193.覆せない運命


 元旦。夜。

 冬ともあってもうすっかり暗くなり道行く人が居なくなった時間帯。

 ……いや、春でも夏でもこの時間は真っ暗になっていることだろう。

 夏ならば幾分か快適に動きやすくなる頃。一方で冬ならば寒さが増して厚着しないとロクに外も出歩けない。


 正確には夜というより朝といった方が正しいだろう。

 0時を回り、元旦さえ過ぎ去った2日の朝。もうちょっとで東から太陽が登ってくるであろう時間帯に、俺たちはまるで真っ昼間の如くテンションの上がった状態で会話に興じていた。


「見てみて灯火ちゃん!外すっごいよ!空との境目がわからないくらい真っ暗!」

「本当ですね。これだけ暗いと光魔法覚えずに挑んだ洞窟ステージを思い出します。……でも、魔法使いのセツナならこんなに暗くても魔法で辺り一帯明るく出来るんじゃないでしょうか?」

「それだ! セツナ!!」

「よし!任せて頂戴!あたしの魔法なら昼のように明るく……って出来るわけないでしょ!洞窟じゃなくて吹きっさらしなのよ!ここ!!」


 アイドル2人の無茶振りに見事なノリツッコミで返事をするのは我がチームのツッコミ担当、那由多。……失礼、魔術担当セツナだ。

 彼女の言葉に俺も窓の外へ視線を動かすと、本当に真っ黒であった。全てを飲み込む漆黒の暗闇。それは天と地を隔てるものが何もなく、ただただ真っ白なキャンパスに黒い絵の具をぶちまけたかのような純然たる黒。

 まるで光さえも吸い込むブラックホールのようで、一人で見たなら寒気さえ覚えるほどだが今は仲間がみんな居る。特に後方女子陣の明るさが暗闇を飲み込まんとする中、俺は隣に座る女性に焦点をあわせる。


「ねぇねぇ陽紀君、ここらへん詳しいんだよね?どこかいい感じに停められそうな場所ない?」

「それならあそこなんてどうです?ちょうど駐車場もありますし、階段で下に降りられますよ

「いいねぇ。コンビニ見当たらなかったのは残念だけど、あんまりドライブしてても時間がもったいないし、ここらで一旦降りよっか」


 俺の視線に気づいたのか話しかけた女性は慣れた手付きでウィンカーをチカチカと鳴らす。

 手にしたハンドルで大きく車を曲げて駐車場に車をつけ、降車したのは闇の中。

 車から降りた瞬間我が身を打ち付ける冷たい南風。冬を象徴する、身が凍えそうになるほどの冷たさだ。更に冷気とともに鼻をくすぐるは潮の香り。家や街などで感じる風とは一線を画すほど潮気の強い香りが、暗くともここがどこに居るのかを示していた。



「海だ~!」


 車から降りるやいなや夜とは思えない元気な声が聞こえてくる。若葉はいつだって元気だ。

 スマホのライトを頼りに階段を駆け下りて砂浜に降り立った彼女は靴を放り投げてどんどん奥へ走っていく。


「ちょっと~!暗いんだから気をつけなさいよね~!」

「わかってる~!」


 那由多の呼びかけもそこそこにペースを落とすことなく走る若葉。

 真っ暗なこの場において彼女の居場所はライトだけが頼りだ。奥に進み過ぎていずれ闇に呑まれてしまうんじゃないかと思ったところ、何かに阻まれたかのように突然踵を返してこちらに戻ってくる。


「ひゃ~! みんなちょっと大変だよっ!海すっごく冷たい!!」


 …………何を当たり前のことを。


 真冬の海。それは当然ながら死ぬほど冷たくなっているのだろう。夏の真っ昼間なんかじゃない。冬の真夜中だ。

 海の冷たさに行く手を阻まれた若葉だったがその表情は楽しそうだ。彼女の笑みを見て女性陣たちも俺も、続々と階段を降りていく。



 冬の、それも真夜中の海。

 それはよっぽどな理由がなければ来ることのない静寂な空間だ。

 人の気配は全くなく、ただ波の揺らめきだけが俺たちの耳に響く様はまさに文字通り"静かの海"。

 きっとこの場所も24時間前ならば人で溢れていたことだろう。しかしそれも昨日限定。一日経てばよっぽど奇特な人でないとこんな時間の海に来ることはないだろう。


 そんな奇特な人々が………俺たちだ。

 事態は昼間。甘酒に酔っていた若葉の一言、「初日の出見てなかった~!」との言葉から始まる。

 確かに大晦日は年越しと初詣のみで海には行っていない。けれど過ぎ去ったものは取り返せないと諦めていた所、どこからかそれを聞きつけた神鳥 恵那さん特に奇特な人が「なら今晩見に行けば良いじゃない!」という言葉で全ての歯車が回り始めた。

