133.猿叫


 休日とは兎にも角にも最高の一言だ。

 朝早くから置きて準備して寒い中登校して勉強することもない。曜日によってはわざわざエアコンの効かない寒い更衣室で着替えてマラソンというこの世の苦行に身を投じる心配もない。

 

 特に朝は最高だ。まだ何でもできる一日の始まり。可能性に溢れた時間。

 透明感のある朝とは今日みたいなことを指すのだろう。

 登校や通勤する人の少ない外の空気感は驚くほど澄んでいた。

 チュンチュンとスズメの奏でる音色を聞きながら俺は布団を深く被る。


 ――――まぁ、スズメ以外の情景は全て俺の脳内で見えている幻なのだが。



 東京から帰ってきて2週間弱経過した土曜日。休日の朝。

 俺は今日も今日とて朝っぱらから惰眠を貪っていた。


 それもこれも全て昨晩遅くまでゲームをしていたから。

 東京から帰ってきたから俺たちの間にはボイスチェンジャーという概念が無くなってしまった。

 もう全員が全員のリアルさえも知っている間柄。もう身元を隠す道具なんて必要ないだろう。


 ファルケ……灯火でさえも若葉のゴリ押しでその正体をメンバーの前で晒すことになった。

 さすがにこの事はセツナもリンネルさんも、現役アイドルと一緒にゲームしていた事実に若葉のことを知った時以上に驚いていたがそれはまた別の話。ファルケは挨拶の日以降忙しくなったらしくログインしてこないがそれはそれとしてその日ログインしているメンバーで楽しくゲームをする日々を送っていた。


 あれから数日、気まずい雰囲気にはなっていない。

 キスだの何だのそういう事は現時点において膠着状態になっているとセツナが言っていた。

 俺は膠着なんてあるんだとビックリしたが、まぁ平和なのはいいことだ。


 そんなこんなで憂いのない夜。昨晩は特に盛り上がった。

 主にリンネルさんのレベリングで。ストーリーも1つの区切りを迎えレベルは丁度70。

 順調どころかいいペースだ。俺たちのレベルというかカンストは100だから想定よりも早く到達するだろう。


 そんなこんなああって、つまり俺は寝不足だ。

 きっと今日はあのメンバー全員朝はお寝坊さんだろう。平和な朝だ。

 ほら、こうして暖かい布団に包まれていると廊下のほうからバタバタと駆け寄ってくる音が……………ん?駆け寄ってくる音?


「おはよう陽紀君っ!!朝だよっ!!!」


 ――――平和な朝なんてものはこの家に存在しなかった。

 バァンっ!と毎度の如く俺の部屋の扉を開け放つのはこの家の居候、若葉。

 俺を起こしに来たであろう彼女の視線を感じながらも、知ったことかと無視して眠りの世界へ再び潜り込もうとする……も、グラグラ動かされる身体に嫌でも意識は浮上する。


「陽紀く~んっ!ほら、もう8時半だよ!起きて起きて!」

「"まだ"、だろ……。今日は休みなんだから寝かせてくれよ……」

「"もう"だよっ! 時間は待ってくれないんだから!」


 俺の身体を布団ごと揺らす若葉は今日も朝からフルスロットルだ。

 まったく、俺と同じく遅くまで起きてたのになんでそんなに元気なんだよ。なんで布団の誘惑に抗えるんだ。


「お~き~て~! コーヒー淹れてあげるから~!……雪ちゃんがっ!」

「むぅ……まだ寝ていたい……」


 若葉が淹れるんじゃないんかいっ!!

 いやでも若葉が淹れてうっすいコーヒーになるだろろうし、雪ならまだ美味しく淹れてくれるはず。

 そういう意味では合理的……って起きるんじゃない!今日は最後まで抗うんだ!具体的には午後になるまで!


「……だったらもう起きなくたっていいもんっ!私もお布団入って一緒に寝てあげるんだからっ!」

「―――!! 起きた。はい起きた。さぁコーヒー飲みに行こう…………どうした若葉。行かないのか?」

「む~~~~~!!!!」


 押してダメなら引いてみろ。

 起こすことを諦めた若葉は次の段階として一緒に寝るとか言い出して布団をまくろうとしたところで、俺は勢いよく身体を起こしてベッドから着地してみせる。

 しかし当の若葉はベッドに座り込みながら俺を見上げてとんでもなく頬を膨らませていた。


「陽紀君のバカッ!もう知らないっ! 今度は私が一日中ここで寝ちゃうんだから!!」

「そうか起きないのか……。残念だな……今日の夕飯当番は俺だし若葉の好きなものを作ろうと思ったんだが……」

「わ~!ウソウソっ!! キチンと起きてくれた陽紀君最高!大好き!!」


 空になった布団をかぶった若葉に俺はワザとらしく残念がると、彼女は慌てたように引っ剥がす。

 勢いよく立ち上がった若葉がよろめいたところで支えた俺は、彼女とともに1階へ降りていく

 そんな、段々と若葉のリードを握るのに慣れてきた土曜日の朝だった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「おにぃおはよ~。ちゃんと若葉さんに起こされたんだね」

