147.深刻なルート分岐


 昼休み。それは高校生に許された数少なく貴重な平和の一時である。

 たった1時間程度と短いながらも食事をとり、リラックス用のコーヒーを飲み、スマホをいじり、次の授業の準備をする多忙な時間。

 ここで重要なのはリラックスという点だ。心身共に身体を休め午後に待ち受ける苦難睡魔に備えるという大事な使命を請け負っている。

 体力を回復させるには行動だけではなく場所というのも大きなファクターとなってくる。人通りの多い雑踏のど真ん中では当然休むことなんてできないし、だからといって職員室のど真ん中でも不適格だ。それらに共通するものは針のむしろという点。協調性を重視する人間にとって人の目が多く刺さる場所でリラックスするというのはなかなか難しいというものだ。


 つまりはこの重要な昼休み、リラックスするために大事なのは場所の選定ということなる。

 身体よりも心の休息を求める俺は授業が終わるやいなや真っ先に食堂へとたどり着いた。



 食堂。それはこの時間に限りおそらく最も多くの生徒が集まる空間。

 比較的安価でそこそこの食べ物を口にすることができ、開放感のある空間で談笑にも向いている。

 直前の授業終わりがずれ込んでたどり着いた時にはずいぶんと生徒たちで溢れていたが、それは逆に好都合と俺の中ではリラックスできるとほくそ笑む。

 本来食堂はリラックスするのに雑踏の中は不向きとされる場所だ。

 しかし今日に限ってはそれは適用されない。むしろあのまま教室に居たほうが心の休まる時間など無かったからだ。


 今朝の騒動。

 隣の席のクラスメイト、松本さんに犬宣言を喰らってから数時間。

 俺はずっと教室で針のむしろ状態だった。

 朝教室に戻るときにはもうみんなの視線が突き刺さり、休み時間には俺………ではなく松本さんに人だかりできるほど。

 彼女は空気の読める優秀な人物だ。犬宣言の真意は大したことないと告げるが、その根本的な原因について問われると口を閉ざしてしまい、それが俺を遠巻きに見つめる原因となってしまったのだ。


 もしかしたら彼ら彼女らの中で俺は"松本さんの弱みを握った最低野郎"という評価になっているかもしれない。

 だからこそほとぼりが冷めるまで……少なくとも今日一日は出来得る限り教室に居たくなかったのだ。

 と、いっても他に隠れられる場所もなし。屋上前は先生に見つかった時不審がられるし図書室はクラスメイトも利用するため論外だ。

 その点食堂はいい。木を隠すなら森の中……とまではいかないが、ここだと生徒たちでごった返してガヤも多く、いちいち人の視線を気にすることがなくなる。

 つまりは心の平穏を保つのにうってつけなわけだ。俺は意気揚々と家から持ってきたお弁当を手に適当に座れる場所を探し回る。


「あれ、あそこにいるのは……」


 人はある程度慣れた場所なら無意識的に慣れたルートを通ってしまうもの。

 以前から偶に食堂を利用する俺も座れる場所を探しながら、無意識で目的地は決まっているかのように一直線で普段使う席へと向かっていた。

 そこは人の多い食堂の中でも奥まったところ。不便さも相まってそこを利用する生徒も数少なく穴場としても使えそうな場所。

 これまでよく使っていた席にたどり着くと、そこには見慣れた後ろ姿があることに気が付くと同時に少し心の底で安堵する。


「麻由加さん、一緒していい?」


 知ってる人の多くない雑踏の中での見慣れた姿。

 俺と一緒に最近よくここを使うようになった少女、麻由加さんに後方から呼びかける。

 きっと彼女は俺の接近に全く気づいていなかったのだろう。器に向かっているさなか呼びかけられたことに気づきビクンと身体を大きく震わせると恐る恐るといった様子でこちらを見上げてくる。


「えっ……あっ、これは……その……」

「?」

「なんでここに……。今日はお弁当のはずじゃ……」

「え? うん。でも今日はコッチで食べたくって」


 何故俺がお弁当だと知っているのだろう。


 何か様子がおかしい。

 彼女の目は泳ぎ、手は空を切っている。

 その動作はまるで俺の接近など想定すらしていなかったよう。なにやら後ろめたいことがあるかのような珍しい慌てぷりに俺も段々と不安な気持ちが高まっていく。


 彼女の動きはなんとなく、ネットで見た修羅場を彷彿とさせるものだった。

 相手に浮気がバレて下手な言い繕いをしてそれが逆に相手に不信感を募らせるというもの。

 今の彼女の印象はまさしくそれである。想像上の修羅場を思わせるような動作だった。


 まさか……俺に対して後ろめたい何かが!?

