200.雪の冷たさと暖かさ

「お~に~ぃ~!お~き~て~!!」

「ぐふっ……!!」


 それは鮮烈で強烈な、究極の一発だった。

 無防備に仰向けで寝ている俺へ繰り出されたエルボードロップ。あえてなのか鳩尾から外れていたお陰で致命の一撃にはならなかったものの、眠りという不意からの攻撃としてのインパクトは相当なもので、深淵に潜っていた俺の意識は突如として現実へと引き上げられる。


「なっ!?なんだ!?襲撃!?」

「おにぃ!!朝だよっ!起きて!!」

「…………雪?」


 その一発により思い切り身体を起こした俺を笑顔で出迎えたのは我が妹の雪であった。

 冬らしく厚手のセーターに身を包み、料理をしていたのか水色のエプロンを身に着けている雪はこちらを見てにっこりと微笑む。


「も~、いつまで寝てるの?もう日も出て随分経つっていうのにさぁ……」

「今何時だよ……って、7時……?おやすみ……」

「わ~!待って待って!! 二度寝しないでっ!!」


 ベッドの外で腕を組みながらプンスコ怒る雪をスルーして枕元のスマホを持ち上げれば、表示されるは朝7時の表示。

 日が出て随分って、全然経ってないじゃないか。まだ早朝だと認識して再び暖かな夢の世界に潜ろうとするも、必死の形相で手を伸ばした雪によって掛け布団を引っ剥がされる。


「なんだよ……春休みなんだからいいだろ……」

「よくないっ!おにぃにとって良くてもあたしはよくないの!」

「なんでだよ……」


 その口から繰り出される謎理論に頭をかきながら呆れていると、雪は「よいしょ」と俺の上にまたがってきてポケットからスマホを取り出す。

 画面とにらめっこしながら何度か指でタプタプしていると、おもむろにこちらにスマホを見せつけた。


「これ!今日限定でこんなキャンペーンやってるの!!」

「ぁん……?『カップル限定!ジャンボパフェワンコイン』……?」


 雪が見せつけたのはSNSの一画面。そこには実感の湧かないセンチメートル表示とともに随分拡大表示されたパフェの写真が映し出されていた。

 その名の通りカップルで来たお客様にワンコインでパフェをサービスするというもの。日付も間違いなく今日だ。


「ふぅン……。いってらっしゃい」

「だからなんで寝ようとするの!?おにぃも行くんだってば!!」


 薄々なんで起こしたか察しつつもあえて再び寝ようとするも、今度は引き剥がした布団でうちわのように叩きつけてきた。

 ホコリが舞うでしょホコリが。しかしこのままだと二度寝は無理そうだ。そもそもエルボーで起こされてから完全に目が覚めてしまっているし、寝ることは諦めて腹に乗っている雪を見上げる。


