151.勘の鋭さ
「陽紀君のお父さんってどんな方なの?」
ふと彼女の口から漏れ出たのは最もな問いかけだった。
12月に入った土曜日の休日。
昨日雪から「男の人とデートに行く」と報告を受けてから俺も相手の姿を拝みに街へ繰り出したはいいが、その正体は父さんというなんとも形容し難い複雑なオチだった。
万が一……いや億が一同年代でピアスや入れ墨まみれの人やあまりにも年が離れた知らない人なら俺が直々に向かうという選択肢もあっただろう。けれど蓋を開けてみれば俺もよく知っている人物、むしろ家族だ。向かう意味なんて一切ない。
家族だからこそ会いに行く?それこそ面倒くさい。そういうのは雪だけで十分だ。
……別に雪が心配だったからじゃない。そういう人と付き合うことによって俺の平穏の日々が崩れ去るのを嫌うだけだ!ただでさえ夕飯なんか当番制なのに雪がかまけてサボるようになったら俺への負担が増えるじゃないか!
―――と、ここに来た理由は置いておいて先程問われた事を今一度考え直す。
今は街中を2人であてもなく歩いている状況。つまりは手持ち無沙汰だ。隣を見ればピッタリと横にくっついている若葉がサングラス越しにこちらを見上げている。
一方で俺はもう必要のなくなったサングラスを外し、天から降り注ぐ日差しに顔をしかめながら父さんについて思い出す。
「父さんはなんていうか……一言でいうと仕事人かな」
「仕事人? どんなお仕事してるの?」
「たしか記者だったかな。毎日家に帰らず全国飛び回ってるよ」
父さんの職業は記者。どの専門かはその度々移動してるから俺にもわからない。
夏の終わりから……とくに最近は随分と忙しいらしいと聞いていたから、俺も雪のデート相手という選択肢から無意識に外してた。
父さんなら雪と一緒にいようがどうでもいい。
しかしだからといって俺との仲が険悪というわけではない。話しかけられたら話し返すし、極稀に電話することだってある。
普段家にいないけれどそれは仕事をしているためであって、俺が毎日部屋でゲームできるのもそうしてお金を稼いでくれている上にあると理解している。関わらないのは単に話すネタがないだけだ。
しかし今日戻ってきてるとは思っても見なかった。雪も母さんも俺に教えてくれれば………いや、単に知らないのは自分のせいか。だって普段部屋に籠もっているのだし。
「記者さんかぁ……。芸能じゃないといいなぁ」
「大丈夫でしょ。今まで何の記事も出てこなかったし」
不安そうに呟く若葉に俺は楽観的に答える。
母さんのことだ。若葉が家にいることくらい十中八九父さんにも伝えていることだろう。
家に居ないとしても大黒柱。それを知ってて然るべきはずだ。
なのに何も表立って記事になっていないということはつまりそういうこと。事務所の力……もしかしたら若葉の社長さんがもみ消している可能性もなきにしもあらずだが。
「も~!私は陽紀君を心配して言ってるんだよ~! もし記者さんたちが家に集まっちゃってもいいの~!?」
「その時は全部若葉のせいってことにして、俺は部屋に引きこもって悠々自適にゲームして過ごそうかね」
「!! いいねそれ!私も一緒にゲームしちゃう! 一緒にゲームして一緒に寝落ちして……2人で退廃的な生活しよ~ね!」
「…………やっぱやめた。なんとかマスコミの隙を突いて学校に行かないと」
「む~~~!!!」
退廃的な生活とは一転して人間的な生活に戻ろうとしたら若葉に唸られて腕をポカポカと殴られた。
そりゃあそうだよ。一人ならまぁ好き勝手できるけど若葉も加わって二人になると抜け出せそうになくなるからな。
俺は一時的に退廃するなら大歓迎だが一生そういった生活はまた違うんだ。
そこそこの感じで働いて結構な感じでダラダラする……そんな生活を送りたい。
「いいんだいいんだっ!そう言っていられるのも今のうちだからね!すぐに私が陽紀君をメロメロにして私ナシじゃ生きていけなくして上げるんだから!」
「そうか。だったら早く料理覚えて当番入って、俺を楽にしてくれる日を期待してるよ」
「陽紀君のイジワル~! 私だって料理頑張ってるんだからね!最近はようやく卵料理なら―――――」
「―――――? 若葉?」
