197.寒夜の熱
冬の夕焼け。
寒空の下。遥か遠くの太陽が深く深く眠りに入る準備を始め、遠くまで伸びる影がグラウンドを走る少年少女たちに終わりを告げる頃。
ハラリハラリと木の葉が落ちて素寒貧になった木々が季節の物寂しさを醸し出している。
昇降口から校門へ向かう生徒たちはみな制服の上に暖かそうなコートを羽織り、それでもなお寒そうに息で手を温めている。きっと帰れば暖かなご飯とお風呂が待っていることだろう。それぞれの生徒のそれぞれの家庭の図を想像しながら手に取った本を見る。
ここは図書室。
本の保全を目的にしっかりとエアコンが効いた憩いの部屋だ。
談笑するより読書を目的とした空間。その特色から普段より人は数えるほどしか居ないが、今日はそれに輪をかけて人が居ない……というより誰も居ない。
本から顔を上げて辺りを見渡せばシンとした空間が目の前に広がっていた。
椅子は一つとして埋まっておらず、本棚の隙間から見える場所にも気配がない。
まさに開店休業状態。しかし多いよりマシ、忙しいより暇な方がいい俺にとってそれは歓迎する流れだった。
冬の放課後。俺の所属する図書委員の活動時間。
今日も今日とて委員会活動に精が出る俺は活動場所であるカウンターを陣取ってゆったり読書に邁進していた。
開店休業とはすなわち仕事もないということ。随分読書に励めたがそれでもいつしか飽きて暇になる。よって本を替える意味合いも込めて外の様子をぼーっと眺めていたのだ。
更に顔を上げて時計を見れば終業まで30分ある。この本を読んでいればあっという間に時間は過ぎるだろう。そう目論見をつけて自分の持ち場に戻ると自席の隣に座る人物が一人、普段とは違う様子だということに気がついた。
「麻由加さん……麻由加さん……」
「んん……」
こっくり、こっくりと。
誰の目もないこんな時でもしっかり背筋を伸ばして本を膝の上に乗せているのは麻由加さん。同じ委員会に所属する想い人。彼女も一緒に放課後の読書に邁進していたが、気づけば目を閉じて首を微かに上下に揺らしていた。
彼女としては珍しい光景。本当ならこのままそっとしておいて美しい寝顔を眺めていたかったが、いつ先生に見られて叱られるかわかったものではない。叱られて起こされるより俺に起こされる方が幾分かマシだろう。そういうことで血の涙を呑んで鬼になり、肩を揺らして覚醒を促す。
「んっ……陽紀、くん……?」
「おはよう麻由加さん。よく寝てたね」
うつらうつらといったようすでゆっくりと意識を浮上させていった麻由加さんはまだ少し眠りから解けていないのか虚ろな目だ。彼女は隣に座る俺を目に収めたと思いきや前を向き、ボーッと虚空を眺める。
そして左右に、まるでヤジロベエのように揺れたと思いきや、突如として揺れが大きくなり――――
「麻由加さ…………んんっ!?」
「…………」
――――ポスン。
そんな効果音の鳴るかのように彼女の頭は俺の膝上に収まった。
俗に言う膝枕だ。それでもなお無言を貫く彼女は戸惑う俺をよそに頬をこすりつける。
「ど、どうしたの……?いきなり……?」
「…………むぅ」
「へっ?」
俺の戸惑う問いも彼女は異に返さない。それでも返したのはむくれる声だった。
何か文句を言いたげな瞳。そして僅かながらに膨らませた頬とともに非難する視線をこちらに向けてくる。
「撫でて……くれないんですか?」
「……えっと?」
「さっきまであんなに優しく撫でてくれましたのに……もう、撫でてくれないのですか?」
「!?」
さっきまで!?
そんな疑問がまっさきに頭に浮かんできた。
俺たちはついさっきまで一緒に仕事に邁進してきた。人が誰も来ない上に、ちょっと本が面白くて夢中になっていたせいか彼女に意識を割くことはできなかったが、それでも撫でてきた覚えは一つたりともない。
何かと、誰かと勘違いしているのだろうか。
もしかしたら俺を誰かと思い違いしているのか。想い人が別の誰かに撫でられる。そんな予想にチクリと心がささくれ立ったが、ここで一つ「そういえば……」と思い至る。
彼女は間違いなく俺の名を呼んでいた。そして未だに眼鏡の奥に見える瞳は虚ろなまま。これってもしかして…………
「陽紀くぅん……」
甘えるような声で見上げる瞳が俺を射抜く。
普段の麻由加さんとは違う様相。そして虚ろな瞳。もしかして彼女はまだ、夢を見ているのではないのだろうか。
恐る恐る伸ばした手がその頭に触れていく。すると彼女は呼応するように目を細めた。
「んっ……」
一切の抵抗を見せない、完全にこちらを委ねるように髪を触れさせてくれる麻由加さん。
長い茶色の髪が一切引っかかることのないことから手入れを欠かしていないことが伺える。撫でるたび気持ちよさそうに声が漏れる彼女は普段の凛々しさとは違うものの、それでも年相応の可愛さを醸し出している。
しばらくされるがままで撫でられ続けている麻由加さん。
漏れる声は収まったもののその目が開くことはない。やはりさっきのは起きているというより寝ぼけていたのだろう。そしてまた俺の膝の上に横になって眠ってしまったと。
しかしこれはこれで問題だ。起こしたのに起きてくれないのは今後のことを考えると都合が悪い。想い人が甘え全開でいてくれるのは嬉しいのだが、やはりここは鬼になって起こさないと……。
