206.正反対

「やぁっ……と着いたね~!もう座りっぱなしで体中バッキバキだよぉ!」

「ホントにな……。はぁ、疲れた……」


 プシューという音とともに開く扉。

 それに合わせて待ってましたと言わんばかりの速度でバスから真っ先に降り立った俺と雪は揃ってウンと身体を大きく伸ばした。

 バキッ、ペキッと身体の何かが剥がれるような音と気持ちよさに思わず目を細める。この数時間ずっと待ち望んでた心地よさだ。


「…………にしてもここは相変わらず田舎だな。二人も引っ越したいと思わないのかね?」

「めっ!おにぃ、そんな事二人に言っちゃダメだからね!ここにはあの二人にとって大事なものが詰まってるんだから!!」


 バスから降りて目の前にあるのはただひたすらの山だった。一応管理されているのか所々に切り倒された跡である切り株が見えるものの、俯瞰して見れば緑生い茂る、どこにでもあるような田舎の山。

 そして振り返ればただっ広い土地にこれでもかと田んぼが広がっている。秋にくれば稲穂による黄金が圧巻だろう。しかし悲しいことに今は春。田んぼは耕起される前の土色が広がっているだけだ。



 ここは俺たちの祖父母が住まう土地。今日の目的地だ。

 普段自分たちが住んでいる街を田舎だ田舎だと評していたが、それよりも遥かに田舎な土地に二人は住んでいる。俺から見たら正直不便極まりない。コンビニは1キロ先だしスーパーだってここらに一個しかない。ショッピングモールなんてもってのほかだ。利便性だけで考えると選択肢に入らないのだが、雪の言う通り二人にとって大切ななにかがあるのだろう。

 しかし移動のダルさだけはなんとかしてもらいたい。毎回移動が大変なんだ。


 ここはウチからおよそ数時間離れた場所にある。

 一回新幹線のある駅まで行って家とは反対方向の路線へ。そしてバスに乗り換えて揺られること数十分。乗り換え数的には大したこと無いのだが、いかんせん一回一回の乗車時間が長い。進むにつれて人が少なくなるのは幸いだが肩も腰も随分凝ってしまっている。

 しかもここがバスの中でも最終降車地点。俺たちの他に1人しか降りてこない時点で随分と田舎だろう。

 

「さっ、おにぃ!早く家に行こ!」

「待て雪……ちょっと……ちょっと休んでいかないか?」


 なんどかストレッチを繰り返していた雪だったが、それも十分に終わったのか「うんしょ」とリュックを背負い直して進行方向へとまっすぐ指さした。まるでつかれなんてつゆ知らずといった様子。

 バスに揺られ続けるだけといっても移動というのはそれだけで結構体力を使うものだ。俺の未だ回復しきっていない身体を労って近くのベンチを示したものの「えー」と気だるそうな声が返ってくる。


「おにぃってばこの程度で疲れたの?引きこもりすぎじゃない?そのうち椅子に根っこが生えちゃうよ?」

「生えるかそんなもん。逆になんで雪はそんな平気そうなんだよ」

「あたし?そりゃだって、頻繁に推しのお義姉ちゃんとランニングとかしてるし?」

「は?お姉ちゃんって誰…………いやスマン。やっぱ言わなくていい」


 俺たちに姉など存在しない。一体どの空想上の人物のことを差しているのかと思ったが、それを聞くこと自体猛烈に嫌な予感がして即座に否定する。

 姉ということは年上。そして女性。更に゛頻繁゛と゛推し゛とくれば心当たりは1人しかいない。推しとランニングできるならコイツもやる気全開になるだろうよ。そりゃ体力で勝てないわ。


「どうする?本当に辛いなら電話して車出すよう頼もうか?」

「いや、いい。雪は先に行っててくれ。俺はちょっと休んだら追いかけるから」

「大丈夫?迷わない?後で電話で泣きついたりしない?」

「母さんみたいなこと言わなくても大丈夫だっての。むしろ雪こそ大丈夫か?その有り余った体力で山突入して遭難とか、嫌だぞそんな原因で救助連絡するの」

「するわけ無いじゃんそんなのっ!!」

「ぐふっ…………!!」


 なんという強烈な一撃―――――。

 それは不可視の一撃だった。俺が疲労困憊で焦点が定まらない隙を狙った、完璧な攻撃。俺のからかう口調に雪の右ストレートが脇腹に突き刺さった。

 まともに拳を受けてフラフラとベンチに倒れ込んだ俺に雪はベーッ!と舌を出してその場を後にしてしまう。

 


 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




 あぁ…………空が綺麗だ。

 辺りは山に囲まれて田んぼも多く、高い建物なんて何一つもない。空気も澄んでいて一つ呼吸するだけで身体が喜んでいるのを感じる。

 天高く揺らめく雲は風に吹かれて動いていき、暖かな日差しは春の到来にふさわしい暖かさを運んでくれる。


 もはやこのまま眠ってしまいたい……。そんな思いに襲われる陽気だった。

 ベンチに座って足を放り投げ、背もたれに手を掛けて大の字になる。雪が先に行って10分は経過した。休んで体力は十分回復した。しかしこの陽気が俺を目的地に向かわせる気を削いでいる。

 このままボーっとしていたらいずれ日が落ちて大変なことになる。そんなこと重々承知しているが、やはり心地よさには叶わない。冬のこたつと同じ理論だ。出なければならないのに理性以外の全てが拒否している。


