195.一番【最終回】


 悪夢を見た。


 それは全員に拒絶される夢。日の光を浴び、なにかから目覚めるように人が変わった彼女たちが俺に向けるのは嫌悪の視線。

 怖かった。逃げ出したかった。そんな視線を一身に受けた俺は実際、その場から逃げ出した。

 逃げて逃げて、靴が脱げても足の裏が血みどろになっても逃げて。そしてまた後悔した。


 なぜ逃げたのだろう。あの時勇気を持って話していればまたなにか違っていたのかも知れないのに。全員が画策した冗談だったかも知れないのに。

 そう思ってもう一度浜辺に戻ってみると、既にもぬけの殻となっていた。まるで最初から誰も来なかったかのような空虚な砂浜。

 世界に一人ぼっち。そんな気さえした。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。あのときああしてればだなんて思っても何の意味もないこと。

 俺はその場に打ちひしがれて、膝を付き、慟哭し、そして気づいたら目が覚めていた。


 夢だと気づいたのはすぐのこと。その後若葉がいつものように入ってきて、勇気を出さなきゃと思った。

 あの悪夢を見て衝動的に。言わないと、いつか手からこぼれ落ちる砂のように居なくなってしまうような気がして。

 だから俺は彼女に思いを伝えた。これまで逃げ続けていた答えを。不誠実な答えを。


 そして答えを出した俺に待っていたのは―――――


「陽紀く~ん。好き好き~!」


 ―――だだっ甘えモードになった若葉の猛攻だった。


 目が覚めたばかりの朝……いや、時刻は11時なのだから昼前か。

 朝食がブランチとなってしまった時間帯。昨晩の影響もありこんな時間での起床となってしまったが俺は粛々と起き上がってリビングにある炬燵へと身を寄せた。

 どうやら今日もどこぞの妹の差し金により俺が起きる頃には女性陣は集まっていたようで、皆の好意によって食事も出来上がっていた。

 少し早めの昼食。随分遅めの朝食を前にして俺は手をつける前に自らの胸元へ手を添える。しかし手は胸に当たることなくその手前で停められた。代わりに触れるのは別の誰かの背中。そう、それこそだだっ甘えモードの若葉の背中だ。


 俺の膝に腰を下ろし、へばり付くように胸や頬へ頬ずりをする元トップアイドル。

 まるで引っ付き虫のように、まるで生まれて間もないコアラのように。これまでも何度かひっつかれた経験はあったし最近では灯火が膝上に乗ってくる事があったがそれの比ではない。まさに片時も離れないように引き剥がせないほどの力で抱きついていて、しまいには胸の内でウトウトとし始めている。

 いつもとは一線を画すほどの甘えよう。さっき泣かせた手前そんな彼女を引き剥がせずにいると、前方から冷ややかな視線がいくつも突き刺さって思わず顔を上げる。


「おにぃの変態……」

「やぁっぱりアンタはアイドルのアスルを選ぶのね……。ふ~ん………」

「私も同じアイドルなのに……。陽紀さん……やっぱりトップにならないとダメなの?」


 三者三様十人十色。その視線には様々なものが込められてはいるが全ての視線に共通するものは冷眼。少なくとも全員が全員良い心象を表しているものではなかった。

 一人は単純な蔑む視線。一人は理解したような冷淡な視線。一人は悲しみを全面に押し出した悲痛な視線。どれもこれも俺に向けられているものだが、少なくとも一人、雪の変態発言には反論したい。俺は何もしていないと。


 ………あれ?

 心の内で彼女らに対する反論を並べ立てながら今度はキスしようとする若葉を全力で阻止していると、冷ややかな視線が足りないことを思い出した。

 いや足りないと表現するのはおかしいのだが。けれど実際ここに居るのは俺含めて6人。そして冷たい視線は3人。一人足りない。

 そう思って視線を左に傾けて座っている麻由加さんに目を向けると、彼女はなんら驚きや悲しみといった特別な感情を抱くことなくただ黙ってテーブル上の食事に手を付けていた。普段通りの穏やかな表情。ただ自然体でまるで真横に座る俺たちなんて見えていないんじゃないかと思うくらい気にする素振りを見せていなかった。

