182.白き夜
クリスマスといえば豪華な食事に豪華な飾り付け。そして大切な人との団欒となるだろう。
むしろ料理や飾りなんてただの副産物。大切な人と一緒にいること。それが何よりも大事だと俺は考える。
家族、恋人、友人。何でもいい。特別なことをしなくたっていい。ただ自分が好きな人と一緒に過ごすのが大切なのだ。
そんな冷たい風が吹くクリスマスの一幕。
ふと振り返ってみれば
若葉と灯火がアイドル時代の曲をデュエットしつつ雪がどこからか持ってきたペンライトで盛り上げ、那由多が頬杖ついて呆れつつも笑顔でケーキを口に運んでいる。
なんてことのない平和な日常。しかし同時に、ここまで来たかと感慨深くもなってしまう。
去年のクリスマスはなんてことのない日だった。
母さんが用意してくれた豪華な食事を食べ、クリスマスプレゼントを雪と一緒に喜ぶといったちょっとだけ豪華な日。
しかし食事を終えれば俺はまた自室へ逆戻り。パソコンを付けていつもの世界へとダイブしていた。
あの日はみんな都合悪かったのか誰もインしてこなかったっけ。それでつまんなくなって俺も早々に寝たような記憶がある。
けれど今日は違う。その"みんな"は目の前にいる。
アスルは若葉として、セツナは那由多として、ファルケは灯火として。
まるでゲームから飛び出したかのようにゲームの仲間みんながこうして俺の家で仲良く、そして楽しく食事を囲んでいるのだ。
去年とは様変わりしたこの風景。俺の日常は若葉の来訪をきっかけに瞬く間に移り変わる怒涛のような日々へと変貌した。
本当に色々…………あったなぁ。
若葉がウチに泊まりに来たり雪の友人がセツナだったりファルケの相談に乗りに行ったらまさかの灯火だったり麻由加さんがゲーム始めてくれたり。
その上全員に告白されるなんて……もう一生分の運を使い切った気がする。
「このままだったら俺、来年には殺されるかもなぁ……」
一人呟くは振り返った果てにある感想。
誰に殺されるって?そりゃあ……コーヒーに?カフェイン中毒的な?
それは冗談だがこんな夢みたいな日常、コーヒー飲まないと信じられない。
冷たい風に吹かれながら飲む温かいコーヒーの苦味が俺に安心感と今はまさに現実であることを教えてくれる。
やはりコーヒーはいい。去年も、今年も、来年だって変わらないであろうコーヒーの芳醇な香りと苦味。もうすっかり慣れた舌はそれを受け入れると同時にフゥと肩の力を抜けさせてくれる。
食後の……特にケーキ後に飲むコーヒーは格別だ。更にこの寒さと暖かさのアンマッチ感が余計コーヒーの良さを際立たせてくれる。
「死んだらダメですよ。そうなったら私、迷わず後追いしちゃいますから」
「……麻由加さん」
クスリと笑いながらリビングの大きな窓に腰掛けている俺に話しかけたのは麻由加さん。その手には湯気立つカップが握られている。
彼女は何を言うわけでもなく隣に腰掛け、ピトリと肩を触れさせる。
「どうされたんです突然殺されるなんて。何か恨みを買われるようなことされましたか?」
「大したことじゃないよ。……あぁ、クリスマスの麻由加さんを独占したからそっちのクラスの人に刺されるかも」
「大丈夫ですよ。その時は私も一緒ですので。あ、もちろん恨みは晴らしておきますので安心してください」
はて、なにが大丈夫なのだろう。その場合2人仲良く天国行きなんですが。
しかしそれはそれでまた……ねぇ。
「そうなったら残される若葉たちが心配だな……」
「そうでしょうか?心配いらないと思いますよ。きっとみなさんもすぐに後を追ってくると思いますので」
「やめてくれ……俺一人の死で世の中の損失大きすぎるだろ……」
「ふふっ、なら陽紀くんもそんな事言わず、長生きしないといけませんね」
何一つ本気のない軽口を言い合って笑い合う。
そりゃあそうだなぁ。死ねないなぁ。
「わかりましたか?」と念押しする麻由加さんに頷いて俺は空を見上げた。
あいにくと星は見えない曇り模様。しかしそれでもなんだか見上げている内に星が見えてくるような気さえしてくる。きっと星のように輝くみんながいるからだ。
寂しい夜空。しかし寂しくない空間。その境目にいるような感覚に襲われていると、ふと鼻孔をくすぐる芳醇な香りが漂ってきて現実へと引き戻される。
「あれ?この香りは……コーヒー?」
「あ、気づかれましたか?」
俺の手にしているコーヒーはついさっき全部飲み終わった。
ならばどこからその香りが漂っているのだろと思えば、彼女の持ち上げたカップから漂ってきていることに気がついた。
嗅ぎ慣れたコーヒーの香り。白いカップとは対象的な黒々とした液体。それを顔前までやってニコッと笑ってみせた彼女は躊躇すること無くそれを口元で傾ける。
「あっ!」
「んくっ……んくっ……。はぁ。やはりまだ慣れないですね」
少しだけ顔をしかめながら戻したカップに残されるのはほんの僅かな数滴程度。この一息で全て飲んでみせたのだ。
