、えぇ。分かったわ。若葉、早くこっちに!…………若葉?」


 葵さんも混乱していたのだろう。俺の言葉に少し間を置いて応えると、急いで若葉を連れて行こうとする。

 しかし何故か若葉は呼ばれても動こうとしない。


「若葉、早く葵さんといっしょに」

「…………」

「若葉?」


 今は何故か男が止まっているからいいが、早く若葉を引き離さないと何されるかわからない。

 それなのに動こうとしない彼女に段々と焦燥感が募っていく。早く……早くこの状況をどうにかしないと今度は本当に連れ去られるかも……!!


「ぁれ……もしかして……」

「若葉!早く葵さんと―――」

「―――待って陽紀君!!」


 無理やり若葉の肩を押して引き剥がそうとしたが、彼女の方から抱きついてきて離れることを許そうとしない。

 今はそういう時じゃないのに……!そんな焦りの最中、ふと見れば若葉は男の様子をマジマジと観察していることに気づく。


「……………やっぱり!間違いないよ!」

「っ!? もしかして知ってるのか!?」


 上から下までジロジロと。若葉の視線が上下に何度か行き来きすると、おもむろにそんな言葉が飛び出した。

 もしかして知り合いか!?そんな驚きとともに彼女を見る。


「うんっ!勿論! 知らないわけ無いよ!だって私のパパだもんっ!!」

「ぱ……ぱ…………?」


 若葉の口から出てきたのはそんな喜び混じりの声。

 彼女がまっすぐ見つめるは長身の男の姿。そっと、ゆっくり外して目元を見ると「やっぱり!」と嬉しそうな声を上げる。


 ぱぱ…………?

 ぱぱって一体…………何だ?

 胸の内で喜ぶ若葉をよそに、俺はその言葉の意味を理解するのに数十秒の時間を要したのであった。

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