「なんで俺が……そもそもこんな時間じゃなくてもいいだろ?」

「それもダメなんだって。ほら見て。ここに『先着20組』って書いてるでしょ。開店と同時じゃないと売り切れちゃうんだって」

「20組ねぇ……。そこまで集まるもんか?」

「集まるよ!女の子にとって甘いものは正義であり命そのものなんだよ!!」


 彼氏側はどうした。

 (無い)胸を張って自信満々に告げる雪を眺めながらも、女の子と甘いものの関係について理解できなくもないと納得しつつもう一つの可能性に行き当たる。


「そもそも、俺が行かなきゃならないのか?学校に良い感じの男子いなかったのか?」

「推しに一直線かつ、受験生のあたしにそういう人がいたと思う?」

「…………すまん」


 前半はともかく、後半のぐうの音も出ない反論に謝罪の言葉を口にする。

 しかし、しかしだな。俺は母さんから気になることも聞いてるんだぞ。


「でも雪よ、母さんが言ってたぞ。卒業式の日に何人か告られたって。あれはどうした?」

「あぁあれ?4、5人くらいかなぁ?もちろん全部断ったよ」

「どうして」

「どうしてって……好みじゃなかったし、今は二人暮らししてるおにぃのお世話でそれどころじゃないしね~」


 あっけらかんと肩を竦めて話す雪。

 でもその様相はなんだかわざとらしくて……


「…………本音は?」

「推しがすぐ上に住んでるっていうのに恋人にうつつを抜かすファンがいるわけないよ!しかもお義姉ちゃんになるかもしれないんだよ!!」

「近い」

「あいたっ!」


 予想通りの本音ダダ漏れ熱意の一言。

 鼻息荒く迫ってくる妹の姿にパチンとデコピンして撃退する。


「む〜。でもおにぃも悪いんだよ〜。あんなに迫られてるのにいつまで経っても相手決めないし、最近新しい女の子と遊んでるって?」

「…………新しい女の子?」

「またまたとぼけちゃってぇ。部屋隣なんだから気づくよぉ。春休みなってからみんなとゲーム終わった後、深夜に誰かとコッソリ遊んでるよね?」

「それは……」


 新しい女の子。深夜。

 雪が何を言わんとしているか理解できた。

 しかしそれ・・はそういうことではない。雪の勘違いだ。そう伝えようとしたが俺より早く雪の口が開く。


「大丈夫。まだ若葉さんにも誰にも言ってないから。だから、ね?」

「脅す気か?」

「脅す!?そんな事しないよっ!……あ、でも別の方向では脅そうかな。私まだおにぃに合格祝い貰ってないんだよねぇ……」


 警戒を帯びた俺の問いに慌てたように首を振ったが、彼女はその言葉で閃いたようで、別の方向からニヤリと口元を歪めて悪い笑みを向ける。


 合格祝い。

 今は俺も雪も春休み。当然雪は中学を卒業した。そして俺が通う高校への合格発表も既になされている。

 結果は合格。毎日毎日必死に勉強してきた芽がついに花開いたのだ。雪は数週間後に特待生で俺の高校へ入学する。そして言っている通り合格祝いはまだあげていない。


 忘れていたつもりはなかったが、ここで引き合いに出されるとは思わなかった。

 ここまで詰められると俺ももう逃げ場がない。一度頭をかいて諦めるように大の字で横になる。


「はぁ……わかった。1時間後に出発でいいな?」

「わぁ~いっ!おにぃ大好き!!そのまま紅茶とお昼ご飯もお願いね!」

「パフェ以外も!?」


 パフェのワンコインで済むと思ったらまさかの追加発注。

 俺の驚きの声に扉前で立ち止まった雪はそのまま振り返ってこちらにウインク。


「美味しいものはなんでも別腹なの!それじゃあよろしくね、一日限定彼氏さん!」


 そのまま鼻息混じりで出ていく雪。

 愛嬌はたしかにモテるほど一人前だな……。そんなことを考えながらかわいい妹の後ろ姿を目で追っていくのであった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「わぁ~!すっごぉっい!これがジャンボパフェ……!」


 叩き起こされて幾ばくか経過した街中。

 俺は早速雪を連れてキャンペーンがやっているというくだんのお店にやって来ていた。

 雪が先導するままあれよこれよと着いていってコーヒーの注文とともにやって来たのは写真通りの巨大なパフェ。


 SNSで豪語して雪が飛びつく程はある。俺たちの前に鎮座するはペットボトルよりもなお高いパフェだった。

 ベリーやオレンジ、生クリームやスポンジなど様々な甘味が詰め込まれた器。更に器を軽々と飛び越えるようにアイスが乗っており、その上には更にソフトクリームまでもが乗るという徹底した甘味の王様。

 それは明らかに500円で元が取れるとは思えない量だった。雪が目を輝かせる一方食べ切れるのかと若干引き気味な俺はもう一度辺りを見渡してみる。


 キャンペーンを行っている店。そこにはこの小さな町のどこに隠れていたのか多くの若者が男女ペアになってこの店を訪れていた。

 今は開店直後。それなのに店内に座っているのは20組前後。なるほど、これは雪の言う通り開店直後を狙わないと危なかっただろう。でも、何も言及されること無くカップル認定されたのは少し釈然としない。


 しかしこの店、俺も興味がなかったわけではない。日々理想を追い求めるコーヒーの開拓者としてこの店もチェックしてみたかったから渡りに船ともいえるだろう。

 さて肝心のコーヒーのお味は…………。ふむ、だいぶ酸味より苦味に割り振った味だ。俺好みでなかなか良い。しかし万人受けを狙っているのか少し中煎りの感じがする。何か甘いものと合わせる前提のような味………あぁ、だからか。


「なぁ雪」

「なに~?」

「俺もパフェ食べていいか?」

「う~ん……しょうがないなぁ。おにぃは」

「サンキュ。さて、スプーンは………あれ、どこだ?」


 甘いもの前提のコーヒー。これはキッとパフェのようなこの店のスイーツと合わせて飲むことを想定されているのだろう。

 雪にも許可を貰ったことだし俺も目の前のパフェに手を付けようとテーブルに目を向けるも…………無い。肝心の二本目スプーンが見当たらないのだ。まさか店員さんが忘れちゃったのか?ならば仕方ない。忙しい時に心苦しいが今からでも呼んで二本目の要望を――――


