208.説得と直感
「な~んだっ!迷子だったのかぁ!それだったら大げさにしなかったのに早く言ってよ~!!」
説明が終わったあとの第一声は、そんな雪の笑い声から始まった。
ここは祖父母の家。
ウチと比べるまでもなく遥かに広い、平屋一戸建てのリビングに位置する部屋。
外から見たら完全な『和』の家だが、その実内部は柔軟性に富んでおり、中央に鎮座したソファーとテーブルで身体を休めていた。
少し目線をずらして見れば部屋の片隅に見える薪ストーブ。脇に薪が見えることから、まだ朝晩寒いこの地域ではまだ現役であることがうかがえる。
そんなウチのアパートよりも、実家よりも広々とした空間で家に招き入れた葵さんを中心にここに来た経緯を説明していた。
俺の対向にある3人掛けソファーに座った雪は1人高笑い。元はと言えばだな……
「雪が話す隙与えなかったのが原因だろ…………」
「なにか言った?おにぃ?」
「………なにも」
ポツリと小さな声で文句を言えば補足される地獄耳。
今回ばかりは……この場においては雪に歯向かうことができない。
「それで、どうするんだ雪?泊めるの許してくれるのか?」
「う~ん、そうだねぇ……」
俺の失言から逸らすため放った本題に、雪は腕を組んで考える素振りを見せる。
この場において雪に歯向かうことができない。それは家のパワーバランスに由来している。
我が祖父母は俺たち孫のことを溺愛している。それはもうこちらが自覚して逆に引いてしまうくらいには。その中でも雪は相当だ。俺よりも溺愛されている。きっと遠慮する俺より一身に享受する雪のほうが祖父母から見ても嬉しいのだろう。
だからよっぽどのことでない限りここは雪の天下だ。現に祖父母の二人からは「孫の判断に任せる」とのお達しが出た。雪さえ説得すればこの人助けは完了である。
「葵さんは使えるお金が無くって仕方ないんだ。雪、ダメか?」
「お金の問題であれば電子マネーか後日お渡ししますからっ!お願いします!!」
俺の問いかけと葵さんの懇願。
ソファーに隣り合う二人による頼みでも雪は頑なに頷くことはせず、困ったように首を横に振る。
「ううん、迷ってるのはお金の問題じゃないんです。部屋も空いてるしおじいちゃんおばあちゃんも歓迎ムードだし……ただ、その、部屋の中まで帽子とサングラスを外さないのは……」
「っ…………!!」
雪が懸念していること。それは彼女の格好についてだった。指摘された葵さんもキュッと帽子のつばを握りしめる。
彼女は部屋の中においても帽子とサングラスを一向に外そうとしないのだ。そのせいで素顔が完全に隠されてしまっている。
まるでいつかの誰かさんを思い出すような光景。絶対に正体を明かしたくないという強い意志を感じる。
雪が懸念するのも尤もだ。
素顔さえ見せない宿泊希望者。警戒して当然だろう。覆面状態と大差ないのだから。
まさにぐうの音も出ないところを突かれた彼女はなんて言おうかと数度逡巡する。
「これは……その……」
「おにぃも人が良すぎだよ。そんなあからさまに顔を見せない人って盗み目的を第一に考えるって。それかどこぞのおねぇ候補みたく正体……を…………」
ヤレヤレと俺に言い聞かせるように背もたれに身体を預ける雪だったが、自らの言葉になにか気づきがあったのか、次第に言葉尻が弱くなっていく。
その目は見開き言葉に悩む葵ただひたすら真っすぐ見つめていた。まるで、なにか゛ありえないもの゛を見たような顔で。
「雪……?」
「…………。葵さん、ちょっとこっち来てもらえます?」
「えっ!?わっ!?雪ちゃんっ!?!?」
しばらく驚いたまま止まっていた雪だったが、突然弓から放たれたかのような勢いで立ち上がり、葵さんの腕を取って部屋の隅へと連れていってしまう。
「雪ちゃん……?一体こんな隅で何を……?」
「葵さん。もしかしてあなたの本名って――――」
「―――!! なんでそれを!?」
「普通の人では気づかないと思います。ですが声と名前でピンと来たんです。私はずっとあなた方の――――ですから」
…………んん?
突然部屋の隅に連れて行った雪だったが、立ち止まったのはなにもない壁だった。
本当に何もない角。そこで俺に背を向けた二人はなにかコソコソと話し合いをしている。時折驚いたような声が葵さんから聞こえるが、肝心なところが聞き取れず意味を理解することは叶わない。
「――るんでしたら、二つ条件が………」
「条件!?なんでも話してっ!」
「はい。それは――――」
「…………えっ?それが……条件?」
条件?なんだ?何を話してるんだ?
地味に意味の分からない部分が聞こえるせいでモヤッとしながら二人の後ろ姿を見つめていると、不意に結論が出たのか二人とも頷いて勢いよくこちらを振り返った。
雪のニヤニヤした顔がやけに嫌な予感を加速させる。
「……話は終わったのか?」
「うんっ!おにぃ、結論出たよ!泊まって良いから!」
「………まじ?」
「うん。マジマジ」
何を話したのか分からないが、その答えは俺にとって喜ばしいものだった。
雪の後ろにいる葵さんを見るとその表情に安堵の色が見える。……そして同時に困ったような苦笑いも。
「………ねぇ、おにぃ」
「な、なんだよ?」
突然の宿泊許可宣言。
その決定に驚いていると、雪はスタスタと俺の隣に歩いてきてポンポンと肩を叩いた。
愉悦、祝福、羨望、期待。向けられる様々な色が混ざった表情に思わず警戒心を抱いてしまう。
「おにぃってさ、前世で世界救ったりした?」
「はっ? いや、現在進行系で別次元の世界救ってるけど?」
………はっ?
変な顔したと思ったら突然何言ってるんだ?世界を救う?そんなの定期的にやっているが?
当たり前の返答。しかし雪は求めていた答えと違うようで「そういうことじゃないんだよな~!」と頭を抱えている。
「……まぁいいや。おにぃは中々罪作りだねぇ」
「…………?何言ってんだこの妹は?」
あっはっは!と妹らしからぬ妙に高くなったハイテンションの後ろ姿を目で追っていく。
ヤツが祖母の居る方向へと消え去ると同時に葵さんと目が合うと、俺は肩を竦めて彼女はただただ苦笑いを浮かべるのであった。
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