186.言葉にせずとも伝わるアピール
朝。それは一日の始まりであると同時に昨日の終わりである。
何を当たり前のことをという話ではあるが、どれだけ昨日騒いでも、昨日がどれだけ幸せな一日でも、朝を迎えてしまえばそれは全て終わりを迎えリセットされてしまうのだ。
当然時というものは連続している。古来何億年前より積み重なった現代、今まで一欠片も欠けず連続しているとはいってもそれは物理的な話、人の感覚的には朝というものはリセットの時間なのだ。
この家に引っ越してきた初めての夜。そこで行われた歓迎会は盛大に豪勢に執り行われた。
豪華な料理に今となっては大枚はたいても見ることのできないアイドル2人のデュエット。まるでクリスマスが再びやってきたかのような楽しい時間だった。
しかし始まりがあれば当然終わりもある。そうしてみんなで笑った夜も次第に更け、それぞれの部屋に戻っていった。
俺と雪は2階へ、麻由加さんと那由多は1階へ。どうやら灯火は3階で休むらしい。
部屋に戻ったら普段の日常と変わりない。雪と相談しながら風呂に入り明日の準備をして日付が変わる前に床へつく。実家に居るときと変わらないルーティーンだ。
更に床についた後の夢見も良かった。もう遥か記憶の彼方のように朧気になってしまったが、それでも楽しかった夢というのは強く印象に残っている。
みんなが楽しく食卓を囲んでいる夢。そこには若葉に麻由加さんに那由多に灯火、雪だっている。場所はどこか……落ち着いた雰囲気でテーブルがたくさんある場所、手元には湯気立つコーヒーが置かれていることから喫茶店だろうか。何も人目を気にすることなく会話を楽しんでいる姿が浮かんでいる。
それはクリスマスパーティー、はたまた引っ越しパーティーの続きのようで。何だかんだ楽しかったなと振り返りながらも光指す水面へと意識を浮上させて…………
「麻由加ちゃ~んっ!ジャガイモ剥くのってこんな感じ?」
「あぁっ!ダメです若葉さん包丁掲げちゃ! 危ないのでピーラー使ってください!」
意識を……
「灯火~、洗濯物ってこんな感じで干せばいいんだよね?」
「ん、完璧。でも下着類は雪ちゃんのもあるから部屋干しでね。それと陽紀さんの下着あったらキチンと"処理"するから私に頂戴」
「昨日に引き続き今日も推し2人が朝から手料理と洗濯を……夢じゃないよね?あたし現世にとどまってるよね!?」
「若葉さん芽も取らず入れちゃダメです!そのジャガイモちょっと貸してください!」
………浮上、したくないなぁ。
何故か聞こえる少女たちの声。
若葉は相変わらず包丁関連で危ないこと言ってるし、灯火に至っては危険どころか何するつもりだよ。怖いよ。
頼れるのは名取姉妹だろうか。アイドルはやはり家事に問題を抱えているものなのかもしれない。
こういう時は三十六計逃げるにしかず。物理的に逃げることは不可能だから意識的に逃げよう。なぁに、幸いにも今日も冬休み、1日中寝てたって問題ない。今日からは叩き起こしに来る母さんだっていないんだ。ってわけで布団を深くかぶっていざ眠りの世界へ――――
「陽紀く~んっ!あっさだよ~!!」
「ぐへぇ!?」
苦悶。
耳に届く不穏な話し声から逃げるように再び眠りにつこうとした瞬間、突如として何らかの衝撃が俺の腹へと直撃した。
完全なる不意打ち。突然の衝撃に俺の身体はくの字に曲がり沈みかけていた意識が強制的に現実へと舞い戻る。
「わ……若葉か?」
「えへへ、おはよう!もう朝だよっ!」
チュッと頬にキスをされるが今の俺はそれどころじゃない。
ムクリと身体を起こし見えた景色はキッチンとベランダに立つ二組の女性陣たちの姿だった。
遠くのキッチンには麻由加さんが何かを味見している様子が見て取れ、後方のベランダでは那由多と灯火が洗濯物を干している。
