173.再戦
『見事我が部長を倒した挑戦者には、バスケットいっぱいのお菓子詰め合わせをプレゼントいたしま~す!』
元気いっぱい実況の人の掛け声とともに、観客たちから一杯の拍手が舞い上がる。
そこはゲーム部の会場パソコン室。ここで繰り広げられる熱戦は、ついさっきまで頂点に達する盛り上がりを見せていた。
ここの主催であるゲーム部。その部長を圧倒した"正体不明"は、今まさにお菓子の詰まったバスケットを受け取りながら観客たちに向けて手を振っていた。
"正体不明"……もといよく見慣れた変装姿。
何故彼女がここに。そしてチケットも無いのにどうやって入り込んだのだろう。そう思っていると、ふと見渡した観客の中に見慣れた姿を見つけてしまう。
「雪!」
「ん……?あ、おにぃ」
散々家で見てきたその姿は、学校があったわけでもないのに中学の制服に身を包んだ妹の雪。
ヤツの名前を呼ぶと拍手していた手を止めこちらに振り返った後に近づいてくる。
「やっほ。きちゃった」
「まさか本当に来るとはな……。別にいいんだが、よれより壇上に立ってるアレは一体なんなんだ?」
「やだなぁ解ってるくせに。お兄ちゃんのことがだぁいすきなお義姉ちゃん候補だよっ!」
なんだよお義姉ちゃん候補って。……いやいい解説しなくって。
しかしまさかとは思ったが、やっぱり壇上に立っているのは若葉だったのか。
アイドルとしての経験が生きているのか変装しながらも堂に入った手の振り方で、通報されてもおかしくない不審者なのに不審に思われなくなっている。
さすがはゲーム部といったところだろう。正体を隠すとかいう中二の一面がある姿を見事受け入れてしまっている。
「こんにちは雪さん」
「麻由加さんも一緒だったんですね!こんにちはっ!」
「雪さん。先程、わか―――アスルさんのことを"お義姉ちゃん候補"と言っておりましたが、それは一体どういう……?」
「ちょっとした言葉の綾ですのでお気になさらず!麻由加さんも同じくお義姉ちゃん候補ですので!」
「まぁ。そうなのですね。そう思っていただき私も嬉しいです。 ふふっ」
麻由加さん……。大人の対応だ。
雪の言ってることなんか8割位はインスピレーションとか適当な感じだから聞き流していいのに。
雪がいるということは母さんがいる。そう思って辺りを見渡してみたもののその姿は見当たらない。
これはきっと俺のチケットを使って雪と若葉が入り込んだというのだな。母さんがなんとか言っていたのは方便だったか。ちくしょう、騙された。
壇上では先程の試合のリプレイを流しながら実況の人が解説をしている。その様子を俺も眺めていると、ふと肩を叩いた雪がなにやらニヤニヤとイラッとする表情をしていて内心イラッとするのを麻由加さんの手前なんとか押し留める。
「なんだよ雪」
「いや~。おにぃってばやっぱりデートだったんだぁ。まっさきにゲーム部へ来ると思ってたのに来なかったからまさかと思ってたんだよね~」
「……悪いかよ」
「いやいや~。むしろあたしゃ嬉しいんだよ。みんなと仲良くなっておにぃの将来はどう転んでも安泰だなぁって」
まるで老人のようにフォッフォッフォと無いヒゲを撫でる雪に俺は肩をすくめる。
たしかに今日はデートだ。それは麻由加さんと話したことだし俺も否定することはない。けれど将来が安定とは限らないだろうに。俺が捨てられる可能性が大いにある。
「やっぱり、おにぃ最大の夢であるヒモも案外遠くないかな?」
「おい、なんで俺の夢がヒモって勝手になってるんだ」
「えっ、陽紀くんは将来ヒモになりたいのですか?」
「違うからね!?雪が勝手に言ってるだけだからね!?」
ちょっと雪!?何故無い髭撫でながら突然延焼させようとしてるんだ!
そんな事言われちゃ失望されて一気に捨てられる可能性が高くなるじゃないか!俺はちゃんと学校出て働くからね!?
「そうなのですか……?ヒモでしたら私でも叶えられそうなお願いだったのですが……残念です」
「誤解しないでね。雪の妄言なだけで俺にそんな願いは――――それホント?」
彼女の口から出たまさかの肯定的な言葉に思わず聞き返してしまう。
まさかの麻由加さんがヒモ肯定派?あの真面目な彼女が?
