165.永遠に取得できない白星
あぁ、なんて気持ちのいい朝なのだろう。
晴れやかな青い空、元気の飛び回る鳥たち。階下から漂うほのかな甘い香り。
そのどれもが素晴らしく、土曜日の朝に彩りを加えている。
12月という季節から寒いのはいただけないがそれでも余りあるほど気持ちのいい朝だった。
時刻は午前6時半。朝起きるにはかなり早い時間。
それでも二度寝する気にもならずしっかりと睡眠を取れた充実感ばかりが俺の中で渦巻いていた。
夢見がよかったのも一因しているだろう。普段魔王を倒すゲームのような世界の夢を見た時は大抵何かしらの魔物に殺されるところで目が覚めるのだが、今日に限ってはしっかりと敵を倒した充実感とともに目覚めることができた。
まさに非の打ち所のない朝。天気と心がともに今日一日が最高だと占えるような快晴。
こんな良い日の始まりは早くに降りてちょっと凝った朝ごはんを作るのもいいかもしれない。
そう思って身体をスライドさせ、勢いよくベッドから降り立ってみせる。
「アレっ……?」
しかし、降り立ったその瞬間、意図せず膝は折れ曲がり地面に着いて地に手をつけた。
大きく揺れる視界と身体。反射的についた手も即座に走る電撃によって脱力してしまい身体全体が床へと倒れ込んでしまう。
「これはもしかして……パラライズ……!?」
パラライズとは普段やっているゲームに登場する魔法の1つ。
キャラクターが使うことはできないが敵が使用し、詠唱が完了すればこちらに麻痺を食らわせてくる厄介な妨害魔法だ。
麻痺になれば一定時間ごとにランダムで自分の行動がフリーズしてしまい、攻撃を避ける最中なら途中で停止させられダメージを負うことだってあるし、詠唱中だったらキャンセルされてまた唱え直しになるという、非常に厄介な状態異常である。
ゲームならば回復薬なり魔法なりで即座に解消することが出来るが、現実にそんな便利な魔法なんて存在しない。
俺は自分が麻痺に侵されていることを確信しながら、グシャアと床に倒れ込んだ―――
―――床に倒れ込んでからどれだけの時間が経過したのだろう。
10分?30分?それとも1時間?
動かない身体でジッとしていたから時間の感覚が無い。
それでもどうにかして幸いにも無事である首を捻りながら視界ギリギリにある壁掛け時計に目をやれば、カーテンの隙間から漏れる光によってかろうじて見える時間は7時半を指していた。
つまりおおよそ1時間こうしていたということになる。
1時間。俺がベッドから床に崩れ落ちて経過した時間。きっとそのまま二度寝したのだろう。身体を動かそうと試みるも麻痺が治っていないため立ち上がることはできない。
ゲームでも麻痺はせいぜい15秒やそこらだ。1時間で治らない状態異常を15秒で治すなんてさすがは勇者だと床を見ながら悠長に考える。
……でも、実際問題これからどうしよう。
麻痺の原因はなんとなく分かっている。でも解決する術は見当たらない。
せめて床に倒れているのをなんとかしたいが自分一人ではどうにもならない。スマホは……ベッドの上か。遠い……ほんの1メートル程度なのに遠すぎる。
誰か雪でも起こしに来てくれれば…………
「陽紀さん。起きてる……?」
「――――!!」
動けない身体でありもしない願いを考えていると即座に聞こえてくるノックの音と呼びかける声。
この声は……灯火!願いが通じたんだ!!
「ああ。おきてるよ……」
「よかった。 それじゃあ入らせてもらうね」
驚きと喜びで少し声がこわばってしまったが彼女はなんてこと無く扉を開く音がする。
あぁよかった。助かった。あとは起こして貰えれば完了だ。
それにしても若葉と灯火、二人とも部屋に入るプロセスが全然違うな。若葉は雪さながらお構いなしに入って俺を起こしに来るけど灯火は律儀にノックをしてくれる。
「………陽紀さん?」
けれども部屋に入ってきた彼女は俺を捉えられなかったようだ。
ベッドには捲られた毛布と放置されたスマホのみ。俺は反対方向を向いていて分からないが、きっとそこにいると思いこんでいたのだろう。
呼びかけたいところだけどさっき声に出してわかった。喋るのも結構辛いんだよね。うつ伏せになってるし、なんというかお腹の辺りが痛くなる。
しかし先程声を発したことから部屋にいるということは明らか。暫く見渡した彼女は「あっ」と呟いて俺の居場所をようやく特定したらしい。
さて、後は俺をベッドに引き上げてくれれば任務は完了だ。
「は、陽紀さん!? 大丈夫!?なにがあったの!?」
けれどそんな悠長な考えとは裏腹に、彼女は驚いたように駆け寄って声を荒らげた。
逆を向いているせいで見えないもののその声色から焦っていることが読み取れる。
「とう……か……」
「一体何があったの!?もしかして何かの病気!?そんな……いやっ! 若葉さ~ん!!雪ちゃ~ん!!陽紀さんが死んじゃう!!!」
………いや死なないからね!?
