162.アイドル故の多忙性


 世の中の物事は大抵、なにか1つ大きなものができると呼応するように関係するものが生まれてくる。

 例えば大昔京都から東京へ奠都されると首都が移った東京は大幅に栄えるようになり始め、例えば新しい駅が出来上がるとその周りにはホテルやデパート、交通の便だってそれに合わせるように変わっていく。

 つまりは相乗効果ないし波及効果。最初に移った者もその全てを細部に至るまで予知していたわけではないだろう。しかし1つものが出来上がるとそれに関係するものが周りにはでき始め、人々の生活は豊かになる。そうやって人は発展してきたのだ。


 何もそれは国だの都市だのに限った大きな話などではない。ゲームでいうと"コンボシステム"なんて似たようなものだし、数学ができるようになれば化学や物理もある程度理解が及ぶようになるのも立派な効果だ。

 もう少し生活に密着させると俺が今お邪魔しているジムだってその類に漏れることはない。この建物が出来上がったことで近くのスポーツ用品店は売上が多少なりとも上がったことだろう。

 相乗効果。悪い言い方をすれば経営者の陰謀めいたもの。


 結局何が言いたいかといえばスポーツをすればお腹が空いてくる。当たり前の生理現象だ。運動すれば空腹になる。更に言えばタンパク質が摂りたい。

 そしてそれを見計らったようにジム隣にあるコンビニには立派な筋トレ特設コーナーが用意されているのだ。プロテインにチキン、ゼリー飲料まで何でもござれといった具合に。

 まさしく他業種の企業が手を取り合った陰謀。そんな資本主義の成果に俺たちはまんまと嵌められていた。


「ん~! やっぱり運動の後はサラダチキンだね~!」


 そこはジムの入り口付近に設置された小さな休憩所。

 心ばかりかの自販機とベンチ、そして小さなテーブルが幾つか並んだスペースの中心からそんな声が聞こえてきた。

 スペース中央付近のテーブルで舌鼓を打つのは金青の髪を揺らす若葉。向かいには同じくサラダチキンを頬張る雪が座る。


「若葉さんってよく走り込んでますけど、アレくらいはよくやってるんですか?」

「ん~、今日くらいので8割くらいの距離かなぁ?普段は着込んだりしてるから強度的にはもっとしんどいかも?」

「うひゃ~。やっぱりアイドルでも体作りってハードなんですね。私なんて明日の筋肉痛が怖いですよ……」

「習慣と慣れだよ雪ちゃん!もし気になるなら一緒に走ってもいいし!!」


 うひゃ~。

 ……なんて雪と同じリアクションをしてみせるがさすがのアイドルバイタリティ。

 雪も俺もインドア系だ。雪はやんわりと断りの姿勢を見せてはいるが若葉は随分と乗り気である。俺も明日筋肉痛だろうな。結局目を回してから運動することは無かったが、それでもあのダッシュはかなりしんどかった。今でも体力残ってない。

 マラソンでさえ出さない速度。それもなかなかの時間走ったから明日は筋肉痛でベッドから出れないだろう。今日土曜日なのが悔やまれる。明日学校なら合法的に学校休めたのに。………やっぱ無し。テスト後の学校ほど楽なものはない。麻由加さんと話すためにも行かなければなるまい。


 そしてそんな麻由加さんは少しだけ離れた場所で那由多とテーブルを囲んでいる。


「お姉ちゃんありがとね。こんなに色々買ってくれて。……あ、このスコーンとかすっごく美味しいよ!食べて食べて!」

「………あら、本当に美味しいですね。私が勝手に買ったのですから気にしなくて良いんですよ。それよりこのチョコケーキもなかなかです。食べて見ます?」

「わ~いっ!食べる食べる~!」


 2人のテーブルに並べられているのはサラダというよりデザートだ。

 しかしあれらも立派な筋トレ後用の低糖質商品。運動後でも罪悪感無くたくさん食べられる代物だ。

 そしてこれらは全部麻由加さんが一人下に降りていった際ついでに買ってきてくれていたもの。まさか運動後のアフターサービスまで考えてくれていただなんてさすが俺の好きな人でもある。


