140.那由多の誤算
「お姉ちゃん、本当に良かったのぉ?」
日の日差しが燦々と降り注ぐコンクリートの惹かれた黒くて平坦な道。
黒い大地に天から注ぐ熱を続々と吸収していって辺りがポカポカ暖かくなってきた陽気。
しかし曜日が曜日の故で道歩く人がいない道を、2人の少女は仲良く歩いていた。
そのうちの一人はこの道を普段から使い、もう一人はこれから使うことになるであろう登下校道。その道中で語りかけられたことで少女の視線はチラリと動く。
少しだけ目が上がり気味で活発な印象を覚える少女、那由多。
茶色の髪を2つに纏めてお下げにして、可愛らしさを押し出した彼女は隣の同色の髪を持つ人物に話しかける。
「本当に、とは?」
返事をするのは二人で比較すると背が高い方。腰まで届く髪を一つにまとめ、赤い縁のメガネが特徴的な少女、麻由加。
疑問を返しつつも内心では殆どその意味を理解している。けれど敢えて問いかけるとおさげの少女は「もうっ!」と少しだけ声を上げた。
「お兄さんのことだよっ!ファルケ……古鷹 灯火に譲っちゃってよかったの!?」
「あぁ……」
なんだ、そのことか。
などといいたげな様子で麻由加は再び視線を正面へと戻していく。
少し焦りも見える妹の那由多を気にすること無く一定のペースで下校の路を辿っている。
「えぇもちろん。さっきも言ったじゃありませんか。若葉さんが居ない以上今日はあの人が陽紀くんを独占する番だって」
「確かに言ってたけどぉ……。それとこれとは関係無くない?別に水瀬 若葉が譲ったからといってお姉ちゃんまで譲ることないじゃん」
那由多のそれはサポートする身として尤もな言葉。
自分も少年に気がある。けれど"今のところは"姉である麻由加のフォローに当たる側からしたら焦りを感じるものであった。
那由多の誤算。灯火の存在。
彼女はファルケが男性だと思っていた。しかしそれでも女性であるという可能性も捨ててはいなかった。
那由多は過信していたのだ。若葉に麻由加。二人はいくら人の多い東京においても群を抜く、特に片方は実績さえあるトップアイドルであるという容姿の良さに。姉である麻由加もベクトルは違うものの若葉と肩を並べるほどの美しさだと家族贔屓ながら感じている。事実客観視してもその通りなのだが。
だからたとえファルケが女性でも、この二人に比べたら見劣りするだろうと思っていたのだ。
しかし蓋を開けてみればその安易な期待は裏切られることとなる。
水瀬 若葉の所属するアイドルグループの一員であり、現在復帰して着実に階段を昇っていっている少女、古鷹 灯火。
まさかよりにもよって彼女がとは思わなかった。更に彼女までも陽紀に想いを寄せているとは。
だから今日会った時はチャンスとさえ思った。あの間に割って入って牽制してやろう。二人がかりで落とそうとも。
けれどその計画は計画のままで終わってしまった。いざ麻由加が出した結論は素直に引き下がるという考えもしなかったこと。以前の姉なら迷わず乗るのにどうしたのだろうか。
「色々経験して私も学んだのです。陽紀くんも私のことを好きって言ってくれた以上、彼を信じて待とうって」
「信じるって言ってもお姉ちゃん、いくらセリアでも男なんだよ!男は単純なんだよ!! お姉ちゃんも知ってるよね!?古鷹 灯火のおっぱいの大きさ!!お姉ちゃんにのいい勝負なんだよ!!」
「おぱっ…………!?」
いくら人通りがないとはいえ往来でのとんでもない言動に麻由加は目を丸くする。
たしかに……確かに麻由加の言う通りあの大きさは驚異だ。普段邪魔だ邪魔だと思っている麻由加も陽紀の視線が行けば嬉しく思う。しかし灯火も麻由加に及ばないといえど他の面々には太刀打ち出来ないくらいのボリュームがあるということはテレビを見て知っていた。
水着や露出の多い仕事がないとはいえ人目に触れる機会の多い職業。テレビや雑誌に出るときの衣装次第ではその大きさが際立つものもいくつかある。例えばセーター。例えばフィット&フレアなど。
確かに那由多の言う通りあの胸で迫られたら危険だ……そう考えつつも"ない"と断ずるように首を大きく横に振る。