「んっ!」

「…………何してんだ、雪」

「なにって、パフェ食べるんでしょ?」


 俺が店員さんに声を上げようとした瞬間、雪はおもむろに前のめりになってこちらに腕を伸ばしたのだ。指で摘まれているのは今まで食べていたパフェのスプーン。その切っ先にはクリームとベリーが乗っている。


「いやだから、二本目のスプーンをだな……」

「注意書き見てないの?スプーンは一本で共有してくださいって書いてあったよ」

「はっ……?」


 当たり前のように告げる雪の言葉。それを受けて俺はスマホを取り出してSNSからこの店のアカウントを突き止めると、パフェの書き込みに添付された画像の済に確かに『二本目のスプーンの提供はございません』と記載されていた。

 よくよく当たりを見渡せばあちらでもこちらでも一本のスプーンを共有して熱々の光景が繰り広げられている。


「どうしたの?食べないの?」

「くっ……!」


 それはいわゆる『あ~ん』。

 俺もやってもらったことがある。相手が若葉や麻由加さんなら俺もアリだと答えただろう。しかし今日の相手は妹だ。そういうのはまた違うのではないかという考えが多くを占めていく。

 しかし、このコーヒーの苦味が口の中に残っている内にスイーツを食べればきっと美味しいのだろうな。でも相手は雪だし……。2つの相反する思いがせめぎ合う。悩みに悩んだ末に導き出した答えは……………


「あむっ!」


 俺の出した答えは一息に食べることだった。

 スプーンの上にあったものを一口でパクリ。それと同時に口の中でパフェのハーモニーが繰り広げられる。ベリーの酸味とクリームの甘味。スポンジのフワリとした口当たりに、シャクリと凍らせたマンゴーの歯ごたえ。

 そのどれもがバランスよく、鮮やかな味わいと食感をもたらした。きっと本来は甘さ控えめに作っているのだろう。それが苦いコーヒーとの対比によってより強く際立って感じられる。


「どうどう?美味しいでしょ?」

「あぁ……美味しい……」

「でしょ~!このお店評判良いもんね~!今度那由多ちゃんとも一緒に来よ~っと!」


 俺の感想を聞いた雪もご満悦だ。

 そしてさっき俺が口を付けたスプーンでもう一度パフェをパクリ。まぁ家族だもんな。そういうので一々気にすることもないか。


「あれっ、芦刈さん?」

「うん?」


 俺はコーヒーを、雪はパフェを楽しんでいたところ、ふとそんな声が後ろから聞こえてきた。

 一体誰だろう。そう思って振り向くと見知らぬ少女が二人、こちらを驚いた様子で見ていた。

 知らないのに何故話しかけた、誰なんだ……とも思ったがその疑問はすぐに解決されることとなる。よくよく見れば二人が目を向けているのは俺ではなく雪だからだ。きっと雪の知り合いなのだろう。


「あれ、二人ともどうしてここに?」

「どうしてってここのスイーツ美味しいからね。雪さんこそ珍しい……ってそれ!話題なってたカップル限定ジャンボパフェ!!ということはその人は……!?」

「え~っと……その……」


 その知った口ぶりから察するにやはり知り合いなのだろう。

 しかし雪の返答はいつもの快活明瞭ではなく少し戸惑った様子だ。カップルで入った店の中だし兄とは言いにくいよな。


「……あっ!もしかして学校であんなに告白されてたのになびかなかったのは年上彼氏さんがいたから!?私達とは違う学校を選んだのも追いかけてのこと!?」

「え~っと……学校は……うん、そんな感じかな……あはは……」


 もう一人の女子が発する予想にも言葉を濁す雪。

 間違ってはない。俺が入学して情報を得て学校を選んだのだからそういう意味では俺が居たから、という動機も頷ける。彼氏がいたからは絶対に違うが。

 しかしこの状態では話しにくいだろうに。仕方ない、俺が一肌脱いでやるか。


「雪さんのお友達ですか?いつもお世話になってます」

「えっ……はい。彼氏さん、ですか?」

「雪さんがそう思うのであれば」


 俺の絶妙な返答にキャア……!と小さな声が上がる。

 これぞ秘技、『それっぽく思わせて実際には否定も肯定もしない印象任せの返答!』後になって色々面倒なことになるかもだが違う学校って言ってたしここを乗り切ればどうにかなるだろう。

