180.血の味の正体は


「ここが物置?なんだか思ったよりも片付いてるわね」

「そりゃあちょっと前まで人が寝泊まりしてた部屋だからな」

「あら、たしかに布団積み重なって……。ってことはここがアスルの部屋だったわけ?アイドル連れ込んでイチャコラしてたヒミツの部屋!?」

「んなことするかっ!!」


 ここは那由多の求める雪綿をしまってある物置部屋。

 使わなくなったタンスや椅子、鏡や古くなったゲーム機など様々なものが雑多に置かれた我が家唯一の空き部屋。そこに足を踏み入れた第一声が事実無根の流布だった。

 その言説は多分に虚偽が含まれているぞ!!


「え、じゃあお兄さんの自室でイチャコラ……?」

「いやそんな事………! ないとぉ……おもう」

「何その微妙な反応………やっぱり本当に大人の階段を………」

「ち、違うっ!あれは未遂!!そういうのに至ってないからっ!!」


 俺の部屋。

 そしてイチャコラという言葉を聞いて真っ先に思い出したのはつい先日の筋肉痛で動けなくなった日。

 あの日は灯火も一緒になって俺に両側から引っ付かれて……ダメだ!思い出すだけで顔が暑くなるんだから抑えるんだ!!


「未遂……ねぇ。あたしという都合の良い彼女とお姉ちゃんっていう正妻がいながら浮気?それはよくないわね」

「いや何言ってるんだよ。そもそも一番攻めて来たのはその麻由加さんなんだから――――」

「お姉ちゃん?どういうこと?」

「あっ――――」


 口を動かしながらも手を動かす。

 雪綿を探しているさなか、ふと問い返される言葉に俺は口が滑ってしまったのだと瞬時に理解した。

 筋肉痛で死んだ日。麻由加さんに添い寝されてキスして襲われかけた日。あの日一番ヤバイと感じたのは麻由加さんだった。

 姉妹だから当然知っているかと思っていたが知らなかったとは。怪訝な表情をする那由多に俺は冷や汗が流れる。


「セリア、それいつの話?」

「いや……その……ちょっと前にジム行っただろ?その翌日看病?してくれてる時に襲われかけて」

「あの時ね……。そういえば帰ってきたお姉ちゃんの様子おかしかったわ」


 あぁ、帰ってからもちょっとおかしかったんだ。

 あんなに攻め攻めな麻由加さん初めて見たもんな。むしろ半ば無理やりキスした俺が悪のだが。

 揃って棚を漁っていた俺たちだったが、その言葉の後ほんの少しの静寂を挟んだかと思えば那由多はニヤリとした笑顔でこちらを覗き込んでくる。


「ふふんっ」

「……なんだよ」

「その時のお姉ちゃんの様子、知りたい?」

「…………まぁ」


 まるでとっておきのヒミツを隠している子供のような笑顔。


 知りたいか知りたくないかでいえば無論知りたいに決まっている。

 反射的にイエスと本音を口にしてしまったが、同時に「しまった」とさえ思ってしまう。覗き込むニヤリとした顔。フッフッフと笑って見せる表情。その全てが罠だと気づいていたのに。


「ううんっ!やっぱり聞きたくない!」

「あの時のお姉ちゃんはね、帰った途端部屋に入っていったのよ。あたしもちょっと用事があって気づかれないまま着いて行ったらまさかの光景を見ちゃってね…………。何があったか聞きたい?」


 話すのかよ……。

 急いで出した訂正の言葉も彼女の耳は右から左だった。

 容赦なく語りかける当時の彼女。部屋で……なにがあったんだ?尽きぬ好奇心からついつい『聞きたくない』と言った俺でさえ頷いてしまう。


 しかし、この頷きが彼女の仕掛けた絶好の罠だった。


「それはねぇ…………こうっ!」

「うわっ!?」


 今からヒミツの話をするように手を口元に当てつつ手招きする彼女に、俺はホイホイと身体を丸めたその時だった。

 身体を丸めれば自然と重心は後ろへ行く。その事を重々理解していたのだろう。小さなその身長に合わせるため背中を丸めた瞬間、狙いすましたかのような足払いが見事に決まった。


 足払い。

 それは敵の攻撃を一時的に止めるスタン技。

 右から左へと手にしている武器を足元で払って攻撃し、弱い敵なら一定時間の行動不能状態を付与、ボス敵なら多少程度のダメージとなるスキル。

 近接のアタッカー専用のスキルを魔法使いの彼女が使ったのだ。考えてみればここは現実なのだからジョブ縛りがないことなんて当然なのだが、まさか攻撃をされるとは思わずクリーンヒットした俺は見事後方へと尻もちを着いてしまう。

 しかし今回に限ってはダメージについては一切無い。

 それもそのはず。ここは物置。俺たちの後ろには鎮座するように膝丈ほどの布団の山が出来上がっていたのだ。


 つい先日までこの部屋に居候していたどこぞのアイドルが使用していた布団。まるで若葉がここでも俺を守るかのように倒れ込む俺をふわりと包み込んでくれる。


「何す……グエッ!」

「こういうことよ。『陽紀くんを押し倒してしまいました……!もう少しで……うぅっ……!』って。喜んでるのか悲しんでるのか分かんないこと言ってたわ」


 布団の山に尻もちつく俺。畳み掛けるように那由多は膝の上に飛び乗ってきて両肩を持って押し倒してきた。

 立っている状態から突然視界が低くなり、即座に天井へと移り変わる。突如として目まぐるしく動く視界にパチクリしていると、下から那由多が覗き込んできてニヤリと口元を歪めた。