「陽紀くん……」
「うん?」
「だぁい……すきです………」
…………まぁ、起こすのは後でもいっか。
きっとそれは寝言だろう。俺にいうより独り言に近い彼女の言葉。
それでも……いや、だからこそ彼女の真なる思いが今一度聞けたような気がして、俺は肩に触れた手を離して再びその小さな頭を撫で始めるのであった。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
陽もすっかり沈んだ帰り道。
街灯のみが頼りとなった住宅街の道の中。俺と麻由加さんは二人一緒に家族の待つ家へと歩いていた。
俺と麻由加さんは同じ家に住んでいる。同じ家といってもアパートが同じなだけで部屋は違う。しかし帰り道は全く同じだ。
トレンチコートを羽織って肩を揺らす彼女の頬はほんのり赤みをつけていて少し寒さに耐えているようだった。しかしもう5分も頑張れば家へとたどり着く。街灯から街灯へと、一つ一つ積み重ねるように一緒に歩みを勧めていく。
「……怒られちゃいましたね」
「えっ?」
「先程のです。図書館で先生に……」
ふと彼女が声を上げたのは先程のこと。
図書委員活動中に眠ってしまった彼女はすっかり先生に怒られてしまった。怒られるといっても「年頃の2人ですし、色々あるのはとやかく言いませんが……まだ委員会の仕事中ですから、ね?」といった程度のもの。どちらかというと小言に近いだろう。
言葉の意味を理解した俺は「あぁ……」と声を上げる。
「麻由加さんが寝るなんて珍しいね。寝不足だったの?」
「はい。昨晩みなさんが落ちてからも少しレベリングをしてまして……」
「ゲームか……」
「ゲームです。えへへ……」
若葉を彷彿とさせるようなはにかみを浮かべる麻由加さん。
俺が言うのもなんだが、ゲームで寝不足はありがちで、あまり良いものとはされないものだろう。
しかし俺は嬉しく思う。自分の好きなゲームを好きになってくれているのだから。
「あんまりゲームに夢中にならないようにね。最近寒いんだから、風邪ひいちゃう」
「ありがとうございます。風邪引いたら一緒に学校行けなくなっちゃいますものね」
「そういうことじゃないんだけど……」
「いえ、私にとっては大事なことなので…………っ――――!!」
「言わんこっちゃない」
噂をすればなんとやら。今回は嬉しくない風邪を呼び込んでしまったかもしれない。
麻由加さんが力強く力説しようとした瞬間、ヒュウッとした寒風が俺たちの間を通り抜けて彼女の身体が大きく震え上がる。
寝不足な状態で寒空の下にずっと居たら本当に風邪引いてしまうかもしれない。早く帰らないと。
「本当に風邪を引く前に帰らなきゃね。急ぐよ」
「ぇっ……!?ま、待ってくださいっ!」
俺が彼女の手を引いて駆けようとした瞬間、その手が思い切り引っ張られてしまった。
振り返れば寂しげな瞳がこちらを見つめている。まるで走らないで。と言わんばかりに訴えていた。
「どうしたの?」
「その……帰ったらみなさんがいますよね?」
「まぁ、そうだね。みんなアパートにきちゃったし」
若葉に那由多に灯火、オマケに雪まで。帰ったらきっとみんながいるだろう。そして暖かなお風呂とご飯が待っている。
「はい……。みんな一緒です。でも、好きな人とは1秒でも長く二人きりで居たいのです。駄目……ですか?」
「麻由加さん…………」
それは彼女のワガママだった。
ちょっとでも長く一緒に。その気持ちは俺も一緒だ。好きな人とは長く一緒にいたい。その思いが尽きることはない。
しかしこのまま悠長にしていたら風邪を引く可能性だってある。だったら…………
「ぁっ…………」
「ゆっくり帰るための条件として、それを巻くこと。ちゃんと暖まって、風邪引かないようにね?」
風邪を引かない為にどうするか。
それは少しでも身体を温めることだ。俺は自ら巻いていたマフラーを外して彼女の首元にそっとかける。
その行動に呆気にとられたのか少しだけ目を丸くした麻由加さんだったが、すぐに笑みを取り戻して自らの首元に巻き始めた。
「わかりました。でしたら陽紀くんも手を差し出してください」
「手?こう?」」
「ありがとうございます………えいっ!!」
俺が何のことかと手袋を着用した手を差し出したら、彼女がそこに向かって飛び込んできた。
ギュッと腕を抱くように、一寸の隙間さえも無くなるように力強く、温もりを分け合うように。
「麻由加さん!?」
「こうすれば陽紀くんも温かいですよね?」
「そうだけど……胸が……」
「あえてです。嫌、でしょうか……?」
温もりとともに感じる柔らかさ。それはコートを羽織ってなお強烈に感じられた。
押し付けられることにより服がたわんで強調されるそれに、俺は視線を逸らして顔を赤く染める。
それでもなお決して振りほどこうとしない俺を、彼女は肯定と受け取ったのだろう。「よかった」と呟いた彼女はそのまま進行方向へと向き直る。
「では一緒に帰りましょう?ゆっくり、ゆっくりと」
「…………うん」
俺たちはゆっくりとみんなのまつアパートに向かって歩みを進める。
冬の寒空の下、俺たちの間はまるで夏かのように暖かく、熱い空間だった。
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