 セツナほど頭のいい相手なら言葉尻を捉えられて逆に詰められるだろうが……。


「えっとあの、二人はいつから――――」

「先程の会話から察するに、二人は受験した学校が違うようですが、是非ともこれからも仲良くしてあげてください」

「あっ、はい……」

「では私どもはまだ食事がありますので、これで」


 しかし相手はウワサ好きの女子学生。あまりに話していると絶対にボロが出てしまう。

 そういう時は相手の話を打ち切って挨拶だけで手っ取り早く終わらせるべきなのだ。………と、アスルの正体を知る前、愚痴で苦手な相手の対処法としてそんなことを言っていた。

 俺はポカンと呆気にとられている二人に一礼して席に戻ると、彼女らも「それじゃあ……」と気配が離れていく。


「おにぃ……」

「ほら、さっさと食べて店出るぞ。出るとこ捕まったら敵わないからな」

「うん……」


 俺たちは再び残りわずかとなったパフェに向きなおる。そして食べきった後は余韻も残さず早々に店を後にするのであった。



 □□□



「……おにぃ、今日はありがとね」


 夕暮れの帰り道。

 パフェを食べ、ゲーセンを楽しんだあとお昼を食べ、適当に映画を見た帰り道。住宅街の一角を曲がったところでおもむろに雪がそんなことを口に出した。


「何のことだ?」

「ほら、友達が来たじゃん。パフェ食べてる時に……」

「……そのことか」


 あの時は不意を突かれて俺も必死だったからもっと他にいい方法があったのかとこの一日考えていた。

 しかしお礼を言われた以上、少なくとも失敗だったということはないのだろうとホッとする。


「なんであの時彼氏って言ったの?普通に兄って言ったら簡単だったのに」

「でも店員さんに聞かれたら面倒だろ?」

「ウソ。店員さんみんな遠かったし店内話し声ばかりだったじゃん。それくらい聞こえないっておにぃもわかってたでしょ?」


 まぁ、な。

 さすが兄妹、そういうところはきちんと見ているらしい。フッと隣を見れば真剣な顔でこちらを見上げる雪の姿が。これは……変に茶化すことも出来なさそうだ。


「……朝、雪が告白云々の話した時凄く面倒そうな顔してただろ。彼氏いるって広まれば気休めくらいには落ち着くかと思ってな」

「あたしそんな顔してた……?でも、それだけが理由……?」

「別にそれだけじゃないんだが……えっと……その……」

「…………?」


 朝卒業式で告白の話をした際、あっけらかんと返されたが一瞬苦虫を潰したかのような顔をしていたのを俺は見逃さなかった。

 もしかして今の雪にとってそういう話は煩わしいのではないかと。ならば俺が盾になれるのではないかと思ったのだ。それに他の理由もあるが……どうやら察してくれないらしい。まったく、妹なんだから最後の理由くらい察してくれよ。


「ほら、雪が言ってただろ。『一日限定彼氏』って。だから俺も彼氏としてだな……なんていうか、彼女を守ろうと……」

「―――――」


 あー、自分で言ってて恥ずかしくなってきた。

 恥ずかしさを抑えて言ったもののチラリと見た雪は呆然と口を開いているだけだった。くっ……!だから察してほしかったんだ!笑われたほうが遥かにマシなのに!


「……なんか言えよ」

「あっ!ゴメン!おにぃがそんな殊勝な事考えてただなんて……」

「悪いかよ」

「ううん!すっごく嬉しい! ありがと」

「……フン」


 紅潮した顔が寒風に吹かれてより冷たさが際立つ。それはまるでコーヒーとスイーツの関係のように。

 俺たちは隣り合いながら黙って道を進んでいく。しかしふと、会話が止んで間もない頃に俺の腕はなにか柔らかなものに包まれていることに気がついた。


「雪?」

「……おにぃが一日彼氏でいてくれるなら、あたしも一日彼女でいなきゃね」

「いや、普通に歩きにくいんだが」

「え~!?せっかくかわいいかわいい妹が腕に抱きついてあげてるんだからそれくらい我慢して!ほら、家までレッツゴー!」

「おいこらっ!歩きにくいって行ってるだろ!走るなっ!!」


 突然腕に抱きついた雪はそのまま引っ張るように駆け出していく。

 それは朝のパフェを前にした輝く笑顔。そんな楽しげな姿を見て、俺も文句を言いつつ笑いながら雪のペースについていくのであった。

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