156.人生の岐路
「ここがあの女のハウス………じゃなくって若葉さんの新しいお家!?すっご~いっ!きれ~!!」
「さすがほぼ新築。綺麗よね。 私もこんなお家でゆっくり一人暮らししてみたいわぁ」
日本を代表する名女優、咲良さんから"既成事実"とかいう爆弾発言してから十数分。
気づけばこの新築さながらの建物に新たな面々が顔を出していた。
窓から外を眺めたりキッチンの扉をパカパカ開け閉めしたり、探索にかけてはやりたい放題を尽くすは妹の雪。そして妹の様子を見守りつつ心の内に秘めている一人暮らしの欲望を口にするのは俺の母さん。
どうやら2人も若葉の新しい住まいを見に来たらしい。住まいと言ってもまだまだ家具もないただの空間なのだが。それでも新しいものには心躍るようで母さんも雪を見守るのもそこそこに部屋の中を見渡していた。
「雪ちゃん!水場の方も見に行こっ!」
「はいっ!きっとトイレも綺麗なんだろうな~」
「チラッと見たけど綺麗そうだったよ! ……ところで雪ちゃん、さっき私のこと泥棒猫みたいな事言ってなかった?」
「気の所為ですよ若葉さんっ! 聞こえたとしてもただの言葉の綾ですって!」
すっかり機嫌ももとに戻った若葉は雪とともに別の部屋へと向かっていく。
その仕草は本当の姉妹のよう。2人はこの一ヶ月で随分距離が縮まった。最初は雪が憧れのアイドルと一緒に住まうということで随分とおっかなびっくりだったが、今では自然体で冗談も交えながら接することができている。
このまま一緒にいればそれこそ俺と雪の関係以上に仲良くなることだろう。
「ねえ母さん」
「なぁに?、どうしたのそんな挙動不審になって」
「さっき、咲良さんから俺もこの建物に住むって聞いたけど……」
2人が奥へ消えていくのを見送りつつ呼ぶのは我が母上。
聞くのは当然先程咲良さんの口から飛び出した自身の住まいのこと。彼女は俺も下の階に住まうと言っていた。
あの後更に知ったことだがまだ下には住民がいるらしい。空室になるのは年越し後で俺が移るにしてもまだ半月ほどの猶予がある。
「えぇ。咲良さんにどうしてもって言われてね。『若葉が喜ぶだろうから是非」ってすごくって。……もしかして嫌なの?」
「別に、イヤじゃないんだが……」
その口ぶりから察するに確かに話は通っているようだ。
別に嫌な訳では無い。親元離れた暮らしには憧れていた。徒歩10分にも満たない距離だがそれでも離れた生活に変わりはない。駅にも若干近くなるしむしろどんとこいだ。
「ならいいじゃない。それとももしかして東京行きの件を気にしてるの?」
「…………まぁ、うん」
咲良さんがここに来た理由。それは若葉の家の件に加えてもう一件理由があるはずだ。
それこそ以前俺に提案された事。2年に上がる時に東京へ来ないかという件。
もう自分の中で答えが出ていた。それに先立って今朝母さんにも話している。だからこそこの家に俺もと言われた時嬉しい気持ちと併せて複雑な気持ちも混ざっていた。
この部屋の借り上げ期間は3月まで。
そりゃあ俺の中での答えを考えると咲良さんをガッカリさせるだろう。
だって俺は断ると決めたのだから。
「何をそんなに気にすることがあるの。男の子なんだから決めたことはちゃんと言いなさい。 咲良さーん!少し良いですかー!?」
「そんないきなり……!?」
決めたとはいえ未だ覚悟の決まっていないさなかでの突然の呼び出し。
その声が聞こえていたのだろう。若葉と雪について行っていた咲良さんは「どうしましたか?」と凛と髪をかき上げながら近づいてくる。
「何か気になることでも………いえ、これは陽紀君ですね。なんでしょう?」
彼女は俺たちを一瞥しただけでどちらに用事があるか見抜いたようだ。
迷うことなく視線が向けられる事により声が上ずってしまう。
仕方ないだろう。行くにしても行かないにしても、大きく俺の人生が変わってしまうのだ。
次に発する言葉によって変化していく人生の歯車。それを自覚しているからこそ、解っていても口にだすのは多大なプレッシャーを感じてしまう。
「えっとその、春に東京へ行くっていう提案についてですが……」
「その件でしたか。 私も後ほどで聞こうと思っておりましたがいいでしょう。春からの東京、どちらにするか決まりましたか?」
「……………」
スッと一瞬だけ彼女の目が細められる。
品定めするような、俺をジッと深く観察するような真剣な瞳。