「……コホンッ! だ、大丈夫です!陽紀くんは誠実な人ですから!あの若葉さんと毎日暮らしてもなんともないのですから!」
「ほんとぉ? もしかしたらおにいさんって巨乳にしか目がないのかも。もしかしたら古鷹 灯火だったら狼に……」
「…………」
隣から聞こえてくる妄想――――悪魔の囁きに麻由加は顔を背けて無言を貫く。
けれど耳にしてしまえば考えもそちらに誘導されてしまう。そんなことはありえないと断じたいものの、とめどなく溢れ出る那由多の妄想劇場にさすがの麻由加も自信が削がれていってしまう。
「―――それで我慢できなくなって夜の街へ。月曜日登校する頃には生まれ変わった男の姿が……」
「もうっ!そんな事言わないでくださいよっ! 自信無くなってくるじゃないですかっ!!」
耳から脳へ届くリアルなデート模様。
最後の最後で変わった陽紀の姿を考えるのに耐えきれなくなった麻由加は一喝した。
その言葉を受けた那由多も「ゴメンゴメン」とそこまでに留め再び歩き出す。
「………でも、お姉ちゃんが待つなんて意外だね」
「そうですか?」
「うん。だって好きな人の為にゲームを始めるほどだし、そうでなくても"待つ"んじゃなくて怖くて"できない"ことばっかりだったじゃん」
「それは……そうかも知れませんね」
妹に指摘されるこれまでの麻由加。
大好きな彼へ告白は何度もしようとしてできなかった。それは単に怖かったから。
けれど今はそのような怖さなんてない。色々言われて心乱されもしたが、それでも余裕を持って待つ選択肢を選ぶことができる。
そこに至るには何かキッカケがあったことだろう。那由多は不思議そうにしながらもつい最近の出来事を思い出してあっ、と表情を歪めてみせる。
「ふ~ん」
「……な、なんですか変な顔して」
「いえいえ~。なんとなくわかっちゃった気がしてさ。 お姉ちゃん、おにいさんとキスして心に余裕ができたんだね」
「それは…………どうなのでしょうね」
平気な顔で麻由加は誤魔化すが間違いなくそう。
麻由加の心情の変化は間違いなくあの一件がキッカケである。
寝込みを襲ったといえ好きな人とのキス。その上受け入れてくれたという事実がなにより彼女の心に余裕を与えてくれていた。
彼は自分のことを見てくれている。ならば少しのことくらい目を瞑って赦してあげよう。そんな気にさせてしまうのだ。
「ふぅ~ん。 キスねぇ……。そんなに変わるものなの?」
「どうでしょうね。那由多もいずれわかる時がきますよ」
「え~!? それくらい教えてよ~!」
「ふふっ、 イヤですっ!」
好きな人とのキスという充足感。
心の中が暖かいもので埋め尽くされ、相手以外何一つ見えなくなってしまう感覚。
もっと、もっとと自分の中で要求を重ねるのを感じ取り自分の全てを与えてもいい、相手の全てが欲しいと思うようになる甘酸っぱい感情。
その心は麻由加自身のものだった。たとえ大好きな妹でも教えることすら断るほどの感情であった。
那由多もこれ以上無理だと悟ったのか早々に諦めて足を動かす。
そこでなにか思いついたのか「じゃあ」と声を発し麻由加の数歩前へと繰り出していく。
「じゃあさ、お店で作戦会議しようよっ! お兄さんをこれからどうやって独占してどうやって落とそうかって!」
那由多のそれはたとえ何人ライバルが増えても負けないという意思表示。
改まっての提案に麻由加も少し驚きはしたもののすぐに頷いて彼女の隣へと追いついてみせる。
「………ふふっ、いいですね。その為には彼が本当にお胸の大きなひとが好みなのか考察する必要があります」
「お、いいねぇ。だったら学校でのお兄さんのこともっと教えてよっ!色々知りたいなっ!」
「えぇもちろん。いいですよ」
仲の良い姉妹は肩を並べて歩いて行く。
それは本当に恋敵とは思えない後ろ姿。二人がたどり着いたお店は美味で作戦会議も盛り上がったのだった。
なお、一方で昇降口にたどり着いた陽紀。
彼はそのウワサ話に何度もくしゃみを重ね灯火に心配されるのであった。
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