137.授業ごっこ
「ここが陽紀さんの教室……! ねぇねぇ、席はどこなの?」
「席は後ろから――――って、あんまりはしゃぐとまた誰かに見られてバレるから控えめにな」
俺たち以外人っ子一人いない教室で、少女は辺りを駆け回る。
たい焼きを食べ終えた後やってきたのは、彼女の要望通り俺の通う学校だった。
最初はあんな面白くない場所なんの意味があると少し難色を示したものの、よくよく考えれば休日の学校は人が少ない。その上自販機もあるし座るところは山のようにあって休憩するのに事欠かないと、最終的には俺も快くこの場まで案内した。
懸念事項があるとすれば、変装して明らかに怪しい格好の彼女をしていること。先生にバレたらなかなか面倒ということくらいだろう。そこだけは入る時にかなり警戒した。教室に入れば隠れるところなんていっぱいあるしこっちのもんだ。
「陽紀さんって毎日ここで勉強してるんだよね?」
「あぁ。そういう灯火はたしか……」
「うん。高校は行ってないよ」
なるほど若葉と同じか。
本格的にアイドルをするのならば学校通いながらだと難しいのかもしれない。
しかし学校が怠いと思っているおれは素直に羨ましいとさえ思う。そこにたどり着くまでにかなりの努力をしたのだろうが。
教室後ろに乱雑に置かれた本を手にとって見てみたり、窓から外を眺めていた彼女は見るもの全て見きったらしくさっき教えた俺の席に迷わず向か――――うことなく、その右隣の席へと腰を下ろした。
その席たしか、松本さんの……。
「陽紀さん!陽紀さんも座って!」
「えっ!?俺も!?」
一人教室ではしゃぐ灯火を壁に寄りかかりながら眺めていたが、どうやら俺もお呼びみたいだ。
示す先はさっき教えた自身の席。仕方ないと思いつつ別にいつものところに行くだけだしなと納得して彼女の隣へ座ると、これまで変装するため着用していたキャスケットとサングラスを取り外して金の髪を露わにしてしまう。
「ふぅっ……。あ~窮屈だった!」
「いいのか?外しちゃって」
「うん。土曜日で人いなさそうだしね。ここに来るまで誰にも会わなかったし」
なんてことなしに語る少女に俺も「そっか」と小さく返事をして前を見る。
たしかにここに来るまでは順調そのものだった。
しかしだからといってこれからも来ない保証にはならない。もちろん彼女もそれをわかっているだろう。
にしても、俺もずいぶん慣れたものだな。
隣にアイドルがいるというのに冷静そのもの。これは確実に若葉と一緒に過ごしてきた影響。彼女がいなかったら今頃緊張と畏怖で昇天していることだろう。
成長……とでもいうのだろうか。若葉が聞いたら「ならもっと緊張させてあげる」とか言ってそのままタックルしてきそうだが。
「ねぇねぇ、陽紀さん」
「うん?」
そんなありそうでなさそうな、でもやっぱりありそうな想像をしていると隣の灯火から声が掛けられた。
この学校ではまず居ない、金色の髪を輝かせながらもすこし控えめに、なにやらバツの悪そうな様子と小声で話しかけてくる。
「ちょっと私、この授業の教科書忘れちゃったの。ゴメンだけど見せてくれない?」
「…………はっ?」
申し訳無さそうな感じで何を言われるのかと思えば、いまいち意味が理解できないことだった。
いや、意味は十分理解できる。でもなんで教科書……?授業?今土曜日だし教壇に先生もいないぞ?
