143.二組の首輪
「今日は朝からゴメンねぇ! でもお陰で灯火ちゃんもやる気マックスだよ!」
「うん。お仕事頑張ってくるね」
「次来る時は首輪とリードをつけておいてください…………」
自室での一波乱も二波乱をも越えることができたお昼過ぎ。
事態はすっかり落ち着きを取り戻した俺たちは、仕事へ向かおうとする今日の来訪者、社長さんと灯火を見送りに出てきていた。
さっきまで衣装を魔改造して露出度最大になっていたアイドル陣だったが、さすがにその格好で外を練り歩くのは公然わいせつ的な意味でも知名度的にもありえないようで、朝と同じ格好で門前に車をつけていた。
灯火と、おまけに若葉の猛攻により現在の俺は満身創痍。
もはや体育で行うマラソン以上、全力疾走で家から学校までを走りきったかのような疲労感で、ついつい先程のことが無いようにと思っていたら思わぬ事を口にしてしまった。
「あっ」と自ら言った言葉を自覚しても後の祭り。それはしっかりと言葉に出ていたしまったと思っていると、ふと肩を突かれて後方へ目を向ければ若葉がまさしく怒っているような顔でこちらを睨みつけながら頬を膨らませている。
「むぅぅぅ……。陽紀君、ワンコが私だけじゃ満足いかなかったの…………?」
「そこ……?若葉はそれでいいの……?」
「いいんだもんっ!陽紀君の隣にいるのは私何だからっ!!」
それはそれでペット枠に収まりそうなのだが、いいのか若葉よ。
なんて冗談を交えつつも再び前へ向けば社長さんがクスクスと笑みをこぼしている。
「いやはや、二人ともいいコンビだねぇ。 わかった。そこまで言うなら次来る時は社長として責任を持って、二人分の首輪を用意しておこうかな?」
「いえ、その……それは言葉の綾というか冗談というか、俺にそんな変態性はありませんので――――」
「陽紀さんにそんな趣味が……。私も初めてだけど、色んな仕事をこなしたプロだから頑張ってみる、ね?」
そんなことでプロ根性発揮しないで!!
などと思いながらの大きなため息。
灯火は決意を固めたような表情で、対する若葉はライバルができたとあって怒りの表情。もはやツッコミが追いつかない。
「―――さて、冗談はこのくらいにしてそろそろ行こうか。灯火ちゃん」
「え、もう?」
「そうだよ。今でさえ結構ギリギリなんだから。これから仕事するんだし先方に迷惑掛けちゃダメでしょ?」
そりゃあそうだ。
いくら社会経験が無い俺でも時間を守ることの重要性くらいは理解している。
伊達に何度か授業に遅刻して怒られていない。遅刻したら掃除当番とか大変だもんね。
「……うん。でもあとちょっとだけ、いい?」
「しょうがないなぁ。3分だけだよ?」
「ありがと。 陽紀さん、ちょっとだけいい?」
「俺? わかった」
時間のない中最後のチャンスとして貰った3分。何をするかと思いきや灯火が呼んだのは俺だった。
同時に指で示されたのは外に出た先にある車置きの近く。あっちに行けということか。
呼ばれるがままに靴に履き替え外に向かえば、灯火と俺の二人きりになる。
この場所なら下手に襲われる心配もないし、他の面々に声が届くことはないだろう。
「どうしたんだ?若葉たちに聞かれたくない話?」
「そういうことじゃないんだけど2人で落ち着いて話したくって。 今日はありがとね。いきなり来たのに学校まで案内してくれて」
「まぁ、来ちゃったもんはしょうがないからな……」
俺も仕方ないとはいえ今日一日何も予定がなかったことも事実だ。
だから丁度いいという見方もできるだろう。けれど見栄が出て口に出すことは叶わないが。
「それで本題なんだけど、陽紀さんって今付き合ってる人居ないんだよね?」
「そう、だな」
「でも好きって言ってくれる女の子はいっぱいいるんだよね?私も含めて」
「…………あぁ」
本当は否定したいところだが事実である以上言葉少なく首を縦に振る。
失望したとか言われるのだろうか。それはなんだか寂しいなと思いつつ彼女の次の言葉を待つ。
「そっか。じゃあ、若葉ちゃんと一緒に暮らしてるみたいだけど毎日イチャイチャキスしてたりしてるの?」
「そ、そんなことは一度も………!!」
「一度もキスしてないの?」
「………いや……」
確かめるような彼女の問を全て否定……したいところだが、最後の問いだけは否定することができなかった。
もうずいぶん昔のように思える一月前。俺も知らぬ内にキス……してしまっていたようだ。
その上ちょっと前も不意打ちでされてしまった。否定したところでいずれ本人からバレてしまうだろう。
「そっか……。私だけじゃ無かったんだね。さすが若葉さん」
「…………」
「あ、警戒しなくていいよ!外でやったら本気で社長に怒られるし若葉さんの目もあるしね」
フッと俺の口元を流し見るように笑った灯火に少し警戒心が生まれたが、彼女の反応を見て俺も確かにと納得し力を緩める。
ここはウチの中じゃない。敷地内とはいえ立派な外だ。誰の目があるかわからない以上控えるのも当然だろう。
「別に陽紀さんを責めているわけじゃないの。それでも私は諦める気はないって、セツナとリンネルを見て強く思ったから言っておきたかったの」
「でも俺は………」
「大丈夫。男の子だもん。ちょっと色んな女の子に目移りして火遊びしちゃう時もあるよね」
火遊び……ともなれば少し俺の意思とは反しているところも多いが口を噤む。
彼女の話はそこで終わっていないようで、「でも……」と言葉を重ねて上目遣いで俺を見つめてくる。
「でも……。でも、私のことも少しでも想ってくれてるなら、また昔の名前で呼んでほしいな」
「昔の名前……ひびちゃん?」
「うん」
過去、幼稚園時代に呼んでいた彼女の呼び名。
灯火を読み違えただけというなんとも恥ずかしささえも覚える名前だが、彼女はほんのりと頬を紅く染めて嬉しそうに頷いてくれる。
「その……ね?ワガママだと思うんだけど、イヤじゃ無かったら二人きりの時は私のことそう呼んでくれないかな?」
「……いいのか?読み違えた名前だぞ?」
「私がそう呼んでほしいの。ダメ?」
「ダメじゃないけど…………」
恥ずかしさもあるが、彼女が望む以上応えねばなるまい。
名前と同時に東京でキスされた思い出も蘇り、少し恥ずかしくなって目を背けながらももう一度彼女の名前を口にする。
「………ひびちゃん」
「――――。 うん。ありがとう」
嬉しそうに、恥ずかしそうに微笑む彼女はアイドルとしての笑顔とは違う心からの笑顔のようにも見えた。
どちらも心底楽しい思いからの笑顔だが、発端となる思いが違い表情に出る。少なくとも俺はそう思えた。
彼女の言う本題とはこのことだったのだろう。満足したように、噛みしめるように胸元で強く拳を握りその名を受け止めた彼女は俺の横を通っていつの間にか乗って待っていた社長さんの車まで向かっていく。
「大好きだよ陽紀さん。またこれからも遊びに来るから、よろしくねっ!」
乗り込む直前に振り返って大きく手を振る灯火は笑顔。
その笑顔はこれから向かう仕事を大成功に導く笑顔のように思えるのであった。
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