131.チョコの味


「ただいま」


 もうすっかりズップリ暗くなった帰り道。

 まるで幽霊でも出るんじゃないかと思うくらいの恐怖を――――いや、そんな事一切考える間もなくボーっとしている間に目的の家へたどり着いた俺は玄関に上がり廊下を進んでいく。

 少し視線を横に向ければ閉じられた扉から聞こえる談笑の声。声の主は3つ、母さんに雪に若葉。全員リビングに集まって話しているのだろう。

 会話も随分白熱しているようで俺が帰ってきたことなど認識されていないことが伺える。


 しかしその程度で寂しさを覚える俺でもない。むしろちょうどいいと思いながら階段を上がり一直線へ部屋に向かう。

 適当にパソコンの電源をつけ、椅子にバッグと制服のジャケットを放り投げてから何をするわけでもなくベッドの縁へ座り込む。

 手を組んで考え込む様はまるでどこぞの司令官のようなポーズ。今回の場合は額に当てて背中を丸めているのだが。


 住み慣れた家、自分だけの部屋。そこでようやく自身の心に僅かながらの余裕が生まれる。

 その余裕で考えるのはさっきの……麻由加さんからのキスのことだった。


 本当に……本当にキスされたんだよな?

 間違いない。彼女自ら言ってたし俺も個の目で確実に見た。


 ――――柔らかかった。暖かかった。嬉しかった。

 好きな人からのキスはこんなにも嬉しいものかと歓喜し打ち震えるはずなのに、喜びの後で生まれて来る感情は複雑な心境だった。

 確かに嬉しい。ずっと夢見てきたことだ。ずっと好きだと思ってて告白までしようとした子からのキス。寝ているところという事実は今回捨て置くとして彼女からのアクションに好きだと言ってくれた時くらい嬉しかった。


 けれど、複雑でもある。

 麻由加さんと別れてからもそうだったが、いざ一人で考えることになると若葉に、それに灯火までも俺の脳裏に入り込んでくる。

 2人からもキスをされたんだよな。若葉はとうの昔に、灯火は一昨日不意打ちで。

 嬉しいはずなのに、俺の心にはどうしても罪悪感や迷いが生まれてしまっていた。


 もしかして俺はあの2人のことが……?

 いやいや、でも若葉はワンコだし、なにより灯火は幼馴染だとしても一昨日再会したばかりじゃないか。

 でも結婚の約束も……したんだよなぁ……。


「はぁ……」


 1つ物事を突破すればそれ以上の懸案事項が舞い込んできて、嬉しいはずなのにどうしてもため息が出てきてしまう。

 俺の好きな人は麻由加さんだけど、頭の片隅に若葉もいることも認める。ならばどうするか。答えの出ない質問に堂々巡りとなってしまい思わず天を仰ぐ。

 そこから見えるはいつも寝る時に見ているただの天井。なんの代わり映えもしない景色をぼーっと眺めていると、バタバタと廊下のほうから騒がしい音が聞こえて生きた。


「はっ、るっ、きっ、く~んっ!!」


 バタン!

 まさに勢いそのままといった様子で快音を鳴らしながら扉を開けたのはこの家に住み着いたワンコ……じゃなかった。ワンコ属性持ちの若葉だった。

 カッターシャツに膝丈程度のスカートを履いた彼女は俺を認識するやいなや勢いよく飛び込んで座っている膝の上に見事着地する。


「おかえりっ! 今日も学校お疲れ様!」

「あぁ、ただいま。 よく気づいたな。話し込んでて聞こえてないかと思ったぞ」

「そんなの匂いだけでわかるよっ!ワンワンっ!」


 え、俺そんな臭いかな……?

 でも確かに今日体育で憎きマラソンを走り抜いたしありえなくも……腕あたりを嗅いでみるけどさっぱりわからん。


「嫌な匂いじゃないから大丈夫! むしろ陽紀君の汗の匂いは私好きだ……し…………」

「……? 若葉?」


 膝の上で横乗りになった若葉。

 彼女がそう言って励まそうとしてくるが、言葉の最中で呆けた様子になり唐突に俺の身体を嗅ぎだした。


 えっ!?ホントにそこまで臭いの!?

 泣くよ!もうこの場で臆面もなく泣き出すぞ!?