「どういうこと……?」
「いいからいいから。何か教科書ない?数学でも英語でも」
「まぁあるけど……」
イマイチ掴めないながらも机の中に手を伸ばして適当な教科書を引き当てる。
ウチの学校は一応教科書の放置帰宅禁止だ。でも重い荷物、そんな決まりは有名無実化していておそらく全校生徒が教科書を置いて帰っている。
だから当然この机の中にも教科書は埋まっているわけで、一番上のものを引っ張り出したら数学が出てきた。
「これでいい?」
「うん。それじゃあ机引っ付けるね」
見せてもらうとは教科書貸してという意味合いかと思ったが、どうやら本当に言葉通りだったようだ。
ガタゴトと机の両端を手に持って慣れない動作で近づけていく。だいぶ四苦八苦して膝と机が当たりながらもなんとか引っ付けることに成功した彼女は中央に教科書を置いて適当なページを広げてみせる。
「最近の授業ではどの辺りやってるの?」
「今は2次関数かな。このあたり」
「そっかぁ……。どう?難しい?」
「難しいというより、先生の話聞いてて瞬きしたら授業終わってるくらいには時間が早く感じるかな」
「それって寝ちゃってるよね!? も~! 寝ちゃダメだよ~!そんな事してたら次のテスト大変なことになっちゃうよ!」
小声でそう言いながらも怒る様子を見せるも彼女の表情は笑顔だ。
それはまるでこの空気を楽しんでいるのかのような。もしかして灯火は……
「あ、でも大丈夫だよ。私も若葉さんほどじゃないけどある程度勉強してるし、イザとなったら一晩つきっきりで――――」
「………なぁ、もしかして高校に未練、あったりするのか?」
「――――。 ……えへへ、わかっちゃう?」
楽しげに話していた彼女だったが、俺のその言葉に一瞬だけ虚を突かれたような表情を浮かべ、すぐに認めいつもの表情に戻っていった。
やっぱり。
突然の教科書の要求。そして机の引っ付け。どうやら彼女は授業の再現をしているようだった。
高校に行かずずっとアイドルに邁進していた彼女。一時アイドルから抜けたことはあっても高校にいかなかったらしいが、未練自体はあったみたいだ。
「全然後悔はないんだよ。でもね、もしアイドルにならずに普通に高校生活送ってたらどうなってたかなって……」
「灯火……」
「あ、でも悪いことばっかりじゃないんだよ!社長も若葉さんも優しいし、何より活動してたおかげで陽紀さんにも再会できたしっ!!」
そう言って付け足す彼女は確かに後悔というものは感じられなかった。
どちらかといえばもしもの未来が気になるといった程度だろう。そんなものはだれにもわからない。だから彼女も「大丈夫だよ」と続けて言う。
「そっか……。じゃあ授業を続けようか」
「うん!」
彼女が大丈夫というなら平気なのだろう。ただでさえ再会してまだ数日。深く入り込むにも早すぎる。
俺は彼女に合わせて授業のシミュレーションを続けるべく教科書に続くノートを取り出そうと手を弄ったところで、ふと廊下から聞こえる声に気が付いた。
『ここがお兄さんの教室? なんだか普通だね』
『当たり前でしょう。むしろどんな教室だと思っていたんですか』
『どんなって、お兄さんはヒーラーだし水と木がいっぱいで花香る癒やしの空間みたいな?』
『生徒の一存で青空教室にも程があります……。先生が
それはやけに聞き覚えのある2人の話し声。
お兄さん、ということは誰かの妹なのだろうか。いや……この声は覚えている。俺の想像に間違いないのなら――――
「それじゃあ失礼しま~すっ!! お兄さんの席はどこかな~………って、あれ?」
「ゲッ…………」
話し声に気がついてその扉が開くまで、おおよそ10秒すらかからなかった。
僅かな時間。人が来ることなんて、ましてや扉が開かれることなんて意識の外だった俺は灯火に変装を促すことすらできず安々と侵入を許してしまう。
不幸中の幸いだったのは来訪者が顔見知りだったことだ。
けれどだからこそ、厄介な幕開けでもある。
「開口一番何よゲッて。初対面なのにまったく失礼しちゃ…………あらぁ、お兄さんじゃない!もしかして待っててくれたの!?」
声でこそ知り合っていたもののリアルでは初めての邂逅。
なんの気兼ねもなく扉を開けて教室に入ってきたのは麻由加さんと、最初は不機嫌そうな顔を浮かべていたものの俺を見てパッと(不気味な)笑みを浮かべる那由多さんであった。
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