「陽紀くんもどうです?そちらのカップ麺は私も食べた事なかったので少し不安だったのですが……」

「あ、うん。すごく美味しいよ!」

「ふふっ、よかった。 ありがとうございます」


 ふとこちらに振り返って向けられるは天使のような微笑み。

 俺の手元にあるのはカップ麺……だがただのカップ麺ではなく運動後用に作られたものなのだ。大分辛いがそれはそれで身体暖まるしいいだろう。

 しかも彼女はこれだけじゃ足りないだろうからってチキンバーまで用意してくれた。気遣いの鬼かよ。天使だったわ。


「陽紀さん、もう体力は大丈夫?」


 麻由加さんの優しさに涙を流しながらチキンを頬張っていると今度は真横から俺を案じる声が聞こえてきた。

 彼女は灯火。俺と同じく壁際のベンチに腰を下ろし、その膝の上にサラダを置きながら器用に口へ運んでいる。


「なんとかな。今は回復してきてるし、問題は後でやってくる筋肉痛だよ………」

「筋肉痛は成長してる証拠だよ。筋肉痛を繰り返して私達も踊れるようになったんだから」


 そうはいってもなぁ……。

 なんだっけ、筋肉痛って筋肉が傷つくとかどうのこうのだっけ?確かに魅力的だ。俺も毎日運動して筋肉つけたい。

 しかしこの性格からして1日2日ならなんとか持つだろう。けれど3日以降はできない。立派な三日坊主だ。


「なんだったら若葉さんと一緒に走れば? さっき雪ちゃんにも誘ってたよね?」

「悪いが俺はパス。若葉と走っても絶対置いていかれ――――」

「えっ!?陽紀君も走るの!? それなら首輪とリード用意しなくっちゃ!!」

「―――若葉、おすわり」


 なんでこういうことに限って耳ざといのだ若葉よ。

 首輪とリードってなんに使うというのか。いやゴメン聞きたくない。そんな町中で行う図なんて想像したくない。逮捕される。


 渋々と言った様子で着席し直す若葉。

 わかってくれ若葉よ。そんな事したら次の日の一面を飾るのは俺だし、そもそもワンコ扱いする気なんてないんだ。


「…………」

「? どうした?灯火」


 雪にも走り込みを断られて視線の向こうでむくれている若葉を見守っていると、灯火が俺の手元にジッと視線を送っていることに気が付いた。

 俺の手にはチキンとカップ麺の2つ持ち。匂いも漂ってるだろうしもしかして食べたいのか?


「食べるか?」

「いいの?」

「あぁ。ちょっと待ってな。確か予備のお箸が向こうに――――」

「アムッ!!」


 テーブルの上に置いてある箸を取ろうと腰を上げかけた時には彼女は既に行動を実行していた。

 まるで飛び込むように身体を滑り込ませた彼女はパクリとチキンに一直線。あっという間に金色の髪に隠れてしまう俺の手元に思わず固まっているとその後頭部が下げられる頃にはしっかりとチキンに歯型が残されていた。


「そのまま……!?」

「んむんむ……ん、美味しい。ありがとう陽紀さん」

「いや………」


 まるで何事も無かったかのように臆面もなく口を動かす彼女に俺はジッと取り残されたチキンを見る。

 俺の歯型を上書きするように付けられた彼女の歯型。残されたチキンは俺のもの。つまりこれは俺が食べなければならないのだ。

 たかが関節キス。されど間接キス。不意打ちとは言え彼女からキスを貰った身。けれどこうも鮮明に"彼女の形"というものを見せられるとなんだか口をつけるのが恥ずかしくなってしまう。


 口をつけるべきか付けないべきか。答えは決まってるのに妙に勇気が出ない俺を見たのかそっと腕に彼女の手が触れられる。


「もしかして潔癖性とかで食べられたの、嫌だった?」


 そんな見上げる表情は不安そのもの。

 琥珀の瞳には懸念が宿り、いつもより震えが大きくなって見える。

 俺はそんな彼女の頭にそっと手を置き優しく微笑みかけた。


「そんなことないよ」

「そう。よかった」

 

 そう言ってフッと笑った彼女はコテンとこちらに倒れてくる。

 小さな体に軽い体重。本当に体重がかかっているのか不安になるくらい華奢な彼女はこちらに体重を掛けたまま動かなくなってしまった。

 そうしてくれるのは嬉しいが、さすがに恥ずかしい。それにここは公共の場。いかに今俺達以外の人が見えないとは言えジムで働いている職員さんたちがいつこちらにやってくるかわかったもんじゃない。


「ほら灯火。ちゃんと座らないと、大変なことになるよ」

「…………」

「灯火?」


 身体を倒し、頭を寄せる。呼びかけても反応のない彼女。

 完全に身体を預ける形で倒れ込む彼女の顔を覗き込むと、すっかり瞼を落とした灯火の顔が映った。


「………寝てるのか?」

「―――そういえば灯火ちゃん、今日こっちに来るために仕事続きでかなり忙しいって言ってたっけ」

「そうなのか?若葉」

「うん。その上走ったから体力尽きちゃったのかな?」


 思い出すように告げる若葉。段々と露出も多くなっている彼女、その仕事ぶりから察するに本来なら週末この町にくる余裕なんてないのだろう。

 けれど現に来ているというのはかなり切り詰めたスケジュールをこなしているはずだ。睡眠なんて殆ど取っていないのかもしれない。


「あ、私もその話聞いてた。おにぃ、悪いんだけどそのままでいてあげてくれない?」

「そっか。灯火も頑張ってるんだな……」


 雪に頼まれるまでもなく、俺は小さく頷いて彼女をそっと膝の上へと乗せてみせる。

 ゆっくりと肩を上下し穏やかな寝顔を見せる少女。ハラリと目元へ落ちる金色の髪をそっと梳いてから空いた手でチキンを口につける。

 あの東京行きの日より数歩ハードルが下がったはずの間接キスの味。

 チキンを介して行われる彼女とのキスの味は、彼女の必死の努力となんともレモン風味で塩気の効いた味なのであった。

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