158.ご優待券


 駆ける―――――


 ただひたすらに駆け続ける――――


 青い空から差し込む光が俺の身体を暖かく火照らしその身はまるで燃えるよう。

 寒い12月に駆ける身体。普段は厄介者として忌避されていたが、今は渇望するほど吹いてほしい冷たい風が今は無く、汗として熱を放出しながらただただゴールへと一直線に向かうために走り続ける。


 心頭滅却すれば火もまた涼し。辺りの誘惑を振り切って視線を動かすこと無く一心不乱に突き進む。

 走ることが苦手であっても今ばかりは足を動かさなければならない。

 それがたとえ体力が底を付き歩くペースと遜色ないスピードになってしまっても。

 きっと今の俺は傍から見れば走っているかどうかすら怪しいだろう。フォームは乱れ腕が動いている自覚すらない。

 けれど必死に走り続ける。そうして俺はたどり着くのだ。目的のゴールのその先まで。


「はっはっはっはっ…………」


 息を吸って吐く感覚が短くなっていることを感じる。

 それは身体がより多くの酸素を求めている証。しかし思うように呼吸ができず断続的にでもなんとか呼吸しようとして息が荒くなる。

 肺が痛い。足が上がらない。それでも【猛獣】から逃げる為進まない道をひたすらに進むため意識を集中させる。


 ピー

 と、聞き慣れない電子音が走っている俺の耳に届いてくる。

 発生源は正面すぐ下。走っている俺の胸元に設置された電子ボードから表示される音。

 

 それは終了の合図だ。

 オーバーワークを防ぐためこの機械に設定された強制終了機能。

 これまで必死に足を動かしていたが、もう走らなくていいという合図。

 そして同時にハンター放出…………いや、正確には俺という【獲物】の放出と言ったほうが適切かもしれない。

 今まで"逃げ"の為に使っていた機械が止まってしまった。それすなわち今か今かと待ち構えているであろう者たちが動く合図でもある。

 【猛獣】たちが今何しているかは把握することができない。それほどまでに体力を消耗してしまったのだから。ここで野に放たれば餌食になることは間違いないだろう。しかし動かないという選択肢もない。俺は観念して今まで乗っていた機械からそっと降りようとする。


「あっ…………」


 降りようとする――――が、降りられなかった。

 俺がフローリングの床に足裏を付けたその時、ガクッと膝が大きく曲がり自身の身体も大きくバランスを崩す。

 当然の結果だ。これまでマラソンでさえここまで全力で走ったことなどない。俺の体力はとっくにゼロを越えてマイナス圏へ立ち入っていたのだ。


 と、なればどうなるかなど想像に難くない。

 膝を曲げてバランスを崩した俺は手をつく余裕さえなく、受け身を取ることすらできずに床へと倒れ込むのであった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「ねぇ陽紀さん。早速だけどジム行かない?」

「…………なんだって?」


 時は数時間遡り金曜日。

 来週には待ちに待ったクリスマスもとい冬休みという最高の時期を控えた俺のもとへやってきたのは金色の髪を持つ少女、灯火であった。


 彼女がウチに……目の前に居るのは未だに信じがたいが、なんら不思議というわけではない。

 以前現れた彼女は隔週でやってくると言っていたから有言実行、その言葉に従って来ただけという話だ。

 納得はしてないが理屈は理解している。しかしそんな彼女がやってきて開口一番告げたのは「ジム」という言葉だった。


 時刻は昼12時を回ったところ。俺が平日のこんな時間から家に居るのも定期テストという時短で帰れる日だからである。

 早くて1時間。遅くても昼に到達する頃には帰ることができる定期テスト。手応え的にはいつも通り可もなく不可もなしといったところだ。

 しかし、もう年越しかと思えば早いものだ。あと数ヶ月で1年生も終わって2年になると考えると年々時のスピードが加速していることに若干の恐怖すら感じ得る。

 1年でさえこの短さなら大人になればどれほど早くなってしまうのだろう。今の1年の感覚が5年10年の速度になる事もありうるのだろうか。


 などと脱線してしまったが今一度眼の前の状況について考える。

 今は昼を過ぎたとこ。社長さんは居らず一人でウチまでやってきた灯火がジムに行こうと言い出した。


 ………なんで?


