153.塩味のスフレ


「…………朝か」


 カーテンの隙間から差し込む光が俺の意識を揺らしゆっくりと夢の世界から帰還する。

 枕元に放っていたスマホを手に取れば時刻は朝の6時。普段学校に行く日からしても随分早い時間だ。

 時刻の上に表示されているのは『日曜日』という幸せを告げる文字。画面が暗くなるのにあわせて身体を起こしベッドから立ち上がる。


「起きるか」


 日曜日という休日のちょっとした早起き。

 普段なら二度寝ができると言いながら喜々として毛布を被りながら再び別世界に旅立っていくことだろう。

 けれど今日はそんな気にもなれなかった。朝早いけれど目が冴えてしまった俺は早々に立ち上がり適当な服へと着替える。そのまま適当に顔を洗って今まさに朝ごはんを作ろうとしていた母さんに代わってキッチンに立つ。


 さて、今日は何を作ろう。

 和食だとご飯は炊けてない。今から準備するかレンジのやつで代用するか。それとも洋食なら材料もあるし悪くないかもしれない。

 方向性は洋食だとして何にするのか……シンプルにトーストと目玉焼きでもいいのだけれどそれだとあんまり面白みがない。


 若葉なら……若葉は何だと喜んでくれるだろうか。

 ここ一ヶ月ほど殆ど一緒にいる彼女について考える。

 苦いものはあんまり好まない。しかし一方で甘いものは無尽蔵かと思うほどどんどん口にする。

 案外好き嫌いは意外となさそうで、コーヒーなど極端なものを除けば出されれば何でも満足げに食べている。


 そんな彼女が喜びそうなものだと…………スフレかな。

 甘みたっぷりでフワフワのスフレ。砂糖たっぷりの甘々なスフレ。メープルもアリだがせっかくの朝ごはんだ。イチゴやブルーベリー、バナナで飾り付けるのも面白いだろう。

 並べた卵を手早く卵黄卵白で分けながらメレンゲを作っていく。卵料理は得意だ。その中でお菓子も作ったりするからメレンゲ作りも随分早くなった。さっき分離した卵に砂糖とメレンゲを加えながら熱したフライパンで焼いていく。


「おはようございます~」

「おはよう。早いな若葉」

「うん、おは………えっ!?」


 焼けてきたスフレに細心の注意を払いながら折りたたんでいると、扉が開いて金青の少女、若葉が現れた。

 黄色のパジャマを身に纏った彼女。随分ぐっすり寝ていたようで身だしなみの崩れた腹部からはおヘソが顔を出しつつボケボケといった様子でリビングに入ってきた。


 きっと、彼女は俺が居ることなんて思いもしなかったのだろう。

 真っ先に返事を返すと身体をビクンと揺らしながら目を見開いてこちらに顔を向けてくる。


「悪いが朝ごはん作ってるから顔でも洗ってきてくれないか?」


 彼女にウィットの効いた冗談でもかましてやりたいところだが俺も今は集中をしているところ。

 スフレ作りは火力調整が肝になってくる。下手に会話してフライパンからよそ見なんてしてしまえばあっという間に炭の出来上がりとなってしまう。つまりバ火力のセツナなら一瞬で詰みだ。

 1つできてしまえば意識が集中して時が経つのは早くなり、2つ、3つと続々とフワフワスフレが出来上がっていく。


「そんな簡単にできるものなんだぁ。上手だね!」


 ポン、ポン、ポンと起きている3人分のスフレを皿に乗せたところでカウンターから身を乗り出して様子を伺っている姿にようやく気がついた。

 さっきまでのパジャマ姿だった若葉は私服に変化し、髪も漉いたらしくしっかりと整っていた。前のめりになっているせいでシャツから若干見えてはいけないカラフルなものが見えかけてはいるが、紳士な俺はサッと視線を外して冷蔵庫に向かう。