「………陽紀君、ついさっきまで麻由加ちゃんと一緒にいた?」

「そこまでわかるのか……?」

「麻由加ちゃんのはね。だって大好きな恋敵だもん。でも今日はちょっと匂いが強いような………ぁっ…………」


 匂いを嗅いだあとはジロジロと俺の服を見ていた若葉だったが、下から上へ。胸元から顔まで到達したところで何か思考が行き着いたように言葉が途切れた。

 目を丸くし、俺の顔をじっと見つめている。


「なんだ?俺の顔に落書きでもされてたか?」

「ううん……そうじゃなくって」


 違ったか、よかった。

 この顔で外歩きまわってたから落書きされたとあっちゃ近所の笑いものになるところだったよ。

 万が一にも麻由加さんがそんなイタズラするとは思えないけれど。


 しかし若葉は神妙に、俺の顔の一部分、唇と見つめながらゆっくり口を開く。


「もしかして、もしかしてなんだけどね。 陽紀君、麻由加ちゃんとキス……しちゃった?」

「っ……!? なんでそれを…………っ……!?」


 吃驚仰天。青天の霹靂。

 まさに見てきたかと思うほどダイレクトな問いに俺は思わず聞き返し、そこでその言葉は認めてるも同然だと気づき慌てて口を塞いだ。

 けれど若葉はすぐに理解したようで、「やっぱり……」と呟きながら自らの口元を指さして見せる。


「麻由加ちゃんのグリス……リップが陽紀君の口にもついててもしかしたらって。 そっか……麻由加ちゃんもついにか……」

「若葉……」


 それは喜びか悲しみか。

 フッと遠くを見て乾いた笑いをする彼女の心は読み取れない。

 俺のことを好きだと言ってくれている手前、いたく傷つけてしまったかもしれない。そう考え影を落とすと、俺の手首が彼女によってしっかり掴まれていることに気が付いた。

 それはまるで、俺の行動を阻止するかのような上からの押さえつけ。なんだろうともう一度顔をあげようとすると、彼女の顔がニヤッと歪むのが目の端で捉えられた。


「スキありっ!」

「なっ…………! ―――――!?!?」


 彼女のそれは灯火を彷彿とされるような不意打ち。

 俺が驚く間もなく近づいた彼女はそのまま俺の眼前まで顔を近づけ更に一歩近づくよう俺との距離をゼロにしてみせた。


 唇と唇が触れ合うその一瞬。…………いや、若葉の唇の柔らかさを感じるのは一瞬どころではなかった。

 気づけば空いた腕で俺の後頭部をホールドしており1秒、2秒、3秒と触れさせる時間を積み重ねていく。


「~~~!」」

「………………ぷはぁっ! えへへ、これで意識あるうちではファーストキス、かな?」


 そう言ってはにかむ彼女の顔は真っ赤。

 同じく俺も火が吹いていることだろう。

 おおよそ秒にして10カウント。1分をも越えると思えるほど長いそれは若葉からのキスだった。


 まさか1日に2度。しかも別の人と。

 更に本当に元アイドルである水瀬 若葉と……。その事実が否応にも突きつけられて俺はパクパクと金魚のように口を動かしながらなんとか声を発する。


「なっ……なっ……なっ……!なんでそんな……軽い感じで……」


 俺がまず声に出したのは彼女の様子についてだった。

 顔は赤いもののそれ以外は平常心を保っているようで、家に招いたり頬にキスしたり今回といい、その積極性からこれが本当に初めてかと疑いが生まれ、俺はつい問いかける。


「軽くなんかないよ」


 しかし彼女はそれを否定した。

 優しく首を横に振り、頬に手を添えて柔和に微笑んでみせる。


「私も灯火ちゃんも……たぶん麻由加ちゃんだってそう。私たちは本気で陽紀君のことが大好きだからその証としてキス、してるんだよ。 本当はすっごく勇気を出したんだから」

「あの2人も?」

「うん。でもこれは全部私達の自己満足。 だから陽紀君は、答えが出るまでアイドルたちの猛攻を一心に受け入れること!頑張ってね?」


 ツンッと。そのまま笑顔で額を人差し指で突かれ俺は思わず手を添える。

 俺がボーっとしている間にも彼女は膝の上から飛び降りて部屋から出てチョコンと扉からこちらに顔だけを見せる。


「ほら、陽紀君も降りてきて。お夕飯できてるよ!」


 それだけを言い残した彼女は俺を置いて一人先に1階へ。


 若葉のキスはチョコの味。

 俺は唇に手を当てて彼女の甘い甘いキスの味を思い出すのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る