181.最も近くに座るのは


「ふはははは~! 敬え~跪け~!鍋奉行様のお通りじゃ~!」

「はは~!若葉様~!!」


 ………なんだこれ。いやホントなんだこれ。


 雪綿を探しに旅に出てから十数分。目当てのものを手にリビングへ戻ってくるとそこは俺の知らぬ世界だった。


 物置にて那由多とひと悶着あってからしばらく。

 押し倒していた彼女は満足したかのように俺の上から離れ、その手には求めていたであろう雪綿が握られていた。

 そうして布団に倒れ込んでいる俺を引っ張り上げてから彼女の告げた言葉は一言。「戻るわよ」の言葉のみ。

 まるで何事も無かったかのような。それなのに口の中には血の味がほんのりと残りながら俺は黙って歩く那由多について階下まで降りていった。


 そうして戻り、目に入ったのは今の状況だ。俺が世話していた鍋を手に持ち凱旋する若葉が高笑いし、脇にはまるで従者のようにひれ伏す雪もセットだ。

 たかが十数分。されど十数分。この暫くの間にリビングは様変わりしていた。いや、もしかしたら俺が料理に目を向けていて周りに気づかなかっただけかもしれない。

 壁には折り紙で作ったリースがこれでもかというくらいに貼り付けられており、最も目を引く最奥には『Merry Christmas』の文字がデカデカと掛けられていた。

 クリスマスツリーは……流石に人の背丈程のものは用意できなかったため卓上のもので我慢。しかしそれ以外については完璧だ。

 みんな頑張ってくれていたようでいつの間にかクリスマスパーティーの準備は万端。日も沈んだことだしあとは料理を運ぶだけ……といったところで目にするは高々に笑う若葉。


 なぁ若葉、一体いつから勇者から魔王へジョブチェンジした?


「何やってるんだ?魔王」

「あっ!?陽紀君おかえり! ご飯の準備できたよ~!」


 そんな母さんみたいなこと言われても。

 それ出汁から作ったの俺だよね。若葉料理できないはずだし。


 クリスマス。そう聞いて思い浮かぶ食事は色々あるだろう。

 ローストチキンやアップルパイ、ステーキやミネストローネ。ところによったら寿司なんて出てくるかもしれない。

 ウチも普段は有名なチェーン店でチキンを頼むのが主流であった。しかし今日は文字通り鍋である。

 魔王ムーヴでテーブルにたどり着いた若葉が蓋を空けて香るは芳醇な鶏から出た出汁の香り。今日は寄せ鍋だ。


 何も最初から鍋にするつもりはなかった。

 若葉に麻由加さん、那由多というお客さんを迎える以上、何かしら凝った料理を作ろうかと考えたが、雪に「普段からみんなこれ以上のものを平気で食べている」と言われたのが今回のきっかけだ。

 麻由加さんらはお家が良い所の人。若葉だってアイドルに親が女優という時点で言わずもがなだ。まさに身分の違う関係。そこで提案されたのが鍋という選択肢。


 鍋はいい。

 1つの鍋をみんなで囲むことで自然と会話が生まれるし、何より準備が楽だ。

 切って焼いて炒めて茹でて蒸して……そんな面倒な工程は殆ど吹き飛ばして、切って鍋に突っ込む。それだけで完成する手軽さ。更に食材を選べば栄養も豊富に取れるという、まさに万能料理。

 食材は随分と多めに準備してしまったが、食べきれなかった分は後日へ回せるから問題ない。つまり攻守完璧。人類の編み出した至高の料理の1つ。それが鍋というものだ。


「何ぼーっとしてるの?パーティー始めちゃうよ?」

「いやだって、母さん帰ってきてないだろ。遅すぎないか?」


 早くも準備されていく料理の数々。しかし予定されているであろうメンバーは2人足りない。

 父さんと母さん。珍しく帰って来るはずの父さんを待たずに始めるのは不味いだろ。

 そう考えていると雪は不思議そうな顔をして問いかける。


「えっ、若葉さんから聞いてないの?今日お母さんはお父さんとホテルのスイートルームで優雅に一泊だよ」

「なっ!?なんで!?」


 なにそれ!?そんなの聞いてない!!