 完全なる思いつき。そして悪ノリ。その時は冗談だろうと流していたが、深夜叩き起こされたことで現実だと理解した。

 いつの間にかレンタカーまで借りていた社長さん。みんなに引っ張られるがままに車に乗り込んだらあっという間に海の到着だ。


 正直俺は安眠も邪魔されたし全然乗り気で無かったけど、お土産の高級コーヒー豆には勝てなかったよ…………



「社長っ!日の出まであとどれくらい!?」

「う~ん……あと30分かなぁ。そろそろ空も白んで来ると思うよ」

「だったらまだ遊べるね!行こっ!麻由加ちゃん!」

「えっ!?あ、はい!」


 若葉に手を引かれた麻由加さんも、ともに暗い砂浜へと駆け出していく。

 あと30分で日の出か……。初日の出としては1周分遅くはあるがこういうのは気分だ。それに昔家族で見に来た初日の出は人が多くて大変だった。しかし今日みたいな誰もいない海というのもまた非日常感がしてすごく良い。


「陽紀君は行かないのかい?」

「……社長さん」


 みんな揃って駆ける少女たちを見守っていると、階段を降りながら社長さんが声をかけてきた。

 どうやら一度車に戻っていたようで階段側の砂浜にレジャーシートを広げながら紙コップに湯気の立つ何かを注いで渡してくれる。

 この香りはコーヒーだ。深みと苦味を連想させる安堵効果を感じさせる香り。きっと俺にくれた豆を別に淹れていてくれたのだろう。湯気と一緒に沸き立つ香りに鼻孔をくすぐらせながら並ぶようにして隣に腰を下ろす。


「俺はいいです。こうして見守るのも楽しいですから」

「おや、それは私への告白ってことでいいのかな?いやぁ、照れるなぁ。あんなに若くて可愛い子たちを差し置いて"おねーさん"を選んでくれるだなんて」

「何言ってるんですか。みんなに絡まれたら貰ったコーヒーぶちまけるからに決まってますよ」


 からかいながら驚きの声を上げる社長さんに俺は肩をすくめコーヒーを啜る。

 まだ何も言っていないのに先手して自分のことを"おねーさん"と評するその強さはこの人してあの2人ありと納得させられた。さすが親代わりということはある。特にら若葉は主に社長さんの影響が強いのかも知れない。


「ぶぅ。つれないなー。だったらお話しようよ。ほら、だんだんお空も明るくなってきたしさ」


 彼女の言葉に顔をあげると、確かに若干ではあるが空が白んできた。さっきまでライトが必須だったのに向こうの砂浜で遊んでいる少女たちの影が動いているのが見て取れる。雲も出ていなさそうだし、これなら間違いなく日の出も見られることだろう。

 俺は居住まいを正して思案する。これは聞きたかったことを問いかけられるいいチャンスだ。


「じゃあ、俺から質問いいですか?」

「もちろん。何でも聞いて。 あ、私のスリーサイズはヒミツだからね。あの子達のなら教えるからさ」

「いえ、そういうのではなく……」


 スリーサイズか……。

 むしろ今朝方不慮の事故的な感じで一部聞いてしまったんだよなぁ。

 気にならないわけではない。聞いてもあの2人なら怒らないと思うけど、そういうのはちゃんと手順を踏んでからだと思う。もちろんシラフ前提で。


「社長さんにとってあの2人はアイドルになって良かったと思いますか?」

「……どういう意味だい?」

「いえ、こっちに来てから2人とも……特に若葉は人前に出る時すごく気を使っているので」


 チラリと横目でこちらを見る視線。それは睨んでいるようにも思えて少し怯んでしまう。

 無理もない。2人を排出する立場の人間、彼女にそれを聞いたら怪訝な顔をされるのは当たり前だろう。

 しかし聞いてみたいと思った。聞いても大丈夫だと思った。


 若葉と灯火。2人のアイドルが居るという関係上、どうしても人目というものは気にしなければならなくなる。

 外を出る時は変装をし、変装しないのなら深夜や今朝の初詣のように人が居ないタイミングを狙う。それはそれで俺としては物珍しさから楽しいものだが、彼女たちはどうなのだろう。

 毎日人の目を気にして大変ではないだろうか。辛いと思わないのだろうか。買い物1つ、自販機1つ行くのに苦労して嫌になったりしていないのだろうか。


「本人に聞いてみたりはしないの?」

「多分、俺から聞いても二つ返事で大丈夫って言われそうで」

「あははっ!そうだね。みんな君のこと大好きだから絶対言うだろうね!」


 あっけらかんと笑う社長さんはそのままグイッとコーヒーを流し込む。

 フゥ……と熱いコーヒーから沸き立つ湯気を口から吐き出しながら白んでいく空と同化する湯気を見守っていく。


「……まぁ、あの世界で活躍するってそういうことだから。売れれば売れるほど普通の生活はできなくなるし学生ならなおさら"普通の青春"からは遠ざかっていく。何か思うことがあるから実際若葉ちゃんは休止したのかもしれないしね」

