187.餌
大晦日。
それは1年最後の日。一年で溜めてしまった汚れを一気に洗い流し、蕎麦を食べて来年へのゲンを担ぎ、108個あるといわれる煩悩を除夜の鐘によって消し去った後清らかな状態で次の年へと迎える大切な日。
1年の終わり。1年の始まり。その境目が着々と近づくカウントダウンの日だ。
個人的にこの日はいい思い出しかない。
昔はクリスマスプレゼントとして貰ったもので遊びながら一日を過ごし、翌日に控えるお年玉という最強最高なイベントを心待ちにしながらネットで欲しい物を漁りに漁ったものだ。
オモチャにゲーム、ちょっと良い珈琲豆など。学校の勉強はキライなのにネットにチラシに動画サイトで商品の特徴を調べるのは一日中やっていても苦じゃなかった。「掃除しなさい」という母からの叱咤はセットだが、それさえも引っくるめて楽しい思い出である。
そして忘れてはならないのがごちそうだ。掃除が終われば待っているごちそうの数々。
1日早いがつまみ食いしようとして開けた数の子に普段よりちょっとだけ豪勢になった夕飯。遅くなれば海老が乗った蕎麦が待っていてこのまま行くと太るなぁと危機感を覚えるほど。
しかしそれでも食べることはやめない。1年の最初と最後くらいパーッと楽しもうというのがウチの流儀である。
――――それは引っ越してからでも変わらない。
クリスマス終わってすぐの引っ越し。親元離れて一人暮らし……いや、雪も加えて二人暮らしとなったこのアパート。
上に知り合い、下にも知り合いと正直独り立ちした感なんて皆無だが、それでも大人の居ない環境で数日が過ぎ、ついに年越しの時となった。
空はもうすっかり暗くなり、良い子は寝る時間といわれる頃。
この部屋にテレビはないがきっと実家では色別に分かれる歌番組が大盛りあがりしていることだろう。もしくはお笑い番組で笑顔あふれているかもしれない。
年越しまであと数時間。ちょっとだけ豪勢な夕食を終えてノンビリ思い思いの時間を過ごしながら年越しまで待とうかと言う頃に、"ヤツ"は動き出した。
「実家に帰らせて頂きます!!」
「………はぁ?」
手にしていたスマホで動画サイトを見ていたヤツは突然そんなことを言い出して勢いよく立ち上がった。
ウチへ入り浸るようになった仲間たちはポカンとしているが、俺は呆れた表情で隣のそれを見上げてみせる。
「突然どうしたの雪ちゃん?もしかして私達と一緒に年越しするのイヤになっちゃった?」
そういって不思議そうに問いかけるは若葉。もうすっかりウチの住民と化した若葉だ。
なにも若葉だけじゃない。麻由加さんも、那由多も、そして年末年始ということで仕事を控えめに入り浸っている灯火だって。全員が睡眠時以外は常にこの部屋に来るようになった。それは全員何かを伺っているような、そして全員で何かを牽制しているような、そんな気がするものだ。
そのうちの一人、若葉が問いかけるも雪は黙って首を振る。また何かへんな影響を受けたのか。そう思ったけれど発言は本気のようで荷物をまとめ始めながら口を開く。
「そんな事ないですよ若葉さん!むしろ私も皆さんと年越ししたいと思ってますっ!」
「私もっ!でも、お家帰るんだよね?」
「はい……。だってあたしが居ると皆さん牽制し合っちゃって、おにぃへ何も出来なくなっちゃってますよね?」
「「「!!」」」
雪の核心を突く一言に女性陣は目を見開き、俺はブルリと身体を震わせる。
確かに心当たりはある。まだこっちに越してきて日は浅いがその攻勢に陰りが出たことくらいは感じ取っていた。正確には日中ずっとこの部屋に居てもキスとかそういうものはしてこなったことだろう。示し合わせたかはわからない。けれどせいぜい抱きつくくらいでそれ以上に発展したことは一度もない。少なくとも身の危険を感じることは一度もない。
そしてその理由が雪が居るからということも薄々理解していた。
雪もそれを理解していたのだ。そして自ら焚きつけようというのだ。
だがちょっと待って欲しい。自身を客観視できていることはいい。褒めるべきだ。しかし雪が居なくなる……それは……それは!
「だから年越しくらい、おにぃを皆さんにお譲りしようかと!あ、ですが初詣は一緒に行きましょうね!」
「ちょっと待て雪!」
「何?
雪がいなくなる。それは枷がなくなるということ。枷がなくなった獣は暴れるのは目に見えている。
暴れるとは物理的にそうなるわけではない。直近で記憶に新しいのは那由多だろうか。彼女と初めて交わし……奪われたキス。その時はまさに蹂躙と言って差し支えないものだった。
そして今回も解き放たれたらどうなるだろう。そんなもの薄氷の上でタップダンスを踊るようなものだ
つまり何が起こるかわからない。割れるかもしれないし奇跡的に割れないかもしれない。
その危機感から呼び止めたが呆れたように肩をすくめて向き合う雪。その瞳は見下げるものだった。
いい加減諦めろ。もう逃げ場なんてないんだ。そう言外に言われているような気もしたが、先回りして扉前に立った俺は諦めず雪に向かい合う。
「えと……外は暗いし、俺が送ってくよ」
「え、イヤ。なんでライオンの群れがいる檻から餌だけを抜き取ろうとする必要あるの。あたしを殺す気?」
俺を殺す気か!?
しかもライオンと餌って言ったぞ!!
なんとか交渉の言葉を探す俺と意にも介さない雪。
準備の終えたヤツの行動は早かった。あっという間に俺をすり抜け「良いお年を~」と言い残して部屋を出てしまう。
俺の部屋という名の檻。
出ていってしまった扉に向かったままジッとしているとひたすら突き刺さるような視線が背中に直撃。
一体誰の視線だろう……いや、一人だけじゃない。複数だ。それも2人3人じゃない。きっと全員。
「あの……みなさん、このまま大人しく仲良く年越しを迎えるというのは……」
「イ・ヤ。でも、仲良くというのは……賛成ね」
ニッコリいい笑顔で断罪するは那由多。
彼女の言葉を皮切りに、ジリジリと全員が俺へとにじり寄ってくる。
このまま背を向けて脱出しようとしても扉を開ける短時間で捕まるだろうし、そうでなくとも体力の違いで駄目だ。
つまり詰み。後ずさって扉に背中をぶつけた俺はただ彼女らが迫ってくるのを見ていることしかできない。
「待って!ステイ!話し合おう!俺たちはきっとわかりあえる!」
「確かに雪ちゃんの言う通りみんな陽紀君に遠慮しちゃってたかも。だから……」
「みんないっしょに仲良く………"一緒に遊びましょう"?」
駄目だ話を聞いてない!これはもう……逃げるしかない!!
ゾットする危機感を覚えた俺は身体を180度回転させてドアノブを開く――――も開かない!
雪め!鍵閉めやがった!!
鍵といってもこの部屋は普通のアパート。外側からは物理的な鍵が必要で内側からは指2本で開け閉め出来る。けれど不意打ちかの如き施錠。それに気付き開けるという工程で大幅なロスだ。
逃げるには一秒一瞬が何よりも貴重になってくる。その一瞬が明暗を分けるからだ。しかし当然ながら体力にも戦力にも多大な差がある俺と彼女たち。結局捕まった俺は獣たちの玩具にされるのであった。
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