 俺が気付くのにつられたか"冷ややかな3人娘"も同時に視線を移動する。


「お姉ちゃん?」

「? どうしましたか?那由多。ご飯お口に合いませんでした?」

「いやっ、雪ちゃんが作ってくれたものだしそんなことはないんだけどさ……。お姉ちゃんはいいの?隣の"ソレ"がアスルに告白したんだよ?」


 はい。"ソレ"こと陽紀です。

 俺が好きだと言ったことについては雪が変にDVとデマを流された際若葉が喜々としてみんなに伝えられた。

 それから程なくして今だからみんなの視線が冷たいのもまだ分かる。しかし麻由加さんは問われてもなお、作り物ではない自然な笑顔を浮かべて「そのことでしたら……」と口を開く。


「若葉さんは私も好きですし、みんな仲良くて素晴らしいと思いますよ」

「でもお姉ちゃん!セリアはアスルを選んだんじゃ……!」


 声を荒らげる那由多を諭すように、そして優しい目をこちらに向ける。


「陽紀くんはその時『若葉も』って言ったのですよね?複数形ですから、一番最初に彼が好きだと告白したのは私ですので含まれているはずです。それとも……私への気持ちはもうなくなっちゃいましたか?」

「そっ、そんなことないよ!麻由加さんも……。す……き、だよ……」


 さっきは自然に若葉へ言えたはずなのにいざ改まって問われるとやはり言葉にするのが難しくなってしまう。

 しかしそんな途切れ途切れの言葉でも彼女はぱぁっ!と表情を明るくする。


「ありがとうございます。……なので私は好きだと言ってくれる陽紀くんを信じてます。それに初めて若葉さんも報われたんですから、今くらいは譲りますよ」


 それは堂々とした立ち居振る舞い。

 当人のあまりの余裕に那由多も言葉を失っていた。

 更に心打たれたのは彼女だけじゃない。俺の眼下にいる若葉も麻由加さんの言葉を聞き入っている。


「麻由加ちゃんありがとう……!それじゃあ許可取れたことだし、私達は一日中イチャイチャしてよっ!ほらほら、早くベッド行こ!ベッド!」

「待て若葉!それとこれとは話が違うだろ!」

「え~!」


 え~!じゃありません!

 今の状態でベッド行ったらなにされるかわかったもんじゃない。ただでさえ毎日襲われないか寝る前隅々まで見回りして戸締まり完璧にしてるんだ。みすみす死地に行くバカなどいない!


「……それもそうね。確かに2人の好きだの嫌いだのに一喜一憂するのは違うわ。私が間違ってた」

「那由多ちゃん……?」


 一人納得したように頷いた那由多は自らの間違いを認め、その場から立ち上がる。そのまま向かうは俺の座る椅子の横。

 なんだ……?一喜一憂じゃなくて心のままに右ストレートか……?黙って見下される那由多の瞳。同時に思い出されるのは先日のディープキスの事。ありえないと思うが万が一の嫌な想像が頭の中を占めていき、半分無意識に若葉を引き剥がしながら麻由加さんの元まで誘導する。


「ねぇセリア……いいえ、陽紀。お姉ちゃんとアスルにはちゃんと好きだって言ったけれど私には何もないのかしら?」

「那由多……それは……」


 ツゥ――――

 と、俺の椅子の何割かを奪い取った那由多が寄りかかりながら頬を人差し指で撫でていく。

 誘惑するような、そしてジッと確かめるような視線。


 幸いにも殴られることはなかったが、殴られたような衝撃を覚えた。

 まさに最も答えづらい質問。俺が言葉を出せずにいると那由多はチラリと向かいに立つ灯火に目配せする。


「それこそ一言くらい思いの丈を言って貰わないと割に合わないわ。あんな熱烈なキスだってしたんだし。ねぇ、灯火」

「は、はい!陽紀さん!私もいっぱい好きって言った!だから……その……どう思ってるの!?」

「っ………!」


 右に那由多が寄りかかり、駆け寄ってきた灯火は左の腕を抱きしめる。

 若葉を引き剥がした事によって空いたスペース。それがあっという間に埋められてしまった。

 両者俺を見上げてきて那由多は艶のある目を、灯火は不安そうな視線でジッとこちらを射抜いてくる。

 絶対に逃さない視線と逃したらこちらが罪悪感に押しつぶされる目。そんな2人の視線が逸れることなく俺を打ち抜きあえなくギブアップする。


「2人も……好きだよ。女の子として」

「「!!」」


 あぁ、なんて俺は酷い人間なのだろうか。

 1日に3人に対して好きだと言うなんて。それも全員が居るこの場で。

 誰に対しても同じことを言う浮ついた発言。嫌われても仕方ないような発言。しかし彼女たちはその言葉を耳にしても憤慨することも失望することもなく、一瞬驚いた顔を見せた後はふぅ、と緊張が解けたように息を吐く。


