155.公平な場での先取り


「俺たちの……」

「…………家!?」


 暖かな光が降り注ぐ日曜日の昼下がり。

 冬至も近いこともあってその陽射しは普段感じるものより幾分弱いものだがそれでも世界を照らし温めるには十分といえる快晴の日の中。

 咲良さんに連れられてやってきた建物の前で俺たちは呆然とするように問い返してしまった。


 ………いや、訂正しよう。呆然としてるのは俺だけだ。

 俺に続いて声を発した隣の若葉なんか上ずっているし目をキラキラさせてその身を乗り出している。

 目の前に鎮座するは俺の小遣いを何千倍にもしないと手が届かない集合住宅。

 アパート……マンションだろうか。見分けなど付くはずもないがただただわかるのは俺には手が余るという点だった。

 こうしている間にも立派に役割を果たしている、選ばれた者にしか開くことのない自動ドア。3階建てとコンパクトながらも築5年も経っていないくらいには美しさを保っている外観。少なくとも生家であるウチよりかは新しい建物だった。

 そして先程咲良さんが言っていた"たち"という意味。ゲームで培われた無駄な時だけよく回る頭が憎らしい。彼女の言っている意味を瞬時に理解してしまった。


「咲良さん、それはつまり……俺はこの家に住まうってこ――――」

「ママ!やっぱり私と陽紀君は赤い糸で繋がってるんだね!!」


 確かめるような俺の問いかけを遮ったのはもちろん彼女。

 えぇい!背中に乗るな!!色々と背中に当たって思考にノイズが走るじゃないか!!


「糸の色は知りませんがこうでもしないと若葉が煩いので。それと先程は"あなた方"と言いましたが、もちろん陽紀君の意思が大前提となってきます」

「陽紀君もいいよね!! ねっ!!」

「若葉ステイ。咲良さん、もう少し詳しく教えてくれませんか?何故そうなったかの経緯も知りたいので」


 肩に手を乗せてぴょんぴょんとウサギのように跳ねる若葉をとりあえず宥めておいて再び咲良さんと向かい合う。

 結論を明確にするのは大事だが、道中を飛ばして貰っても俺には何のことかわからない。混乱のものだ。もちろん咲良さんもわかっていたのか「もちろんです」と告げた後にバッグからチャリンと音の鳴るなにかを取り出して見せつける。


「………その前に、1つ内見していきませんか? 鍵なら用意しておりますので」



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



 部屋の中は正しく何もない空間だった。

 家具は全て引き払われていて埃1つないキレイな空間。

 日当たり良好南向き。窓からの景色は何の変哲もない住宅街の一欠片だが差し込んでくる光はついフローリングに寝そべって昼寝してしまいそうになる。


 間取り的に2LDK。一人暮らしするには最高の空間である。

 ちなみに廊下を見た感じ1フロア1室しかなかった。リビングも思ったより広いし家賃で考えるとなかなかのものになるだろう。


「どうでしょう? ここは元々社員寮としてとある企業が保有していたものです。その企業が年末で撤退となり先行して空いたところを私が借り上げました」

「凄い!凄いよママ! ここが私たちの愛の巣なんだね!!」

「愛の巣というのは語弊があります。若葉は少しステイしていてください」

「むぅ~~!!」


 ノリノリな若葉に対して冷静な咲良さんに頬を膨らまして抗議している。

 何だかんだ俺の宥め方を使うなんて、さてはこの人ノリいいな?


「それで、どうでしょう陽紀君」

「えと、凄いと思いますがここは若葉の家なんですよね? なんで俺まで……?」

「それは若葉がそうでないときっと使い物にならなくなるのと、もしかしたら陽紀君も娘に執心してるかと思いまして」


 いやそれはないかな。

 ……まぁ確かに?今日この日が終わったら若葉は家から居なくなって騒がしい食卓が静かになるとか突然部屋に乱入してくる人もいなくなってしまうとか、そういう寂しい思いなんて全然してないけどね?


「ちょっとママ!いくら私でもこれまで一人暮らししてたんだからそれっくらい簡単だよ!」

「……いや、確かに朝の様子を考えたら使い物にならなくなるかも」

「陽紀君のバカ~! その事は言わないで――――!ふにゅぅ…………」」


 今度は抗議の手がこちらに向かってきたのを読み取った俺はスッと彼女の後方に手を回しそのサラリと長い髪を手で梳くと、あっという間に蕩けた目に早変わり。

 自然とフローリングに腰を下ろすと若葉も続いて膝を曲げついには腿の上に頭を預けてきてしまった。


「驚きました……随分と手なづけましたね……」

「自分の娘を獣みたいに……。まぁ、一ヶ月一緒にいましたからね」

「手懐けられました~!」


 自分で言うか若葉よ。

 しかし丁度いい。このまま大人しくしてくれると俺も咲良さんと話がスムーズにできる。


「ちなみに、あの更地だった元アパートはどうするのです?」

「あそこですか?少しの間そのままにしておいて、時期が来たらまた新しい家を立て直す予定です」

「時期?」

「はい。せっかく私が・・買い上げた土地なのですから有効活用いたしませんと」


 ……あれ?若葉がこの街に来た当初言ってたけど、あのアパートって確か若葉が――――


「あれ? でもママ、あそこは私が買ったんだよ。なんでママの土地になってるの?」

「厳密に買ったのは事務所ですからね。 なので改めて買い取って名実ともに私の土地になったのです」

「むぅ……私が買う予定だったのに……」

「そういうのは成人してからやってみなさい。それに、計画が頓挫したところで何かしらの役には立ってくれますし」


 …………?