きっとコーヒーサーバーに残されたものを持ってきたのだろう。あれは俺が淹れたもの。自分で言うのもなんだが、俺は苦い豆かつ濃い味好きだ。だからコーヒーに慣れた他の人が飲んでもアレはキツイだろうと理解している。それを全て一息に飲んでみせたのだ。那由多は以前口を付けただけでだめだったものを。
「よく飲めたね……驚いたよ」
「はい。実はコッソリ練習していたんです。飲めるように」
「なんで……必要でもないのに……」
俺がコーヒーを飲み始めたのは長くゲームをするのにカフェインを求めて。つまり必要に迫られて。
彼女はそんなこと必要ないだろう。少なくとも俺が知る限り連日夜更かしなんてしていない。
「なんでって、そんなの決まってるじゃないですか」
驚きと困惑を浮かべる俺とは対象的に、彼女は当たり前のような顔で空を見上げる。
何も映らない夜空。つられて同じく顔をあげると、コテンと隣に座る彼女が頭を預けてきた。
「陽紀くんと一緒の視線に立ちたいからですよ。ゲームでは追いつく前に正体がバレちゃいましたがコーヒーではサプライズ成功でしたね
「サプライズってそんな無理に飲まなくても……」
「いえ、私が飲みたかったのです。ゲームもコーヒー……これからも続く長い人生、できる限り陽紀くんと一緒に同じものを楽しみたいですから」
それってつまり、これから麻由加さんは俺と………
いや、野暮なことを聞くのはよそう。そういうのは聞くもんじゃない。心で感じ取るものなんだ。
「そうだね」
小さく出した簡潔な言葉。
これで良いのだろう。きっと。クリスマスの夜、空を見上げながら話すのに多くの言葉はいらない。
「あっ…………」
それは、どちらが出た言葉だろう。
ふとした感嘆の言葉。何かに気付く、漏れ出る言葉。
同時に気づいた俺たちは示し合わせることなく空を見上げた。
ふわり、はらりと舞い降りる白い結晶。
それはリビングからの光に照らされて美しく輝き、彼女の鼻に当たったかと思えばあっという間に消え去ってしまう。
「雪だ……」
そう、雪。空から舞い降りる結晶だ。
これだけ寒いんだ。雪の1つも降りはするだろう。しかしここ降るのはまた凄いタイミングだ。
「ホワイトクリスマス、ですね」
「そうだね……」
きっとこれくらいなら積もるほどにはならないだろう。
けれどこの町には珍しい幻想的な雪。それを好きな人と見られただけで何よりも嬉しいことだった。
「陽紀くん………」
ポツリ。そんな声が聞こえたような気がした。
もしかしたら空耳かもしれないほどか細い声。後方から聞こえる賑やかな声に紛れて消え去っていてもおかしくないほどの声量。
しかし聞き間違いではないとすぐさま理解した。
幸せな時、楽しい時の共有。それは彼女も望み、俺も望むこと。
ふと麻由加さんが俺を見つめてきていることに気づく。潤んだ瞳。プルンとした唇。何かを求めているようで、しかし口には決して出さない彼女は何を言うわけでもなく瞳を閉じた。
俺も言葉はいらなかった。ただ彼女はそれを求めている。頭ではなく心で理解していた。
願いに応えるよう、俺も瞳を閉じて彼女の顔に近づいていき――――
「は~る~きくんっ!」
「おわっ!?」
―――しかし、最後までその行動を実行されるのは許されなかった。
あと数秒でその距離がゼロになる。そう思って瞳を閉じた瞬間、突然俺を呼ぶ楽しげな声とともに背中へ強い衝撃が走った。
思わず前のめりになってしまうこの身体。気づけば両肩から何者かの手が伸びておりおんぶするような耐性で抱きついてきたのだと理解する。
「えへへ~。な~にしてるのっ!早くこっち来て遊ぼうよ!」
「若葉ってば良いところで……。いやいいや。空見てみ、空」
「お空……? あぁ!雪だぁ!!」
俺の肩から楽しげに話しかけてきたのは若葉。
邪魔されたのは遺憾だがいちいち腹を立てることもないだろう。心と心が通じ合っている。それが理解できただけで十分だ。
気を取り直して俺の指は天高くへ。彼女もようやく気づいたようで目を輝かせる。
「こっちで見る雪は初めてだなぁ………そうだ!それだったら雪に関する曲幾つか歌っちゃおうか!カラオケ大会しよ!カラオケ!」
「いいですねっ!私上からスピーカー持ってきます!!」
「さっすが雪ちゃん!任せたぁ! ほら、陽紀君も一緒に歌おっ!」
まるで嵐のように現れて続々と突き進んでいくアイドル。
そんな手をかざす彼女を見て、俺はその手を取り、同時に隣の彼女の手も取った。
「わかったよ。でも、だったら麻由加さんも一緒に歌わないとな」
「えぇっ!?私もですか!?」
「いいねっ!麻由加ちゃんと一緒に歌ったことなかったし!リードするから一緒に歌お!」
どうせ歌うのなら。回避できないなら道連れだ。踊らにゃ損々ってやつだ。
若葉の突撃によってすっかり二人きりの雰囲気なんか崩壊してしまった窓際の世界。そこに置かれた空っぽのカップは2つ仲良く寄り添っているのであった。
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