答えなければならない。けれど答えることで後戻りができなくなる。もう決まりきっているのに口に出そうとして諦める。
人生の岐路。
その重圧に今更気づいた。どっちが良い、なんて今の俺にはわかりっこない。
俺だけでなく若葉の人生まで左右してしまうのだ。その答えにどちらも正解でどちらも不正解であると理解していても言おうとしていた言葉が出せなくなってしまう。
「大丈夫ですか?」
案ずる声が聞こえてくるがずいぶん遠く感じる。
肩で息をし足が震えている気がする。顔を上げることができない。
将来へ続くトロッコ。左右どちらにも向いていない道を決めるレバーが随分重く感じる。
顔を上げて、咲良さんと目が合ってすぐ下げる。きっと俺の行動は不審者そのものだろう。
次第に彼女も痺れを切らしたのかスッと手をこちらに掲げたところで、入り口のほうからバタバタと誰かが駆けてくる音が聞こえてきて――――
「――――私はあの世界に戻らないよっ!!」
そう、正しくヒーローのように勢いよく表れたのは雪とともに他の部屋に向かった若葉だった。
駆けてきた勢いのままフローリングで若干スライドしながらも勇ましく答えるのは"拒否"の言葉だった。
「若葉……聞いていたのですか?」
「うん!突然ママが呼ばれた時点で怪しかったしね。 そもそも東京行きの話を私が知らないハズないじゃん!ウソが下手な陽紀君に隠し事なんでできないんだよ!!」
そう堂々と言い放つ俺へのディスなのか褒めなのかわからない言葉。
確かに一緒に暮らすことになった初日の夜にバレたのは覚えているが、そこまでウソが下手ではないだろう。
抗議の1つもあるが今日は不問にする。今回ばかりはその姿は何よりも頼もしく見えた。
「では、若葉は女優になる気はないと?」
「少なくとも今はサラサラないよっ!」
「今この瞬間にも次代の女優が生まれています。いくら若葉でもすぐ追い抜かれてしまうかも知れません。それでもですか?」
「それでもっ! 私の人生に陽紀君は居てほしいけど迷惑をかけたくないし……なにより半年程度じゃ全然青春するのに足りてないもんっ!!ねぇ陽紀君!!」
「あ、あぁ……」
突然こちらに振られて思わず頷き、そして気付く。
そうだった。若葉がここに来た理由。それは疲れたから。そして青春を楽しみたかったからだ。
半年なんて春まで。そんなの全然足りっこない。花見でさえできるか怪しいし、花火だって夏祭りだって海だって何も楽しいことができなくなってしまう。
「陽紀君を説得すれば私も動くって思ったんだろうけどそうはいかないよ! 私はもっと陽紀君とこの街でイチャイチャラブラブするんだから!!」
「…………誰がイチャイチャラブラブするって?」
「えっ、しないの!?」
するわけ無いだろ。
しかしまぁ、若葉が出てきて啖呵切ってくれたお陰で俺も目が覚めた。
俺の言うべきことを奪っちゃってまぁ……。
「すみません咲良さん。東京行きの件、大変ありがたいのですがお断りさせてください」
「いいのですか? 若葉はもとより、陽紀君も夢や進路に向かって私や事務所が全面的にバックアップしますよ?」
「その提案も嬉しいですけど今の俺には夢がないもので。 ……いや、今の夢は若葉や仲間と青春を過ごすことですから」
きっと、将来の事を考えたら間違いなく東京に行ったほうが俺のためにもなるだろう。
咲良さんと事務所の力というのは簡単に家を買えることから理解できた。俺の夢の邁進のためにもその力を頼ったほうが確実なのだが、いかんせん俺には夢がない。ただ将来の日々を平穏に過ごせればいいのだ。それよりまず、若葉や麻由加さん、那由多さんや灯火と一緒に毎日を楽しく過ごしたい。
「若葉も、いいんですね?」
「もっちろん!」
「………分かりました。青春を楽しんでほしいと言ったのは私ですし、今はそれで良いとしましょう。ですが若葉、あなたを待つファンのためにも一日一日を大切にすること。いいですね?」
「うん!」
スッと隣に立つ若葉と俺を交互に見た咲良さんはフッと笑って見せる。
一度は言えないかとさえ思った俺の結論。東京には行かない。ここには大切な人たちもいるのだから。
若葉に背中を押された形だったがようやく口に出せたことで今の俺の中には達成感しかない。
俺は彼女が黙って絡ませてきたその手を振り払うこともなく、同じようにギュッと固く握りしめるのであった。
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