157.向上心の塊
「どっ!うっ!せー! どうせいだ~! 陽紀君と同棲だぁ~!」
世界に彩りを与えていた光が傾きはじめ、町に黄金の時間帯が訪れる冬の一幕。
家から家へ。アパートから一戸建てへ。借りたばかりの若葉の家から俺の家へ帰っているさなか、若葉が謎の歌を歌いながら雪と手をつないで歩いていた。
歌詞も緩急も歌と評するには恐れ多いほど適当さ満載の訳の分からない曲。けれどその音程とリズム感だけは悔しいことに完璧で、そこだけをもってして曲と言えるほどに仕上がっていた。
とう考えても即興以外の何物でもない謎の音楽。万が一レコーディングでもして配信などしてしまえば彼女の人気は地に落ちる…………いや、万が一もしかしたらモノ好きでニッチなファンが増える可能性を否定できない歌を歌いながら、彼女は歩いていた。
そんな後ろ姿を眺めながら俺も黙ってついていく。顔を上げると黄金色に輝く太陽がこれでもかというくらい世界を照らす今日最後の光を放っていた。
太陽は何故日が沈むほど赤く色が変化していくのか。
それは波の作用。太陽の光には様々な光が内包されているが傾くに連れて距離が長くなり、そのうち最後まで届く赤が地球にまで届いて色も変化するといわれている。
横から差し込む眩い光に顔をしかめながら目を逸らせば反対側には長く長く伸びた自身と連動して動く影が目に映る。
道から道路の中央付近にまで伸びている黒い影。もうしばらくすればこの長い影も闇に溶けて消え去ってしまうだろう。
多くの影が連なって同じ方向へ動く。偶に道路を通る車に轢かれるがそんなものお構いなしというように力強く復活し何事もなかったかのように動いている。
若葉の謎音楽をバックにボーっと影を見つめながら歩いていると、ふと影との間へ割り込むように何者かが入り込んできた。
「よそ見してるとぶつかるわよ。ちゃんと前見て歩きなさい」
「……母さんか」
誰かと思ったら母さんだったようだ。さっきまで咲良さんと話していたと思ったがこちらへ来たらしい。
しかし言われている事はもっともだ。危険なのは間違いないしこれ以上小言を重ねられる前にさっさと視線を戻して若葉の背中へ注目する。
「しっかし、最後の最後でいいとこ取られちゃったわねぇ」
「………何の話?」
「そりゃあさっきの咲良さんへの啖呵のことよ。若葉ちゃんに全部取られちゃって……うぅ……」
なに泣き真似してるの母さん。
しかし言われていることは全くの事実で何も言い返すことができない。
くそぅ……俺も思い切って言っておけば……。
「母さんは俺に東京行ってほしかったの?」
「そりゃあ!このままだと引きこもりまっしぐらの息子の旅立ちだもの!喜ばない理由なんてないわ!オホホホホ!」
「…………」
「……冗談よ」
まるでお嬢様部かのように、まさしくせいせいするかのように高笑いする母さんを無言で睨んでいたらあちらから降参が入った。
しかしそこから間髪入れず「やっぱり……」と続く母さんの言葉に俺は耳を傾ける。
「陽紀が好きな道を選ぶ。それはすごく嬉しいことだけど、それ以上に行かないって言ってくれてホッとしたわ」
「ホッとした? なんで?」
「なんでって、決まってるじゃない。家族が遠いところに離れるってそれだけで寂しいものなのよ。そこに理由なんてないの。お父さんが長期出張に行くときだってどれだけ引き留めようと思ったことか」
「…………」
考え込む沈黙。
俺にはわからない。父さんがいないのはいつものことだし、離れるといってもステップアップの1つ。時々連絡取ればいいから寂しいと感じることもないだろう。
俺たちはそうやってゲームでもコミニュケーションを図ってきた。もし東京行きを選んだとしても寂しくなることなんてない……と思う。
だから母さんの言っている心情が理解できない。会いたくなったら会いに行くじゃだめなのか?