「ふっふっふ……実は私が計画したことだよっ!ちょっとしたお義母さんへの親孝行なのだ!えっへん!」


 自ら自白する企みの主は若葉。

 いや聞いてない!というかなんで親(偽物)孝行やっちゃってるの!?するなら咲良さんへだよね!?


 しかし驚愕すると同時にいない理由も理解する。そりゃあ遅いわけだ。つまり今日の予定はここのメンバーだけと。


「ところで陽紀君は雪綿見つけられた?」

「え?あぁ………雪綿はこの通りな」

「良かった!じゃあ早く敷き詰めてご飯にしちゃおっ!陽紀君!那由多ちゃん!」

「そうね。行くわよセリア」

「あ、あぁ……」


 誰も彼もが母さんがいない事を気にしていないということはみんな知っていたのだろう。

 知らなかったのは俺だけか。まぁ不都合もないし良いんだけどさ。


 1つ嘆息して輪の中に入ろうとすると、先に戻ろうと前を歩いていた那由多がこちらを向き、一瞬だけ人差し指を立てて口元に当てる。


 料理の準備をしているみんなからは見えない、俺だけが目にする小さな動作。誰も見ていないことを良いことにウインクした上投げキッス。

 それはついさっきの事を彷彿とさせる一撃だった。突然畳み掛けてくる攻撃にドクンと心臓が高鳴る。

 さっきのことはヒミツ。でも嘘偽りなんて無いんだと。言外にそう言っているようであの感触を思い出しその場で固まってしまった。


 人とは……女の子とはあんなに柔らかなものなのか。

 貪るようなキス。それなのに感じるそのどれもが愛情を感じられて柔らかさ、そして暖かさと全ての意識が一点に集中したあの瞬間。

 文字通り満たされる感覚だった。飄々と雪綿片手に戻っていく彼女はどうしてあんなに平然としていられるのだろう。そう思いながら続くように一歩踏み出すと、聞き慣れた音が部屋中に響き渡る。


 ピンポーン。


 それは普段から度々、今日だって彼女らを迎え入れる時に聞いた何者かの来客を告げる音。

 我が家のインターホンだ。はて、誰が来たのだろう。父さんや母さん?雪たちによるとどっかのホテルに行ったみたいだけど財布でも忘れたか?


 古来よりインターホンが鳴れば最も手が空き最も近い者が応対するのが世の常。

 この場合リビングに入りたてかつ、雪綿も那由多に取られ何もすることがなくなった俺にお鉢が回ってきた。

 しかし2人なら鍵も持っているハズだしインターホン鳴らすはずも無いのになぁ……。そんな事を考えながら玄関まで向かっていく。


「どちらさ―――」

「来ちゃった」

「―――ま……」


 ガチャリと不用心に何も考えず開けたその扉。

 リビングと違い寒さに震える玄関にて冷たい扉を開くと、そこには一人の女の子が立っていた。


 驚いたのはその赤さだ。

 染まるのは寒さだろう。頬がほんのりと赤くなっており金色の髪からのぞかせる琥珀のような瞳がこちらを見上げて少し恥ずかしげに後ろでになっている。

 更に驚くべきは、全身を包む赤色だった。上から下まで真っ赤な衣装。氷点下にも近いこの季節にどれだけ頑張ったのだろう。膝丈よりも短いミニスカート。上は上で温かいフワフワとした材質だがその袖は半袖どころかタンクトップほどまで短い、もはや冬に着るようなものではないと一瞬で分かる衣装。更には帽子まで完備だ。


