226.フラットな関係

「なるほどねー。婚約者云々は誤解で、あくまでフラットな関係だと」

「違うよ葵ちゃん!私達は本当に――――ムグッ!!」

「はいはい、若葉ちゃんは黙ってましょうね~」


 若葉による爆弾投下からしばらくの後。

 俺達は目的の場所である食堂で粗方の説明を行っていた。


 紙パックのジュース片手に頬杖ついているのは今日転入してきた葵さん。

 あの時祖父母の住む田舎で出会った彼女が本当にウチの学校へとやってきたのだ。それも同じクラス、隣の席というおまけ付きで。

 彼女にある程度の事情……といっても家が近所という話だが、ジト目ながらもなんとか飲み込んでくれそうだ。

 あそこは人通りが少なくて本当によかった。誰かに聞かれてたら大変なことになっていただろう。


 そして葵さんの隣でモグモグと口を動かしているのは若葉。変なこと口走りそうだったから、なけなしの唐揚げ棒を突っ込んでみせる。 


「……フラットにしては随分と距離が近いわね。色々と」

「そうかなぁ?アハハ……」


 ペシペシペシ!

 口を動かしながらもそんな擬音とともに若葉は俺の腕をはたいてきて思わず乾いた笑いが出てしまう。

 それは抗議の意味も含まれているが、全然本気でないことからただただ甘えているだけの模様。……ホント、フラットって便利に使ってるけど実際どういう関係なんだろうね。


「でも貴女、この子がそこまで言うって相当よ。その自覚はあるの?」

「まぁ………うん。ある程度は」


 チラリと周りの目を気にした葵さんは声を落としながら聞いてくる。

 自覚とは好かれている点についてだろう。曖昧な返事ながらもしっかりと頷いた俺の姿を見て大きく嘆息し、口元に手を当てながら机越しに近づくよう手招きする。


「じゃあ、つまり……二人はその……付き合ってるってわけ?」

「うん!そう――――」

「違う違う。さっきフラットって言ったでしょ」


 同時に近づいていた若葉を押して変な誤解をなんとか訂正。

 危ない危ない。ここは食堂、さっきとは違って周りの目があるんだ。現に今も若葉目当てに遠巻きながらも多くの生徒がチラチラと様子を伺っているし。


 なんとか遮られたことで安堵したのも束の間、葵さんは不服顔だ。俺をまっすぐ見ながら眉間にシワを寄せていく。


「……私が言うのもなんだけど、貴女……どうしてそう簡単に拒否できるの?この子、バカで向こう見ずで馬鹿だけどいい子じゃない。どうして受け入れないの?」

「あ~!葵ちゃんバカって二回も言った~!」

「気のせいよ」


 ポスポスポス!

 今度は若葉の拳が葵さんへ。

 勿論葵さんも痛くなさそうで適当にいなしながらも視線はまっすぐ俺を見つめている。


「拒否というかなんというか、色々あってね」

「それは私には話せないこと?」

「少なくとも今、この場ではね」


 公衆の面前で好かれていて返事を待ってもらってます!