「ま、あんたも大人になれば、子供ができればわかることよ。 問題は誰との子になるのかってところね…………」
「そこはいいだろ……。ほら、雪が呼んでるぞ」
俺はずっと雪の背中を見ていたからわかっていたが、さっきからずっと雪が母さんのことを呼んでいた。俺の促しに「あらま」と言って慌ただしく駆けて行く。
まったく……。
俺が子供なんて、そんなの想像さえもできやしないじゃないか。
むしろさっき咲良さんを目の前にして突きつけられるまで春先のことさえ実感が無かったんだ。数カ月後以上の数年後なんて以ての外だ。
………子供ねぇ。
誰とになるか。若葉?麻由加さん?それともまた違う人?
好きだと言ってくれている子は何人かいる。そのみんなと俺はいつか決着をつけねばならないだろう。
そして横に立った人と結婚して子供を生んで家庭を――――俺も父さんみたいになるのかな?
そうなれば全国を飛び回らなきゃならなくなるだろう……やだなぁ。ずっと家にいてゲームしていたい。やはり俺はどこまで言っても結局はゲーマーみたいだ。
そんな四方八方へ分散する考えに身を任せながら歩いていると、またも背後に誰かが立つ気配を感じ取った。
「陽紀君」
「……はい」
「今日は一日ありがとうございました。そして一ヶ月頭を悩ませる事になってすみません」
母さんの次に残ったのは。その気配に俺は予測はついていた。
背後から掛けられる声に顔を向ければ、咲良さんが歩きながらもこちらに1つ会釈をしてくれる。
俺の隣に追いついた彼女は凛とした表情で冷静なまま3人で談笑している若葉らを見ていた。
「……若葉は楽しそうですね」
「そうですか?」
「はい。アイドルやっていた時も笑顔はありましたがどうにも作り物感がありました。しかし今は……貴方と会った灯火も同じようにすごく楽しそうです」
赤い光に照らされる咲良さんは鉄面皮。けれど心なしか口角が上がっているような気がした。
「先月はその笑顔を見てリフレッシュできた。もう十分だろうと考えてましたが全く娘の事を考えてませんでしたね。 結局、ずっと私が考えていたのは廃れゆく業界のことだけでした」
「いえっ!そんな……!」
今度こそ鉄面皮が崩れたと思ったら自嘲するように笑う彼女に俺は慌てて否定する。
廃れゆく業界。
それは聞かなくても予想はつく。かつて栄華を極めた芸能界。しかしそれはバブル期まで。
俺が生まれる前の話だがそれ以降あの業界は右肩下がりということは有名な話だ。
様々な要因があるがネットの台頭も大きな一員であるという声も多い。もう未来はないかもしれない。けれど絶やしてなるものか。そんな思いがあったからあの世界を憂いて急いでいたのか。
「いいのです。陽紀君。 私は芸能界最後の超名女優として最期までともにすると決めているのですから……」
「最期だなんてそんな事ないですよ。今は下がっていてもまた上がりますから……!」
この世界は波だ。光も歌も波でできている。
流行り廃りだってそう。今は30年前がまた流行っているということだってよく聞く。全ては波のように浮き沈みがあるものだ。芸能界もまた上がってくる時もあるだろう。
俺の必死の励ましに彼女はゆっくり顔を上げ微笑を見せてくれる。
「……陽紀君は優しいのですね。優しいついでに1ついいですか?」
「なんでしょう?」
「今回は諦めます。ですが、高校卒業後はどうでしょう?」
高校卒業……後?
それって…………?
「えと……どうって?」
「お二人の東京行きと若葉の女優の件です。高校卒業でもダメなら大学卒業後でも。どうでしょう?『はい』と言ってくれるまで私はいつまでも諦めませんよ?」
た………………たくましい…………!!
さっき"超有名女優"って自分で言ってた段階でアレっ?て思ったけどこの人思った以上にたくましいぞ!!
「えっと……それは……そのときにならないとわからないと思うと言いますか……」
「……そうですか。では高校卒業時にまた声をかけます。また気が変わったのなら是非とも言ってください。そのときには若葉も十分青春を満喫するでしょう。……………娘をよろしくお願いしますね?」
「は、はい…………」
それはこれ以上ないニッコリとした笑み。
まさに女優。まさに向上心の塊。まさに若葉の母。
一度決めたらテコでも曲げないその意思に俺はただただ首を縦に振るしかできなかった。
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