なんとか呼びかけようと思ってもうつ伏せ状態かつ腹部の痛みで喋ることが困難だ。
せめて仰向けになっていれば話は違ったのだが現実はそう甘くない。
更に肩を揺すってしまうものだから痛みが全員を駆け巡って俺も喋ることが出来なくなってしまっている。
ついにパニックになった彼女は階下にいるであろう2人を叫んで呼んでみせる。俺はその光景を目にして掴もうとして浮かせた手をパタリと地に放り投げるのであった。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「も~。おにぃってば紛らわしすぎ! なんでたかが筋肉痛で倒れるのかな~?」
「仕方ないだろ忘れてたんだから……。灯火も仕事前だって言うのにゴメンな」
「ううん。陽紀さんがなんともなくて良かった。私こそ勝手にパニックになっちゃってゴメンね」
灯火に死体遺棄現場……もとい俺の麻痺状態が見つかってから暫く。
彼女の呼びかけによって駆け上がってきた妹らみんなのても借りてなんとかベッドへと戻ることができた俺はゆっくり横になりながら灯火たちと向き合っていた。
さっきまで俺が倒れていた原因。それはただの筋肉痛。
脚や腕、腹部に至るまで何もかもが筋肉痛な俺はベッドから立ち上がることもできずに床に倒れ込んでしまったわけだ。
昨日のマッサージがあったとはいえそれで痛みがなくなるわけではない。あくまで緩和されるだけ。あれだけ走り込んだのだから相応の反動が来てしかるべきだろう。
そんな事をすっかり忘れていた俺は朝の目覚めの良さにつられて立ち上がろうとして見事失敗。灯火には迷惑をかけてしまった。
「陽紀君、やっぱり立てなさそう?」
「ん……。あぁ。難しそうだ」
若葉の問いにもう一度起き上がろうとするが腹筋に二の腕に、いたるところが傷んで起き上がれそうもない。
今日は一日寝たきり生活かも知れない。大事取って昨日ゲームもせず泥のように寝たんだがな……回復が足らなかったか。エリクサーちょうだい。
ところで若葉よ。なんでそんなに嬉しそうなんだい?
すごく嫌な予感しかしないのだけれど…………
「そっかぁ。ところで灯火ちゃん、今日の仕事は何時からなの?」
「はい。今日はリハもあるので11時には向こうに着いていればいいかと」
「じゃああと2時間くらいはゆっくり出来るんだね!」
つまりはそういうことだ。
現在時刻は8時前。移動時間も考えると10時半に出れば間に合う程だろう。
しかし何故この流れで時間の確認を……?
「ねぇ灯火ちゃん。陽紀君は寝たきりで動けない。そして時間には余裕がある。これはもう、やることなんて1つしかないよね?」
「わ、若葉……何を……」
「………そうですね。1つしか無いですね」
「灯火まで!?」
2人してアイコンタクトをして、何を企んでいるというのだ!?
徐々に腰を上げて迫ってくる少女2人……雪!雪は何をしている!?俺を助けておくれ!!
「人騒がせなおにぃは今日一日2人のオモチャになってて」
「雪……裏切りもの~!」
「あたしはいつだって2人のお姉ちゃんの味方だからね!それじゃ、ごゆっくり~」
裏切り者の雪はヒラヒラと手を適当に振りながらしたり顔で部屋の外まで。
取り残されたのは動けない俺と、獲物を前に舌なめずりする2人。これはやばい。何がやばいかわからないが、とにかくやばい。
脳内で警鐘を鳴らしまくっているが動くことができない。そうする間にも着々と迫ってくる。
「それじゃあ……」
「頂きます」
「や、やめ………ア~ッ!!!」
結局、いつまで経っても白星を上げられない俺なのであった。
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