「もうこのまま溶けてしまいたい……」


 ポツリと独り言が漏れ出てしまう。

 しかし現実は無情なものだ。体力が回復した今こんな事し続けても、おじいちゃんおばあちゃんを心配させるだけだと理解している。

 仕方ない。後ろ髪を引かれるけど自分に鞭打って頑張るしかないか。ちょうど太陽が雲に隠れたらしく暖かな日差しが途切れた今がチャンスだ。ここを逃したらまた春の陽気に囚われてしまう。


「んっ…………?」


 腕に力を入れて身体を前に倒し、その両足に力を込めて立ち上がろうと膝に手をついたその時だった。

 ゆっくりと目を開けた先に何者かが立っていることに気がついた。


 立ち上がろうとしている俺の正面。雲がかかって太陽が途切れたかと思ったが違うみたいだ。

 正しくは何者かが俺の前に立ち、ちょうど太陽を遮っていたのだ。一体何なのだと俺はその人物を仰ぎ見る。


「あの、ちょっと良いですか?」

「………はい?」


 見上げると同時に降り注いだのは女性の声だった。

 ハキハキと利発さを感じさせると同時に、どこか不安げな色が見える声。

 目を細めて表情を伺うも、大きなサングラスのせいでよく見えない。


 見覚えがある。さっき俺たちと一緒にバスを降りた女性だ。

 フレアスカートに白のブラウス、大きなサファリハットとサングラスという、春のコーデだけれど人となりまではわからない格好だ。

 雰囲気的には同い年……少し上か?少なくとも見覚えのない人物だ。


「その、道を教えてほしいのですが、構いませんか?」

「道……?まぁ、俺がわかるのであれば……」


 一体何を言われるのかと身構えたが、どうやら道を知りたいだけのようだ。

 少しだけ強めていた警戒心を解きつつ返事をする。困ったな、あんまり来ないから俺もここらへんに詳しく無いんだよな。知ってる場所であればいいんだけど……


「新幹線から迷ってなんとかバスに乗れたはいいんですけど、聞いてた名前のバス停に全然着かなかったので……」

「はぁ……。どこに行こうとしてたんです?」

「あ、はい。学校なんですけどこの場所、知ってますか?」


 そう言って手渡されたのは一枚のメモ書き。

 どうやらこのメモを頼りにやって来たみたいだ。駅名ないしバス停が上から順に記されている。それで、学校っていうのは……?


「んん……?」

「知ってる、でしょうか?」


 ――――目を疑った


 俺が怪訝な顔をして目をこすると、少女は手を重ね合わせながら問いかけてくる。

 彼女の言う学校というのはすぐに見つけることができた。メモの一番下にデカデカと書いていたからだ。

 

 そして俺が目を疑う理由は、一つしか無い。


「知ってるも何も、俺ここに通ってるんだけど……」

「本当ですか!?」


 そう。記されていた学校名は見覚えのありすぎる学校。俺の学校だった。

 目的地について詳しい人物に出くわしたと理解した彼女はパァッと表情が明るくなる。

 しかし…………


「でもこの学校、新幹線の駅から逆方向だよ。数時間コース」

「え゛っ…………」


 なんとも綺麗な声を持つ女性らしからぬ声が聞こえた。

 無理もない。新幹線から迷ってここに来たのに正反対のルートだったからだ。しかし思ったよりも立ち直りが早く、彼女は即座に意識を取り戻して近くの時刻表に足を動かす。


「次の……次のバスは……!!」

「どう?何分後?」

「…………これ、どうやって見れば……いいのでしょう……?」

「えぇ…………」


 今から急いで戻れば夕方には着くだろう。

 そう思って時刻表を睨みつける彼女を見守っていたが、泣きそうな声で助けを求められて俺も小走りで時刻表に向かう。

 えぇっと……次のバスは……15分後か。ならちょっと待つだけでバスがやって来――――あれ、この目立つように掲示されてる張り紙は?


「…………ない」

「えっ?」

「午後のバス、走ってないらしい。臨時運休で次来るのが明日だって……」

「明日!?」


 驚愕の声が後ろの山を突き抜ける。

 いやまさか臨時運休って!?しかも今日に限って!?


 カァカァとカラスが森から飛び出して俺たちの遥か頭上を通っていく。

 まだ昼。時間的に取り返せると思っていたのに運休となれば思考もフリーズするだろう。

 1分、2分と静寂が辺りを包み込む。しかしこれからどうするか考えなければならない。俺は呆然としている彼女に恐る恐る声をかけた。


「……どうですか?スケジュール的に明日で大丈夫です?」

「電話連絡すれば多分……。でも、宿は……」

「宿ならここらでも探せば民泊くらいはあるかと」

「―――それは500円で泊まれますか?」

「えっ?」


 ……幾らだって?

 思わず問い返した俺に彼女は振り返ってポケットから財布を取り出す。

 するとおもむろにひっくり返してその中身を全てこちらに見せつけた。出てきたのは見覚えのない紙と見覚えのある一枚の硬貨のみ。


「ドルならいくらかありますが、円は500円しか……。電車用の電子マネーが使えるのなら……」

「多分それだときっと………ムリ、かな…………」


 お金はあるはずなのにまさかの使えそうなのが500円のみ。

 結局この後調べたものの、もちろん電子マネーやドルで泊まれるところなどあるわけもなく、俺たちの間には冷たい風が吹き付けるのであった。

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