 彼氏彼女などという関係でもないが、だからといって赤の他人というわけでもない。

 そこそこ親密にしている関係である彼女からそこまで慌てふためく姿を見ると俺も"まさか"の不信感さえも募りかけてしまう。


「その………違うんです!!」

「違う?」

「えっと、偶々なんです!いつもはこんなに食べたりしないんです!!」

「…………ん?」


 なにやら彼女に後ろめたいことでもあるのか――――

 そんな不安に襲われながらも耳にした言葉は思わず目が点になるものだった。

 顔を真っ赤にして手で隠すように俺の視線と重ねる器たち。しかし腕が細く2本しかないのもあって全然隠れてなどいない。


 そうまでして必死に隠そうとしているのはテーブルに並べられた多くの料理だった。

 今現在食べている定食に加え、サイドメニューの唐揚げ、そしてサンドイッチ。

 確かに彼女にしては多い量だった。俺でも食べ切れはするが少し多いと思うくらい。

 それを隠すように繕う彼女は目をきゅっと瞑りながら言葉を連ねていく。


「その、今日は朝ごはん食べ損ねまして! その上体育だったものですからお腹空いてしまって……。あうぅ……」


 最初は勢いがあったものの最終的に観念したのか弱くなっていく。

 そこまで言われてようやくわかった。彼女は沢山食べる子だと思われたくなかったのだろう。俺にはその気持ちがよくわからないが、女の子はそういうものだといつかの雪が言っていた気がする。


「それは大変だったね。俺もそういう時はラーメン2杯は食べたくなるからよく分かるよ」

「変じゃ、ないですか?」

「全然。むしろいっぱい食べる麻由加さんは可愛いと思うよ」

「そう、ですか…………?」


 ちょっと格好つけすぎちゃったかな?

 ……いや、結構喜んでるから正解だったみたいだ。

 正直麻由加さんは足も腕も細すぎる。もうちょっと食べる量を増やしても問題ないだろう。ただし一部分は除く。


「でもよく俺がお弁当って気づいたね?誰かから聞いてた?」

「あ、はい。若葉さんから。 それで教室で食べられると思って、私はしたないと思いつつ沢山食べようとしたところに陽紀くんが……」


 まぁそうだろうな。

 家の事を知ってよく話すのは若葉か雪くらいのものだろう。

 はしたないなんて全然そんな事無いのに。むしろ東京のコラボカフェで食べた俺の食事量を見せてやりたい。ドン引くぞ。


「そっか。 そんな時に悪いんだけど、俺も一緒していいかな?」

「は、はい!もちろん! でもどうされましたか……?教室ではなくこちらで食べられるなんて」

「まぁ……教室は針のむしろすぎてね…………」


 しばらく放っておけばほとぼりも冷めるだろうが今はあそこに居たくない。

 それならばコッチに居たほうが精神衛生上いい。麻由加さんも受け入れてくれてよかった。あの焦りようを見た時はどうしようかと。


「もしかして……朝クラスメイトの方が"犬と呼んで"と仰っていたことですか?」

「!! 知ってたの!?」


 まさか彼女まで知っていたとは……一方で隣のクラスだし知っていて当然という納得感を持ちつつ驚いてしまう。

 さすがは麻由加さんというべきだろうか。耳が早い。


「はい、鈴さん……クラスの方から教えていただきまして。でも陽紀くんのことですし、また誤解やすれ違いが起こってしまったのだなと」

「麻由加さん…………!!」


 さすがは……さすがは麻由加さんだ!

 荒唐無稽な話だからこそウワサに踊らされずに信じてくれる心の広さに思わず涙が出る。

 

「今回はどんなきっかけでそのような件に発展したんです?」

「うん、それはね――――」


 ―――かくかくしかじか。

 俺は先日のことを口にする。

 彼女もうんうんと頷きながら俺の話を耳にしてくれる。

 学校で灯火と出会った身だ。自らの目で見たこともあってその理解は想定より遥かに早かった。



「………それは、由々しき事態ですね」

「え、そうかな? 普通に誤解だから時間が解決すると思うけど」

「いえ、大事な一件です」


 俺の話を全て耳にした彼女は唇に手を添えて神妙な顔をする。

 事態を引き起こしておいて何だがそんなに重要な案件だろうか。誤解から始まったのだし当人同士で話はついているのだからあとは適当にいなしていれば解決すると思っていたんだが。

 しかし彼女は難しい顔で俺を見る。そして柔らかそうな紅色の唇をそっと動かし、深刻そうに問いかけた。


「若葉さんに加えて二人目のお犬さん候補とは……。私も『ワンッ』と言って陽紀くんに抱きつくべきでしょうか?」

「それはそれで非常に嬉しいけど……誤解が加速しきるから是非やめて……」


 深刻そうにしてたのはそっちかー。

 そんな事してしまえば誤解がコーナーを曲がりきれずにそのままガードレールを突っ切ってアイキャンフライしてしまう。

 俺は真剣に考え始める麻由加さんをそこそこに自らのお弁当へ手を付けるのであった。

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