「思う……こと……」


 若葉は以前言っていた。青春をやり直したいと。

 もしかしたら抑圧された感情が爆発した結果、ゲーム部で正体を明かしたのかもしれない。

 もしかしたら俺がこっちに残るのは彼女に負担を強いる結果になったのかも知れない。

 もしかしたら彼女は女優やアイドルの道を突き進みたかったかも知れない。

 なんだか嫌な予感ばかりが俺の頭の中を駆け巡る。しかしそんな最中、ポンと肩に手が乗せられた。


「あんまり深く考えないほうがいいよ。きっと考えているそのどれもが君の誤解や思い過ごしなんだからさ」

「誤解ですか?」

「そっ。私からも聞きたいんだけど、しばらくみんなと過ごしてきてこんな生活嫌だって言われたりした?アイドルに戻りたいって言われたことは?」

「いえ、そんなことは……」


 そんなことはなかった。

 最初の出会いが記憶の彼方になるくらい色々とあったが誰からもそんなことは言われたりしなかった。


「ならそれが答えだよ。アイドルになって疲れたりはあるだろうけど、自分の選択が間違ってただなんて私も聞いたことがなかった。ならそれでいいんじゃないかな?」

「でも、それだったら若葉の休んだ理由である青春だってロクにできないんじゃあ……!」


 そこまで言って俺は口を噤む。

 それは隣の彼女が優しい瞳で首を振っていたから。

 そんな考えを優しく否定するような微笑みに俺も肩の力を抜くと彼女はスッと指を指して海に入っている若葉に目を向ける。


「うひゃあ、こんな冬の海に入って寒そうだ。 ……あの子ね、2人きりで話す時何を言ってるか知ってる?」

「いえ……」

「もちろん仕事の話をしてるんだけどね、それ以上に君の話ばっかりしてるんだよ。『陽紀君にドライヤーかけてもらった!』とか『陽紀君の学校に潜入した!』とか『陽紀君の好きな食べ物作りに挑戦した!』とかそんなのばっかり。もう私は君以上に君について詳しいかもね」


 そんなことを……。

 目線の先には那由多と水を掛け合って遊んでいる若葉の姿が。

 隣の彼女は「だからね……」と言葉を続ける。


「私が思うに青春っていうのは陽紀君と一緒に過ごすこと自体を指すんじゃないかな。君がいれば家で過ごすのも外で遊ぶのも、あの子にとっては関係ないと思うよ」

 

 優しく告げる彼女に俺は目を落とす。

 下げた視線の先には暖かなコーヒーが風に吹かれて揺らめいている。"青春"とはなにか。彼女のもつそれは俺が思う以上に簡単なものなのかも知れない。


「陽紀く~んっ!」

「若葉……?」


 白めく世界に輝く金青。俺を呼ぶ声に再び顔を上げれば若葉が大きく手を振ってこちらを呼びかけていた。


「行ってあげなよ。きっと若葉ちゃんだけじゃなく他のみんなもきっと同じ気持ちなんだからさ。君が居ないと始まらないよ」

「………わかりました」


 グイッとコップを傾けてコーヒーを一気飲みする。

 苦い、深みのある飲み慣れた味。けれど彼女たちの甘さのせいで今日はそれが余計に苦く感じる。

 しかしそれもいいアクセントだ。俺は端から滴るコーヒーを袖でグイッと拭うと前を見据え砂浜を硬く踏みしめる。


「ありがとうございました。なんだか少しスッキリしたような気がします」

「なんのなんの!迷える若人を導くのが大人の役割だからね。でも最後に、こちらからも最後に1つ質問していいかな?」

「なんでしょう?」


 柔らかな砂浜をしっかり踏みしめ彼女と向き合えば、そう言って懐から何かを取り出してみせる。

 小さな長方形の箱。大きさ的に12本入の鉛筆より若干小さいくらいのよう。

 段々と明るくなっていく世界からそこに書かれた文字がなんとなく見えてくる。

 えぇとなになに……『妊娠検査―――』えっ………


「若葉ちゃんから君について色々聞いてる時、1つ気になることも聞いちゃったんだ。『灯火ちゃんと一緒に陽紀君と一緒に寝ちゃった!』って。もしかして、ウチの大事なアイドルを揃ってキズモノにしちゃったり?」

「しっ……してません!断じてこんなことは!!誓って!!」


 な、なんでそんなものを……ってか若葉!なに余計なことまで言っちゃってるの!?


「ほんとかな~?あぁでも、もしそういうことをするつもりならちゃんと注意はするんだよ。一応念のためにこれを渡しておくから致した後は――――」

「し、しません!そういうの俺たちには早すぎますから! そ、それじゃあ失礼します!!」

「―――あ~あ、行っちゃった」


 俺は逃げ出すように砂を勢いよく蹴ってスタートダッシュを決めながら呼びかける彼女たちへと猛ダッシュする。


 取り残される大人の女性。彼女は渡すことのなかったカラ・・の箱をしまい、一人呟いた。


「頑張れウブな少年。君は4人の肉食獣に狙われた子羊だけど、それでもきっと……多分幸せが待っているさ!」



 ――――やはり誰の目から見ても、彼に定められた餌の運命は覆せないのかもしれない。

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