「ま、まぁ。及第点ってとこね。そこで行動に移さなかったのが減点ポイントだけど」

「でも私……すっごいドキッってした……」

「行動ってどういうことだよ……」

 

 2人とも、主に那由多は強がっているがその頬は昨日甘酒で酔っていた時くらいに紅潮している。

 思わず聞いてしまった行動という言葉の意味。その問いを耳にした2人は「そんなこともわからないの?」と言いながら肩に手を添える。


「行動っていうのはね……こういうことよ!」

「んっ!!」


 それは、2人同時のキスだった。

 唇を奪うのではない。頬へ軽く触れるくらいの優しいもの。

 けれど頬から伝わる感情は何よりも甘く愛おしさを感じるものだった。好きと言った俺へのお返し。そして見本を示すような優しいキスに2人は恥ずかしそうにしながらも自信ありげに目を合わせる。


「今はご飯前ってこともあるしこれくらいにしてあげる。さ、ご飯食べましょ!」


 その言葉を皮切りに、空気が変わったかのように2人は俺からそっと離れもとの位置に。


 好き……か。

 みんな当たり前のようにそう言ってくれているが俺も、いつかは覚悟を決めなきゃならないのだろうか。

 3人を泣かせ一人を選ぶ。そんな時なんて来てほしくないのだが、いつかきっと…………


「どうしたの?食べないの?」

「あ、あぁ。食べるよ」


 みんながようやく食事をつけ始める中ボーっとしていた俺は呼びかけられて慌ててお箸を手に取る。

 もうすっかり温くなったお味噌汁。でもまだ美味しい。俺も目の前の食事に取り掛かり始めたが、ジッと雪が俺を見ていることに気がついた。


「何だ?雪も食べないのか?」

「ううん、食べるけど……。いつの間にかおにぃが人たらしになったんだなぁって。いつの間にかあたしの親友にまで手をかけてるし」


 違うな雪。"手をかけてる"じゃなくて"手をかけられた"んだ。

 俺は何もしていない!多分。でもそんな事言ったらまた話がややこしくなるからお口チャックだ。


「人たらしは違うと思いたいけど……」

「結果が全てなの。それと一個聞きたいんだけどね、おにぃってみんなに好きって言いまわってたけど結局だれが"一番"好きなの?」


 ――――時が止まった気がした。

 ようやく始まった和やかな食事風景。それを破壊して氷の世界へぶちこんだ雪。

 流石は"雪"と名の付くだけはあるか。氷を操るのはお手の物。などと冗談はさておき、その質問はヤバイ……なんていうか、それはヤバい!


「私も気になります。やっぱり"一番"は最初に好きって言ってくれた私ですよね?」

「いいえお姉ちゃん、もちろんあたしよ。男はみんな年下好きだもの」

「私、まだトップアイドルじゃないけど好きな気持ちと期間はトップだよ!」

「陽紀君……もちろんゲームでも夫婦の私だよね?」


 雪の言葉は開戦の合図。

 何気ない問いとともに4人の少女たちは一斉にこちらへと詰め寄ってくる。

 なんてこと聞いてくれたんだこの妹は!!


「雪……お前……」

「おにぃ……」

「雪……」


 目と目で交わされる兄妹の絆。

 心を通わせこれからどうすればいいか通じ会える。そう、雪。その質問は無粋だったと今すぐ取り下げるんだ。今ならまだ間に合う!!


「それじゃあおにぃ、ご飯前の軽い運動へ行ってらっしゃい」

「っ――――!」

「あっ、逃げた!!」


 雪の言葉は全ての合図。その言葉を皮切りに俺は全力で床を蹴って外へと走り出す。

 やはり兄妹の絆なんてありはしないんだ。むしろいつ蹴落とすかの偽りの絆だ。


 一番を決められない俺は逃げるように部屋を飛び出し、4人は誰よりも先に捕まえようと一斉に動き出す。


 冬休みのとてもとても何気ない日。俺たちはいつものようにみんなで笑い合って走り出すと同時に、これからもこんな日々が続くことを確信した朝なのであった。

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