161.とっくに遅い虚栄心


「ねぇ、なんでアンタってあたしのこと"さん"付けで呼んでるの?」


 それは未だ体力回復のさなかにある休憩時間に聞かれた一言。

 妹の友達に胸の好みを曝け出すとかいう会話を抱きしめられながらするという半ば黒歴史まっしぐらな会話を続けていると、ふとそんな言葉が降り注いできた。

 これまで何度も脱出を試みようとしたが体力がなさすぎて彼女の力に叶うことはなく、されるがままの俺。こちらをチラチラと気にしながらも遠くで運動を続けている少女たちの姿をボーっと眺めながら問いに対する回答を探す。


「………そういやなんでだろうな」

「無意識だったのね……」


 背後からハァ……というため息が聞こえてくる。

 実のところなんとなく理由は把握していた。最初に彼女と会った時、俺は妹の友人という形で知り合ったからだ。

 その後なんやかんやあって俺がセリアだとバレて、彼女がセツナだとカミングアウトされて……色々なことがあったが結局のところ流れというやつだ。ファーストインプレッションというのはなかなかに馬鹿にできないものである。


「じゃあ、あそこで走ってるアスルはなんて呼んでる?」

「若葉だな」

「そうね。ならその隣の……雪ちゃんはいいわ。更に隣のファルケは?」

「そりゃあ、灯火だな」


 示されるのは最奥に位置する窓際で3人並んでいる少女たち。

 雪は論外として2人とも普通に呼び捨てだ。それにしてもまぁ雪、憧れのアイドル2人に挟まれて随分と楽しそうに。


「じゃあトイレに行ったお姉ちゃんは?」

「麻由加さんかな」

「あたしことセツナは?」

「那由多さん」

「そこよ。どうしてあたし達だけ……特にあたしはゲームで呼び捨てなのにリアルでさん付けなのよ」


 麻由加さんはゲームからしてリンネルさん呼びだから理解もできる。セツナに関しては完全に呼び方を変えるタイミングを逃したというか、泊まった日の夜に襲われかけてそれどころじゃなかったというか。


 主にネットを中心に遊んでいる人に共通することだが、総じてネットゲーマーは2種類に分けられると思っている。

 1つは誰にでも別け隔てなく敬語を使った物腰柔らかい人。もう1つは誰にでも別け隔てなく敬語を使わないフランクな人。

 それは顔も名前もわからないネットだからこそだろう。下手すれば性別もわからず年齢なんてもってのほか。その状態で人と会話するには二択に絞られるのだ。

 もちろん仲良くなってから敬語が外れる人もいる。しかしそういった人は最初は前者……誰にでも敬語で話していたのだろう。かくいう俺だってその口だ。


 しかし何故このタイミングでその話を?

 俺としてもなんとなく雰囲気で使い分けてるし特に気にしてなかったんだが、もしかしたら………


「もしかして呼び捨てにしてほしいのか?那由多」

「っ………! なんでこういうときだけ勘が鋭いのよ」


 どうやらアタリのようだ。

 少し見上げれば顔を背けつつも頬がほんのり赤くなっている彼女が伺える。

 肩から前に回される腕がキュッと強くなりほんの少し緊張しているようだ。別に改まってなにを。そんな事軽く言ってくれれば緊張することもないのに。


「そりゃあこの面々に散々振り回されてきたからな」

「……。それはそれでムカつくわね」


 さっきまで顔を赤くしていたかと思っていた那由多だったが、すぐにジト目で俺を睨みつけてきた。

 仕方ないじゃないか。色々と経験すればそのうち耐性もついてくるものだろう。その耐性がなければ今頃抱きしめられ続けるなんて是としないだろう。……しかし、ちょっと長すぎやしないか?