「タイミングいいね。ちょうどできたけど、バナナとブルーベリーとイチゴでキライなものは?」

「全部大好き!!」

「―――了解」


 元気で好き嫌いがないのはいいことだ。

 後方から聞こえる明るい声に笑みが溢れながら必要なものを取り出していく。フルーツ各種に粉砂糖、あとはスープあたりでも添えたら完成だ。


 もうここまでくれば朝食作りはウイニングランと言っていい。

 溶かすだけの簡易スープをお湯で溶かして持ってきたフルーツ類をスフレの上に飾り付けていく。ほら、これでオシャレな朝食の出来上がりだ。


「わぁ……!すっごいオシャレ!ありがとう陽紀君!すっごい美味しそうだよ!」

「そりゃどうも」


 食卓を囲むようになって一ヶ月。未だに真っ直ぐお礼を言われることには慣れていない。

 ぶっきら棒に返事をしながらもその内心嬉しく思いつつ、彼女の隣へ腰を下ろす。普段その席は雪の場所なのだが、まぁヤツは寝てるし今日くらいは見逃すとしよう。


「母さんも、朝ごはんできたよ」

「ようやくできたのね。 ……あらまぁすっごい豪華。陽紀ったら頑張ったじゃない」


 母さんにまで褒められるとは思わなかったが自分でも今日の朝ごはんは上手くいったと思う。

 テーブルに並べられるのはスフレとスープという朝ごはんにはやや不釣り合いにも思うかもしれないがその盛り付けや出来栄えはお店で出るのとそう変わらないと思う。つまりは自信作。褒められて悪い気やしない。


「ですよねお母さん!陽紀君が朝早く起きるのもビックリしましたしこんなにキレイな朝ごはんも……今日なにか記念日でもありましたか?」


 ……どうやら若葉は今日が何の日か気づいていないみたいだ。

 いや、俺もつい最近まで忘れていたから人のこと言える立場ではないだろう。

 しかしなんて言うべきか。直接言うのは憚られるし、だからといって遠回しに告げてもわからない可能性大だし……。


 そう頭を悩ませていたのも一瞬のこと。すぐにわかることだし告げようとしたが、俺より早く母さんが「あら」と早くに察知し口を開く。


「忘れちゃったの?若葉ちゃん。 今日で若葉ちゃんがここへ来て一ヶ月、ここで過ごす最後の日じゃない」

「………………えっ?」


 そう。

 若葉がここで過ごすことになって一ヶ月。

 東京行ったり灯火が来たりと色々な事があった。もはや一ヶ月とは思えないくらい長い時が経った気がする。

 しかし時は無情にも全員に等しく与えられるものだ。ここで過ごすにあたって咲良さんから告げられたのは一ヶ月のみ。つまりは今日が最終日ということ。その事をすっぽり頭から抜け落ちていた若葉は笑顔を浮かべたままポカンと固まってしまう。


「そっ……そっ……そうなの?陽紀君?」

「あぁ。でも一ヶ月って言っても咲良さんのスケジュール次第だし、少しずれる可能性も――――」

「咲良さんからさっき連絡あったわ。お昼前にウチに来るって」


 ―――とのことらしい。

 母さんはいつの間にやら咲良さんと連絡を取っていたみたいでスケジュールまでバッチリ把握済み。

 つまりは今日が最後ということは確定事項だろう。フォークとナイフを両手に持って今にもかぶりつかんとする勢いだった若葉はカチャリト行儀よく置いて揺れた瞳で俺を見る。


「…………いやぁぁぁだぁぁぁぁ!! 私陽紀君の家の子になるぅ!!陽紀君と一緒に暮らす~~!!」

「ちょっ……!抱きついて来るな若葉! 東京に帰るわけじゃないだろ!!近所に居るんだからいつでも来れるだろ!!」

「やぁぁぁ!!だぁぁぁぁ!!」


 彼女がシュンとなったのも束の間。すぐに飛びつくように俺へと体ごとダイブしてきた。

 癇癪さながら泣き叫ぶのはまるでショッピングモールでおもちゃを買ってもらえなかった子供のよう。抱きついてくる彼女を引き剥がそうとするも、悲しいかな運動不足の俺にはアイドルとして運動してきた彼女に筋力でさえ勝てる訳がない。


「母さん……ヘルプ……」

「青春ねぇ。 二人とも、お昼までには食べ終わりなさいよ」

「母さん…………」


 頼みの綱である母さんはスープをすすりながらマッタリモード。助ける気などさらさら皆無だ。


 その後の説得でなんとか若葉を引き剥がすことに成功したものの、泣きながら俺にあ~んをせがむスフレはさぞかし塩っ気の強い味がしたことだろう。

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