 けれどそれは冬専用かつ、衣装というのは俺の目からでも明らかだった。その理由はもちろん、赤さにある。

 首元、スカートの裾部分のみが白く、他は薔薇のように染まる見事な赤色がその証拠だ。

 更に白のポンポン付き帽子でトドメ。彼女の衣装はどう見てもミニスカサンタそのものだった。


「とう……か?」

「えへへ、頑張ってお仕事終わらせて来たよ。褒めて褒めて」


 そう言ってはにかみながら俺の手を自らの頭に誘導する彼女は間違いなく灯火だった。

 されるがままに彼女の頭を撫でる俺は思考する。なぜこのタイミングで。なぜそんな突飛な衣装で。なぜ一人で。

 色々と疑問が浮かび上がるがとりあえず告げるのは―――――


「………外は寒いし、上がってく?」


 それは思考放棄の一言。

 ミニスカにタンクトップ。明らかに寒そうな彼女は当然、二つ返事で頷くのであった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



『それでは続きまして"ロワゾブルー"の灯火さんにお話を伺って見ようと思います!そちらの様子はいかがですか~!?』

『は~いっ!こちら灯火で~すっ!』

「あ、そこの部分。無理言って撮って出しにしてもらったの。室内で陽の位置もわからないしちょうどいいかなって」


 テレビ画面には笑顔を浮かべている一人のアイドルが楽しげに明日開店とかいう屋内の施設について解説している。

 施設の紹介をしたり広いところで歌って踊ったり……。アイドルってこんなこともするのか。大変だな。

 しかしその表情は心底楽しそうな笑顔だ。少なくとも以前雪たちが懸念した暗さなど感じられないと思う。


「これが今日最後の仕事でね。おわったら陽紀さんの家に行けるって張り切ってたんだ」


 そう解説してくれるのは画面に出ている顔と同じ顔……むしろ本人である古鷹 灯火。

 アイドルで俺のいる街と東京を行き来して、そして幼なじみでもある灯火。彼女の声は俺の真正面から聞こえている。


「えっと……灯火、ちゃん」

「何でしょう?若葉さん」

「サンタさんの恰好なのはいいとして、なんでその……陽紀君の上に乗ってるのかなぁ?」

「なんでって、私が乗りたいのと今日一日頑張ったご褒美?」

「む~!! 私だって乗りたいの我慢してるのに~!陽紀く~んっ!私も今日一日頑張ったからお膝乗せて~!!」


 無茶言いなさんな若葉さんや。

 俺は巨人族じゃない。膝の上に乗せられるのはせいぜい一人が限界だ。


 今日はクリスマスパーティー。そして囲むのはついさっき出来上がったばかりの鍋。

 俺たちは普段食事するスペースで鍋を取り囲んでいた。

 食事をするのだから着席する。子供でも分かる当然のことだ。俺たちが食事するのは普段使っているテーブルだからそこに集まる。これも当然のこと。


 しかしここで一点問題が発生する。我が家はここまで多くの人が同時に食事をする想定をしてこなかったことだ。

 普段使っている椅子は4つ。そして物置や自室など様々な場所を漁って出てきたテーブルに合う椅子は俺がPCで遊ぶ時に使う一点のみ。

 とすると合計5。しかしここに集うは6人。どう考えても1つ足りない。

 そうして灯火自身が提案し自ら実践したのは"誰かの膝の上に乗る"ということ。こうなればあとはどうなるかは明白。PCチェアに腰掛ける俺に腰掛けてきたのが灯火というわけだ。


 背丈の小さな彼女。俺の目の前には彼女の頭が見えていて、おおよそ同じ人間なのか不思議になるほど芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。女の子というのはどうしてこうもいい香りがするのだろう。一日働いて汗もかいたであろう灯火でさえこうして間近にいても不快どころか正反対の感情を抱くような香りが漂っている。

 男子なんて1時間マラソンしただけで更衣室では制汗剤使いまくってるというのに。


「むふ~。今日頑張った人の特権」

「うぅ~!なら交代!陽紀君もそれでいいよね!?」

「いや……俺は向こうのテレビ用ソファーで食べるからさ。2人はゆっくり座ってなよ」

「「それはダメ!!」」

「………はい」


 今日一番の提案かと思ったが無慈悲の却下。

 一気にシュンとなる俺を見て遠巻きに眺めていた麻由加さんは「あはは……」と苦笑いするのが見えたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る