 なんだ?チラリとこっち見て。

 1秒にも満たない本当に一瞬。しっかり目が合った俺と咲良さんだったがすぐに彼女は目を移して若葉へと戻っていった。


 計画の頓挫……というのは意味深だったが経緯についてなんとなくは理解した。

 アパートが建っていた時も厳密には社長さんが運営する事務所のものだったと。そこを咲良さんが買い取ったから、そりゃあ咲良さんが好きにするのが正しいことになる。


「話を戻しましょう。現状このアパートの契約は3月までです。どうですか?陽紀君、この家で暮らしてみませんか? もちろんお母様にはお伝え済みですよ」

「俺は…………」


 見上げていた俺は一度咲良さんから視線を外して若葉を見る。

 そこには頭を撫でられながらも目を輝かせて承諾の言葉を待っている若葉の笑顔がそこにはあった。

 俺も何だかんだ一ヶ月の暮らしは楽しかった。だからその延長戦というのは悪くはないと思う。しかし、一方でまた別の問題も発生してくる。もし若葉と二人きりになったら今度こそ麻由加さんに合わせる顔が無くなってしまう。


「陽紀君、嫌なの……?」

「…………」


 見上げる若葉の不安げな表情に俺はグッと苦悶の表情を浮かべる。

 嫌な訳では無い。母さんの了承も得たならなおさらだ。

 家が近いとはいえ親元を離れた生活。しかし若葉と一緒というのが返事を鈍くさせていた。麻由加さんの件もそうだが確実になにかが埋められている気がヒシヒシと感じるのだ。


 様々な複合要因悩む俺。

 特に二人には随分待たせてしまっている。いずれ返事はしなくちゃいけなくなるだろう。2人の優しさに甘えて悩みの期間も延長され続けている。

 ああでもないこうでもない。次第に聞かれた内容からは外れまくった悩みに頭を抱える俺を見て、咲良さんは1つ嘆息した後バッグからチャリンと鳴るもう一つの金属を取り出してみせた。


「――――1つ言い忘れてました。 陽紀君が了承した時の部屋はこの下の階になります。つまり若葉と別々の部屋です」

「住みます」

「陽紀君!?」


 それは悩む俺が一瞬にして掌を返した瞬間。

 若葉は俺と一緒に暮らすと思っていたのだろう。しかし思ったことと違う結果になって思わず目を丸くして俺の名を呼ぶ。

 つまり蓋を開ければ一人暮らしの提案だ。そりゃあ近いとはいえそういうこととなれば頷かないわけはないだろう。


「陽紀君!同棲しなくていいの!?どーせーは!?」

「若葉……」

「陽紀君…………」


 掌返した俺に講義するように寄ってくる若葉の肩を持ち笑顔を見せつける。

 それは心通わす笑み。若葉もわかってくれたのか怒りなどどこか行って大人しくなり、こちらに優しい笑みを見せてくれる。


「――――若葉はもうちょっと甘えるんじゃなく、自分で料理とかして暮らしてみてくれ。もちろん掃除もな」

「も~~~~!!!」


 ―――最大の笑顔からの、突き放し。

 結果的に怒りが激怒に変わった若葉は俺に渾身の右ストレート左ストレート。痛くない。

 ジャブなんて存在しないひたすらのパンチを胸で受け止めつつ咲良さんを見ると満足気にこちらの様子を伺っている。


「もしかして咲良さん、最初から俺が悩むのわかってて下も借りてくれたんですか?」

「いえ、最初から2人は別々の部屋にするつもりでした。少しは離さないと陽紀君も答えを出せないでしょう?ねぇ、ハーレム王?」


 …………把握済みか。

 彼女は俺を取り巻く環境をわかっているみたいだ。どこが情報源かって?そんなの眼下の人物しかいないだろう。

 どこまで知っているのか気になるところだ。いや、全部わかっていると考えたほうがいいかもしれない。

 しかし何故、咲良さんはここまでしてくれるのだろう。そう聞こうと思ったら彼女は問いかけるよりも早くその口を開いた。


「私は小さい頃から芸能界で、青春と呼ばれるものを一切してきたことがありませんでした。

「…………」


 いつの間にか俺に抱きついている若葉の頭をそっとなでてから彼女は窓からの景色を眺める。

 彼女の口から漏れ出たのは自らの過去。幼い頃より芸能活動をしていた彼女は今となればトップ女優だ。だから故に切り捨ててきたものもあるのだろう。

 その目に映るは低くてなんの面白みのない景色。しかし彼女はそれでもフッと笑いながら振り返り俺たち2人を見下ろした。


「なので私の子と、その子が大切にしてる人たちには存分に限りある時間を楽しんで欲しいだけです。どんな結果になったとしても、『よかった』と後になって言えるくらいには」

「ママ……私―――」

「若葉」


 振り返った若葉がなにか言いかけようとしたところを咲良さんは首を振って否定する。

 まるで言葉は不要だというように。そして大きく頷いて綺麗な唇から静かに声を発した。


「だから既成事実です若葉。公平な場を作った上で先取りして一人勝ちするのです。わかりましたか?」

「…………!! うん!わかったよママ!私頑張る!!」

「頑張らないで!? なんでそっち方向になっちゃうの!?」


 最後の最後で繰り出すは全てを台無しにしてしまうハルマゲドン。

 凛としてストイックな咲良さんも結局そっち側だったなんてと、俺は抱きつく若葉を全力で引き剥がしながらため息を付くのであった。

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