「灯火ちゃん、突然ジムってなにかあったの?」


 ナイス若葉。俺の隣でソファーに座りながらお茶を啜っている若葉が代わりに聞いてくれた。

 二人して目の前の灯火を見ていると肩にかけていた小さなバッグをおもむろに漁りだし長方形の小さな紙を一枚こちらに見せてくれた。


「はい。明日の仕事の為に以前打ち合わせしたのですが、その際このようなものをいただきまして。せっかくですし陽紀さんや若葉さんもどうかなって」

「あ~。スポンサーさんから貰ったものだね。 私も前は色々な物貰ったなぁ」


 そうしみじみ納得する若葉に続いて俺も紙を受け取ると、そこには"ご優待券"とデカデカと書かれていた。

 場所はこの近くにあるフィットネスジム。そこそこ新しくて若い人に人気らしい。そしてこれは団体専用、10人まで同時入場できるらしい。あれ、でもここに書かれてる日付は……


「なぁ灯火、これ今日のみって書かれてるけど?」

「はい。それは私がこちらに前日入りしてるって言ったら発行してくださったんです。通常営業日に来ると大変なことになるから定期メンテナンスの日にあわせてどうぞって頂きました」


 あぁね。つまり他のお客さんは居ないということか。

 随分と至れり尽くせりじゃないか。いやでもこんな小さな街に2人のアイドルがいるって知られたら人が殺到する。でも体験してあわよくば宣伝とでも考えたら当然の措置とも言えるかもしれない。


「いいねいいね! 陽紀君行こうよっ!せっかくタダなんだし運動不足解消のチャンスだよ!」

「え~。でも俺運動苦手だし……」

「だからだよっ!! 毎日ゲームして過ごすにしてもちょっとは運動しないと!そうじゃないと体壊してゲームどころじゃ無くなっちゃうよ!!」


 うぐっ……!

 それを言われると少し弱い。


 よく人は言う。身体は資本だと。健康体が何より。身体が丈夫でなければ何もできやしない。

 もちろんゲームだって例外じゃない。ブクブク太って病気にでもなればゲームをするどころじゃ無くなってしまうだろう。

 でも舐めてもらっちゃ困る。俺はマラソンでさえ女子に負けるほどの実力者なのだ。


「それに10人までだから麻由加ちゃんも呼べるね! 雪ちゃんはどうかな?そろそろ帰ってくるかな?」

「雪もテストだから帰ってくるかもだが……ホントに行くのか?」


 まさに行く気満々の若葉に対して及び腰の俺。

 ジムってアレだよな?筋骨隆々のトレーナーがいてスクワット10回で終わる予定があれよこれよと引き伸ばされ30回もやらされるっていう魔の場所だよな。

 そんなの俺が死んじゃうよ?


「嫌なの……?陽紀君…………」

「陽紀さん…………」

「うぐっ…………」


 意気揚々として雪に連絡取ろうとしていた若葉だったが、俺のその言葉を皮切りに突然涙を潤ませこちらを見つめてくる。

 同時に若葉の反対側、俺の隣にいつの間にか腰を下ろしていた灯火も肩に手を添えつつ寂しそうな顔で見上げてくる。

 アイドル2人に挟まれた懇願。今にも泣きそうで寂しそうに縋ってくるさまに俺は言葉を失い背中をも反らしてしまう。


「陽紀君……」

「陽紀さん……」

「あー!わかった! 行くから!行くから準備させてくれ!!」

「「!! やったぁ!!」」


 もちろん俺は2人に攻撃に耐えられるはずもなくあえなく撃沈。

 一方で喜びに満ち溢れた笑顔の2人は互いに手を取り合って喜んでいた。

 その瞳に涙なんて一欠片もなく…………ウソ泣きだってくらいわかってたよ、ハァ……。


 そうして俺たちは準備を整え旅に出る。ジムという筋肉はびこる未知の空間へ―――――

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る