「なぁ、そろそろ離してくれて大丈夫だぞ。体力も回復したしふらついたりしないからさ」

「あら、もしかしてあたしのハグが嫌だっていうの?そうよね。お姉ちゃんと比べて"発展途上"で"まだ"小さいから」

「悪かったって……」


 なんとか立ち上がろうと交渉してみるもカウンター。

 随分とさっきの言葉を根に持っているようだ。別に彼女のそれが小さいというわけではない。良くも悪くも平均。こうしている間にも昔の俺なら取り乱すほどの感触が襲ってきている。

 比較対象の麻由加さんが大きいだけだし、灯火は身長比で更におかしいだけなのだ。


「別にいいじゃない。誰かに咎められるわけでも知らない人の目があるわけでもないんだし。それとも本当に嫌なの?だったら離れるけど……」

「そういうわけじゃないんだけど……」


 残念そうに少しだけシュンとする彼女に俺の良心が咎められる。

 嫌というわけではないのだ。でも早く立ち上がりたい理由もある。


「なんていうか、麻由加さんが戻ってくるまでに立っておかないと、その……」

「お姉ちゃん?別にいいんじゃないの?むしろついさっきまでお姉ちゃんにもされてたじゃない」

「それはそうなんだけどさ、これ以上麻由加さんにかっこ悪いとこ見せたくないんだよ……。察しろ」


 あーはずかし。

 ぶっきら棒にプイッと口を尖らせて小さく悪態をつく。


 それが本音。俺がさっさと立ち上がりたい本当の理由。

 確かにもう見られている。最初は麻由加さんの手によってこの状態へと誘導された。しかしそれでも未だに女の子に抱かれているなどと弱い姿を見せたくないのだ。

 手遅れかもしれない。何の意味もないかもしれない。完全な強がりだけれどそこを譲るわけにはいかないのだ。


「ほら、恥ずかしいの我慢して言ったんだから早く離して…………って、なんで強くなってんの!?」

「お姉ちゃんの前では強がりたいとか、そんな……そんなのキュンとくるに決まってるじゃん」

「どうして!?」


 全く理解できない思考プロセスに思わず声を荒らげてしまう。

 どういうことなの!?これ以上弱いとこ見せたくないってカミングアウトしただけなのになんでキュンとくるの!?そんな要素ないでしょ!?

 しかし力いっぱい締め上げる腕は決して俺を離そうとしない意思の表れ。俺の頭に顎を乗せた彼女はポツリと俺に呟いてくる。


「………そういえばお兄さん、冬にアイスは肯定派でしたよね?」

「えっ?あ、あぁ……」


 小さな口から出てくるのはこれまでと全く違う話。

 何故このタイミングでそれを?情報の出どころはおそらく若葉で大したことないからどうでもいいのだが脈絡の無さと突然の敬語に少し戸惑ってしまう。


「そんなお兄さんに朗報なんですけどぉ、アイスってお風呂の中で食べると最高なんですよ?」

「それは、確かに……」


 ポツリ、ポツリと聞こえる言葉に思わず同意する。

 溶けて湯船に入るとか細かい問題は置いておいてそれはロマンの塊だ。いつかやってみたくはある。


 でもなんだか妙だな。抱きしめている彼女の肩がやけに上下しているような……


「ほら、下にお風呂もあるみたいですし丁度良いじゃないですか。何なら今からでもコッソリ2人で一緒に………」

「――――!!」


 肩を上下する彼女をおかしいと思いもう一度見上げると、その正体がようやく判明した。

 鼻息を荒くし目はぐるぐる。完全に我を失っている那由多がそこにいた。これは明らかにヤバいヤツ。一瞬で分かる危機感に背筋がヒュッと冷たくなる。


 なんで!?どうしていきなり!?

 さっきのキュンときたのが原因なのか!?しかし今の状況はヤバい!このままだと………襲われる!!


「ほら、一緒に行きましょ。気持ちいいですよぉ。何なら私も身体洗うの手伝いますから。隅から隅まで、ね」

「ちょ……! わかっ、若葉~!! ヘルプ~!!!」

「は~いっ!!!!」


 さすがは若葉ワンコ。俺の呼びかけに迅速に返事をし飛ぶようにこちらへ駆け寄ってきた。

 そのまま俺と那由多を引き剥がすように手を突っ込んでみせる。


「那由多ちゃん!そんなのダメだよ!! 陽紀君と一緒にお風呂第一号は私なんだから!!」

「アレっ!?俺に逃げ場は!?」

「「ないっ!!」」


 まさか助けを求めると思いきや参戦という展開。

 彼女の尽力?もありなんとか抜け出した俺は逃げるようにそこから離れ、残った体力を使い果たすことで男子更衣室へと逃げ込むのであった。

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