 ……だなんて軽々しく言えるか。耳に入った生徒に片っ端から八つ裂きにされるわ。

 少なくとも何か事情がある。そう捉えられるように見つめ返すと彼女は一つ息を吐いて背もたれに体重を預ける。


「はぁ……。まぁ、今のところは飲み込んであげるわ。プライバシーに関わることを強引にってのも良くないしね」

「ありがとう。それより俺からも葵さんに一つ聞きたいんだけど、いい?」

「あら、なにかしら?私のスリーサイズが気になるの?」

「――――陽紀君?」


 彼女がこれみよがしに腕組みの要領でスタイルの良さを見せつけると、葵さんに張り付いていた若葉がギロッとこちらに向き直る。

 残念ながら威圧感はないものの、膨らませた頬が若干罪悪感。そういうのじゃないんだって。


「違う違う。二人とも随分仲いいんだなって思って。なんだか昔からの知り合いみたいな感じで」

「あれっ?陽紀君、知らないんだっけ?」

「何のこと?」


 俺の問いに反応したのは葵さんではなく若葉だった。

 彼女は葵さんに寄りかかりながら頬をプニプニとつついて……あ、取っ払われた。


「私と葵ちゃんって仲良しなんだよ!だって元は――――」

「あっ、あのっ!若葉さんっ!!」

「―――およ?」


 彼女が腰に手を当て胸を張って告げようとしたその瞬間、突如として声がかかり最後の言葉が中断された。

 俺達の誰でもない、不意の言葉。一体誰が声をかけたのかと3人揃って顔を上げると、恥ずかしそうに手をしきりに動かす女生徒が一人。


 誰だ……?見覚えはあるけど名前はわからない。 

 それは若葉も同じようで立ち上がりつつ、困惑するかのように頬をかく。


「えぇと、どうしたの?」

「あ、あのっ!私っ、そのっ!若葉さんの大ファンなんです!」

「私のファン?………そうなんだぁ。ありがとね。えぇっと……」

「しおりです!2年の別クラスの、しおりです。握手……してもらえませんか?」

「そっか。うん、いいよ!応援してくれてありがとね。しおりちゃん!」


 あぁ、しおりさんか。なんか合同授業で先生に呼ばれたのがそんな名前だった気がする。

 勢いよく突き出された手を見て笑顔を崩すことなく握手を交わす若葉。

 さすがはアイドルだな……。こういう時でもちゃんと相手を見て対応して。


「あ、ありがとうございます!その、休止しちゃっても応援してますから!頑張ってください!」

「うんっ!でも今は学生生活だから……またしおりちゃんともお話したいな?」

「い、いいんですか!?」

「もちろん!別のクラスになっちゃったけど関わり無いわけじゃないんだし、また今度じっくりお話しようね!」

「~~~! はいっ!!」


 近くで若葉の満面の笑みを見たしおりさんは感無量といった様子。

 感動からか目の端に涙を浮かべつつ深くお辞儀をしてその場を後にする。


「……さっ!話の続きだったね!確か私と葵ちゃんの関係について――――」

「若葉、その前に後ろ。もう一回後ろ見なさい」

「――――えっ? あっ…………」


 しおりさんが満足げに去っていくのを見送ってこちらに向き直ったのも束の間。

 葵さんに促されてもう一度振り返った若葉は言葉を失ってしまった。


 若葉の後方、さっきまでしおりさんが立っていた辺りには枷を切ったかのように集まっていく、これでもかというほどの生徒たち。

 もしかしたらさっきのやり取りを見て自分も、と思ったのかも知れない。集まりすぎて列が出来、先頭に立った生徒は若葉に向かって手を差し出した。


「若葉さん!私とも……握手して下さい!!」

「私も!お願いします!」

「ずっとファンでした!どうしてこの学校に!?」

「あ~―――――」


 その電光石火のような集まりよう。そして掛けられる声たちに若葉といえど言葉を無くしてしまう。

 しかし流石はアイドルというべきか、なんとかすぐに正気に戻って握手を始める彼女たちを、俺はただ呆然と見守っていくのであった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




「応援してます!ぜひまた歌って下さい!」

「ありがとう!私も頑張るね!」

「若葉さんに憧れてダンス始めました!今度見て下さい!」

「ホント!?嬉しい!絶対見るから教えてね!!」


 ――――昼休み。人々の集まる食堂の隅。

 突如始まった若葉の握手会は、10分経過しても終わりが見えることはなかった。

 最初は十人に満たなかった人の列も今となっては食堂の入口に届くほど。


 人が人を呼んで大変なことになった握手会。それでも若葉は笑顔一つとして絶やすことなく常に全力で生徒たちと向き合っていた。


「凄いな……」


 そんな様子を机を挟んだ向かいから見てふと声が漏れる。

 若葉とはこの半年近く、殆どずっとといっていいレベルで一緒にいたがアイドルらしい姿をこうして目の当たりにするのは初めてかも知れない。

 ずっと笑顔で苦労さえも見せず、握手した相手に"楽しかった"と思わせる存在。その眩しい姿に思わず目が眩む。


「えぇ、あの子は凄いのよ」

「…………葵さん」


 俺のポツリとした独り言が耳に入ったのか向かいの葵さんが語りかける。

 笑顔で握手する若葉を見上げながら彼女は更に言葉を続けた。


「あの子が言い損ねた関係についてだけど、改めて自己紹介するわね。私は陽ノ下ひのもと あおい。あの子と同じグループに所属していた、元ロワゾブルーの一人よ」

「―――――」


 それは仲の良さを理解するのと同時に、俺を絶句させるには十分な情報だった。


 ロワゾブルーの三人目。そういえばロワゾブルーは元々三人からスタートしたのだった。

 俺が顔を知らなかったのも理由はある。それは単純に最初の一人の脱退が早かったからだ。おそらく雪のコレクションにはあるだろうがロワゾブルーが有名になる前のこと。世に出た媒体数が少なすぎて俺が三人目を知る機会がなかったのだ。


 若葉、灯火……に続いて葵さん。

 これがロワゾブルー本来の形。ならば仲がいいというのも頷ける。


「貴方の妹さん……雪ちゃんはあの田舎に泊めさせてもらった時一瞬で看破されたんだけど、聞いてない?」

「………全然」


 まさか雪も知らなかったのか……!?

 そんな疑問が頭をよぎったが案の定分かっていたらしい。アイツめ……なら俺にも教えてくれたって……!!


