202.避けられぬ夜更かし

「あっ!もうこんな時間!!」


 それはふとした若葉の声。

 不意に時計を目にした彼女の驚きの声だった。


 春休み。学年と学年の切り替わりにある長休みの中で最も幸せな休暇期間。

 長くて無駄に課題を出される夏休みや、短くてもしっかりと課題が出る冬休みとは違う、教員も変わるが故の課題が出ない最高の休み。

 そんな幸せな日々にやることといえば………そう、ゲームだった。


 なにかに追われて心残りを抱えながらやるゲームとは違う、完全に澄み切った心で没頭できる春休みのゲーム。

 そんな幸せを謳歌しながらやるものだから自然とこの時期のゲームは夜更けまでやってしまう。今日も今日とて日課の地図で大爆死を喰らってフィールドに立ち尽くしていると、アスル……若葉が驚いたように声を上げた。その言葉に合わせてチラリと時計を確認すれば短針が11に差し迫ろうとしているのが目に入る。

 おかしいな。春休みが始まって数日が経つ。これまで日付が変わる手前までは遊んでたと思うが……。


「明日何か用事でも?」

「うんっ!明日は朝から灯火ちゃんと社長が来るんだ!」


 俺の問いに答える若葉の口調は嬉しさを伴っていた。

 休止したとはいえアイドルである若葉。しかし籍自体はまだ事務所に残っている。故に事務所の社長と会うこと自体になんら不思議なことはない。現に俺も結構な頻度で会っているし、今住んでいるアパートだってその関係で住まわせてもらっているくらいだ。

 更に灯火は毎週末になると決まってアパートにやってくる。明日という平日に来るのは珍しさはあれど驚きはない。

 だからこそ、待ちきれないといった様子を醸し出す若葉の口調に少しだけ違和感を覚えた。


「そっか。社長が来るってことは俺も行くべき?」

「ううんっ!陽紀君は出なくて大丈夫だよ!……あっ、でも関係ないわけじゃないの!明日は社長と一緒にがっ――――」

「――若葉さん」


 探りを入れようと深掘りしようとした問いに若葉が詳細を告げる――――その途中で、割り込むように1人の少女が彼女の名前を呼んだ。

 声の主は灯火。現在進行系のアイドルで共にアフリマンを倒した仲間で、俺の幼なじみでもある。

 彼女はまるでそれ以上は言わせないといった様子で。冷静に、心なしか咎めるような坦々さで若葉を止め、それを聞いた彼女も「あっ!」と声を上げた。


「そうだったそうだった……。ごめんね、陽紀君。社長からの命令で言っちゃいけないことになってるの」

「そうなのか?」

「うん、ごめんね……。でもちょっと経てば言えるようになるから!それまで待っててくれる……?」


 ヘッドホンの向こうから申し訳無さそうな声が聞こえてくる。

 若葉が隠し事なんて珍しい……。そう思ったが、"あの"社長の差し金なら仕方ないとも同時に思う。少し引っかかるところもあるけど、仕事なら守秘義務とかあって当然だもんな。


「わかった。朝早いのなら寝坊しないようにね」

「うんっ!陽紀君もあんまり夜更かししちゃダメだよ!」

「…………善処する」


 思わずウッとくるような彼女の言葉に思わず画面から顔を逸してしまう。

 よく妹の雪と話すところを目にするし、ヤツから小言を耳にしているのだろう。俺の怯みにくすりとした笑い声が聞こえる。しかしそのまま若葉がログアウトするのかと思いきや、待てども落ちる気配がない。


「若葉?」

「ねぇねぇ陽紀君!」

「うん?」

「…………えっとね、大好きだよ」

「っ――――」


 夜も深くなり、ゲームも一段落したことから脳の警戒心が緩んだその一瞬を突いた一言だった。

 これまでにもよく言ってくれた彼女からの言葉。しかし明るく呼びかけた声とは真逆の恥ずかしさを伴った一言。それは完全に不意打ちで、あまりのギャップと可愛らしさにドクンと心臓が高く跳ねた。


「えへへ……。それじゃっ!またね陽紀君!おやすみなさい!!」

「お、おぉ……」


 俺が息を呑んだことで満足したのだろう。持っていかれそうな意識の中で僅かながらに彼女のはにかむ声が聞こえ、そのままキャラクターがパッと消え去った。

 なんともズルい一撃か。言うなら言うで予告してもらわないと。


 そんな無茶な要求を心の中で唱えていると、今度はこの場に残っていたもう一人、灯火がコホンと息を吐いて「それじゃあ……」と言葉を続ける。


「私も明日は早くの新幹線だからもう寝るね」

「あぁ。灯火もおやすみ……」

「…………大好きだよ。陽紀さん」

「お、おぉ……。その、ありがとな」

「ん。それじゃ」


 そんな若葉に続くように灯火も愛の言葉を囁いて俺の心をかき乱す。

 若葉ほどではなかったが、それでも女の子からの告白はいつ聞いてもドキッとするものがある。

 俺の戸惑いなんて通話越しでも灯火にはお見通しだろう。満足気に「バイバイ」と告げた彼女は通話が切れると同時にキャラも消えていく。去り際に聞こえたリップ音はきっと投げキッスの代わりだ。


 二人のアイドルに好かれ、他の子からも好意を寄せられている現在。今までなあなあで過ごしてきてはいるがいつか明確に答えを示さなければならない時が来るのだろう。 




 今は永遠には続かない。そんな遠くない未来を視界の端に収めながら自分一人だけが残った画面に目を移すと、チャット欄に見慣れない色のログが表示されている。個人チャットだ。誰かが俺だけに向けてメッセージを送ってきたのだ。


 若葉と灯火はたった今ログアウトした。

 麻由加さんと那由多は二人とも実家でログインしていない。となると誰が……。

 そんな疑問を抱きつつも、本心ではその相手は既に察していた。きっとあの人だ。そう予想しつつチャット欄に目を配る。


『こんばんは!今日もその……ご指導をお願いできませんか!?』


 やはりだ。俺の予測は見事正解の音を鳴らす。

 メッセージに表示された名前は見覚えのあるもの。内容は指導のお願い。

 俺はこれまで頭を悩ませていた思考を脇へ置き、『わかった』と簡単に返事を送る。


「さて、行くか……」


 それは切り替えの合図。

 まだ熱い顔を冷やすように窓を開いて春の冷たい風を一身に浴びながら、ヘッドセットの位置を整えつつチャットの主の元へと飛んでいくのであった。

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