「那由多……?」

「あたしね、そんなお姉ちゃんを見てからずっとモヤモヤしてたの。それでスーパーで抱きしめられてからモヤモヤが一気に強くなって………ようやく答えが出たわ」

「その……モヤモヤの答えって?」

「えぇ、それはね……。あたしはやっぱりアンタのことが大好きってことよ!」

「今度は何をっ―――! ~~~~~!!」


 押し倒しながら見下ろす彼女の手が俺の頭に触れ、意識が逸れたたった一瞬。

 彼女はその一瞬の間に俺との距離を0まで詰め、その唇を強く強く触れさせた。

 柔らかく、甘い香りが俺の脳内全てを満たす。見開く視界には同じくこちらを見つめる彼女がニヤリと目を細め、更に引き寄せる力を強くさせる。

 それは以前麻由加さんにやった俺と同じようなもの。彼女は初めてのキスを無理やり、そして力任せに成し遂げたのだ。


 ――――そこまでならまだいい。那由多はそれだけに留まらなかった。

 初めてのキスをしながら驚きに目を見開き、交差する視線。行動したのは彼女の視線がチラリと下へ向いた時。

 最初は俺も疑問から始まるものだった。柔らかく湿り気のある唇の触れさせ合い。それだけで俺は十分驚愕に値するのだが、ふとその閉じられた扉に何かがノックする感触があったのだ。

 驚きも時が経てば慣れというものが生まれる。時間が生んだ僅かな余白。余裕という名の余白がノックという存在に疑問を抱かせ閉じていた唇の力を抜いた瞬間、那由多の猛攻撃が始まった。


 僅かに空いた空白。それを好機と見た那由多は全軍突撃するかのように自らの力全てをもって開きかけた扉をこじ開けようとする。

 突然のことに俺も驚いて閉じようとしたが時すでに遅し。一点集中突破で押し込んだ彼女のそれは、俺の扉を完全に開きいともたやすく城内へと押し入ったのだ。


「んっ……ん~~!」

「はっ……ぷぁっ………んっ…………!!」


 初めてなのに。全ての驚きを過去にするキス。ディープキス。

 俺の口内に侵入した彼女の舌は俺の舌を、歯を、全てを味わい尽くそうと暴れまわる。

 縦横無尽に駆け巡る那由多と初めての経験にパニックになる俺。どうすれば良いかもわからず、力いっぱい押し返そうとしても体重を掛けて攻めてくる彼女には敵いようもない。

 ならばともう一度城門を閉じようと必死な状態で口を閉じようとする。


「ん゛っ!!」

「っ……!あ、ゴメン!」


 無理やり閉じようとしてやってしまった。

 閉めゆく唇とともに閉じゆく歯。そんな状態で彼女の舌が入り込んでいたらどうなるかは明白だ。

 ガリッ!と何かを噛む音と感触が俺の脳内に響き渡る。その瞬間、弾かれたように彼女の身体は後ろへと跳ねて声にならない声を発する。


 何かを堪えるように顔をしかめて口元に手をやる那由多。

 次第に多少楽になったのか掌を下げるとそこにはいくらかの血が。


「ん、いいのよ。あたしが無理やりやったんだしこれくらい許容範囲よ」

「はぁ……はぁ……。 痛く、ないのか?」

「そりゃあ痛いわよ。でもそうね……。キスの喜びに比べたらこのくらい大したことない……わよっ!!」

「えっ………ん~!!!」


 またも。二度目のキス。

 今度は俺も呆けていたためか難なく彼女の侵入を許してしまった。

 再び口内で暴れ出す那由多。俺の脳はピチャピチャと水の跳ねる音と鉄分の味が全てだった。


「ぅん……セリア……すき……すきっ……!」

「ぷぁっ……セツ……ナッ……!んん……!」


 ただひたすらに貪られる俺という一個体。

 息が続くまで。限界に達しても息継ぎの後に即座に続きが執り行われていく。

 耳元で聞こえるのは愛をささやく声。次第に彼女の体力も限界に近づいたのか段々と押さえつける力がなくなっていき自然と俺たちは距離を取る。


「はぁ……はぁ……セツ……ナ?」


 馬乗りになりながら見下ろしてくる那由多。

 肩で息をしつつもその目は一点俺の唇を見つめている。その体がふと動き3回目かと思われたが、彼女は俺の胸元に身体を倒しギュッと手を回し抱きしめた。


「……最初はお姉ちゃんが幸せになればいいって思ったの。あたしは妹。お姉ちゃんが幸せになって、そのお溢れを貰えれば良いって」

「…………」

「でもやっぱりダメ。あたしもアンタが好き。大好き! だからこれからはアイドル2人よりも……お姉ちゃんよりも早くアンタをあたしのものにしてあげるわ」


 ギュッと抱きしめながら告げるのは決意の言葉。

 俺の口の中にはずっと彼女の舌の感触と、ほんのりと感じる鉄の味が暫く残り続けるのだった。

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