「そういうことで私達が仲良いのは当然ってわけ。……まぁ、貴方が若葉とも親交を深めてるっていうのは驚きだけれども、ね。それに恋心まで…………」

「…………」


 スゥ……と細まっていく鋭い視線に俺は視線を逸らすことしかできない。

 それは単に偶然というか不可抗力というか……とにかくどうしようもなかったんだ……。


「……まぁ、そんな感じで色々と言いたいことはあるけれど、とりあえずはこの惨状をどうにかしなきゃね」

「あ、あぁ。そうだね……」


 俺達がともに見上げたのは未だ続く長い列。

 生徒たちの協調性もあって随分早く人をさばけているものの列はまだまだ遠く続いている。少なくとも俺達の位置から最後尾が見えやしない。

 しかしだからといって列をどうにかするいい案があるわけでもない。どうやって解決させるべきか……うぅむ……


「そこら辺は私に任せなさい。貴方はそこで座ってて」

「いいの?」

「えぇ。…………ほら!あなた達!まだ若葉はご飯食べてないんだから解放させてあげなさい!ほら、解散!!」


 「任せて」と言って自信満々に立ち上がった葵さん。

 まさかこの場を収めるいい方法が!?――――と、思ったがその手段とはまさしく物理的解決法だった。

 彼女が立ち上がってシッシ!と追い払うように掛け声を放つと、生徒たちの落胆した声とともに散り散りになっていく。


「ふぅ……。ごめんね陽紀君。突然迷惑かけちゃって」

「いいや。でも嫌なら拒否してもよかったのに」


 葵さんが最後尾のほうまで声を掛けに行っていく中、一足先に解放された若葉は疲れたように椅子に座り込んだ。

 ホント、嫌なら駄目だって言えばいいのに。そう思って掛けた何気ない言葉だったが彼女はゆっくりと首を横に振る。


「それはダメだよ……」

「そうなのか?」

「うん。本来表舞台から去ったアイドルは忘れていくだけ。なのに休止して半年経ってもこんなに私のことを好きでいてくれるんだもん。ファンのみんなを蔑ろにしたくないんだ」

「若葉…………」


 さっきまで握手していた手を見つめる目はとても優しいものだった。

 彼女は好きでアイドルをやっているのだろう。心からファンに感謝しているのだろう。そんな優しい顔を浮かべる彼女はとても大人びて見えた。


 そんなボーっとする俺の視線に気がついたのか彼女はふと顔を上げて話しかけてくる。


「陽紀君?どうしたの?ジッと見て」

「いや……なんていうか若葉の新たな一面見て見惚れてた」

「ホント!?見惚れてくれた!?だったら私とけっ――――」

「それとこれとは別問題です」

「――――ブー!」


 大人びた表情から一転、いつもの子犬のような表情に戻ったことで俺もいつもの調子を取り戻す。

 やっぱりこうだよ。こういうふくれっ面の若葉が一番落ち着く。


 そんないつもの様子の若葉に癒やされてふと長い列が形成されていた跡を見ると、今はすっかり跡形もなくなっておりウンと体を伸ばした葵さんが戻ってくる。


「あー疲れた疲れた。あの列階段まで伸びてたわよ。若葉の人気は衰え知らずねぇ」

「あ、葵ちゃん!ごめんね任せちゃって」

「いいのよ。このくらいなんてことないわ」


 あー疲れたとついでに買ってきたであろうジュースを口にする葵さん。

 しかし失敗したかも知れない。彼女は転入初日。不意に出来た列とはいえ崩す時に多少は抵抗があっただろう。その後の学校生活に支障が出てしまわないといいが……。


「何よ貴方。ジッとこっち見て」

「いや、列を崩す役割俺がやればよかったなって思って。抵抗とかなかった?」

「あぁ。別に気にしなくていいわよ。特に無かったしあったところで気にしないもの」

「でも――――!」


 俺がその後の言葉を発しようとしたところで、彼女の指が伸びてきてその後の言葉を奪われる。


「いいのよ。私はあのグループをすぐに抜けちゃったもの。海外に行っている間、若葉は一人でファンと向き合い頑張ってきた。若葉のためならヒールの一つや二つくらいこなしてみせるわ」

「…………仲間思いなんだな」

「えぇ。だからといって惚れちゃあダメよ? 私は先戻ってるわ。ありがとね」


 そう言い残して早々に立ち去ってしまう葵さん。

 取り残されるのは俺と若葉の二人のみ。


「いい人だな。葵さん」

「そうだよ~。なんていったって私の大切な仲間だからね。 でも、好きになっちゃダメだよ?陽紀君には私が居るんだから」

「ならないならない」

「ホントかな~?陽紀君ってば、すぅぐ人をたらしこんじゃうんだから……」


 苦笑して手をヒラヒラさせたものの完全に信用されていない目だ。凄いジト目で睨まれている。

 俺は誰も人をたらそうと思って近づいたこと無いんだけどなぁ……。などと心の中で言い訳をしながら、昼休みが終わる予鈴を耳にするのであった。



 ――――あ、お昼ご飯食べてない。

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