「あぁ、なんとかな……」

「今日もねぼすけさんを起こすの頑張ったよ、雪ちゃん! ……ってあれ、灯火ちゃんの特集やってる~!」


 階段を降りてリビングに入った俺たちを出迎えたのは、既に起きていた若葉だった。

 その手にはトーストが握られ無事起きて来られた俺を見てはウンウンと満足気に頷いて見せる。


 そしてすぐに視線は後方のテレビへ向けられた。

 若葉の気づきによって向けられた内容は彼女の仲間、灯火の特集コーナー。

 若葉に入れ替わるように復帰した彼女の1ヶ月ほどの実績を過去と見比べたりして振り返っていた。


「なんだかここ一週間くらいよく見るようになりましたけど、随分と明るくなりましたよね。憑き物が落ちたみたいに」

「だね~。これも全部、あの日はる―――――」

「あ、バカッ!」

「はる………?」


 テレビに映る最近の灯火は俺が見てもわかるくらいに楽しそうだった。

 どこを切り取っても笑顔で本当に歌い、踊ることを楽しんでいるように見える。

 それと同じ感想を雪も抱いたのだろう。ホッとしたように若葉へ語りかけるも、若葉本人が危ういことを口滑りそうになったのを感じ取って慌ててその口を塞いでで見せる。


「―――なんでもないよ雪ちゃん!はる……そう張る!久しぶりの復帰で気が"張ってた"だろうって!」

「……そうですよね。前まで随分思い詰めてた気もしましたが、思い過ごしだったみたいです」


 慌てて若葉も言い繕ったが、雪はさほど気にしないように再び食事へを戻っていく。

 俺と若葉が目を合わせたら合掌するように手を合わせて『ゴメン』と言外に告げていた。


 俺と灯火の関係。東京で何があったかは麻由加さんと那由多さんには言ったものの、雪に対しては完全に伏せている。

 それもこれも雪が熱狂的なファンだからだ。確かに雪にとって若葉のほうがウエイトが大きい。けれどだからといって灯火に興味が無いわけでもない。

 むしろ若葉から色々な話を聞く内にズブズブと沼にハマっていっているようだった。


 だから俺と関わりあると知ったらまたやかましくなるだろう。

 それにこれが一番大きいが、灯火がファルケだと知ってしまえばもう厄介だ。

 ボイスチャットで会話しているものだから是非自分も話したいとか言って部屋に突撃してくるだろう。

 ゲームをするときはね………リアルではこう、一人でなくちゃあダメなんだ。


「そういえば母さんは?」

「トイレ。それから新聞取ってくるって」

「ふぅん」


 ふと母さんが居ないことが気になったが、さして大したことじゃなかったから適当に流して椅子に座る。

 なんだ、すれ違っただけか。そうこうしている間にもガチャリと玄関の扉が開く音と「寒い寒い」と外の寒さに震える声が。戻ってきたみたいだ。


「陽紀君!今日のお夕ご飯私の好きなものにしてくれるって話だけど何にしてくれるの!?」

「朝ごはんだってのにもう夕飯の話か? 何にしよ……何がいい?」

「なんでも!陽紀君の作ってくれたものなら何でもいいよっ!」


 なんでも、ねぇ……。

 それが一番困るんだよな。

 もっとこう、オムライス!とかカレーライス!とかハンバーグ!とか具体的にほしい。


「――――ダメだよぉ若葉ちゃん。そういう答えが一番相手を困らせるんだ。せめて和食とかジャンルくらいには絞って言ってあげないと」

「そっかぁ。それだったら今日の気分的に洋食かな? …………ってあれ?この声って……」


 俺の心を代弁するかのような聞こえた声に素直に反応した若葉だったが、あまりにも不自然すぎて全員が同時にそちらを向いた。


 声の主はリビングの入口。そこに寄りかかって立っていたのはスーツをピシッと着こなした大人の女性。

 俺も見覚えがある。あの人は…………

「社長!どうしてここに!?」

「ふふ~ん。今日はちょっと用事があってね。そこで新聞を取りに来たお母さんに入れて貰ったんだ」


 そこに立っていたのは間違いなく東京出会った社長さんだった。

 彼女が『どうぞ』と手をかざすと同時に脇からリビングに入ってくるのは俺たちの母さん。

 外で出会った……のか?でもなんで……


「用事って……わざわざこんな所で……」

「おっと、その話についてはまずコッチに注目してもらわなきゃね。 ―――出ておいで」


 そう言って、優しい口調で後方に語りかけたと思えば、続くようにもう一人が姿を現す。


「そんな……まさか…………。―――――――」


 信じられない。というように声を上げるのは雪。

 入ってきたのは社長さんを見た時点で予期をしていた人物。しかし俺の代わりに驚きを一手に引き受けた我が妹は絶叫を通り越した猿叫がその口から飛び出してしまう。



 雪が叫ぶ原因となったその人物。

 それはまさかまさかの2周間ぶり。以前東京で出会った灯火という、早すぎる再会だった。

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