確かに彼女の家はいいところにある。それだけで家としての力があることは明白だろう。
家柄を考慮せずとも彼女の成績はトップクラスだ。ヒモという手段も取れなくはない。でもだからといって……いやしかし……でもその魅力的な言葉は――――
『―――さてっ!ここらで最後に部長を打ち破った挑戦者に一言いただきましょう!!』
「!!」
思いもしなかった麻由加さんの発言で自分の世界に入ろうとしているさなか、一際大きく聞こえた実況者の声に俺は現実へと引き戻され、辺りもザワッとどよめきが大きくなる。
壇上に目を向ければマイクを向けられている若葉がジッと立ち尽くしていた。
サングラス越しにマイクをジッと見つめている彼女。
まさか喋るのか……?いくら変装しているとはいえその声を発すれば勘のいい人ならすぐに気づかれるかもしれない。両側に立つ2人も同じ思いのようで3人揃って壇上の彼女を固唾を呑んで見守る。
しかし実況者も、一向に喋り始めないことに痺れを切らしてマイクを引っ込めようとしたその時……
『まさか勝てるとは思わず、とても嬉しいです。皆様応援ありがとうございます』
そんな声が、部屋中に聞こえた。
それは間違いなく若葉の声…………ではなく、この場に不釣り合いな人間のものとすら思えぬ声だった。
いや、俺は知っている。これは動画サイトなどでよく使われる読み上げソフトの声だ。
発せられる音声源は若葉の持っているスマホのスピーカー。暫く立ち尽くしていた彼女はおもむろにスマホを取り出してあっという間に感謝の一言を述べてみせたのだ。
まさかのウルトラCな乗り切り方。思いもよらぬ突破方法に俺は驚きと安堵、両方の感情が混在する。まさかこんな方法で喋るだなんて……若葉め、考えたな。
生声が聞けると思った実況者も一瞬だけポカンとしていたがすぐに意識を取り戻し自らの仕事を全うする。
『そ、そうでしたか!いやぁ、見事な戦闘でしたが、やはり経験がある方でしたか?』
話を続けるように問われた彼女は続いてスマホに文字を打っていく。
『はい。本当に少し、嗜む程度ですが。……それよりもう一つ、こちらからもお願いがあるのですが』
嗜む程度って、アフリマンを倒して嗜むだったら『嗜む』の定義が壊れるじゃないか。
冷静に、そして淡々と喋るその音声から彼女の心を読み取ることは叶わない。けれどチラリとこちらを見たと思ったら"お願い"という言葉が飛び出した。なんだ?景品の倍プッシュか?
『お願い?どうされましたか?』
『はい。最後にエキシビジョンマッチといいますか、もう一戦だけ行いたいです』
淡々と彼女が壇上で提案したのはもう1戦のお願いだった。
実況の人も予想外のお願いだったらしく目を見開いて驚いているが、すぐに笑顔に戻って頷いて見せる。
『それはもちろん!!……といいたいのですが、ついさっきコテンパンにやられた部長は灰になって裏に引っ込んでいってしまったので……もしかして私でしょうか?残念ながら私はこのゲームは不慣れですのであっという間にやられちゃうと思いますよ』
そりゃそうだ。部長がむりなら他の人は無理だろう。
しかし彼女は顔を隠していても分かるように首を大きく横に振って、今度は観客側へと顔を向ける。
そのサングラス越しの目線は一瞬、俺達を捉えたような気がした。この顔の方向はまさか…………
『いいえ、私が戦いたいのはそこの……茶髪の女性です』
やはりだった。
ピッと若葉の指がこちらに示されると同時に皆の目が一斉に向けられる。
まさに壇上からの宣戦布告。正体不明の人物から麻由加さんへ。もはやゲーム部関係ない指名に実況者も困惑している。
『え~っと、あの人は確か深層の……。名取さんですよね?まさかの指名ですがどうされますか?不慣れでしょうし断って頂いても……』
「受けます!」
『即答!?』
実況の人もまさか麻由加さんが受けると思いもしなかったのだろう。
学校での彼女は図書委員で物静かであまり人と多くを関わらない人物。一方で"深層の令嬢"とまで呼ばれるそんな彼女がゲームをやっていることなど夢にも思わなかったのだ。
しかし現実はだいぶやり込んだゲーマーに片足突っ込んだ人物。まだレベリングの最中だがその実力はメキメキと付けていっている。その成長速度は俺も若葉も目を見張るものだ。
「麻由加さん、いいの?」
「もちろんです。あの日以来の若葉さんからの申し出。今度こそ勝って陽紀くんに勝利を捧げてみせます」
あの日。彼女が俺に告白してくれた日。
学校をサボって遊んだ日の最後、彼女は若葉に勝負を挑んだ。その時は敗北を喫してしまったが今回は奇しくも宣戦布告が逆となっている。
「おにぃ……」
「雪……」
心配して見守る俺を気遣ってか雪が隣に近づいてきた。
兄妹揃って壇上に上がっていく麻由加さんを目で追っていると、雪は再び口を開く。
「おにぃを賭けた2人の争い……。やっぱりおにぃはヒモが似合うと思うのっ……アタッ!」
「うっさい」
その口から飛び出したのは空気を読まない一言。
俺は一発受験生の頭に軽い手刀を与えて向かい合う2人の様子を見守るのであった。
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