そして未だ抱きついている若葉はエプロン姿だった。俺と目を合わせた後頬ずりしてくる彼女は心底楽しそう。
………そっか。そういえば今日からみんな同じ建物で過ごすんだよな。
雪も居るんだ。奴が迎え入れるんだとしたら朝からみんな俺の部屋に居ることもなんら不思議じゃないだろう。
「おはよっ!」
「………おはよう若葉。ちゃんとジャガイモの芽は取ったか?」
「それはぁ……!その、聞いてたの……?」
恥ずかしそうに両の手の指先をつついているが、そんなの決まっているじゃないか。
「バッチリ」
「ちゃ、ちゃんと芽を取らなくちゃってわかってたんだよ!でも何ていうか普段と違う環境でちょっと忘れてたというかなんというか……」
慌てて解説を始める若葉の頭をワシャワシャと撫でて立ち上がる。
何故かウチの家事を分担してやってくれている少女たち。彼女らを眺めながらたどり着いたのは一人の少女がせわしなく動いているキッチン。
そこに置かれていたのは焦げ1つ無い綺麗な玉子焼きだった。黄色く頭にチョコンと大根おろしの乗った和風玉子焼き。随分多く焼いたみたいで30個弱くらいありそうだ。こんなにあるなら1つくらいちょこっと頂いても――――
「こ~らっ!」
「あいたっ!」
―――失敗。
手を伸ばした瞬間を見逃さなかった麻由加さんの平手が俺の手の甲をはたいた。
「まだ出来上がってないのでもう少しだけ待ってください。顔洗って着替えればすぐですから」
「あ、あぁ……わかった」
失敗したのなら仕方ないと悔しさを感じながら諦めて洗面所に向かおうとする。しかし扉に手をかけた時、「待ってください!」と呼び止められた。
「おはようございます陽紀くん。今日もあなたの顔を見られてよかったです」
「おはよう麻由加さん。俺もだよ」
まっすぐストレートに表される好意。若葉に麻由加さんに。2人から投げかけられる言葉は水で顔を洗うよりも遥かに俺の目を覚まさせるのには十分だった。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「………ってかさぁ、おにぃ」
今日の朝ごはんは和食だ。
ご飯にジャガイモが入った味噌汁、玉子焼きに鮭の塩焼き。
ザ・絵に書いたような朝ごはん。きっとどこか旅館の朝ごはんと言い張っても通じそうなほどの出来栄えだ。しかも見た目もさることながら味も素晴らしい。若干甘めで味噌汁もくどくない。まさに俺好みといった理想の朝食そのものだった。
朝からこれを食べられるとはなんと幸せか。その喜びを噛み締めながら口に運んでいると雪がだるそうな声で語りかけてくる。
「なんだよ雪。キライなものでもあったのか?」
「そうじゃないんだけどさ……なんというか、順応し過ぎじゃない?朝起きたらみんな居る~!って驚くと期待して朝早く招き入れたのにさぁ」
何かと思えばそのことか。
ブゥと膨れる雪が目に入る。
俺もちょっとは驚いたよ。話し声が聞こえた時どうしてとも。でもね……人間には驚きを薄れさせる不思議な力が備わってるんだ。
「そりゃあ向こうの家に居た時から散々起きたら誰かが居るってあったしな。慣れるだろ普通」
「そっかぁ~。新しい家ならもしかしたらって思ったんだけどなぁ。失敗したぁ」
それこそ人間の不思議な力、慣れ。
俺が若葉のすてみタックルで叩き起こされてもパニックにならず、更にみんなを自然に受け入れられたのはそれが理由だ。
そもそもむしろ昨日寝る段階からもしかしたらとは思っていた。そうであったらいいなとも。さすが兄妹、考えることは同じらしい。
「でもさおにぃ、その膝の上に乗せるのももしかして慣れなの?」
「…………あぁ。多分」
ジト目になっている雪と決して目を合わせることなく小さく頷く。