2人肩を並べて同じ方向を向いて歩いていたところ、話途中だった若葉の言葉が途切れて俺の視界からも消えたことによって思わず振り返る。
どうやら若葉はその場で立ち止まっていたようで俺の数歩後ろに立ち尽くしていた。しかし問題は視線の先。彼女は驚きながらうつむきがちになっており、俺も彼女の顔から徐々に視線を下げていくと俺から見て腹部辺り、彼女から見て胸下あたり程度の小さな子が立っていた。
こちらからは背を向け若葉と向き合う形。髪は長く女の子と思しきその子は見上げていて驚く若葉と視線を交わしている。
「その子は知り合い?」
「ううん。そんな事無いと思うけど……」
「…………ロワゾブルーの……わかば……」
「「――――!!!」」
途端。
ポツリと呟いた女の子の言葉に戦慄が走る。
東京の一件といい小さな子というのはどうしてここまで勘がいいのだろうか。
一時も顔を動かすことのなくジッと見上げる女の子。それに俺たちは固まって見守っていると、不意にその子は何かに反応するかのようにいきなり視線を動かし始めた。
「ママ!!」
雑踏の中にいるであろう誰かを呼ぶ声。
きっと俺たちが聞き逃したが女の子の呼ぶ声が聞こえたのだろう。その子が大きく声を発すると遠くから一人の女性がこちらに駆け寄ってくるのに気付き、女の子も若葉の正面から抜け出してそちらに数歩足を踏み出す。
「ま、待って!」
それは母の元へ去っていく女の子を呼び止める若葉の声。
きっと口止めをするために呼び止めたのだろう。しかし人の口に戸は立てられない。まして子供ならなおさらだ。
言うか言うまいか逡巡する若葉だったが振り返った女の子はニコッと笑みを向けて小さな手を大きく振ってみせる。
「がんばってね!ロワ………青のおねえちゃん!!」
「!!」
それはきっと、その子なりのヒミツの意思表示だろう。
さっきまで"ロワゾブルー"と間違うことなく正式な名前を告げていたその子。けれど直前で"青"と言い直したのは誤魔化しの名前に他ならない。
どうして小さな子というものは勘が鋭く、そして顔色を読むのが上手なのだろう。きっとあの子は俺たちが驚いた顔を見て声を大にしてはいけないことだとどこかで理解したのだ。だから誤魔化した名前を使ったのだ。
戸惑いながらも手を振り返す若葉を見て満足気に雑踏へ消えていく女の子。
もうどこに消えたかわからなくなった今も俺たちは立ち止まってその行き先を眺めている。
「気を……遣わせちゃったかな?」
「どうだろうな。 若葉はどうだ?変装せずに街を歩きたいか?」
「うん……。ずっと気を張ってなきゃだし、バレた時のリスクもあるし……」
ポツリポツリと彼女は心を発する。
アイドルとして天辺に上り詰め、今や相当数の人が知っているであろう女の子の悩み。
そんな解決しようもない悩みに俺も頭を悩ませると即座に彼女から「……でも」と言葉を連ねてくる。
「……でも、後悔はしてないよ」
「どうして?」
「だって、有名なのは責任を伴うこと。責任は信用を勝ち取ることだから――――」
つまり有名なのは信用を得るということ。
彼女は俺の前に立ち、手を握って笑顔を見せつけた。
「―――私がアイドルじゃなかったらあの日陽紀君の家に行ってもきっと追い返されてた。アイドルになって一番良かったのは今こうして陽紀君と一緒に居られることだよ」
「若葉……」
それはひとえに俺といられてよかったという告白の一言。
何の臆面もなく堂々と言える彼女に、そしてその真っ直ぐな気持ちは何よりも嬉しいものだった。
そして同時に、彼女は繋いだ手を引っ張っていく。
「さ、行こ!今日はとことんデートしなきゃ!!日が落ちても帰さないよっ!!」
「………そうだな。 でも、せめて日が落ちたら帰させてくれ」
「や~だっ!そのまま朝までホテルコースだよっ!!」
俺も引かれる彼女についていくよう共に肩を並べて歩きだした。
なにやらホテルなど不穏なことを言いつつも、その手は離されることなく人混みの中へ消えていく。
もちろん彼女の宣言は達成されることなく、多少遅れたものの日が落ちて間もない頃に家へ帰るのであった。
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