朝ごはんの場。全員でテーブルを囲むことで人口密度が高くなる時間だ。
昨日引っ越してきた俺たち。故に家具家電はほぼ揃ってはいるが完全とは決していえない。特に顕著なのがこのテーブルだ。
ある程度大きなテーブルを用意してもらったとはいえ6人揃うとなるとどうしても手狭になる。一人ひとりのスペースを最小化しても収まるのはようやく5人。どうしても1人溢れてしまう。そうして取った対策は…………
「陽紀さん、次何食べる?何でも言って」
膝の上に乗りながら楽しげに目を配らせるのは灯火。最も小さな背丈をもつ灯火だ。
一番小さく一番軽い。そして最も会える頻度が少ないという理由から密約が交わされていたらしく、満場一致で彼女が俺の膝に乗ることが決まっていた。
これまでに何度もあ~んをされながら朝食をつつく。恥ずかしいことこの上ない。
「じゃあ、玉子焼きで」
「ん、わかった。玉子焼きね」
「……あぁちょっと待った灯火。こっち見て」
「えっ?何かあったの――――わぷっ」
俺のリクエストを聞いて食べ物を取ろうとするさなか、とある一箇所が気になった俺は彼女を呼びかけた。
振り向いた瞬間、問答無用で顔に押し当てるティッシュ。彼女の口元にはぷるんとした唇の他に真っ赤なルージュのようなケチャップが付いていたのだ。それをゴシゴシと手を押し当てて汚れを取って離すとパチクリと呆ける灯火が見て取れる。
「ぇっ……あれっ……? なんで離れたの?キス、するんじゃ?」
「キス!?どうして!? ただケチャップ付いてただけだからな!」
「あっ……。そうだったんだ………ありがと……」
なんでそんな残念そうにする。
しかもそんなに頬紅く染めたら俺も恥ずかしくなってくるじゃないか。
なんだか微妙な空気になってしまった俺と灯火。
シュンと彼女は丸くなってしまって食事どころじゃなくなってしまっている。仕方ない、少し食べ辛いけどこのまま玉子焼きにでも手を伸ばしてしまおう。
「………ねぇ麻由加さん」
「!! は、はい!何でしょう陽紀くん!」
玉子焼きに手を伸ばしかけたところで、俺は視線の先に座る麻由加さんに目が止まった。
正確には彼女の口元。そこには灯火と全く同じ位置にケチャップが。彼女は待ってましたというように背筋をピンと伸ばして返事する。
「ケチャップ、付いてるよ」
「ど、どこでしょう!?私にはわからないのでその……取って貰えませんか!?」
「はいはい……」
彼女に言われちゃ仕方ない。惚れた弱みみたいなもんだ。
俺はもう一枚ティッシュを取ってその口元を拭ってみせる。
「えへへ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
そう言ってはにかむ彼女はとても可愛い。
さすがは麻由加さんだ。何をするにしても品がある。そう思ってもう一度玉子焼きに手を伸ばそうとすると今度は反対側から服を引っ張られる。この方向は……若葉?
「どうした?若葉」
「ん!ん!!」
振り返って問いかけても意味のわかる返事はない。けれど何かをアピールするように示す指先で全てを理解した。
口元にはケチャップ。そしてアピールする若葉。
……なるほどね。
聡明な俺は一瞬で理解し、もう一度ティッシュを――――取ることなく持った箸で玉子焼きを口に持っていく。
「ん~~!」
「ほら若葉、口元汚れてるぞ。ちゃんと拭きな」
若葉のアピールする声は今なお聞こえる。しかし口で指摘はするものの決して手は伸ばさない。
声にならない抗議が聞こえるが俺はどこ吹く風で朝ごはんに手を付ける。
「ん~!ん~!!」
――――年明けも近い朝、今日も平和な食事であった。
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